第十一話「先輩……吸っても……良いですか?」
(え……先輩の霊力が……目覚めた?)
片目をつぶり先輩の方を上目遣いに見つめるお凜ちゃんは、いつの間にか私達を逃すところなく観察するようなとても真剣な表情になっている。
「……おかしな……『霊力』……だと?」
「――どういうこと!? 先輩にも……なにか変わった力があるって事!?」
先輩も、私も。
二人とも、お凜ちゃんの言葉に、思わずうわずった声を上げる。
――急に喉の奥が乾いていくような感覚がした。
「……その様子やったら、ほんまに原因は分からへんねやな……一応聞いとくんやけど、穂積の兄さん、『神さん』いうわけややあらへんにゃろ?」
お凜ちゃんが、私達の事を交互に見比べながら、試すように聞いてくる。
……理解が出来ない質問に、先輩の方をチラッと見つめると、珍しく先輩が目を見開いて固まっていた。
何かを言いかけて、止めるように。
先輩が、何度か口を小さく開いて、閉じて。
躊躇うように、口を開け閉めしている。
「……どういうことだ? 少なくとも、私は普通の人として生きてきたつもりだが……」
やはり、自分の事だけに緊張しているのか、微かに震える声で先輩がお凜ちゃんに聞き返した。
「そうか……ほな、突然そないな力持って生まれた者が出たいうことなんか、それとも理由があるんか……」
だが、そんな先輩の反応を放って、お凜ちゃんは悩むようにブツブツと小声で独り言を呟いている。
――ざわっと。
その誤魔化すような反応に、なぜか首筋の産毛が粟立つような嫌な予感がした。
ふっと、浮かび上がってきた冷たい感触が、脇腹から首筋に抜けて――急に熱を持った気がした。
「――お凜ちゃん! ちゃんと! ちゃんと説明してっ!」
(――これは……先輩に関わることだ……っ)
そう思ったら、気がついたら声を荒げてお凜ちゃんを問い詰めていた。
「――お、落ち着いてや。咲夜ちゃん」
お凜ちゃんが私の勢いに面食らったように独り言を止めて、驚いた顔でこちらを見つめている。
……頭のどこかで、『小さな子相手に何やってるんだ』と制止する自分がいる。
――だけど、今の私はその言葉を聞き入れる事が出来なかった。
(――私が、先輩を巻き込んだから……)
頭のなかに浮かぶのは、さっきお凜ちゃんから聞いた大怪我の話。
それから――桜の下で、力なく崩れ落ちる先輩の姿。
泣きながら、先輩の制服から写真を取り出した時の、革の感触が手に残っていた。
(――もし、もしも。私が先輩に相談したせいで、先輩がそんな事件に巻き込まれるような体になっちゃったんだとしたら……!)
「――でも……っ! 先輩の、事なんだよねッ!?」
「――落ち着けっ! 咲夜っ!」
私がもう一度お凜ちゃんに問い詰めようと立ち上がりかけたところで、先輩が鋭く私の名前を呼んだ。
――その言葉に、はっとする。
ゆっくりと先輩の顔を覗き込むと、先輩が鋭く細めた視線を、窘めるように私に向けていた。
真剣な眼差しに、取り乱していた頭の中が冷水を浴びせられたみたいにすっと落ち着いた。
「……ぁ……ごめんなさい……」
先輩の目の前で、年下の親戚に当たってしまうという醜態をさらしていたことに気がついて、急に身体の中で荒れ狂っていた熱が冷めて、どんどんとすぼんでいくのを感じる。
先輩は私が落ち着いたのが分かったのか、すっと視線を視線を和らげて、薄く微笑んだ。
「いや……咲夜が心配してくれたのはよく分かる。――ありがとう」
先輩の顔が見ていられなくなって、正座した膝の上に載せていた手に視線を落とした。
膝の上で、ぎゅっとズボンに皺を寄せている手のひらは血の気が無くて……
自分でも分かるくらいに、真っ白だった。
「……ごめんなさい。その……私が先輩を巻き込んだからかもしれないって思ったら……」
「なに……『巻き込んだなどと』そんな寂しい事を言ってくれるな。私が好きでしたことなのだからな」
先輩は優しくそう言ってくれるけど、その気遣いが辛かった。
「――ちゃんと説明せんとびっくりさせてもて悪かったわ……心配になるんもしゃあないわ」
