第二十七話「先輩……誤魔化すと悪化していくんです」
「――っ、まったく……酷い目にあったな……」
「……ごめんなさい」
「いや、まあ咲夜が心配してくれたのは、分かっているつもりだ……」
楽しそうに治療を終えたお凜ちゃんは、私の部屋を出て、今は隣の先輩の部屋に居る。
どうやら、護衛を兼ねて朝まで隣で待機してくれるらしい。
そして私達は――電気の消えた私の部屋で、並んで座っていた。
(宿泊費、神守が払ったって言ってたけど、私が払った方がよかったんじゃ……明日、お凜ちゃんに相談してみよう……)
ふらっと消えたと思うと、旅館に話をつけてきていたお凜ちゃんの言葉を思い出しながら、迷惑を掛けて呼び出した上に、宿泊費まで支払わせた事に申し訳ない気持ちになった。
「――まあ、真面目な話、コレで怪我がきちんと治ってくれるなら幸いというものだからな……今後、こういう事が無いとも限らん。出来るだけ、動きの邪魔になる怪我は無い方が……よいだろう」
先輩が、真面目な表情で自分の袖をまくり上げ、軟膏を塗られた腕を見ながら独りごちた。
(『今後』か……また、こんな風に襲われるかもしれないんだ……)
……今も、隣でお凜ちゃんが待機してくれている『理由』を考えると、自分たちの居場所が急に不安定なものに思えた。
「……『また』こんなことが……あるんでしょうか?」
「――『無い』とは言えんだろうな……」
私の言葉に、先輩も言葉を濁してはいたが十中八九また遭遇するだろうと予想しているようだった。
「そのために凜君も、こうして残ってくれている訳だからな……」
「……そうですね。お凜ちゃんには、本当感謝ですね」
「あの子が居なければ、私達だけではどうしようも無いからなぁ……」
「……私達、ペットの鳥にも負けてますからね……」
「――だな……」
――先ほどの妖魔との戦いの後、お凜ちゃんが連れているペットの天風が妖魔をついばんでいた姿を思い出す。
(……お凜ちゃんの話では、天風……そこら辺の妖魔なら普通に一人で狩って食べてるらしいし……)
通りで昔から、餌をあげようとしても食べなかったはずだ。
それにしても、この前まで小学生だった女の子に。ただひたすらに高校生二人がおんぶにだっこな状況に、一応は年長者である二人はそろってため息をついた。
「……取りあえず、ゴールデンウィークの頃には、『ある程度の体制』が整うらしい。それまではどうにかこうにか乗り切らねばな」
「はい」
なんでも、今回の一件を見て私達の事を心配してくれたお凜ちゃんが、何か良い方法が無いか無いか検討してくれるらしい。申し訳ない気持ちで一杯の私達だったが、身を守る事さえ覚束ない私達は、その好意に甘えるしか無かった。
「――そのっ……だな……」
一瞬言葉を途切れさせた先輩が、意を決したような表情を浮かべた。
(なんだろう……?)
「……ああ、いや。やっぱりなんでもない……このままでは寝る間がなくなるな。――手を、出したまえ」
言いかけた先輩が思い直したように、言葉を切り――手を出すように言った。
その言葉に、瞬間的に心臓が跳ね上がるのを感じる。
『なにを言おうとしたのか』なんてことは、一瞬で頭からどこかに飛んで行ってしまった。
(やっぱり、繋がないと……駄目だよね……)
――一体、何を戸惑っているのか。
もちろんそれは、さっきのお凜ちゃんが薬を塗り終えた後に言った言葉が原因だ。
(『咲夜ちゃんはそもそもの霊力が少ないよって、今晩は兄さんの手でも握って眠りや?』なんて……気軽に言ってくれるけど、ハードル、すっごい高いよ……)
ある意味、妖魔と戦うのより難易度の高い事を言って去って行った。
(なんか、『迷惑を掛けたお詫び』とか言ってたけど、意味分かんないし……)
ふぅ……と大きく息を吸い込んで、吐き出した。
「――先輩っ。……すみません。失礼します」
一言断ってから、先輩に左手を伸ばす。
すると、先輩がしっかりと私の左手を包み込むように握り締めた。
触れた瞬間からじんわりとした暖かさが伝わってくる。
「……先輩、本当に座ったままで良いんですか? その、先輩も横になって休んだ方が……」
「――咲夜。何度も言うが……これでも、一応年頃の男女なんだ。流石に、褥を共にするのは……その、なんだ。――色々とまずいだろう?」
「『褥』って……先輩、あの、それ、間違ってはないかもしれないですけど、違います。その、余計に……」
「――あ、ああ……すまない……」
高校生の男女が二人そろって、爆発物でも取り扱うような張り詰めた緊張感を漂わせながら手を握っていた。お互いに直接的な表現を避けようとして、思いつく限りの語彙を駆使して話すが、それが余計に生々しい気がして、焦りが空回りして行くのを感じる。
「あ、あの、やっぱり私も座って眠りますよ? ほ、ほら。この間も神社で隣で眠ったじゃ無いですか!」
