第十三話「先輩、武器を持つのは怖いです」
「――そういえば! 穂積の兄さん、学校で咲夜ちゃんに相談された言うとらへんかった? 独鈷杵持っていつも行っとるん? 学校って霊具とか持ち込んでもええもんなん? ――今後の参考に聞きたいねんけどっ!」
ざわりと走った寒気を押さえ込もうと必死な私を置いて、俄に表情を輝かせたお凜ちゃんが先輩に聞いた。
先輩は、お凜ちゃんの言葉にすこし考え込んでいるらしい。
顔をうつむけ、思案するように視線を彷徨わせた。
(あ……目が合った)
ちらっとこちらを向いた先輩の金色の瞳と視線が絡み合った。
すると……にやっと、先輩の口元がつり上がる。
「――ああ、ちょっと事情があってな。『偶然』あの日は独鈷杵を持って行っていたのだ。――なに、私だって、別にいつも持ち歩いている訳では無いとも」
(――ッ! ……先輩、あの日は『偶然』独鈷杵を持って行ってたんだよねっ!)
――冗談だって、分かっているのに。
先輩の視線に。その言葉に。……ついつい、意味深なものを感じてしまう。
先輩の方から目線を慌てて逸らしてお凜ちゃんの方を向いた。
(……顔、熱いかも……)
「……?」
慌てて先輩から目をそらすように頭を振った私を、お凜ちゃんが不思議そうに見つめて首を傾げていた。
私はぶんぶんと頭を振って、なんでも無いとお凜ちゃんに示す。
「……くっ……ああ、それで持ち込んでも大丈夫かという事だが、まあ、学校によるな。――基本的に見とがめられさえしなければ問題ない」
一瞬笑いを含んで喉を鳴らしたような声が、逸らした視界の外側から聞こえてきた。
……先輩の声だ。
笑いを押し殺すように、無駄に真面目な声音でお凜ちゃんに向かって語っている。
(――またからかったな!?)
その先輩の様子に、私は内心確信を得ながら恨みがましい目で先輩を睨んだ。
……やっぱり、微かに先輩の肩が震えている。
きっとこんな私の反応も面白がっているのだろう。
(……なんで先輩、こんなに意地悪するかな……)
別に嫌われている訳では無さそうだから、全然嫌な気持ちはしないけれど。
それでもこう、しょっちゅうからかわれる方としては身が持たない。
「ほうか……ありがとな――しかし、そうなるとさしあたって問題なんはやっぱり咲夜ちゃんやなぁ……」
お凜ちゃんは、先輩に向かって楽しそうに御礼を言いながら、『さしあたっての問題』こと私の対抗手段に関して考えを巡らせているようだった。
(私なんかに、あんなのから身を守る方法なんてあるのかな……)
そう思いながらも、せっかく親身になって考えてくれているお凜ちゃんの邪魔をしないように黙っておく。
(……そういえば、さっきの怖いの、ちょっとマシになってるな……)
……いつの間にか、冷静にお凜ちゃんの反応を待っている自分に気がついた。
さっきは、『もうあんな事があったら助からない』と不安でいっぱいだったのに、先輩の巫山戯た冗談のせいで、いつの間にかばかばかしくなったらしい。
(……私が、こんなに心配してるのに……)
ほんのちょっぴり、先輩との温度差にむくれそうになるが、先輩の事だ。
別に真剣に考えていない訳では無いだろう。
(ただ、ちょっと意地悪なだけで……)
「……咲夜ちゃんって、眼鏡はいつも掛けとるんか?」
考えていると、お凜ちゃんが私の顔を覗き込みながら聞いてきた。
「――え? ……あ、うん。伊達だけど、大体いつも掛けてるよ?」
「――それ、伊達だったのか!?」
質問の意図は分からないが、興味深そうに聞いてくるお凜ちゃんの質問に取りあえず質問に答えた。
――すると隣で聞いていた先輩が、驚いた様子で声を上げる。
(あ、あれ……? 私、言ってなかったっけ?)
