第一話「先輩、一緒に買い物も楽しいですね」
「――先輩、明日の土曜日、一緒にお出掛けして貰っても良いですか?」
「……どうした、なにかあったのか?」
スーパーの野菜コーナーで買い忘れが無かったか思い返しながら、腕時計で時間を確認した私は、隣でカートを押しているはずの先輩に声を掛けた。
先輩の方を振り返ると――両手になにか緑色の葉っぱを持って意外そうな表情を浮かべている。
「……先輩……なに持ってるんです……?」
……思わず、言いかけた本題を忘れて疑問が口をついた。
「――ん? ああ、『からし菜』だ。そろそろ旬も終わるだろう? 最後におひたしにでもして食べようかと思ってな」
両手に何株かまとめられて一束になっている青々とした葉っぱを持ちながら、先輩が説明してくれる。店内の賑やかなBGMを背景に、ブレザー姿の先輩が野菜を持っている姿は、今日で何度目かになるが、何度見ても――不思議だ。
(……からし菜って、今が旬なんだ……?)
「……私、からし菜ってあまり食べた事無いですね……」
「そうなのか? さっぱりしていてなかなか美味しいぞ……ああ、味噌和えも良いな……」
答えながら先輩は、途中で思い出したかのように再び手元に視線を落とし、小声でなにか呟いている。
――この一週間。何度か先輩と帰りにスーパーで買い物をしている。
それもこれも、『妖魔がいつ現われるか分からないから』だけど……
……一緒に買い物してみると、先輩は案外家庭的だ。なんでも先輩の家では、用事が無い日は先輩もなるべく一品作るように教えられているのだとか。私が夕食を買う時、ついでのようにちょくちょくこうしてなにかしらの食材と水気の重そうなものを買って帰っている。
(……おばあちゃんの手伝いしかしてなかった私より、ひょっとして料理得意なんじゃ……)
一人暮らしとなってからの食生活を思い返して、奇妙な罪悪感を覚えて胸が痛んだ。
(……お味噌汁に、ご飯とか……サラダとかばっかりだし……)
「ふむ……辛いのが苦手で無ければ、食べてみると良い」
「……よっぽど辛いのじゃなかったら大丈夫です」
両手にからし菜らしい束を持ったまま笑う先輩に、思わず頬を緩めながら先輩の前に積まれた野菜の山に手を伸ばして、無造作に一束手に取った。
「……そうですね。じゃあ……」
「――待ちたまえ。どうせ買うなら、このどちらかにしておけ。そっちは葉が少し黄色い」
先輩の押しているカートに乗せようとしたところを制止される。どうやら、私が今手にとったのはあまり鮮度が良くなかったらしい。眉間に皺を寄せた先輩が、難しい顔をしている。
(……先輩、こだわり性だから、結構こういう所細かいんだよね)
「……良いんですか? 先輩が選んでたんじゃ……」
「……あ、ああ……せっかく食べるなら、良いものを食べるべきだろう?」
そう言いながらも、どこか残念そうにカートの下の段に置かれた私が買う用のカゴに手を伸ばしかけ――ふと手を止めた。
「……いや、やはり待て。……なんだ? こっちから言って置いた話を翻すようで申し訳ないが、少し提案だ」
「……? どうしたんですか?」
(……やっぱり、別に選んだ方が良いのかな……?)
やっぱり、この二束が一番良かったのかも知れない。自分の分は自分で確保しようと野菜の山に目を向けると、横から先輩がちょいちょいと手招きして手元のカゴの中を指さした。
「なに、うちの今晩の夕食の献立を考えるに、二束買うと微妙に余り、一束だと少々足りんという状況でな……もし良かったら、『お裾分け』と言う訳にはいかんかと言う話なんだが……」
どうやら、二束とも先輩宅で購入して、余った分を分けてくれるらしい。
(――『お裾分け』かぁ……なんだか、懐かしいな)
おばあちゃんが元気だった頃は、たまにご近所さんからお裾分けといって食材だったり、料理だったりを貰うことがあった。
(……私だけになってからはめっきりだけど……)
「お裾分けですか? えーと、私は全然。多分……私もこれ一束買って帰ったら余りますから」
「そうか……良かった。ならば、うちで作って後ほど持って行こう」
先輩が、安心したように目を細めながらうんうんと頷き、カートの上段に置かれている自分用のカゴにからし菜を二束とも入れた。その姿を見て、ふと気がついた事があった。
(……そういえば、『作って』ってことは……)
「先輩が作るんですか……? 」
問い掛ける声が僅かに高く、期待が滲んでいるのが自分でも分かった。
……先輩が作った料理を食べるのは初めてだ。ちょっと、友達が作った料理というのには興味がある。
(――いや、違うか)
そもそも、『誰かが自分の為に作ってくれた料理』は、記憶にある限りおばあちゃんに作って貰っていた料理だけだ。
……いわゆる母の味というのを私は知らない。
なんとなく、ぼんやりとした『こんなのがあったような』という曖昧な記憶があるだけだ。
そういう意味では、私に取ってはおばあちゃんの料理が唯一の『家庭の味』だったのだ。
(……それだって、もう……)
二度と、あのおばあちゃんの料理は食べることが出来ないのだと思うと、口の中に懐かしい味が再現されて、切なさが込み上げてくる。
でも……だからこそ。先輩が作ってくれる料理というのはとても大切なものに思えて、どうしたって期待してしまうのが抑えられなかった。不安になりながらそっと先輩の顔を伺うと、先輩が微苦笑を浮かべるのが見えた。
「無論だ。まったく、所帯仕事は苦手で敵わんがな……」
