エピローグ「未来を察し笑う者」
「凜様……その、今回の一件は一体……? いくら分家とは言え、影喰を授けるなど……」
朝の光が差し込む座敷で、強面のスーツ姿の男が冷や汗を垂れ流しながら、髪を二房緩く垂らした幼い少女に向かって問い詰めていた。その表情は『決死の覚悟』を決めて天子に奏上する家臣のようであり、よく見れば、正座した膝の上に乗せられた男の両手はカタカタと震えていた。
「――ええやんええやん。どうせ、あんなもん霊力不足で誰も使われへんガラクタなんやさかい。……むしろ、今回使って見せた咲夜ちゃんに、積極的に使こて貰ろた方が、よっぽどええわ」
しかし、それに答える少女はとりつく島も無い様子で、ケラケラと笑っている。その無邪気な笑いに、諫めようとしていたはずの男は表情を絶望に染めた。
――顔を伏せ、震える手を握りしめて。
――男が再び顔を上げた。
「しかし……」
なおも男が反抗しようとした時――少女の瞳がすっと細くなった。
瞬間、室内の空気が重くなり、鋭さを増す。
「――一応、ウチがあれの管理者なんやさかい、文句言われる筋合いはあらへんよ?」
「――はっ! 申し訳御座いませんっ!」
――折れた。
少女に睨み付けられた男は、平伏するように畳の上に頭を擦りつけた。全身を瘧のように震わせて、ただ――助けを求めるように。容赦を求めるように頭を下げ続ける。
目の前で、額を畳に擦りつける五十代ほどの男をみて、少女は軽くため息をついた。話題を切り替えるように、細く息を吐き出すように言葉を続ける。
「……まあ、これで、うちらは能力が未知数の人造神器の使い手と、高天原の住人に並ぶ神さんを引き入れたっちゅうわけや。後は――あちらさんの術を使えるかやな」
「……『石』を使われるのですか……?」
少女の怒気が弱まるのを感じたのか、男が顔を上げながら問い掛ける。
「せや。まあ、一月あればなんとかなるやろ」
「――しかし、それだけの存在を野に放ったままというわけには……」
男が眉を寄せながら、深刻な様子で懸念を口にすると……
少女は――ニィっと唇の端を吊り上げた。
「――せやなぁ……ええ事言うやんか? あんな弱々しい妖魔一匹にも苦戦するような、二人だけ。――力与えて、放っとく訳にはいかへなな?」
「は、はぁ……」
なぜか、弾むように、愉しむように。愉悦の響きを込めて語る主人の姿に、戸惑いを浮かべる男を見て、少女は無邪気に顔をほころばせた。
「なあ、ウチが着るんやったら、セーラー服とブレザー、どっちがかわええと思う?」
そう言って、少女はどこからともなく冊子を二冊取り出した。
「――一体何の……」
男は、軽く身を乗り出すように少女の手元を覗き込み、その内容に顔を引き攣らせた。
二冊とも、表紙で学校の制服に身を包んだ見目麗しい少年少女達が、写真映えを意識したポーズをとっている。
二冊の違いと言えば、それぞれセーラー服かブレザーかという所だろうか。
いずれにせよ……それは――『学校案内』と呼ばれる類いの物だった。
「いやー、それだけの存在の様子をみるんやったら、ウチが行かなしゃあないやろ? 一応、そうなったら名目だけでもウチも学校に通わなあかんよってになー? 取りあえず近場で見繕ってんけど、最後二校で迷とってなー」
片手を振りながら薄笑いを浮かべている少女を見つめ、呆けていた男の顔に段々と理解が広がっていく。
――男は動揺を示すように、はっとした表情で畳の上に両手を強く打ち付けた!
「――まさか! 今回の一件初めから――ッ! ――そもそも妖魔を見逃したのも、咲夜様が影喰を起動するまで手出しされなかったのも――すべて、すべて――それだけのために!?」
少女は、ともすれば責められているようにも思える状況の中、片手を品良く口元に当てながら喉の奥をくっくと鳴らした。
「――さて、何のことやろか? ウチは、ただ――神守の利益のために動いとるだけやで?」
そう言って、少女は――再び妖しく。
――愉しそうに笑うのだった。
***
「――まあ、言うても、ほんまはどっちの学校にするかはもう決めとるねんけどな……」
呆然とした男が出て行った後、部屋の中で少女――お凜はそう言って一通の手紙を取り出した。
そこには、お凜がある男に当てた手紙と――それに対する返信が書かれている。
お凜はその中の一カ所を楽しそうに眺めていた。
【着るのが咲夜ちゃんなら、セーラー服とブレザーどっちが可愛いと思う?】
流暢な筆文字で書かれたその文言の後には、書き損じでもしたのか、しばらく黒く塗りつぶされた文字列が続いている。そして、それに続くように、ボールペンか何かで書かれた几帳面な文字が次のように書かれていた。
【さっきの私の答え通り、君がもしセーラー服を着るのなら、ブレザーが良いのでは無いだろうか? そもそも、今の制服がブレザーだ。あまり、他の服装というのはイメージしづらい】
お凜はその文字を見て、悪戯を試みる子供のようにふっと笑うと、手紙の上で手を振った。
すると、執拗に塗りつぶされていたはずの黒ベタの部分がみるみる浮き上がり――消えていく。
ゆっくりと、その下の文字が浮かび上がってきた。
【どっちでも。咲夜なら、どちらを着ても可愛いだ――】
その文字を見た瞬間、お凜は笑いを堪えるように肩を振るわせた。
――しばらく耐えた後、ようやく大きく息を吐き出す。
「――何が『イメージしづらい』や……ばっちり想像しとるやんけ……」
誰も居ない部屋の中で一人顔をニヤニヤと歪めながら、行儀悪く肘掛けの上にもたれかかり、お凜は呆れた声で楽しそうに呟いた。
「ほんまに、穂積の兄さんはむっつりやなぁ……」
それでは、『咲夜修行中!』第二章が終了です。次回更新は、およそ一月後の予定です。
また、詳細が確定しましたらお知らせします。





