第十五話「先輩、どんな気持ちなんですか?」
「――先輩、いくら般若湯だって言っても、お酒……飲んだら駄目ですよ?」
「……そう何度も言わずとも分かっているとも。――元々、うちの父親が日本酒好きだから、貰っただけだ。私は飲まんよ」
さきほどの神守の家でのやり取りを思い出しながら、不安になった私は先輩の顔を見つめる。
湯飲みを片手に窓の外を眺めていた先輩は、苦笑しながら右手に持っていた湯飲みを小机の上に置いた。そのまま、視線を滑らせ、結局受け取ってきて部屋の片隅に置いている包みを見つめている。
(――なんだ……それならそうと、初めから言ってくれたら良かったのに)
――やはり、と言うべきか。
さっきのお凜ちゃんとのやりとりは、完全な悪ノリだったらしい。
……からかわれた身として、先輩にもの申したくて――気づけば唇に妙に力が入っていた。
「――ほんとに心配したんですから。このままだと先輩が犯罪者になっちゃうなぁって……」
「はは、それはすまなかったな。まったく……咲夜は本当に真面目だな。――さっきは咲夜が、人のことを『そんな』呼ばわりしてくれたからな……少々、仕返ししてやりたかったのだ」
「――だから、あれは別に先輩の事、悪く言ったんじゃ無いんです。――ちゃんと、頼りになる先輩と思ってますから」
「……あ、ああ」
(……確かに、あの時の私の言い方は悪かったと思うけど、私の事、散々からかうんだからちょっとくらい……)
唇を尖らせたまま、そんな事を一瞬考える。
ただまあ、やっぱり言い方が悪かった時点で私が悪いのも本当だ。
だから、あまり強くは言えない。
(――結局あの後帰るまで、『うちの親戚のせいで先輩が捕まったら……』とか考えてて、気がついたら帰りだったもんな……でも、お凜ちゃんと先輩、すっごい息が合ってたなぁ……)
――先ほどの、神守の家での二人の様子を思い返して、胸にそげが刺さったような、重怠い気分になった。
数日だけ――ほんの少しだけとは言え。
私の方が先輩と一緒に居る時間は長いはずなのに、なんだかお凜ちゃんの方が先輩と話が弾んでいた気がする。
(帰り際も、先輩、お凜ちゃんに色々聞いてたみたいだし……)
そう考えて、私は神守の家での去り際の様子を思い返した。
***
「――ほんまに、今日はわざわざ遠くから来てもろて悪かったなぁ? 咲夜ちゃんも、穂積の兄さんもお陰さんで楽しかったわ」
見送りは、お凜ちゃんが人払いをしてくれたお陰で、初めに私をここまで送り届けてくれた二人組以外は誰も居なかった。
そんな中、本当に満足そうな顔をしたお凜ちゃんが、私達に向かって笑いかけている。
庭に咲く、桜の花びらを載せた風が、お凜ちゃんと私達の間を吹き抜けた。
「ううん。こっちこそありがと。――正直、色々ありすぎて整理出来てない事ばかりだけど……」
今まで、『さっきのお酒、今晩先輩が飲み始めたらどうしよう』とずっとぐるぐると頭の中をかき回していた私も、そんなお凜ちゃんの笑顔に釣られて笑顔で御礼を言えた。
(ほんとに、色々教えて貰えて良かった……遠かったけど、お凜ちゃんも楽しんでくれたみたいだし)
――そしてその楽しそうな笑顔の分。
途中、学校に通えないと言っていたお凜ちゃんのことが気になった。
私自身、友達が居ない分誰かと触れ合えない悲しみは、一応それなりには分かるつもりだ。
――もし、今の楽しそうなお凜ちゃんの様子が。
たった一人、屋敷に籠もって。
友達と過ごすことが出来ない寂しさの裏返しなんだとしたら……
――それは、とても。
――とても……寂しい事だと思う。
「……咲夜の言う通りだ。こちらこそ、世話になった。――また、なにかあれば相談させて貰いたいのだが、メールアドレスか携帯番号を教えて貰っても良いか? ……君からも、『なんでも』聞きたいことがあれば掛けてくると良い」
先輩が、優しく微笑みながら携帯を取り出して、お凜ちゃんに向かって聞いている。
(――あ、確かに連絡先を聞いといた方がいいよね。……ゆっくり考え直してから、色々聞きたいし……)
――正直、今日の話は色々と今までの常識に反していて、ちゃんと全部受け止められた自信は無い。
……後から思い出したら、怖くなるような話ばかりだったような気がする。
そんなとき、事情を知っている人に連絡が取れるというのは心強かった。
(……それに、私なんかでも度々連絡してれば、お凜ちゃんも気が紛れるかも知れないし)
情けないことこの上ない私だけど、少しは年上のお姉さん風を吹かしてそんな事を思った。
――それに、何より。
『誰か』と連絡が取れるというのは、私自身嬉しかった。
私も慌てて携帯電話を取り出しながら、先輩の隣に並ぶ。
取り出しながら、携帯のアドレス帳を確認する。
(赤外線機能ってちゃんと使えるのかな……?)
