第二十二話「先輩……Z級なんです」
――そこは、どこかの古城だった。
石造りの城壁が燃えるような夕焼けを受けて赤く輝いていた。
『私』は『誰か』に話しかけていた。
「――姫様。 ――ァ様は、討伐に向かわれたそうです」
「……そうか。ご苦労だった。――、随分手間を掛けた」
「いいえ私も――も、――を――のを目標とするのは同じです」
「そうか……そなた……いや、お前はいつもそう言ってくれるな」
「いいえ。いずれ、私の最高傑作。姫様に献上した――を越える武器を作ってご覧にいれます――だから……死なないで。――ッk―、―。」
「……まったく……『死なないで』などと申すのはお前くらいのものだ」
***
――そこは、古めかしい机の置かれた薄暗い一室だった。
『私』は『誰か』と蒼い宝石を覗き込んでいた。
「――。これが、貴女と、私の子」
「……これが。――まったく、女同士で子を成すことになるとはな」
「……嫌だった?」
「まさか。たとえ術式で作った子とは言え、お前との子が残せて良かった」
「――私達は、カミじゃない。だから……子を成すのは、難しい事じゃないわよ」
「……流石、稀代の――は言うことが違う」
「……でも、これでこの子が。この子の子供達は、いつまでも貴女の隣に居られるわ」
「――ほんに、永遠の命というのは、度しがたいものだ」
***
――そこは……『 』だった……
『私』は『 』の手を――
「――、――! 掴まれ!」
「――無理よ! 離してっ!」
「――、――、―――――」
「―――、――また――――、戻って――――」
***
――そこは……
「――戻らないと。何を、犠牲にしても、あの人の……隣に……」
「もすね……かるてぃ……てぃぐじしる……」
***
「――もすね……かるてぃ……てぃぐじしる……――ッ!」
(……っなに!? 今……!? 私……今、何を口にしてた!?)
――白昼夢という奴だろうか?
私はつかの間どこか、遠い異国の土地で、誰かと話していた。
――初めは、夕焼けの『どこか』だった。
そこで私は、長い金髪を夕焼けに染める、引き込まれるような赤い瞳した女性と親しげに話していた。
――次は、どこかの部屋の中だった。
薄暗い部屋の中で、宝石のような物を金髪の女性と覗き込んでいた。
その次からは、砂嵐に塗れたテレビのように、ノイズに塗れていてよく分からなかった。
……時々、誰かの腕が視界の中を通り過ぎていくのが見えただけだ。
ただ、何かを非常に悲しんでいるような『だれか』の声がずっと響いているのが印象的だった。
(本当に……なんだろう。凄く、悲しい気分に……っ、駄目だ。……それどころじゃ無い。先輩の所に行かないと……っ!)
一瞬、呆けてしまっていた自分に驚きながら、渇を入れるために赤い血を流していた右手を、強く握り締めた。歯車の歯が手に刺さる痛みが走り、ぐっと歯を食いしばった。
もう一度はっきりとした意識で揺らぐ壁を見据え、握り締めていた影喰を振り上げる。
――瞬間。さっき握り締めた拳から聞こえた、『カチリ』と言う音が連続して聞こえ始めた……。
「――な、なに?」
カチカチカチカチ……だんだんと、その音は連鎖的に大きくなっていく。
振り下ろしかけていた手を止めて、右手を開くと音の発信源らしい影喰に取り付けられた歯車が、音を立てて回り始めていた。――閉じられていた刃先が、じわじわとその姿を現し始める。
隠世を隔てる壁からの照り返しを受けた刃先が、金色の光を返し始めた。
――カチッ
やがて、すべてのピースがはまり込むように、最後の一音が静かに響き、完全に影喰はその刀身を固定させた。――それと同時に、私の全身を先輩に触れられたときのような熱が対流し、うねりをあげていく。
(…っ……熱い……)
さっき全力で走っていたとき以上の熱量が、体の中を荒れ狂っていた。
熱が体の中を駆け巡るにつれて、段々と熱に浮かされるように体が軽くなっていく。
――今なら、どこまでも走って行ける。
そんな気がした。
(ひょっとして……これなら――ッ!)
右手の上で開いた影喰の柄を握ると、さっきまでまったく手に馴染まなかった持ち手が、吸い付くように手のひらにぴたりと吸い付いた。私は力を込めるため、左手を添えながら影喰を目の前の壁に向かって突き出した――ッ!