お凜ちゃんまで、私に向かって気遣うようにそう言って謝ってくる。
(――だめだ。お凜ちゃんは私達の為に教えてくれてるだけなんだ……責めるのは間違ってる。責めないと行けないのは……何も知らない、何も分かってない――自分だ……)
下を向いたまま強く歯を食いしばり、情けない自分自身を叱咤する。
――心を、落ち着けて。
お凜ちゃんに向かって顔を上げた。
「うん……ごめん。大丈夫。だから……教えて貰って……良い?」
「せやな……分かった。落ち着いて聞いてや?」
お凜ちゃんの前振りに、私は大きく深呼吸をして、何を言われても大丈夫なように心を落ち着かせた。
私が落ち着くのを見たお凜ちゃんは、小さく頷くと口を開く。
「――ウチの見立てになってまうねんけど、穂積の兄さんが持っとる霊力の量は……人としてありえへん量――天つ神と同じくらいの莫大な量や。さっき、穂積の兄さんを此処に呼び出したんも、咲夜ちゃんを呼んだら、えらい大量の霊力を持った存在が近くに来たさけ、気になって見に行ったからやねん」
(先輩が……神様みたいな量の霊力を持ってる……? 人として、あり得ない量……)
お凜ちゃんが語る言葉の意味。その重要性は、あまり理解出来ない。
だけど、その語る声音から、それが『ありえない』『異常な』事だというのだけは十分に伝わってきた。
「――なるほど。それで、急に私の所に来た訳か……しかし、なぜ私はそんな霊力とやらを私が持っているのだ? 今まで、そういった話は聞いたことがないが?」
聞かれたお凜ちゃんは、首を傾げながらも同意するように大きく頷く。
「――せやねん。それが不思議なんよ。今まで、そんな霊力を持った人間ら聞いたことあらへん。第一、それだけ大量の霊力持っとったら、とうの昔にウチの鬼見が兄さんの事見つけとるわ。やから――」
言葉を切ったお凜ちゃんの視線がちらりとまたこちらを向いた。
一瞬言いよどむようにお凜ちゃんが、言葉を詰まらせたように見える。
「――これは、仮説やねんけど、穂積の兄さん、元々持っとった霊力が、なんらかの原因で眠とったんとちゃうか? ウチは、『龍樹様の雫』が呼び水になって、穂積の兄さんの中で眠っとった力が発現したんやないかと思うんよ……そもそも、『雫』は、体内に残っとる霊力を集めて傷を治す為のもんやさかい……死にかけたところで使ったよって、本来なら出てけえへんようにされとった力が発現したんちゃうか?
――ただ、それでも、そもそもそんだけの霊力をなんで持っとってんちゅう話なんやけど……」
お凜ちゃんは、勢いよく説明していくが、最後の辺りは自信が無い様子で尻すぼみになっていった。
やはり、いくらお凜ちゃんでも、先輩がそれだけの霊力を持っているというのは納得いく説明が思いつかないらしい。
だが――なぜか、それまで真剣にお凜ちゃんの話を聞いていた先輩が。
……一瞬、ほんの一瞬だけ、唇の端を歪に吊り上げたような気がした。
「――華……」
「――え?」
先輩が、小さく唇を動かして、何事か呟いた。
あまりにも、小さな声で何を呟いたかまでは聞き取れない。
思わず聞き返すと、先輩は『しまった』という風に唇を引き結び、軽く視線を伏せながら首を振った。
「……なんでもない」
そう返した先輩の表情は、どこか思い詰めているようにも見える。
(――どうみても、なんでも無いって表情じゃ無かったと思うんだけど……)
やはり、自分に得体の知れない力が備わっているというのが、不安なんだろうか?
(……他の人と違うって……辛いからなぁ……)
ずっと、見た目のせいで向けられてきた視線を思って、先輩が今感じている不安を想像した。
先輩は、私の孤独に手をさしのべてくれた。
だから……もし。
あの不安と同じような物を先輩が感じているなら、なんとか私も力になりたいと思う。
(――そういえば……)
「――お凜ちゃん、さっき私も変なの見えたけど、私にもその霊力って言うのはあるのかな? さっきの話だと、あんまり才能なんて無さそうだけど……」
(私にも、せめて同じような力があれば、先輩の孤独感を少しでも和らげられるんじゃないかな……?)
