第四話「先輩、私の名前は神宮咲夜です」
(――やらかした。やってしまった……)
……顔を伏せながら、私はぐるぐると頭の中に後悔の文字を飛び回らせていた。
「――それで、多少は落ち着いたか?」
「……はい……すみません」
私達は書店に隣接している喫茶店の個室にいた。
ちらっと視線を動かせば、厚い赤茶色の木材で出来た机の木目の上に、先輩が両手を軽く組んで乗せているのが見える。
大泣きしてしまった恥ずかしさに、先輩の顔を見ることが出来ないけど、きっと呆れた顔をしているだろう。
あの後、先輩は私を書店から連れ出すと、すぐ隣にある喫茶店に入り『奥、貸してくれ』の一言でこのクラシカルな雰囲気の店内、その奥に設けられた個室へと私を連れ込んだのだ。
(確かに、ここなら人目は全くないけど……)
ただ、今度は逆に、普段出入りすることの無い高級感のある内装の部屋に、ほとんど見ず知らずの先輩と二人取り残されていることに、居心地の悪さを感じてしまう。
(――というより、やっぱりなにより……恥ずかしいよ! これッ!)
泣き出して、気を遣われて、まるで子供みたいな自分の痴態に、冷や汗を流しながら、ぷるぷると震えて両膝の上に置いた拳を見つめているしか出来ない。
「そうか――悪かったな」
そういって、なんの前触れも無く申し訳なさそうに先輩が頭を下げた。
ピシッと背筋を伸ばしたまま、ぐっと頭を下げている。
(――な、なんで先輩が謝ってるの!?)
先輩が頭を下げる意味が分からなくて、動揺しながら理由を必死で考えた。
(――ひょっとして……この先輩、私をここに引っ張ってきたことを気にしてる?)
「――そんなっ……! 私の方こそ勝手に泣き出したりして、驚きました……よね?」
(そんなの、どう考えたって、突然泣き出した私が悪いのに)
先輩が私に頭を下げている理由に思い至った私は、慌てて頭を上げて貰う。
逆に、突然後輩が泣き出して、先輩は大層迷惑だったに違いない。
……むしろ、私の方が迷惑を掛けたことに頭を下げなくてはならないくらいだ。
「それは、無論、驚いたに決まっているだろう……ただまあ、なにか事情があるのだろう?」
当たり前な私の問い掛けに、先輩は戯けたように笑いながら、『なにか泣くような事情があるなら話してみるか?』と目で語っている。
(――多分だけど、強くは聞いてこないってことは、あくまで、話すかどうか任せてくれているんだろうな……)
たぶん、気になっているだろうに、強く問いただそうとはしてこない、何気ない先輩の様子に言葉以上の気遣いを感じた。
だが、もう散々、十分すぎるほど醜態を晒してしまっている。
(ここまで迷惑を掛けておいて、何も語らないって訳にはいかない……か)
そう、自分に『言い訳』するように考えながら、しっかりと先輩の顔を見返してみると、思った以上に優しげな雰囲気で先を促す先輩の目線が合った。
その視線を見て、自分の内側がぐいぐいと外向きに引きずられるような感覚を覚えた。
――暴力的に盛り上がった感情が、外側に向かって決壊するようにあふれ出していく。
(……それに――やっぱり誰かに聞いて貰いたい……っ)
――正直、限界だった。
「実は――」
気づけば動き出した口が、他人に自分の不甲斐ないところをさらけ出す羞恥を押し殺して説明を始める。
――この所、ずっと悪夢を見続けていること。
――どんな悪夢なのか。
――おばあちゃんが交通事故で亡くなったこと。
――そして、その時の恐怖。
思い浮かぶままに、脈絡もなく語り続けた。
――正直、『そんな事で』って笑われるんじゃないかと思ったけど、全然そんな事は無かった。
笑うどころか、目をそらしたりもせずに真剣に聞いてくれる。
途中、両親のことや、おばあちゃんの事を話すとき、一度引っ込んだ涙がまた出そうになったけど、今度は声が震えるだけで我慢できた。
(あれ……おかしいな。『我慢』だなんて、ずっと考えてなかったのに……)
――やっぱり疲れてるのかも知れない。
***
「なるほどな――悪夢……夢か」
私が語り終えると、先輩は呟きながら何事かを考え込むように口元に手を添え考え出した。