「――ありがとうございます!」
やれやれとでも言いたげにぼやきながら首を振っていた先輩が、御礼を述べた私に戸惑った様に目を丸くしている。しかし、私はそれどころでは無く、目の前の楽しみで一杯になっていた。
(うれしいな……誰かが作ってくれるご飯か……良いなぁ~……)
……いつも、一人で食べているご飯は味気なくて、正直無性に寂しくなることがある。
でも、今日はそこに、私以外の誰かが――先輩が作ってくれたご飯があるのだと思うと、それだけで活力が湧いてくるような気がした。
「……はぁ……咲夜……随分と嬉しそうにやけているが……言っておくが。いわゆる男料理だからな? あまり期待はしないでくれよ?」
先輩がため息を尽きながら指摘してきて、はっとして口元に手を当ててみて。ようやく自分の顔がだらしなくにやけている事に気がついた。
「え、――わ、ごめんなさいっ!」
「……いや、別になにも、謝らなくてもよいだろう」
「でも、先輩に手間を掛けて作って貰うのに……」
わざわざ先輩に一品作らせて置いて、それを分けて貰うのに、ニヤニヤと笑っているのは……なんとなく、少し性格が悪いと思われそうな気がする。
(……そんなつもりじゃ、ないんだけど……)
「どうせ、ウチの分を作るのだ。一人分くらい増えたところで、大して手間にはならんよ。むしろ、楽しみにしてくれている方が作りがいもあるというものだ――ただ、腕の保証はしないが」
「っ、ふふ……あ、ありがとうございます……」
『さて困った』と言いたげに、何度も『腕の保証はしない』と言っている先輩がおかしくて、先輩には悪いけど思わず笑ってしまった。
「行きましょう! 先輩っ!」
そうして、楽しみを胸に秘め、先輩に笑いが見られないように横に並びながら、お会計に向かって歩き出した。
「――ちょっ、ちょっと待て咲夜。後、油揚げだけ買っていくから、そこだけ寄らせてくれ!」
「え――あ、ごめんなさいっ!」
――浮かれすぎて、先輩の買い物が終わったのか聞き忘れていた。
***
「――いつもすみません。荷物まで持って貰って」
「かまわんよ。どうせ我が家の分もあるからな。後輩の水物くらいは謹んで持たせて貰うとも」
玄関先まで帰り着き、制定鞄とスーパーで買ってきた軽い荷物類を置いてから、からかい混じりに片手に持ったビニール袋を手渡してくる先輩から、両手で荷物を受け取った。
実際、こうして先輩と一緒に帰るようになってから、水気を先輩が持ってくれるお陰で随分と買い物が楽になった。
(いつも先輩、袋詰めするときに先に重そうな荷物を持ってくれるから……)
申し訳ない気持ちになるが、さっさと重そうな袋を選んで持って行く先輩に、なし崩し的にお願いする形になってしまっている。
「ん。では『後で』な」
「はい。――そのっ、ありがとうございます……」
「まあ、期待はせずにいてくれたまえ」
――そういって手を振って去って行く先輩の姿が、角を曲がり見えなくなる所まで見送ってから、私も家の中に入った。
「ただいま……っと」
誰も居ない家の中に小さな声で呟くように挨拶しながら、玄関口の扉を閉める。
(――そういえば、いつもみたいに……寂しく無いな……)
上がりがまちでローファーを脱ぎながら、いつもなら、こうして家に帰って一人になった瞬間。急に周りが静かになって、耳の奥がじんじんとして寂しくなるのに。
今日は――ずっと胸の奥が弾んでいる。
(……まあ、届けに来てくれるだけだから、その後はまた……『いつも通り』かも知れないけど……)
……先輩が届けに来た後、一人になるところを想像すると、弾んでいたはずの胸がどっしりと重く、喉の奥が詰まるような感覚に襲われた。だがそれも、『明日。明日になれば先輩に会える』そう思うと、ふわっと消えて行き、じわじわと再び弾み始めた。
「――よいしょっと」
気合いを入れながら重い飲み物や食材を、一人暮らしには大きくてずっとガラガラの冷蔵庫に詰めて、玄関先に置いたままだった制定鞄を持ってから二階にある自分の部屋へと戻った。
勉強机の隣に鞄を置いて、ブレザーのポケットの中に入れていたミラーやハンカチ、家の鍵……それからこの所常に持ち歩いている『影喰』を取り出して、影喰とハンカチ以外を机の上にあるプラスチックで出来たトレーの中に置いた。
そのまま制服のブレザーのボタンに手を掛けた。真新しい制服の、少し固いボタン周りの生地に苦戦しながら脱ぐと、ハンガーに通して軽く皺を伸ばしてから、壁際に置いているハンガーラックにつり下げた。スカートを下ろしてベッドの上に置いてから、タンスの上に置いていたジーンズに履き替える。ネクタイを外して、結び目に出来た皺を簡単に伸ばしてベッドの上のスカートに重ねた。
ブラウスのボタンを上から順に外して行き――上から三つ目のボタンを外したところで、ふとその手が止まった。
――タンスの上に置いたTシャツが、割と気に入っているものだった事に気がついたのだ。
(上、これは『明日』着ていくようにしようか――な……っっ!)
「――ああっ! しまった!」
――そこまで考えてようやく、先輩に『明日の事』を伝えられていない事に気がついたのだった。
つい、口から出してしまった言葉に恥ずかしくなり。
誰も居ない部屋で気まずい視線を脱ぎかけたブラウスのボタンに向けながら、『言わないといけなかったこと』を思いかえした。
(あ、後で絶対言わないと――『明日、時計屋さんに一緒に行ってください』って)





