第三話「先輩……家族が居るって良いですね」
「それで、夕食は何にする予定なのだ?」
……台所に入って、シンクの前に先輩と並ぶと、妙にやる気に満ちあふれた先輩がそう言って切り出してきた。
(……ど、どうしよう……そういえば……いつも通りサラダとお味噌汁と卵焼きのつもりだったから……)
腕時計を一旦外し、ポケットの中へと大切に仕舞い込みながら、私は思わず考え込んだ。
まさか、『誰かと一緒にご飯を食べる』……ましてや、ご飯を『一緒に作る』だなんて想定外も良いところだ。準備していたのは『いつも通り』……『料理』なんて呼べるような代物の準備はしていなかった。
咄嗟に、おばあちゃんがいつも作ってくれていたような、筑前煮だとか、魚の照り焼きだとか、ちゃんとしたご飯を思い浮かべるが、付け焼き刃で頑張ってみてもボロが出るのが目に見えている。
……第一、そもそもそんな物を作るための材料も用意していない。
(でも……こんなところで誤魔化しても……仕方ないか……)
毒を食らわば皿までという訳ではない。
だが、取りあえず格好付けたところで出来上がる物には変わりが無い。
……ないものは仕方ないのだ。
……ただ、それでも……
(――ちょっとくらい、『良いところ』見せたかったな……)
――若干の負い目は感じながら先輩に今日のメニューを伝える。
「……サラダを作って、お味噌汁を作って、卵焼きです……」
「そうか。分かった。味噌汁はなんの味噌汁だ?」
「大根とにんじんで――っ!」
――そこまで答えたところで、もっと言いづらい『不都合な事実』があったことを思い出した。
思わず、先輩から目線を逸らし、自分の後ろにある冷蔵庫を盗み見た。
つるつるとした表面の。無骨な機械が、無言で自分の存在を主張していた。
……なんとなく。かれこれ長い付き合いになる冷蔵庫が、心配しながらこちらを窺っているような気がする。
「ん。一人暮らしなのに上出来だな。承知した。サラダは?」
予想通りやって来た先輩の追加の質問に、先輩の方に顔を向けることが出来ない。
だが、ここで黙り込んでいるのもおかしな話だ。
それにいずれ……いや、どうせすぐに。ばれてしまう事だった。
「……プチトマトと――にんじんと大根です……」
「……あ、ああ……そうか……難儀なものだな。『一人分』というのも」
――ただ、せめて。
『朝三暮四』……最後に残った羞恥心の表れか。
なんとなく意地を張って、食材の順番を入れ替えてみたものの……
――中身が同じなのは誤魔化しようが無かった。
……先輩から、哀れむような視線を向けられたような気がして、頬の熱を感じながら視線を逸らし、制服から着替えたパーカーの袖を右手でぎゅっと掴んだ。
――顔の火傷のせいで、誰かから哀れみの視線を向けられるのには慣れていたけど……これはまた毛色が違うと思う。
(――だ、だって、しょうがないじゃないか! どんどん使わないと余るんだよっ!?)
……ひょっとすると一月ほど前。結局使い切ることが出来ずに痛ませて捨ててしまった、安売りしていたからと買い込んでだトマトの呪いなのかも知れない。
(……今度はちゃんと食べるから……)
罪悪感と共に、ゴミ袋の前で手を合わせた時の事を思い出しながら、もう一度心の中で両手を合わせた。
「……ちゃんと『緑の野菜』も取らんといかんぞ?」
心の中で誰にいうでもなく私が言い訳していると、先輩が不安そうにそう言った。
声の調子から、馬鹿にするでもなく純粋に心配してくれているのが伝わってくる。
――よく考えてみれば、今まで誰かから『食事の心配』というのはされた覚えがない。
おばあちゃんが居た頃は、おばあちゃんが作ってくれたからそんな心配はされる訳が無かったし、一人になってからは、私の食事事情なんて知る人も居なかった。
……だからだろうか。先輩の言葉が自分でも意外な程に、じんと『恥ずかしい』以上の『嬉しい』ような、『悲しい』ような、複雑な気持ちにさせられる。
(……ああ、これは、『ありがたい』なのかな)
――そんな事を想った。
「では、取りあえず一番時間のかかりそうな米の支度だな……」
私が少し感傷に浸っていると、気を切り替えたらしい先輩がすでに食事の準備の為に視線を台所の中で左右させていた。私も、ちゃんと家主としてお客様である先輩にこれ以上醜態をさらさない為にも、慌てて頭を切り替えた。
「あ、は、はいっ! ……お米、出しますね! ……あ、そうだ。でもうち、今IHが一口しか無くて……」
一応、台所には三口のコンロがあるが、火が苦手なせいで、いつも料理するときは一口だけ購入したIHを使っていた。ただ、一口で順番に料理する分、少し普通に料理するよりも時間がかかってしまうのが難点だった。
「……まあ、そうは言っても、火を使うのは味噌汁と卵焼きだけだろう? 卵焼きなぞ時間はかからんし……そうだな。味噌汁作るときに出汁を取っておけば、だし巻きにも出来るか……やはり、米を炊いてその間に味噌汁からだな。で、味噌汁が炊けたらだし巻きを作るか」
