第十四話「先輩、お酒なんてダメですよ!」
「影喰は、すでに死んどる神器やねん……」
「――神器って、なに?」
片手に硬質な金の光を握り締めながら。
当たり前のように『神器』という言葉を使い説明しようとするお凜ちゃんの言葉を遮った。
「ああ、こらすまん。うっかりしてと」
お凜ちゃんは、しまったという表情で苦笑を浮かべ、謝る。
ふっと、お凜ちゃんの放っていた切りつけるような鋭い圧力がやわらいだ。
思わず、ほっと口から細い息がでる。
はっとして、さっきまでお凜ちゃんしか写っていなかった視界に、それまでと変わらない和室が写った。
――いつの間にか視界の端に、先輩の姿が映っている。
……そういえば、どうやら私はのけぞるように微かに上半身を引いていらしい。
いつの間にか後ろについていた手を膝の上に戻して、姿勢を正した。
「……神器、言うんは、随分昔に、高天原から持ち込まれた言われとる武器のことやねん」
お凜ちゃんが説明するように語り出した。
(ええと……さっきから度々『高天原』って言ってるけど、たしか神様がいる国の事だよね……?)
説明のさらに説明が欲しい状況ではあったが、なんとなく自分の知っている知識を当てはめながらお凜ちゃんの説明を理解しようと努力する。
「神器は、莫大な霊力を初めは秘めとって、その霊力を解放することで強大な術を行使することが出来るんよ」
お凜ちゃんが、左手に持っていた太刀を軽く持ち上げながら説明する。
(あの太刀も、『神器』の一つなのかな……? ――まさか、『草薙剣』とか言わないよね?)
『神器』なんて言葉のせいで、思わず自分でも知っている三種の神器を思い浮かべた。
……でも、お凜ちゃんが持っているのは『剣』ではなく『太刀』だから、少なくともそれは違うだろうと思う。
「で、その溜めとった霊力を使い切った神器が死んだ神器や。こっちの『桜花』はウチのつかっとる神器やけど、まだいっぺんも使とらへんよって元気なもんやで?」
(お凜ちゃん……なんだかすっごい嬉しそう)
まるで、自分の友達を紹介するようにどこか自慢げなお凜ちゃんは、頬を少し紅潮させてとても嬉しそうだ。
……思わず、さっきの学校に妙に興味を示している様子だったお凜ちゃんを思い出して、見ているこっちまでほっこりしてしまう。
(――絵面としては、中学生の女の子がナイフと大太刀持って恍惚としてる訳だけど……)
一瞬、冷静になった頭が嫌な事を考えてしまうのを、軽く頭を振って追い払った。
「――まあ、それはええわ。……とにかく、この影喰はもう力を失った神器なんやけど、他の神器には無い、一つの特性がある言われとるねん」
「特性?」
「せや。この神器には、隠世へ潜る力がある言われとるねん」
「――『言われている』ということは、確認した訳では無いのか?」
突然先輩が、お凜ちゃんの言葉尻を捉えて鋭く質問する。
固い先輩の声に、お凜ちゃんがツッ――と視線を這わせた。
「……一応、ウチも軽く隠世に渡れるんは確認しとるよ? ただ、言い伝えられとるほどの力は見られへんわ」
「では、伝えられるうちに、話が盛られていったという事は無いのか?」
「まあ、その可能性は否定出来ひんわ。それなりに信頼が置ける話ではあるんやけど、何せ昔のことやさかいな」
「そうか……」
矢継ぎ早に問い掛けていた先輩は、考え込むように軽く視線を伏せる。
その姿に、私はなんとも言えない違和感を覚えていた。
(突然……どうしたんだろう?)
さっきまで、どちらかというと落ち着いた調子で話していたのに、急にお凜ちゃんを質問攻めし始めた先輩に内心首を傾げる。
間髪入れずに質問を繰り返していく先輩は、うっかりするとお凜ちゃんの事を攻めているようにも見えた。
「……咲夜ちゃん――」
――突然、お凜ちゃんが急にニヤニヤととてもいやらしく笑いながら、私の名前を呼ぶ。
『にんまり』という形容が似合いそうな、細められた目を見て、『ネズミを見つけた猫』という言葉を連想した。
「……咲夜ちゃん、ほんま良かったなぁ……? ――なぁなぁ、穂積の兄さん。そないに心配せんでも、その独鈷杵くらいは少なくとも影喰は役に立ってくれるはずやよ? 後は、どれだけ咲夜ちゃんが影喰を使いこなせるかだけや。――それに、他にもちょっと時間かかってまうけど、来月にはもっと役立つもんを渡せるように準備しとくよって。安心してや?」
前半は、確実に私に向けて。
そして後半は、何故か先輩に向かってお凜ちゃんは笑いながら説明した。
どうやら、貸してくれるという『影喰』は、先輩の独鈷杵並に効果のある物らしい。
いざという時少しでも身を守れる物があるというのはありがたい。
……ほんとに、使いこなせるかどうかはともかく。
(……でも……『良かった』?)
