第十二話「先輩、深夜の通販番組って、たまに妖しい物売ってますよね!」
「――ふぅ……」
畳の爽やかな香りが広がる部屋の中、お茶を啜り、ため息をついた。
お風呂上がりに着替えた浴衣の袖を抑え、湯飲みを目の前の小さな小机の上に戻す。
――カタンと、湯飲みが載せられた木製の小皿が、小さく音を立てた。
すぐ隣に設けられている窓から、日が落ちて暗くなった向こう側を見つめると、白熱電灯に照らし出された桜が、黄色く揺れているのが見える。
――私達は、神守の本家を後にし、旅館に戻って来ていた。
今は、慌ただしい一日を終え、先輩の部屋でようやく一息ついたところだ。
窓ガラスに、浴衣姿の私が映り込んでいる。
ぼうっと、間抜けな表情をした私の後ろに、先輩が持ってきた旅行鞄が映り込んでいるのに気がついた。
……なんとなく、見てはいけないものを見た気がして、前髪を軽く引っ張った。
「――咲夜。軽食が届いたようだぞ?」
「……あ、ごめんなさい」
カチャンと扉の開く音がしたと思うと、少し部屋を出ていた先輩が戻ってくる。
(あ、ご飯……受け取ってきてくれたんだ……)
手に小さなお盆があり、その上にはラップの掛けられたおにぎりが乗った皿が二つ並んでいる。
――どうやら、部屋を出たついでに、先輩が軽食を持ってきてくれたらしい。
「ああ、座ったままでかまわん。今持って行く」
どうやら手間をとらせてしまったらしい事を謝りながら、先輩からお盆を受け取ろうと立ち上がり掛けると、先輩が片手をあげて止めた。
そのまま私の座っている窓際の小机までおにぎりを持って歩いてくる。
お盆を受け取って目の前の小机に置くと、先輩はゆったりした動作で向かい合うように置かれた椅子に腰掛けた。
「ありがとうございます――どうぞ、お茶です」
「ああ。悪いな――なんだ、お茶、淹れ直してくれたのか?」
「――ええ。さっき」
「そうか。すまん」
(――先輩が戻ってくるの、ちょうどタイミングが合って良かった)
先輩の分の湯飲みに、先ほど頃合いを見て新しく淹れ直したばかりのお茶を注ぎ込んだ。
手に持った急須からは、ちょうど良い具合の熱が伝わってきている。
熱すぎず、冷たすぎず。多分、ちょうど飲み頃だろう。
「わざわざ取りに行ってくれたんですか?」
もし、軽食をわざわざ取りに行ってくれていたのだとしたら、気が利かないことをしてしまった。
後輩の私が本来なら先に気がついてとってくるべきだったのに。
「いや、ちょうど戻ってきたところで仲居さんがいてな。ついでに受け取ったのだよ」
「そうですか。私も一緒に行ったら良かったですね」
「別にかまわんよ。さ、食べるか」
先輩は鷹揚に笑いながら、両手を合わせた。
私も、先輩に合わせるように両手を沿えた。
「――いただきます」
「はい。――いただきます」
先輩と二人で向かい合って両手を合わせながら『いただきます』と唱和した。
目の前に並んでいるのは、なんてことの無いおにぎりだけど、お腹が減っていたのか、それでもとても美味しそうに見える。
……静かに、二人であまり言葉を交わさずに食事を進めていく。
「――ん。なかなか美味しい物だな」
「そうですね」
ただ、それでも、時々こうして短く会話を続けていくのが、妙に楽しかった。
「――ごちそうさまです」
「――よろしゅうおあがり……ごちそうさま」
「……お粗末様です」
食事と言ってもおにぎりだけだ。
さほど時間がかからずにお互い食べ終わって、お互いきっちりと両手を合わせて頭を下げた。
もう一度、窓の外で提灯が下げられ、照らし出された夜桜を。
今度は先輩と二人してぼうっと眺め。
湯飲みの中にあるお茶を一口飲み込んだ。
「「――はぁ……」」
――先輩と私。
緊張を解すようについたため息が、ちょうどタイミング良く重なった。
「……くっく」
「……ふふっ」
意識せずに被ってしまったタイミングに、思わず先輩の顔を見つめると、先輩も目を丸くしながらこちらを見つめている。
――どちらからともなく、苦笑混じりの笑いがこぼれた。
「――なかなかに盛りだくさんな旅行では無いか」
「――本当ですね……今朝、向こう出たばかりなんですよね……」
今日一日の出来事を思い返すと、家の前で先輩と会ったのが遠い昔のことに思えた。
(でもほんと、先輩といると……一日の密度が異常だよ……まあ、先輩の方も同じ事考えてるかも知れないけど……)
宝珠事件といい、今回の旅行といい。まったくなんて密度の濃い時間だろうか。
……原因は、すべて私が持ち込んでいる訳だが。
ただ、その事を考えると、逆に先輩に対して申し訳ない気持ちが先に立った。
「しかし――その、影喰……だったか? ――良い御守りが出来たでは無いか」
「――『使いこなせれば』って言われましたけど」
先輩が、私が小机の上に置いている物を見ながら、好奇心を滲ませた笑みを浮かべている。
……先輩の視線の先。
――机の上に置いているのは、折りたたまれたナイフだ。
だが、そのナイフは、一見してナイフと分からないほどとても奇妙な形をしている。