「わかりました」
「……どっちにしろ、大根の消費に難儀しておるようだからな……」
からかうような先輩の言葉に。私は米びつからお米を取り出そうとしたまま、つい、うなだれる。目の前の、米びつの蓋に1合が何グラムなのか書かれているのを見つめ、変に緊張していた肩から力を抜いた。
(……は、恥ずかしい……)
***
居間のちゃぶ台の上には、この所あまり見なかった『ちゃんとした食事』が並んでいた。せっかく先輩と二人で料理を作ったのに、私だけそれを食べるというのが少し寂しかったのだ。結局、先輩が弁当箱に詰めて来たおかずも小皿に分けて並べたせいで、一つ一つの量は少ない者の、随分と品数の多い夕食になった。
(……おばあちゃんも、今日はご飯以外があったから驚いただろうな……)
ついさっき。先輩と二人でおばあちゃんの仏壇に手を合わせたときの事を思いだす。
先輩は、関わりもない他所の家だというのに、とても神妙な顔でおばあちゃんの遺影に向かって手を合わせてくれた。蛍光灯の明かりが頼りの薄暗い和室の中で、先輩がおばあちゃんを見つめるとき、少し考え込むように見つめ、私の事をじっと見つめていたのが印象的だった。
一体仏壇の向こうで祖母はどんな反応をしただろうかと考えて。
本当に小さな頃。まだ、おばあちゃんに引き取られる前に、悪戯をした後のような気分がした。
(……おばあちゃんにも、この嬉しさが伝わってくれてたらいいな……)
「どうぞ。先輩、コップです」
「ああ、すまない」
思いながら、先に座っておいて貰った先輩にコップを差し出し、私も席についた。
――先輩と二人、小さなちゃぶ台を挟んで向かい合う。
「ええと……それじゃあ――」
もう一度ちゃぶ台の上に並んだ料理を見て、ご飯の運び忘れが無かったか確認すると、先輩の方を見て、少し不安を覚えながら、確認するように両手を合わせながら呼びかけた。
先輩は私に向かって、軽く微笑むと一つ頷き。
姿勢を綺麗に正して両手をぴしっと合わせてそっと目を閉じる。
「「いただきます」」
先輩の低い声と自分の声が重なって響くのを感じる。祖母の声とは全然違う、ぐっと響くような落ち着いた声音。
だけど――なぜか笑みがこぼれた。自分がこぼしてしまった笑いに、なんでだろうと考えて、すぐにその理由に思い至った。
(――ああ、そうか……今、先輩が座ってる場所、おばあちゃんが座っていた場所なんだ)
『昔と同じように』そう思って、この部屋でご飯を食べても。いつもおばあちゃんが居た場所がぽっかりと空いているせいで、だんだんと辛くなってくるのが常だった。
それが、今日はそこに先輩が居る。
――『安心出来る人が、そこに居る』という事実がとても……暖かかった。
「……ん。出汁も、味噌も、良い具合だな」
「……ありがとうございます」
そろって最初に手を付けたお味噌汁を飲んでお椀を置くと、先輩がそう言って笑った。どこか、心なしか落ち着いた表情を浮かべているように見える。そんな先輩の表情が、いつもより少し子供っぽい表情に見えて、思わずじっと見つめてしまった。
「……どうかしたのか?」
(……あ、しまった……)
私がじっと見つめすぎていたのか、先輩がどこか落ち着かない様子で、私の方を見ていた。
あまりに私が間抜け面で見ていたのか。なにかついているのか不安になったらしい。口元の辺りに手を当てている。
「――な、なんでもないです!」
私は慌てて先輩に向かって誤魔化しながら、視線を手元に落とすと黄色いだし巻き卵が目についた。咄嗟にそれを箸で切り分けて口に運ぶ。
――先輩が作ってくれただし巻き卵はふわふわで、とても美味しかった。
***
「……それで明日、どこに行きたいのだ?」
(――あ、そうだ。その事伝えないと)
食事を食べ終えたところで、先輩がそう言って切り出してきた。
その言葉を聞いて、さっきスーパーで言いかけて止まっていた続きを口にする。
「あ、はい。そうでした。……明日、時計屋さんに一緒に行って貰ってもいいですか?」
「……時計屋というと……月曜日に行った眼鏡屋の事か?」
「はい。そうです」
(……そういえば、あそこは時計屋さんじゃなくて、眼鏡屋さんだった)
この間まではずっと眼鏡関係でお世話になっていたのに。この間の事があって、月曜日に時計の調整をお願いしに行ったせいで、ついつい時計屋さんと言ってしまった。
私が答えると、先輩はなぜか少し申し訳なさそうな顔をして、私の左手――左手に付けられたシルバーの時計に視線を向けた。貰ったときはぶかぶかだった、先輩の時計も、今はちゃんと私の手にぴったりとはめられている。
「……もしや、なにか故障でもしたか?」
「――え? あ、違います! そういうんじゃ全然なくて……ただ……」
どうやら先輩に変な勘違いをさせてしまったらしい。別に先輩に貰った時計にはなにも問題ない。規則正しく時間を教えてくれている。
――でも、だからこそ……
(――あれ……? なんて説明したら良いんだろう……?)
