第三十話「先輩、絆の証が欲しいです」
「――百二十九円になります」
先輩が、写真屋のレジで写真を受け取りながら代金を支払っている。その後ろで私は、真新しい飴色のパスケースを手にしていた。
先輩が焼き増しされた写真の入った袋を受け取ってレジから離れるのを確認して、先輩の後ろに並んでいた私はレジに進みパスケースの精算をする。
(――まさか、パスケースまで写真屋さんで売ってるなんて……)
代金を支払いながら、準備の良いお店に苦笑を浮かべた。写真だけ焼き増しして貰おうと思って訪れた写真屋で、レジ横の棚にアルバムと一緒にロケットやパスケースが並べられているのを発見したのだ。
「お待たせしました。――すみません。わがまま言って」
「ああ。良かったな。なに、可愛い頼み事ではないか」
会計を終えて振り向くと後ろの少し離れた場所で、なにかごそごそと鞄の中に仕舞い込んでいた先輩が、鞄から顔を上げながら笑った。
(……? どうしたんだろう?)
――なぜか、顔を上げたときの先輩が少し焦っているように見えた気がしたのだ。
(……まあ、気のせいだよね。焦る理由も無いはずだし)
「――ほら。写真だ」
受け取ったパスケースを片手に先輩の前に立つと、袋ごと先輩が写真を私に渡してきた。
「あ、代金お支払いします」
「――そんな細かい費用は流石にいらん……記念だ。あまりそんな無粋な事を言う物では無いぞ」
私が財布を開こうとすると、先輩が少し叱るようにそう言って手を振った。
「……じゃあ、すみません。ありがとうございます」
先輩の気遣いに改めて御礼を言いながら受け取ると、確かに中には二枚の写真が入っていた。
一枚は、こなれた笑顔を浮かべた先輩の隣で、焦って仏頂面を浮かべている私がアップで写っている写真。
――二枚目は、おかしそうに笑いを堪えている先輩の隣で、真っ赤な顔をして微かに笑うように口を横に広げている私の写真だった。
(――ひ、酷い写真だ……)
ただでさえ、見た目の良くない私が、照れきって微妙な表情を浮べているから、随分と酷い有様だった。
……割と男前な先輩と並んでいるせいで、その差が余計に際立っているように感じる。これならば、変な小細工をして貰った2枚目よりも、1枚目の方がいくらかましだろう。
(って、あれ? 一枚ずつ?)
「あの……先輩の分は?」
「……ああ、それは咲夜の分だ」
(ひょっとして、先輩……自分は携帯電話にデータがあるから、写真は要らないってことなのかな……)
『ああ、なるほど』と思う気持ちと同時に、なぜか――どこか残念に思っている自分がいた。何故か、昨日先輩が持っていた、綺麗なパスケースに収めている写真の事が頭をよぎった。
「――先輩っ! こっちは先輩が持ってて下さい」
――何となく。本当に何となく。パスケースを握り締めていた手に力が入ってしまった私は、まだマシに思える一枚目の写真を先輩に向かって押しつけた。
小さく、息を吸い込んで、吐き出す。
(――僕。私じゃなくて、僕……)
――心の中で少しだけ、勇気が出てくるおまじないを唱えながら。
「――記念なんです。一枚……持ってて貰えませんか?」
「あ、いやっ……分かった」
なにか、先輩が焦ったようになにか言いかけたが、すぐに先輩は表情を冷静な物に切り替えて、私から写真を受け取った。
(……なんで、そんな、申し訳無さそうな表情を浮かべてるんですか?)