――実は、携帯の電話帳機能に登録されているのは、タクシー業者とか、近所の八百屋さんとか。
そんな番号しか登録されていない。
……後は、もう使っていないのに、消せないで居るおばあちゃんの電話番号。
それから――先輩の番号だけだ。
昔、ちょっとドキドキしながら携帯のマニュアルはしっかり読んだから、一応赤外線機能の使い方はしっかり覚えていた。
ただ、やっぱり初めての実践になる分、本当に使えるのか不安なのはどうしようも無かった。
「――あ……ああー、連絡先……連絡先なぁ……」
並ぶ私達を見たお凜ちゃんが、異常にテンションの下がった低い声を出しながら、空を睨み付けるように見上げている。
そして、はぁと大げさにため息をつきながら肩を落としたお凜ちゃんは、諦めたように私達に視線を戻す。そのまま、着物の懐に手を入れ、ごそごそとまさぐり、何枚かの紙束を取り出した。
「すまんけど、携帯電話は持っとらへんのよ……せやから、代わりにこれでも持っていってや。まあ、どうせすぐ会うことになるやろけど、当座しのぎにはなるやろ」
「……これは?」
先輩が、お凜ちゃんに近づくと、差し出してきた紙束を受け取った。
そのまま、ひっくり返して裏表を確認している。
隣から覗き込んでみたけど、表も裏も白紙のようで何も描かれていない。
先輩が、私に向かって一枚差し出してくれた分に触れてみると、微かにざらっとした感触が指先に伝わってくる。どうやら、肌理の細かな和紙ような素材らしい。
微かに触っていると、指先が温まるような良質な紙に触れたときの感覚がした。
「あー、こんな感じで使こてくれたらええわ。勝手にウチの所に届くようになっとるさけ」
言いながら、お凜ちゃんがどこからか安っぽいまとめ売りされてそうな透明軸のボールペンを取り出して、手紙にぐしゃぐしゃと線を描いた。
そのまま、紙を空中に放り投げると、パンパンと力強く柏手を打つ。
すると、ぼわっと淡い光を放った紙が。
見る間に純白の美しい鳥の姿へと変貌を遂げていく。
――地面に落ちきる前に、紙が変化した真っ白な鳥は天高く舞い上がった。
飛び立った鳥は、そのまま、辺りを一周すると、お凜ちゃんが差し出した左手にゆっくりと音も無く降り立つ。
――そして、はらりとほどけるように、元の紙の形へと戻った。
「「……」」
(……なに? 今の……)
何気なく繰り広げられた、一連の神秘的な光景に、私と先輩は言葉を失って。
お凜ちゃんと、先輩とつまみ合っている手元の紙を見比べた。
思わず、その中の一枚を手にとって実験してみたい衝動に駆られるが、さすがにそんな訳にいかず、緊張した喉がごくりと勝手に唾を飲み込んだ。
「……本当に、ここ数日で常識がどこかにいってしまったな」
「……私もです」
いそいそと活躍の場を無くした携帯電話を仕舞い込んで。
先輩と二人して、手渡された紙を両側から両手でしっかりと掴んだ。
一束の紙を二人でお互いに掴みながら、手品の種を探すように、穴の開きそうなほど不可思議な紙を見つめる。
――高校生の二人組が紙束を二人でもって、観察しているのだ。
多分、他の人の目には、かなり奇妙な光景に見えていると思う。
「あ、確か家電はあったはずやさけ、『凜ちゃんの友達なんですけど……神守凜ちゃんは居ますかー』言うて電話掛けてくれてもええよー? 番号はウチはしらへんから、後ろの二人から聞いといてや」
「――そこは普通かつ、そこはかとなく懐かしいやり取りなのだな……」
(あー、確かにテレビとかで見たことあるなぁ……そういうやりとり。私は友達から電話って連絡網くらいしかかかってこなかったけど……)
補足するように言ったお凜ちゃんの言葉に、不覚にもちょっと胸が高鳴るのを感じていると、先輩は隣で呆れたように呟いていた。
「――ああ、しかし、連絡が取りづらくなるのか……そういう事なら、今聞いておきたいのだが……」
(……どうしたんだろう?)