実は、先輩に時計屋――改め、床井の眼鏡屋さんに行く理由は、まだ言いたくなかった。
当然、先輩から『なんで?』って聞かれるのは予想出来たはずなのに、まったく考えていなかった自分は、思わず頭の中が真っ白になる。
「――『ただ』? ――ああ、そういえばあの時何か注文――」
追い打ちを掛けるように。言いかけて言葉を切った私の事を不思議そうに見つめる先輩の言葉に、私は両手を振ってとにかく誤魔化すことにした。
「――とにかく、なんでも無いんですっ!」
先輩は、私の強い口調に少し驚いたように目を丸くしたが。少しだけ考える素振りを見せた後なにかに納得したように、大きく頷いた。
「――ふむ。まあ、『言いたくない用事』というのもあるか……なんだ。眼鏡屋ならば、もしや例の『友達』となにかあるのかと思ったのだが……その様子では、そういう訳でも無さそうだな」
「――うっ……」
――『友達』
残念そうに先輩が発したその言葉に、思わず私は喉を詰まらせてしまった。
その事は、今、先輩に一番聞かれたく無かった事だったのだ。
――今週の月曜日。
先輩と一緒に行った神守の本家から帰ってきた日。
学校に登校した私に声を掛けてきた女の子が居た。――『横貫加奈子』さん。体育の時間に助けたことの御礼を言いに来てくれたその子は――私より凄く小柄で、可愛らしい女の子だった。
(でも、大事な事はそこじゃなくて……)
――その子と、『友達』になったのだ。
ずっと、火傷のせいで皆に怖がられて、嫌われて。そんな私についに友達が出来たのだ。
それは――きっと、目の前にいる先輩が『勇気を持て』と背中を押してくれたからだった。もし、この先輩が居なかったら、あんな風に自分から『友達になって』とは言えなかっただろう。
(……ううん……違う。そもそも、先輩に出逢ってなかったら、『友達を作ろう』なんて思えなかった……)
そもそも、あの悪夢に追われる毎日に、追い詰められて、追い立てられて……『終わって』しまっていたはずだったのだ……そう考えれば、今の先輩が居てくれる毎日は……ほんの少し前だったら考えられない位――想像する事も出来なかったぐらい、幸せすぎる毎日だ。
しかし、だからこそ――
「……実は、横貫さんとは、あの後一度も話して無くて……」
「……そうか。――まあ、なんとなく君の反応から察してはいたが……」
――そんな先輩の期待を、無碍にしてしまったかも知れない不甲斐ない事実が、辛かった。ちゃぶ台の上に並んだ、空になった食器を見つめながら、先輩の残念そうな声を聞く。
(先輩、今どんな表情を浮かべているのだろう? ……失望……してるのかな?)