――すかん
あっけなく、まるで豆腐を切るかのように、なんの抵抗もなく目の前の壁は影喰によって切り裂かれた。透明な揺らぎが『かぱっ』と割れて――音が消えて、無声映画のようだった世界に、音が戻った。
「――これっ、以上ぉっ、私の愚かな妄執にっ、可愛い後輩を付き合わせる訳にはいかんのだっ! ――すまんが、ここから先は通さんぞッ――覚悟しろッ!!」
さっきまで、揺らぎの向こう側にいた先輩の姿がしっかりと見えた。
ちょうど、妖魔が鋭く尖った前肢を振り上げ、先輩に向かって突き出そうとしている。
――先輩は、妖魔と差し違えようとでもするかのように、真っ正面から迎え撃つように独鈷杵を構えた。
「――ッ、!」
……だから私は、先輩の元へ向かうために、両足に力を込める。
――僅かでも、一瞬でも、早く先輩の所に駆けつけたい。
(――穂積と、一緒に――ッ!)
――そして、一歩踏み出した瞬間。
私は自分が今までと違うことを実感した。
足に込めた力を解き放った瞬間――
体は爆発的な加速を持って透明な壁の内側へと飛び込んでいく。
――自分の予想以上の加速に、地に着いた足が滑り、一瞬蹈鞴を踏むが、世界が今までよりもゆっくりと動き、すぐに体勢を立て直すことが出来た。
そのまま、一歩、二歩……
僅か数歩の距離で、先輩の元へとたどり着く。
「――っな、咲夜!? ――馬鹿っ、なんで戻ってきたっ!?」
――近づいてくる私の姿を見た先輩が、驚愕にその表情を染め叫んだ。
(――良かった。先輩、無事だ……!)
そんな先輩の言葉を聞いた瞬間、まず込み上げてきたのはうれしさだ。
でも、すぐになんだか無性に腹立たしさが込み上げてきて、思わず叫び返してしまう。
「――お馬鹿はそっちだ! 馬鹿穂積っ!」
心の中を、色々な感情が荒れ狂っていた。
喜び、悲しみ、怒り。
そんなものがない交ぜになって、ぐちゃぐちゃになって、吹き出していくような。
そんな、感覚だった。
そのまま叫びながら私は、そんな先輩と妖魔の間に体を滑り込ませ、影喰を握った手を振るう。
今、まさに振り下ろされようとしてる妖魔の前肢を受け止めようと、正面から影喰を向けた。
――その瞬間、硬い外殻に覆われているはずの妖魔の脚が。
……あっけなくスッパリと断ち切られる。
「「――なっ」」
予想外の光景に、先輩と私の声が重なった。
勢いよく振り下ろされていた勢いのまま。
断ち切られた妖魔の脚が、明後日の方向に向かってすさまじい速度で飛び去っていく。
「キィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ」
妖魔が、けたたましく甲高い悲鳴のような音を立てた。
そして、私と影喰を恐れるかのようにずりずりと後ずさる。
「――さ、咲夜!?」
私が、妖魔から目をそらさないようにしていると、先輩の戸惑った声が後ろから聞こえてきた。
先輩の声を聞いて、右手に握った影喰を握り直した私は、自分自身に言い聞かせるために宣言した。
「――僕も、一緒に戦うっ!」
「なっ……馬鹿、そんな危ないことさせられるか!」
「――危ないのはそっちだって同じだ! このっ! さっき、逃げるとか、秘策だとか格好つけてたけど、ほんとは――死ぬつもりだったんだろっ!?」
今まで押さえ込んでいた反動なのか、口から出てくる言葉は、普段なら絶対に言わないくらい荒っぽい口調で。
――だけど、今の私はそれを抑えることが出来なかった。
もう、自分でも何年ぶりか分からない位久しぶりに。
私は感情を後ろ向きでは無く爆発させて行動していた。
「ッ、気づいたのか!?」
「――っ、やっぱり、そうだったんだな!? ――それじゃ、そんなんじゃ、なんの意味もないんだよ!」
「どういう意味だ!? ――君はさっきまで、戦う事を恐れていたのだろう!?」
気づけば、先輩も、私も、興奮したように怒鳴り合っていた。
――先輩の言う通り、怖い……今だって正直怖くてたまらない。
気を抜くと、脚ががくがくと震えて腰が抜けそうだ。
「――もちろん怖いよ! 今だって、気がついたら脚が震えてる! だけど――」
(――『気持ち悪い』とか、『嫌』だって思われたって、知るか!)