無数の歯車が組み合わされて、ナイフの柄が出来上がっているのだ。
お凜ちゃん曰く、とても霊験あらたかな品だそうだが……
(……正直……すっごい持ちにくそう)
……現に、先ほど少しだけ握ってみたが、歯車が手にごつごつと当たり、非常に持ちづらかった。
これで南京でも料理しようものなら、へたすれば歯車が手に刺さりかねない。
――それでも。
どうして、私がこんなものを持っているのか。
それは、あの後のお凜ちゃんとの会話が原因だった。
***
「――いわゆる、『神降ろし』の体質言われる奴やな」
『神降ろし』お凜ちゃんは、私の体質をそう呼んだ。
なんでも、その体質の人は、自分自身は大した霊力や能力を持たない代わりに、その身に神を宿したりと言ったことが得意らしい。
「――まあ言えば、普通の人より、受け皿が大きい言う感じやね。受け皿が大きい分、大量の水が中に入ると思ってくれたらええわ。言うて、咲夜ちゃんみたいに、それだけ大量の霊的存在を宿せるのは聞いたことあらへんけど」
どうやら、私は霊力などを受け入れやすい体質らしい。
今まで、先輩とふれあったとき、何か暖かい物が流れ込んでくるような感覚があったけど。
……それはどうやら、先輩の霊力が流れ込んでいたようだった。
元々の先輩が持つ霊力量が多いから、私に流れ込む量も多く、知覚出来ていたらしい。
……その答えを聞いたとき。
なぜか……胸の辺りが急に痛くなった。
(あ、あれ……なんだろう……怖い……? うんん……違う……寂しい?)
「……そうか。それで見崎の宝珠を咲夜が持って、その咲夜に触れるようにあの者達は言ったのか……」
一方で先輩は、一昨日の晩に出会った二人組の幽霊の指示を思い出していたようだった。
(――って、そういえば……あの時……すごく恥ずかしかったな……)
先輩に抱きかかえられた時の、暖かくて先輩と同化していくような……
独特の感覚を思い出して、頬が熱くなるのを感じる。
そして――その事を思い出すと、なぜか先ほど一瞬だけ襲ってきた『寂しさ』はいつの間にか消えていた。
「せやけどな――いや、やからこそ言うべきか……そうなると問題があるねん」
「「――問題?」」
お凜ちゃんが言う言葉に、私と先輩の疑問が重なった。
「咲夜ちゃん――それに、穂積の兄さんは、今確かに大量の霊力を持っとるねんけど、自分の身を守る手段があらへんやろ?」
お凜ちゃんがどこか期待するように私達を試すような視線を向けてくる。
だが、お凜ちゃんの言う通りだった。
一昨日、あの腕が襲いかかってきたときも、私達は身を守る手段が無かった。
あの時はたまたま見崎の宝珠があったが……もうあの宝珠もバラバラになってしまっている。
「……そうだね」
『もう一度あんなのに襲われたら』という嫌な想像を思い浮かべてしまう。
するとフラッシュバックするように、あの時の先輩の姿が浮かび、手足が冷たくなっていく。
「――今の咲夜ちゃんも穂積の兄さんもな? どっちも霊力だけえらい持っとって、抵抗できひん、妖魔からしたら、『美味しい』存在やねん。――生唾もんやね」
(……『生唾もん』って)
お凜ちゃんに言い回しに、まるで、自分が高級肉にでもされた気分だ。
――こう……私達のまわりを。
よだれを垂らした妖魔たちが、獲物を見つけた喜びに妖しげな舞を舞い踊るのだ。
(――冗談じゃっ……っ無い……!)
自分で想像したことながら、一昨日の醜悪な物体が集まって踊りながら自分を狙っている図を想像し、吐き気を覚えた。
「――私は一応、こんなものなら持っているが……」
先輩が、少し悩んだ様子で独鈷杵を取り出してお凜ちゃんに見せた。
(そういえば、あの独鈷杵は身を守る手段になるのか……あんまり、先輩に使って欲しくないな)
独鈷杵を使うという事は、先輩がまたあの恐ろしい存在に近づくということだ。
お凜ちゃんの言い方からすると難しいかも知れないけれど……
それでもできれば、そんな自体にはなって欲しくないなと思う。
「ん? ――ああ、それは霊具やな……それも、中々ええ出来やわ。……穂積の兄さん、ええのもっとるやん?」
「ああ……昔父親から貰ったのだが……良いものなのか?」
「せやね。ちゃんとした職人が鍛えとるわ。……そうか、一昨日襲いかかってきた妖魔とやり合ったいうんはどうやったやろ思とったけど、これ使こたんか……?」
「その通りだ。一応効果があったようでな」
「……穂積の兄さんの霊力量ならそら効果もあるやろな」
どうやら、あの日先輩が偶然持っていたという独鈷杵は本当に優秀な道具だったらしい。
あの時効果があったのも、きちんとした道具だったという訳らしい。
(つまり……もし、あの時先輩が普通に売ってるような物しか持ってなかったら……)
やはり、その時はとうの昔に私達は帰らぬ人になっていただろう。
――すべてが、紙一重。
一昨日の出来事は……それを、二人そろって生きて戻れたのは。
やはり、あり得ないほど低い確率の出来事が重なって起こった奇跡の結果だったらしい。
――だから。多分……
(『次』があったら……その時は――生き残れない……)