どういうことだろう?と、お凜ちゃんの言葉の意味を考える。
前半部分の言葉の意味が分からない。
効果がある道具があってよかったという意味なのだろうか?
しかし、それにしてはお凜ちゃんの様子がおかしかったような気がする。
(……前後の文脈も繋がってない気がするし……)
「……良いだろう。……それから、そう、あまり、からかわないで貰えるか?」
「――どないしょうかなぁ……」
先輩が珍しく視線を泳がせながら、少し顔を赤くしているように見える。
それに対するお凜ちゃんはひどく楽しそうだ。
口元に着物の袂を当てながら、先輩と私を交互にチラチラと眺めている。
(な、なに……? なにが起こってるの……?)
なにか、私の知らないところで得体のしれない会話が繰り広げられていた。
まるで、大人同士の会話に紛れ込んでしまったような錯覚を覚える。
(……いや、お凜ちゃんのほうが年下なんだけどね……)
年齢を棚上げしてしまっている自分に活を入れて、二人の会話の意味を問うとしたとき、お凜ちゃんが不意に口元を隠していた手を下ろした。
「――せや」
お凜ちゃんが、何かを思いついたように、悪戯っぽい飛びっきりの笑顔を浮かべている。
「――兄さん兄さん♪」
「……な、なんだ……?」
楽しそうにお凜ちゃんが、先輩に正座したままにじり寄る。
迫られた先輩が、冷や汗でも搔きそうなほどに緊張した様子で、強張った表情を浮べている。
(あ、明らかにお凜ちゃんが悪い事企んだ顔してる……ていうか、先輩があんなに動揺してる珍しい……)
止めるべきかどうするべきか、私は隣で息を潜めて二人の動向を観察しながら、原因が分からないなりに葛藤した。
(でも……別に『危険』がある訳じゃないよね……先輩の動揺することって気になるし……)
――葛藤した上で、流石にお凜ちゃんが先輩に危害を加える訳では無いという考えと……若干の邪な気持ちが勝った。
(……ごめんなさい。でも、気になるんです)
心の中で、先輩に頭を下げた。
(お凜ちゃん、何 する気だろう?)
ドキドキ……と、先輩に近づいていくお凜ちゃんの姿を目で追いながら固唾を飲み込んだ。
緊張しながら見守る私の方を、先輩がちらっと見て、どこか観念したように迫りゆくお凜ちゃんに視線を戻す。
お凜ちゃんは、若干身を引いている先輩に近づくと……両手を畳の上につき、ゆっくりと頭を下げた。
――二回。
パン、パンと力強く両手を打ち鳴らす音がした。
「――どうか、これからも咲夜ちゃんとか、ウチらのこと、守ってやって貰えますか?」
そうして、神妙な顔で頭を深々と一度先輩に向かって下げた。
「――へ?」
予想外のお凜ちゃんの行動に、思わず口からへんな声が漏れ出た。
先輩も、目の前で土下座するように頭を下げるお凜ちゃんを見て、固まってしまったように動かない。
「――あ、ああ……無論だ」
少しの間を開けて、ようやく動き出した先輩が。
若干、目を白黒させたまま、『取りあえず』といった調子でお凜ちゃんの言葉を受け入れた。
「……ありがとうございます」
丁寧な口調で、お凜ちゃんが先輩に向かって御礼を言いながら下げ続けていた頭を上げた。
「――あ、せやせや。――これ、大したもんやあらへんけど、地元の秘湯です。良かったらお納め下さいな」
「――ああ、これはどうも」
突然さっきまでのどこか神聖な雰囲気を崩して、いつもの調子に戻ったお凜ちゃんが。
袖を打ち払ったかと思うと、どこからともなく取り出したのは……一升瓶?