「――いやいやいやいや。咲夜。目の前にちゃんとした布団があるのだ。しかも、あの時とは状況が違うだろう? 第一、あの時は片方が見張りをするためだったのだ」
「あ、じゃあ、やっぱり先輩が布団に寝て……」
「いや、それは出来んよ。それに、私は座って眠るのに慣れているが、咲夜はそうではないだろう?」
「……じゃ、じゃあ。二人とも、このまま……起きてるとか?」
「――別に、私は構わんが……どちらにせよ、朝までは手を繋ぐ必要があるのだ。――その場合、疲れが抜けない上……なんというか……相当気まずい思いをしそうなのだが……」
――先輩の言葉に、その状況を考えてみた。
……このまま、『暖かい』を通りこして、『熱い』と感じる先輩の手を握りしめながら、隣で座って朝まで過ごす。
――確かに、先輩の言う通り。このまま起き続けるという事は、朝まで手を繋いだまま意識を保って居るのは相当に気まずかった。
(……なにか、ガリガリ削れていく気がする……恥ずかしさで――死ぬ……)
「そ、そうですね……」
「――諦めて、布団に入りたまえ。本当に時間が無い。それでも断るなら、布団の上に引き倒す事になる」
「……すみません。お言葉に甘えます」
最後通牒のように、視線を背けながら告げる先輩の言葉に。先輩の気遣いが感じられ、申し訳ないと思いながらも甘えることにした。
それに、一日緊張していたせいか、正直さっきから妙にくらくらと目眩がしていて、布団に入れるのはありがたいのは確かだった。
先輩の手を握ったまま、片手でごそごそと掛け布団をめくり、布団の中に体を潜り込ませた。
ざらざらとした感触を感じる、そば殻か何かが入っているらしい枕に頭を乗せて、そのまま正面を見上げると、薄暗い部屋の中、先輩の顔が頭上に見える。
――しっかりと、私の左手を右手で握り締めてくれていた。
「……これ、布団に潜ってから握った方が良かったんじゃ……」
ざらっとした布団の感触が途切れる先で結ばれた手を見ながら、今更ながらに気がついたことを口にする。
「……だな」
虚を突かれたように目を見開いた先輩が、苦笑を浮かべ、肩を大きく落としながらため息をついた。
(……先輩も、焦ってくれてたのかな……)
私なんか相手に、緊張をすることは無いのかも知れないけど。
――それでも。
さっきの気まずさを思い出し、少しは先輩も私と同じように緊張しているのかも。
そんな風に思い――少しだけ……安心した。
「その……先輩って、こういうの動揺しないと思ってました」
「――何を言う。何度も言っているだろう……この所、可愛い後輩に動揺しっぱなしだとな」
言いながら、左手で見慣れた独鈷杵を取り出して見せた。
また、いつもの『可愛い後輩が~』という誤魔化らしい。
……なんとなく、煙に巻かれたような気がして、少し不満が顔に出てしまったかも知れない。
気がつけば、先輩の手を少し強く握りしめてしまっていた。
「ほら。いつもそうやって誤魔化すじゃないですか?」
「……もう、そう思うのなら思っておくと良い……寝るぞ?」
そう言って先輩は、警戒のためなのか独鈷杵を握ったまま目を閉じてしまった。
目をつぶったことで、いつもどこか気を張っているような先輩の顔が緩んでいる気がする。
(そうだ。もう、こんな時間か……ほんとに寝ないと……)
先輩の右手を握っている左手にはめていた腕時計を見て、もう朝と呼んでも良さそうな時間になっている事に気がついた。
(――あ、そうだ。……この時計、先輩に返さないと)
なんとはなしに着けたままにしていたが、この時計が先輩からの借り物だったことを思い出す。
――『やる』と先輩は言っていたが、あれは私にこの時計を渡すための方便だろう。
ちゃんとこの時計は返さないといけない。
(でも……明日にした方がいいか……)
チラッと先輩の顔を見てみると、もう眠ってしまったのか微動だにしない。
だから、私は先輩と繋いだ手に通している時計を右手を布団から出して一度撫でると、先輩に向かって小声で呼びかけた。
「――おやすみなさい。先輩」
「ああ。おやすみ。咲夜」
帰ってこないと思っていた返事は、きっちりと優しい声で帰ってきたのだった。
***
――目を開けると、逆さを向いた先輩の顔が目の前にあった。
「――ああ、すまない。起こしたか?」
(先輩の目……綺麗だな……)
吸い込まれそうな金色をした先輩の瞳が、すぐ近くで覗き込んでいる。
全身がぽかぽかと日だまりで眠っていたように暖かかった。
右手を伸ばしてそっと頬に触れると、先輩の瞳の中でさっと瞳孔が広がった。
「――さ、咲夜……っ、寝ぼけるなっ。――咲夜っ!」
焦ったように先輩の唇が動き、聞き慣れた声が私の名前を――
(――なんだろう、先輩凄く焦って……っ!?、ぁ、ぇ、ええっ!?――っ、ぁ 先輩っ!?)