そのまま自然な動作で片手を伸ばし、テーブルの上に置かれているベルを手に取り揺らす。
――チリンチリンと涼やかな音が店内に響いた。
「――紅茶と、コーヒー、どちらが良い? お腹は空いているのか?」
そういえば、さっきから何も注文せずに話し込んでしまっている。
これでは、単なる迷惑な客だ。何か頼まないとまずいだろう。
「え、あ、その、――じゃ、じゃあ紅茶で。お腹は空いてないです」
「そうか。分かった。――紅茶、二人分。銘柄は――すまない。いつも通りお任せで」
「かしこまりました」
突然与えられた選択肢に戸惑いながら私が応えたところで、ちょうどこの喫茶店のマスターらしき男性が入ってきた。入ってきた男性に向かって、先輩は慣れた様子で注文する。
その、あまりに高校生らしくない姿に、思わず唖然と見つめてしまった。
(――いや、確かに話し方からして高校生らしくはないけど……)
昔から、身内とか親しくなった相手には、ついつい尊大な口調で話してしまいがちな私が言えたことではないかも知れないけど、そう思わずにいられなかった。
そんな私の視線に気がついたらしい先輩は、おどけた仕草で肩をすくめると、少し気恥ずかしそうな表情で、早口に口を開いた。
「なに。無風流なものでな。どうも紅茶の銘柄などよく分からんのだよ。『学ばねば』とは思っているのだが、こういったことには、なかなか手が出なくてな。いつも、お任せと言うわけだ。妙に色気を出して私が選ぶより、よほど確かな物を選んでくれるだろう」
「いえ、そうじゃなくて……その、よく、来るんですか?」
どうやら、先輩は私の視線を『なんで銘柄はお任せなんですか?』と責めているように感じたようだが、そんな事はまったくもって勘違いだ。
むしろ、『お任せで』なんて気取った頼み方を出来る方がよほどこういった少々敷居の高いお店に馴染んでいるような気がする。
「なんだ? この店にか? ……まあ、それなりには来ているか。知り合いとの打ち合わせにこの部屋は便利でな」
「打ち合わせ……ですか?」
「家に呼びたくない輩もいるのだよ……まあ、その辺りはいずれ話すことがあれば……と言うことでお願いしたいところだな」
先輩が、ぴくりと眉を上げながら、やんわりと返事を断った。
ひょっとすると、あまりこの話題には触れて欲しくなかったのかも知れない。
「あ、す、すみません。先輩」
「『先輩』……か……」
コンコンとノックの音が聞こえ、先ほどオーダーを取りに来た男性が、トレイの上にカップとポット、それから、小さな砂時計を乗せて持ってきた。
それぞれの机の前に一式を並べると、男性は一礼をして出て行く。
会話が途切れた室内に、甘く、どことなく香ばしい紅茶の香りが漂い始めた。
辺りに広がっていく芳醇な香りが、ささくれ立っていた頭の中を少しずつ埋めていくような気がする。
「――さて、紅茶が来たところで、今更という話ではあるのだが……」
先輩が、私の方を見つめて話を切り出した。
……ああ、そうだ。
さっきまで私の話を聞いて貰っていて、なにもかも吐き出してしまったのだ。
その事に今更ながらに思い至り、再び羞恥にどきどきと心臓が強く脈打つのを感じた。
「――名前を名乗っていなかったな。『穂積 優結』という。稲穂を積んで、優しく結ぶと書いて『ほづみゆう』だ。まだ、名乗っていなかっただろう? 高崎女史の差し金か、君は私の名を知っていたようだが、私は未だ君の名を知らなくてな。――思わず二度も袖すり合った縁なのだ。良ければ名前を教えていただけるだろうか?」
「あ……」
一息に言った先輩の言葉に、お昼休みに先輩の教室に行ったときも、自分は名前も名乗っていなかったのに気がついた。
(――私、いくらなんでも失礼にもほどがあるだろうっ!?)
先輩からすれば、全然知らない後輩が、何故か自分の名前を知っていて、しかも名乗らずに物だけ押しつけて帰って行ったのだ。
……よく怒らずにつきあってくれている物だ。
「すみません先輩っ! 私の名前は――『神宮 咲夜』。神の宮で夜に咲くと書いて『このみや さくや』です」
今日の更新はここまでです。明日は3話更新予定です。