受け取る先輩の表情が、どこか罪悪感を押し殺しているように見えて。どうしてか胸の奥に処理出来ないしこりあるような気がした。
「……本当に、良いのか?」
「……僕は、先輩と一枚ずつ持っていたいんです」
「……そ、そうか……」
ただ、それでも。もう一度『持っていて欲しい』と伝えると、先輩は私の手から写真を受け取ってくれた。それを見て私は思わずほっと一息吐き出す。
答えた先輩は、なぜか一瞬途方に暮れていたように見えたが、すぐに思い立ったように鞄から手帳を取り出して、しわにならないように綺麗に挟み込んだ。そして、そのまま写真を鞄の中へと手帳ごと仕舞い込む。
(――パスケースじゃ、ないんだ……)
手元に残った一枚の写真を、丁寧に買ったばかりのパスケースに仕舞い込みながら、横目で先輩の行動をじっと見つめていた。
「――ん? ……さ、咲夜? 今の写真をそれにしまうのか?」
目聡く、写真を仕舞い込んでいる私を見た先輩が、少し戸惑ったように聞いてきた。
(もしかして、一緒に写ってる写真、持ち歩くのって、気持ち悪いのかな……)
戸惑っている先輩の反応を見て、ひょっとして自分は悪いことをしているのでは無いかという不安が浮かび上がってきた。
なんとなく、先輩が家族の写真を持ち歩いているのが羨ましくて。友達……の写真を一緒に持っておけば、寂しくないかも……という浅はかな考えでしたことだったが、良く考えてみると、あまりしない事なのかも知れない。
(……昔、おばあちゃんと見た映画で、友達との写真、持ち歩いてる人が居た気がするんだけどな……でも、もし先輩が嫌だったら辞めておこう……)
このことで、せっかく私の事を嫌わないで居てくれている先輩に嫌がられるのだとしたら、そんな馬鹿な話はない。とても残念だけど、その場合は持ち歩くのは諦めよう――そう、思った。
「はい。――そのっ、――初めて友達と撮った大切な写真なので……先輩の真似して御守りにしたいなって……その、気持ち悪いですか?」
「そ、そうか……いや、咲夜なら別に気持ち悪くなど無いが……その、良いのか?」
「――なにがですか?」
(良かった……嫌がってる訳じゃ……なさそう……?)
ただ、だからこそ、先輩の質問の意味が分からなかった。
――私がやりたくてやっていることなのに、別に私が『良い』とか『悪い』とか言うことなんて無いはずだ。
「あ、いや……別に咲夜が気にしないのなら、構わんのだが……ネクタイの件と言い、君は本当にたまに大胆だな……」
「――ネクタイ?」
『ネクタイ』『大胆』と言われて、思い出すのは、先輩の教室に私のネクタイを返してもらいに行ったことくらいだろう。
(……あの時は、確か、先輩のクラスの人達に懇ろな関係だって誤解されて――っ!)
――ようやく、先輩が言おうとしていることが、何となく意味が分かった。
「――いや、その、多分他の人に見られたら、確実に変な誤解をされるぞ?」
追い打ちをかけるように、端的に告げる先輩の言葉に、思わず顔の筋肉が変な風に引き攣るのが分かった。見る間に顔に熱が籠もっていくのを感じる。
(――っ、先輩が、さっきから戸惑ってたのって! ――そういう……ああ、もう、私の馬鹿っ!)
「――っ! あ、あの、その、そうじゃなくて……! ――そのっ、そういうつもり、じゃ……っ!」
慌てて先輩に変な誤解をされないように、否定の言葉を連ねようと喉を詰まらせていると、先輩が落ち着かせるように両手を振りながら笑いを浮かべた。
「ああ、いや、咲夜にそういうつもりが一切無いのは分かっているとも。ただ、だとすれば余計に、『友人』に誤解でもされては咲夜の居心地が悪いのでは無いか?」
『友人』……先輩の何気なく使ったその言葉に、焦っていた思考が少し冷静さを取り戻した。
(……そもそも、友達が居ないのに、私の持ち物、誰が見るんだ……?)