「――先輩っ!? ――何してるんですかっ!?」
「――それはこっちの台詞だっ!! このお寝呆け娘……っ!」
思わず叫んだ私に、先輩は覗き込んでいた上半身を起こして、呆れたようにため息をついた。
(え? ――えーと、この状態ってなんだっけ……確か、昨日眠って。それで……)
先輩の顔が離れた事で、ようやくじわじわと冷静な思考が戻ってくる。
(あ、そうか。昨日、先輩と手を握って眠ったんだ……この、全身ぽかぽかしてるのって……そのせいなのかな?)
視線を自分の左手に向けてみると、先輩の開いている手をがっしりと私の手が握り締めていた。
「――ぁ、っわ、ごめんなさいっ!」
慌てて握り締めていた左手を放して、布団の上で体を起こした。
そのまま布団の上で飛び起きた勢いのまま、慌てて先輩に向き合うように正座する。
「やれやれ……ようやくお目覚めのようだな」
「――その……すみません」
薄く笑みを浮かべながら私の事を呆れた視線で見ている先輩に取りあえず、頭を下げた。
先輩の手を握り締めていた左手が、熱を持って微かに汗ばんでいた事に気がついて、余計に気恥ずかしくなる。
「でも、先輩、なんであんなに近くに?」
(起きてすぐにあんなに近くに居たら、驚いたってしかたないじゃないか……)
自分自身に言い訳して、気恥ずかしさを誤魔化すように言うと、先輩は妙に温度の低い視線を向けた。
「――何時になっても咲夜が起きないから、疲れているだろう君を起こして良いものか悩んでいたのだよ。……まさか、起きるとなり変質者のような扱いを受けるとは思わなかったがな……」
「――ご、ごめんなさい……」
どうやら私は、わざわざ気遣ってくれていた先輩に、いきなり『何してるんですか!?』なんて聞いてしまったらしい。
(……また、悪いことしちゃった……今、何時なんだろう?)
手首に巻いている時計を見てみると、時刻はちょうど――十時。
「え!? ――先輩、チェックアウトって何時でしたっけ!?」
「……はぁ……十一時だよ……急がねば、間に合わんぞ? この薬を落とすために湯浴みは必要だろうからな。――傷の具合は、大丈夫か?」
(……そういえば、全然痛くない……)
昨日、眠る前はぴりぴり、ずきずきと痛みが走っていたが、今ではまったく痛みは無かった。
首に出来ていた傷に触れてみるが、どこに傷があったのか手触りでは分からない。
神社で走り回ったときに出来た傷を見てみようと、浴衣の袖をまくり上げると、そこは真っ白な綺麗な肌が顔を覗かせているだけで、どこに傷があったのかも分からない状態になっていた。
「――先輩! き、傷、治ってます!」
「――そうか……君も無事に治っていたか。良かった」
思わず袖をまくったまま見せると、先輩はほっとした表情を浮かべた。
「ということは、先輩もですか?」
「ああ。綺麗なものだ。――いや、本当に大したものだよ。神守の薬とやらは」
和らいだ表情を浮かべたまま、いたく感心した様子で先輩も自分の腕も袖をまくって確かめている。
(ああ、そうか。私が片手を握ってたから、先輩もちゃんと見れなかったんだ)
おもしろそうに自分の腕を指先で突いている先輩に、『一瞬何をしているのか』と思ったが、よくよく考えてみれば原因は自分だった。
「――とにかく、怪我が治っているのなら、早々に風呂に入ってきたまえ。巻きでいくぞ」
「え? あ、はい。あ、でも、先輩は……」
「……一緒に入る訳にはいかんだろう? 私は、自分の部屋の浴室を使う。――だから、咲夜はこの部屋でさっさと入ってこい」
――そうして先輩と私はバタバタと動き出した。
現在時刻は十時五分。チェックアウトまでの残り時間、五十五分。