束の間、続かない言葉に割り込んできた沈黙の間も、そんな不安がよぎり。ちゃぶ台の上から視線が離せない。
「……まあ、『友人』というのは無理に作るものでは無いからな。だが――」
そこで、言葉を切った先輩がコンコンとノックするように軽く指先でちゃぶ台を叩いた。その音につられるように、反射的に先輩の顔を見上げると、優しげな顔をした先輩がこちらを向いていた。
「――今回のことで、君も分かっただろう? ……決して、周りの皆が君に悪意を持って接している訳では無いということが。……今回は、たまたま上手く噛み合わなかったのかも知れないが、周りにちゃんと目を向ければ、きっと上手くいくとも。……焦らず、のんびりやっていくと良い」
言いながらこんどは先輩がふっと皮肉気な笑みを浮かべる。そして、冗談めかした口調で私を元気づけるように言葉を続けた。
「――それに、噛み合わない等と言っても、まだ一週間だ。その横貫君といったか? その子とも、これで縁が途切れた訳ではあるまいし。これから仲良くなる機会なぞ、山ほどあるだろうよ。なんだったら、週明けにでも頑張って話しかけてみれば良い」
「先輩……」
……先輩の言う通り、なの『かも』しれない。先輩の言う通り、周りの皆が皆、私の火傷跡の事を嫌っている訳では無いの『かも』しれない。
(……でも、やっぱり……怖い……)
横貫さんが話しかけてくれた時、あの時の私は勢いに任せてあの言葉を口にする事が出来た。だが、その後思い返す度に思うのだ。
(あの時の横貫さん。――『本当は嫌がってたんじゃ無いか』『怖がってたんじゃ無いか』って)
――やっぱり、本当は周りの視線が気になって、御礼を言いに来ただけだったのに、私があんな事を言ってしまったせいで、引くに引けなくなっちゃったんじゃないか。
――やっぱり、私が舞い上がって、気がついてなかっただけで、あの時の彼女の顔が実は引き攣ってたんじゃ無いか。
――やっぱり……
思い返せば思い返すほど、あの時彼女がどんな反応を返していたのか。どんな表情を浮かべていたのか。分からなくなってくる。教室で見かける彼女が、私が話しかけないでいると、どこかほっとしているように見え。
……終いには、あの時の事が本当に『現実』なのか分からなくなってしまっていた。
「……よし。ならばこの話はここまでだっ! ……済まなかった。妙な話をしてしまって――それよりも、明日の段取りを決めるとするか」
――はきはきとした先輩の一言で、沈み込み始めていた意識がすっと浮上してきた。いつの間にか、また私は下を向いてしまっていたらしい。目の前には、空になった味噌汁椀が写っていた。
「――あ、は、はい……!」
慌てて、返事をしながら顔を上げると先輩が相変わらずどこか人を食ったような、からかうような笑みを浮かべているのが見える。
「……そうだな。だったら、せっかく休みに出歩くのだ。眼鏡屋に行った後、また本屋でも見に行くか? ――いや、本屋と言わず映画だろうとなんだろうと、君が行きたいところがあればこの際付き合おう」
「――映画っ!?」
――正直に言えば、『一緒にお昼ご飯くらい食べられたらな』という、淡い希望が無かったわけでは無い。ただ、先輩が提案した、『本屋や映画に一緒に行く』というのはあまりにも予想外すぎた。
自分の中の冷静な部分が、『現金な奴だ』と呆れているが、一瞬で、落ち込んでいた気持ちがどこかに飛んで行ってしまった。反射的にちゃぶ台の上に身を乗り出してしまう。
「……なんだ。随分、映画に食いつくな……君は、映画も好きなのか?」
「――あ、え……その……はい……実は、『映画館』って、ちょっと憧れで……」
私の勢いに驚いたのか、少し身を引いた先輩を見て冷静になる。すると、子供っぽく興奮してしまったことに対する照れの感情が遅れてやって来て、ちゃぶ台の上から体をすごすごと引き下げた。
「憧れ?」
「……祖母が映画が大好きで、映画自体はよく見るんです。でも、気になる映画がいつも上映してないらしくて、見るのはホームシアターでしか見たことが無いんです……」
映画好きだったおばあちゃんは、いつも部屋を改造して作ったホームシアターで映画を見ていた。プロジェクターの置いている部屋には、おばあちゃんの蒐集していた映画がたくさん置いている。
「……ホームシアターまで作っているとは、また……随分と本格的だな。どういう映画をみるのだ?」
「ええと……一番多いのが鮫とかゾンビとかが襲ってくる系で……最近見たのは、ブードゥーの呪いで雷魚の化け物が蘇っ――」
感心した様子で聞いてきてくれた先輩の問いに答えようとそこまで言ったところで、先輩が酷く微妙な表情を浮かべているのに気がついた。
(――あ、あれ……?)
今まで見たことが無い先輩の表情に戸惑っていると、はっと気がついたように先輩は三度頷くと、とても優しい声で言った。
「……咲夜。……見に行くか。映画」
……こうして、人生初めての映画館行きは決まった。のだが……
(な、なんだか納得いかない……っ!)