今まで紙を両手で握っていた先輩は、ふっと手を離すとお凜ちゃんの方を向いて、思い出したように口を開いた。
「ん? なんかあった?」
「――『雪華』という人物に心当たりは無いか?」
真剣にお凜ちゃんに問い掛ける先輩の横顔が目の前にあった。
(『雪華』って……どこかで聞いたことがあるような……)
独特な響きの名前に、つい最近どこかで聞いたような覚えがある。
たしか、その時も先輩の口から聞いたような気がする。
(なんだっけ……いつ聞いたんだっけ……)
「『雪華』……? 聞いたことあらへんな? 人名なん?」
「ああ……『魔法使い』らしいのだが……」
――その言葉で思い出した。
一昨日、宝珠から出てきた幽霊の二人組に、先輩が聞いていたのだ。
確かにあの時の先輩も凄く深刻そうな様子だった。
「んー……『魔法使い』言うことは、西洋系の術者やんなぁ? ……ウチも聞いたことあらへんわ。なんや? 兄さん探してはるん?」
「ああ」
(『雪華』さんが『魔法使い』っていうことは……ひょっとして先輩が前に言ってた、『昔会った魔法使い』っていうのが、雪華さんなのかな?)
確か、前にちらっとオカルト関連について調べていたという事を教えてくれたときに、魔法使いと名乗る変わった人と知り合いだったと言っていたはずだ。
(でも、探してるってどういうことなんだろう……?)
「ほな、ウチの方でもちょっと調べたるわ。分かるかどうかは保証できやんけど、堪忍してや?」
「……良いのか?」
少し考え込みながら請け負ったお凜ちゃんに、先輩が意外そうな顔をしている。
その声には、どこか期待が滲んでいるように感じた。
お凜ちゃんは、そんな先輩に人懐っこい笑顔を向ける。
「穂積の兄さんとウチらの仲やんか? かまへんよ」
「恩に着る」
(……お凜ちゃん、やっぱり可愛いなぁ……)
――出逢ったばかりにもかかわらず、距離を縮めた様子で『ウチらの仲やん』なんて。
気軽に言ってのけるお凜ちゃんのことを、思わずぼうっと見つめてしまう。
つい、その姿を見て自分の左頬のざらざらとした火傷跡に指先を触れた。
私だと、どうやったって可愛さなんて出せないから、日本人形みたいなお凜ちゃんを見て、少しうらやましいなと思ってしまう。
(……それに、お凜ちゃんは小さいのに、頼りがいだって有るし……)
「――お、ええな。言質とったさけ、今度そのうち、しっかり返してもらおか」
「……お手柔らかに頼むぞ?」
先輩は、悪戯っぽい笑顔を浮かべながら、ちゃっかりお返しを要求するお凜ちゃんに苦笑しながら、軽く微笑を浮かべていた。
(……なんでだろ……ちょっと、悔しい……かな?)