「あ……言ってませんでしたっけ? これ、伊達眼鏡です」
そういえば、改めて言うことでも無かったから、今まで伝えていなかったかも知れない。
それでも、意外な先輩の反応に驚きながらも返すと、先輩はなぜかひどく感心した様子で頷いた。
「……寝るときも外さないから、てっきり目が悪いのだと思い込んでいたな」
「――ほう、穂積の兄さんは咲夜ちゃんが寝るときのこともしっかり知っとると」
先輩が言った瞬間。
お凜ちゃんが、目を鋭く輝かせた。
口元に手を当てる直前、その口元が愉しそうにつり上がったのが見えた。
「――あ、違っ、普段寝るときはちゃんと眼鏡は外すよ!?」
「――寝顔見られた言うこと自体は否定しいひんねやな……まあ、ええわ。咲夜ちゃんちょっと動かんといてよ?」
じとっとした目線を向けてくるお凜ちゃんが、そっと右手の人差し指を私の顔に向かって近づけてきた。
――そのまま、すうっと指を私の掛けている眼鏡に沿って這わせていく。
(……ぅ、っ……傷跡、見える……)
眼鏡に指を沿わせているせいで、どうしても顔を片側隠すようにしている前髪が動いて、顔の傷跡が見えてしまう。
お凜ちゃんの様子からして、必要な事なのだろうとは分かってるが、どうしても落ち着かない。
(お凜ちゃん、多分気持ち悪いって思っ……いや――大丈夫。大丈夫。だい……じょう……ぶ……)
拒否反応が限界に達して、思わずお凜ちゃんの手を撥ねのけそうになったところで、お凜ちゃんがすっと手と体を私から話した。
――ふぅ……ふぅ……と。
気づけば、少し呼吸が荒くなっていた。
「――すまんかったわ。もう済んだよって。――これで、咲夜ちゃんもその眼鏡を掛けとれば、ある程度の深さまで隠世がちゃんと見えるはずやよ?」
冷や汗を流しながら呼吸を乱している私の事を申し訳なさそうにお凜ちゃんが見つめていた。
どうやら、今のは眼鏡になにか細工をしてくれたらしい。
「――後は、攻撃手段やね……」
心配そうに私の事を見つめながら、また、お凜ちゃんが何か考え込んでいる。
その間に、少しずつ私の呼吸も整っていった。
「――大丈夫か?」
「――すみません。大丈夫です」
呼吸が落ち着いたのを見計らって先輩も心配そうに声を掛けてくれた。
ぐっと全身に力を込めながら先輩に向かって、硬い笑みを返す。
(……っ、ダメだ。まだ、表情、固いかも……)
そんな私達の隣で、お凜ちゃんはなにか思いついたように、僅かに憂いを含んだ瞳を伏せた。
「――賭けてみよか……」
ぽつりと呟くと、お凜ちゃんは覚悟を決めるように目を閉じた。
そして、次の瞬間、左手を持ち上げながら目を開く。
「――桜花」
真っ赤な小さく形の良い口が、たった一言言葉を紡ぐ。
――瞬間。
コマ落としのようにお凜ちゃんの手の上に一本の太刀が握られていた。
太刀の柄には装飾のためか、ルビーのような大きな赤い宝石が埋め込まれている。
左手で鞘を握ったまま、お凜ちゃんは右手をそっと太刀の柄に添える。
そして、そのまま勢いよく太刀を抜きはなった――ッ!
――大ぶりな、白銀に輝く刀身が姿を現す。
一メートルほどの長さがある刀身は、小さなお凜ちゃんの体には不釣り合いだったが、太刀を握るその姿は奇妙なほど馴染んで見えた。
――お凜ちゃんが、そのまま、太刀を虚空に向かって振り下ろす。
パンッと空気が圧縮されたような炸裂音が響き、お凜ちゃんの握り締めた太刀が銀月を描いた。
――息を吸う間も無い刹那の後。
お凜ちゃんの手により、キンという金属質の音を立てて、太刀が鞘に収められていた。
それに遅れるように、突如、空間がめくりあがった。
太刀の描いた軌跡に従って、空間に亀裂が走り、そこから空間が割れるように景色が歪んだのだ。
……それは、ちょうど一昨日神社で見崎の宝珠を投げつけたときに、肉塊が姿を表したときに似ている。
(――また!)
一昨日感じた恐怖が頭をよぎり、なにかが出てくるのではないかと、とっさに体が身構えた。
しかし、お凜ちゃんはそのままその裂け目に無造作に右手を突っ込み、なにかをゆっくりと引っ張り出した。
それは、薄暗い室内で金属質の光沢を放っている塊だった。
(――な、なに……?)
異様な様子で取り出されたものを、私は顔を恐怖に引き攣らせながらも、なぜか目が離せなくなり、食い入るように見つめる。
――お凜ちゃんが、それを握ったまま右手を前に差し出してくる。
目の前で……握り締めていた手が開かれた。
お凜ちゃんの小さな手のひらの上にあるのは、十センチほどの棒状の金属だった。
よくよく見てみると、その金属は大小無数の歯車が組み合わされているようだった。
目立った形の大型の歯車が、棒の側面からはみ出している。
(この形って……どこかで見たことあるような……)
「――折りたたみ、ナイフ……なのか?」
隣で、私と同じように食い入るようにお凜ちゃんの手元を覗き込んでいた先輩が、お凜ちゃんに問い掛けた。
(そうだ! ナイフ! 良く映画で見かけるアレに似てるんだ!)
先輩の言葉に、どこでその形を見たのかを思い出した。
歯車がたくさんついているせいで分かりづらかったが、確かにそれはナイフの真ん中辺りで刃をたたむことが出来て、コンパクトに折りたためるナイフにそっくりだった。
「神守が管理する神器の一つ。銘は――影喰や」
お凜ちゃんが、ゆっくりと、厳かに呟く。
そして、微かに伏し目がちだった顔を上げ、私の顔を真っ正面から見つめてきた。
「これを――咲夜ちゃんに預けるわ」
――お凜ちゃんの手の中で。
――鈍く、金が輝いていた。