(……一升瓶? ……お酒ってなんで……っていうか――)
「――お酒っ!?」
お凜ちゃんが先輩に向かって差し出しているのは、なんど見ても布に包まれた一升瓶二本。
――どう考えたって、高校生に中学生の女の子が渡すのは不味い代物だ。
「……ちょっ、お凜ちゃん!? 先輩、『そんな』だけど、まだ未成年だからねっ! ……お、お酒なんてだめだよっ!?」
先輩が受け取ろうとしている包みを見ながら、慌てて私は制止した。
(先輩の事だから、まさか、未成年者飲酒なんてしないと思うけど……)
「――ちょっと待て咲夜。『そんなだけど』とはどういう意味だ!?」
「――あ」
心外そうにこちらをねめつける先輩を見ながら、失言に気がついた。
――たしかに、『そんなだけど』なんて言い方はいくらなんでも先輩に向かって失礼だ。
「……なるほどなるほど。つまり咲夜は今まで私の事をそういう目で見てきた訳だな……」
「ち、違う……その、歳に似合わない位落ち着いてるってだけで……、その、別に先輩の見た目が老けてるとかそういう訳じゃ無いんですっ!」
大慌てで先輩に向かって、両手を全力で振りながら否定するが、それでも先輩は変わらず気落ちした様子だ。
「ああ。分かった……」
顔から手を離し、先輩の表情が見える。
――が、やはりそう呟く先輩の顔は煤けた表情で、どこか寂しげに見えた。
(違うんだ……っ!)
私は自分のうっかり発言で先輩を傷つけてしまったかもしれないことに、『やらかした』と思いながら、どうしたら良いか分からずにオロオロするばかりだ。
「――それに咲夜。これはお酒では無いぞ?」
「え……?」
しかし、先輩が煤けた表情のまま、ぽつりと私に言い聞かせるように言った。
そっと、先輩が風呂敷包みをゆるめ、中にある一升瓶をのぞき見る。
(――どうみても……お酒の……一升瓶だよね?)
焦っていた私は、振っていた両手を止めて、先輩の手元にある包みを見返す。
――しかし、何度見ても。
――どう見ても。
やはりそれは一升瓶でしか無かった。
なんだったら、ラベルに『大吟醸』なんて文字も見え隠れしている。
「先ほど、この子も言っていたではないか。『秘湯』だと。――つまり、これは、ただのここの名湯だよ。……かつては智恵の湯といって、大変ありがたいと言われたものだぞ?」
「――え? ……え?」
(どういうこと? 一升瓶を再利用して、中身はお湯……っていうか、水とか……温泉の素……とか?)
……そういえば、確かに、この辺りは泉質も良いときいたことがある。
ひょっとすると、地元だけで伝わっている温泉の素的なものを詰めているだけなのかも知れない。
(そういえば、昔そんなのテレビで見たことあるような……)
昔、なにかのテレビ番組で『温泉の種』みたいなものを販売しているのを見たことがある気がした。
そういう、名産品的なものをプレゼントしたのかも知れない。
……いわば、お土産みたいなものなんだろう。
(あっ……でも、だったら……私、お凜ちゃんにも酷いこと言っちゃったかも……)
先輩の言葉に、ひょっとして勝手な思い込みでお凜ちゃんに怒ってしまったのかもしれないと気がついた。
焦りに口元が引き攣るのを感じながらお凜ちゃんの方を見ると、神妙な顔をしているお凜ちゃんがいた。
「せやせやっ! これは別にお酒やあらへんでっ!」
お凜ちゃんが、不満そうに唇をとがらせながら私に向かって抗議してくる。
――どうやら本当に私の早とちりだったらしい。
「ご、ごめん……てっきり私――」
(そ、そうだよね……お酒なんて突然渡したりするわけ――)
納得し、お凜ちゃんに謝ろうとしたところで。
大層不服そうな顔をしたお凜ちゃんが『ビシリ』と音がしそうな勢いで、一升瓶を指さした。
「せやっ! 咲夜ちゃん。――これは単なる般若湯や!」
「――やっぱりただのお酒じゃないかっ!!」
――さっきまでの神妙な様子はどこへやら。
口元を吊り上げながら、カラカラと愉しそうに笑うお凜ちゃんと先輩に向かって。
『心配を返せ』と私は心から全力で叫ぶのだった。