もう、とっくに傷のことは諦めがついてるし、今までそんな気持ちになることなんて無かったのに、今日はそれがとても――悔しかった。
***
「――『雪華』さんって……」
「ん?」
回想から戻った私は、別れ際のお凜ちゃんの姿を思い出して。
思わずそんな言葉を口にしていた。
少し顔を逸らしていた先輩が私の方を意外そうに見つめてくる。
「あ……いえ、その、さっきお凜ちゃんと別れるとき、『雪華』さんについて聞いてたじゃないですか? この間、あの幽霊の二人にも聞いたと思うんですけど……探してるんですか?」
「あ、ああ……その事か――そうだな」
先輩は、驚いた様子だったが、なんでも無いことのように私の言葉を肯定する。
「……先輩、前に、オカルトについて調べてるのは、『昔自分の事を魔法使いって言ってる人に会ったから』って言ってましたよね? ……それが、雪華さんなんですか?」
「――よく覚えているな」
先輩は肯定も否定もしなかった。
ただ、考え込むように静かに苦笑を浮かべている。
(こんな質問……先輩、怒らないかな……)
少し不安に思いながら聞くと、むしろ先輩は感心したように私の事を見つめているようにも見えた。
(――多分……『このこと』は、先輩の凄く個人的なことだ)
それは、『雪華』さんの事を聞くときの、先輩の真剣な表情を見ていたら――嫌でも分かった。
だから、こんなこと。
軽率に聞いたらいけないと頭の中でもう一人の私が警告している。
――でも、なぜか。
頭の中をさっきの別れ際に見たお凜ちゃんの顔が浮かんできて、聞かずに居られなかった。
その事を考えると、目の奥が熱くなって、泣きたくなるような衝動に不意に駆られるのだ。
自分でも、訳が分からない。
それでも、先輩が、そこまで必死に探している人。
……ずっと今もオカルトでもなんでも調べて。
それでも見つけようとしている人が、どんな人なのかがとても気になってしょうが無かった。
「……『雪華』さんって、どんな人だったんですか?」
聞いてどうしようと思ったのか分からない。
こんな野次馬根性、最悪だって分かってる。
だけど、私は気づけば先輩に向かってそう聞いていた。
「……『雪華がどんな奴か』……か……」
先輩が、小さく私の言葉を繰り返している。
その声は、とても小さくて――揺れていた。
不安定な声音は、先輩らしくなくて。
――予想していたはずなのに。
そんな先輩の反応を見てやっぱり悪い事を聞いてしまった罪悪感がこみあげてくる。
「――あ、……その、やっぱり、ごめんなさい。変な事聞いて、ごめんなさい」
落ち込んでいるようにも見える先輩の姿が見ていられなくて、私は慌てて謝った。
しかし、先輩はそんな私のことを優しげな瞳で見つめて静かに首を振った。
「いいや。構わんよ。――そうだな。咲夜には、雪華の事を話しておこう……いいか?」
「――え、あ、はい……でも、良いんですか?」
「……別に秘密にしている訳では無いからな。私の友人でも何人かは知っている話だ。――毎回、話した者には馬鹿にされるがね。――それでも、咲夜には知っておいて貰った方が良かろう」
そう言って、軽く笑った先輩は一口湯飲みに口をつけた。
ゆっくりと先輩の手が、湯飲みを机の上に戻していく。
――コトリと、また机に置かれた湯飲みが音を立てた。
――神経が、立っているのだろうか?
その音が、妙に重く聞こえる。
小さな音が、反響を伴って響いたように感じた。
「――そうだな……雪華……アイツは、確かに魔法使いと自称していた……咲夜の言う通り、私の探している魔法使いだ」
前置きをするように、先輩がさっきの私の質問に答えた。
そして、そのまま先輩は軽く息を吸い込む。
……しかし、次の言葉がやってこない。
何かを言いかけていた先輩が、窓の外に視線を向けた。
私も、なんとなく先輩の視線を追いかけると、窓の向こうには、変わらず美しい桜が咲き誇っている。
橙色の提灯が照らす桜、ざわざわと風が吹く度に、白い花弁を舞い散らしている。
そして、その手前。
室内の灯りを反射するガラスに視点をあわすと――目に映ったのは憂いを含んだ金色の瞳。
軽く唇を引き結び、静かにじっとどこかを見つめている。
見ているのは、桜か。
それとも、ガラスに映る私達なのか。
――あるいは、まったく違うどこかなのか。
「……雪華は」
――ぽつりと小さく呟く声がした。
先輩が、覚悟を決めたようにこちらに向き直った。
金色の瞳は、今度はガラス越しでは無く、真っ正面から私の事を見つめ返してきた。
ゆっくり、先輩が口を開き言葉を紡ぐ――
「――雪華。……アイツは――私の『姉』だった」
このお話で更新頻度高めの更新は一旦終了です。
お祝い代わりに更新頻度上がることもあるかもしれませんが、基本的に次話からは、『ラリカ=ヴェニシエスは猫?とゆく。(https://ncode.syosetu.com/n9873dj/)』と同じで大体1週間に一話になります。
これからもお付き合い頂けると幸いです。