自分で考えていて悲しくなるが、冷静に考えると私がこの写真を持っていたところで、そもそも誤解する人自体が居ない気がする。
「……先輩……」
「……どうした。そんな急に落ち込んだ声を出して……?」
「――その、何度も言いますけど、私、先輩以外に『友達』がいません……」
――その後の沈黙は、あまり思い出したくない。
ただ、珍しく焦りまくった様子の先輩が、ひたすら『うちの学校は結構良い奴が多いんだぞ』とか必死でフォローしてくれたから、私は恥ずかしさと悲しさと情けなさで、時々天を仰ぐ羽目になった。
――あと、結局最終的に、お互いにパスケースの中へ写真を入れておくことになったのだった。
***
――ふふっ、という誰かが笑う気配で目が覚めた。うっすらと目を開けると、青い背もたれが目に入る。
(……背もたれ……今、何してたっけ……ああ、そうか……帰りの新幹線……)
ぼうっとする頭を働かせ、今度こそしっかり目を開く。
ゆっくりと首を動かして隣に視線を向けると、先輩が自分のパスケースを取り出して、写真を見ているところだった。
先輩のご家族が写っている写真の他に二枚の写真の端が見えていた。
(――ああ、さっきの写真、仕舞ってくれてるんだ)
ようやく働き出した頭が、なんとなく状況を把握してくれる。
「――ごめんなさい。先輩。寝ちゃってました」
「ああ、疲れただろうからな。もう少し眠っていても良いぞ?」
「いえ――その、勿体ないですから」
言いながら、先輩の邪魔にならないように、小さくのびをして凝り固まっていた体を解す。
見れば、電車の窓の外は真っ暗だった。左手に着けた腕時計に視線を落とすと、時計は二〇時三十分を指していた。まだ、東京駅まで一時間以上かかる。
(ああ、そうだ……この時計、先輩に返さないと……)
ちょうど時間を確認して良かった。危うく、借りっぱなしになっていた時計を先輩に返し忘れるところだった。
腕から外して、ハンカチで丁寧に拭うと、隣に座る先輩に向かって差し出した。
「――あの、先輩。すみません。時計、返し忘れてました」
「――ん? ああ、その時計か……」
先輩は時計の方をチラッとみると、受け取らずに手を口元に当て、少し考え込んだ。
「――いや、その時計は、咲夜にやった物だからな。言っただろう? 返さなくても良いと。――男物だが、予備にでも使ってくれ」
「え……」
先輩の返事に、私は手に持った腕時計を差し出したまま、宙に彷徨わせた。
――こんな高価な物、貰うなんて出来ない。
(――ひょっとして、一旦、私が使っちゃったから、気にしてるのかな……)
一応、ハンカチで拭いはしたけど、まだ汗とか残ってるかもしれないし、私が使った腕時計は使いたくないのかもしれない。
(……どうしよう……洗っても……駄目かな?)
「――ああ、別にそんな気を遣わないでくれ。――それは、そろそろ本当に処分する予定だったのだ。……さっき、咲夜が言っていた記念のような物だ」
腕時計を持ち、途方に暮れていると、先輩が私の顔を覗き込みながら優しげに笑った。
「今回は、それのお陰で、君が戻ってきてくれて、生き残れたのだと思うとな。やはり、それは咲夜に持っていて欲しいと思ったのだよ……その、なんだ……『ありがとう』」
「――そんな……っ!」
私がしたことなんて、勝手に言いつけを守らずに戻っただけだ。そんな、先輩に御礼を言われるようなことなんかじゃ無い。
(――だけど……)
そう言われると、途端に手元にある時計が、先輩と私を繋いでくれた証のような気がして、お金なんかに換算出来ないような大切な物に思えた。
(……先輩、私に持ってて欲しいって、言ってくれた……それって、これからも一緒に居てくれるって思っちゃっても……良いのかな?)
なんとなく、これを持っている限り、先輩と私の間に太い『絆』のような物が出来ている気がして、両手で時計を包み込んだ。
「その……良いんですか?」
「ああ。――済まないが、持っていてくれるか?」
もう一度確認すると、先輩が時計を包みこんでいる私の手に触れて、おまじないをするように両手をぎゅっと包みこんだ。先輩から暖かな熱が私の手を伝って、時計に流れ込んでいるような気がする。
(ああ……もう……こんなこと、されたら、大事にするに決まってるじゃないか……)
――今度、代わりの時計なら渡しますから。
――だから、だから……
私は両手に力を込めて、時計を大切に握り締めると。
「ありがとうございます。――大切にします」
先輩に御礼を言った。
(――男物だからって、予備になんかするもんか。――誰になんと言われたってこの時計、一生使い続けてやるッ!)
――そう、決心するのだった。
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※地震の件でご心配頂いた方、ありがとうございました。
建物や交通機関の関係で少々の影響はありましたが、私自身には怪我もありません。
今後とも、『咲夜修行中!』と『ラリカ=ヴェニシエスは猫?と行く。』をどうぞよろしくお願い致します。