いつもなら、ちょっとでも悪い事を考えてしまったら、すぐに気持ちが萎えていた。
だけど、今の私は不思議な高揚感に包まれている。
――今の私は、一つの事しか頭に無かった。
――浮かされて、抑えの効かなくなっている私は、一瞬だけ、先輩の方を振り返り、そのまま自分のありのままの気持ちを先輩に向かって叫ぶ。
「――僕は、穂積と、もっと一緒に居たいんだっ!」
その言葉を聞いた先輩が、はっとしたように言葉を失った。
そのまま、どこか呆けたような顔で黙り込む。
(って、あれ!? ……なんか、すっごい恥ずかしい……なんでっ!?)
そんな先輩の顔に、浮き足立っていた私は少し冷静さを取り戻した。
『先輩と一緒じゃ無いと嫌だ』という、ありのままの気持ちを伝えたはずなのに、なぜか急に恥ずかしくなって、先輩の顔を見れなくなった。
だから、先輩から目をそらして、目の前でこちらを警戒している妖魔に向き直る。
「……あー……ったく!」
すぐに正体を取り戻したらしい先輩が、後ろでどこか子供染みた口調でため息交じりに声を上げるのが聞こえた。
――先輩が、いつもの、どこかからかうような口調で話し始める。
「いいだろう……私も、可愛い後輩の姿が見れないのは名残惜しいと思っていたところだ。――悪いがもう少し付き合って貰うぞ?」
「――もちろん!」
「――はっ! この娘が、随分良い返事をするではないか。……『共に』、この難局を乗り切るぞ!」
「――っ、はいっ!」
***
「――それで? さっきの様子を見る限り、凜君から貰った武器は、随分役立っているようではないか?」
私の隣に立った先輩が、独鈷杵を構えながら聞いてくる。
――遠くでも、後ろでも無く。先輩の『隣』に立っていられるのが、嬉しい。
(――今、私は一人じゃ――無いっ!)
いつの間にか、『私の世界』は、『私と先輩の世界』になっていて。
そこにはさっきまでの冷たさは無くて、ただ、体の芯から燃やすような熱があった。
そう思うと、体をさっきと違う震えが駆抜けて、思わず大きく息を吸い込んだ私は、自然と唇がつり上がるのを感じた。
「――はい。さっき勝手に動き出して、よく分からないけど使えるようになりましたっ!」
「……まったく……なんの論理性も無い回答だな……だが、それもまたよし。無事に使えるなら、考えるのはまた後だ」
ちらりと先輩の方を見てみると、先輩も嬉しそうに。
――楽しそうに笑っている。
(――ああ、覚悟が決まるって、こんな気持ちなんだ)
ひょっとすると、さっきの別れ際。
先輩が笑っていたのって、こんな気持ちだったのかな。
(――だったら確かに……悪くないっ!)
「――先ほどやり合った中で、一番厄介だったのが奴の硬い外殻だ。どうやら、旅館での一撃はまぐれ当たりだったらしい。先ほどからいくら殴りつけても、致命傷にならんのだよ」
先輩が、楽しげな声のまま、真剣な様子で語り始める。
「しかし、どうやら咲夜の影喰は、あの外殻を大して苦も無く切り裂くようだな」
「そうですね。――触れたら勝手に切れました」
「――ははっ、それは良いな。心強い。 ――ならば、私が奴の動きを封じよう。だから君は動きの止まった奴を斬って、斬って、思う存分刻みたまえ!」
「――分かりましたっ! 頑張ってバラバラにします!」
先輩の言葉に、熱を乗せながら勢いよく応えると、先輩がふと不安そうな真顔で私の方を向いた。
「……間違っても、私ごと斬ってはくれるなよ?」
「わかりましたっ! ――『出来るだけ』、善処します」
――もちろん、間違っても先輩に怪我をさせるつもりなんて無い。
ただ、少し焦っているような先輩が面白くて、おかしくて。
……ついつい悪ノリしてしまう。
「――そうだ先輩っ! ――アレの名前、『メガハンミョウX』なんてどうでしょう?」
「どこのB級映画だっ!? 斑猫とは言い得て妙だが、『X』は一体どこから出てきた!?」
「よく分からなかったら、取りあえず『X』がつくんです!」
「――咲夜……いくらなんでも、少し見ない間に、少々逞しくなりすぎじゃないかね?」
「ははっ。――今は、先輩と一緒なのが嬉しいんですっ」
いつもより軽くなってしまった私の口は、今も笑ったまま思ったことを口走ってしまう。
そんな私の言葉を聞いて、先輩は妖魔と私を見比べてため息をついた。
「……私には、目の前の巨大昆虫より、目の前に居る『後輩X』の方がよほど恐ろしいよ……」