先輩と悩みを共有出来れば、少しでも不安な気持ちを肩代わり……はできなくても、同じ悩みを持つ『人』として助けになれるんじゃないかと想像してお凜ちゃんに聞いてみた。
「ああ……その事やんな……」
聞かれたお凜ちゃんは、少し困ったように眉を寄せながら、私の胸の辺りをじっと見つめる。
視線の先を追って、自分の胸元に視線を落とし、カーキ色をしたジャケットの胸の辺りに右手を当てた。
「……『前』の咲夜ちゃんは、確かに霊力はろくに持っとらんかったわ。精々、身体強化関係の能力と、弱い視力を持っとるくらいやっと。でも、『今の』咲夜ちゃんは、霊力を持っとる。――ちゅうより、持ちすぎとる……穂積の兄さんほどやあらへんにゃけど、それでも、人では見ぃひん量や……」
「……え?」
深刻そうに告げられた内容は、私にとって意外な答えだった。
思わず呆けたような声で返事を返す。
……お凜ちゃんの言葉を信じるなら。
どうやら、私も先輩と同じくらいとはいかないまでも、異常な霊力を持っているらしい。
(……でも、さっきは私に前に妖魔の事を教えてなかったのは才能が無かったからみたいなこと言ってたよね……)
「……ウチも、さっき咲夜ちゃんと久しぶりに会うたとき、『何事か』思と。普通は、術の腕前や霊力やのは、必死で修行して少々上がる位やのに、咲夜ちゃんはとんでもない霊力量になっとるんやもん」
微かに笑いを含んだ声音で話すお凜ちゃんだが、その小さな赤い唇は真一文字に引き結ばれている。
(やっぱり……私にも、なにか変な――)
「――ただ、それはさっき脅かした時、理由がわかってん」
考える私の思考を遮るように、お凜ちゃんは言葉を続ける。
――先ほど、お凜ちゃんに悪戯を仕掛けられた時の事を思いかえした。
「脅かした時って……鎧武者を見せてくれたとき? それとも、お凜ちゃんが姿を消して私に近づいたとき?」
お凜ちゃんに脅かされたときと言えばその二回だ。
どっちも必死だったから、そこでどんな行動をしたのかが思い出せずに、少し考え込みながら聞き返した。
「後の方――咲夜ちゃんが、穂積の兄さんに抱えられたときやな。どうもその時……咲夜ちゃんに穂積の兄さんの霊力が流れてったみたいなんよ」
「先輩の……?」
お凜ちゃんの言葉に、先輩の方を見つめる。
すると、気がつけばさっきまでどこか様子のおかしかった先輩は、いつもの調子を取り戻していた。
面白そうな顔をしながら自分の手のひらと私を見比べている。
「先ほど言っていた私の霊力……神のような量だと言っていた霊力が、咲夜に渡っていたということか?」
「せや。さっき、穂積の兄さんが咲夜ちゃんに触れたとき、確かに咲夜ちゃんのもっとる霊力の量が増えとってん」
確認するような先輩の言葉に、我が意を得たりとばかりにお凜ちゃんが頷いている。
先輩は、もう一度確認するように自分の右手を開いたり閉じたりしていた。
「なるほど……どうも咲夜に触れたときに、この金色の粒子が流れている気がしていたが、錯覚ではないということか……」
言いながら、先輩とお凜ちゃんが、お互いに納得し合うように頷き合っている。
(えと……ちょっと待って?)
二人の言っている事がとっさに理解出来なかった。
――まず、先輩がたくさんの霊力を持っている。
――私も、とてもたくさんの霊力というのを持っていて。
――でも、前までの私は霊力はほとんど無かった。
――そして、先輩が私に触れたとき、私に霊力が移ってきている。
――結論。先輩の霊力を私が奪っている。だから一杯持ってる。
(あ……これって……)
そこまで考えて、ある生き物の姿が頭に浮かんだ。
「――その……なんだかすみません」
「――なぜ謝る?」
……どうやら、私は『人として』どころか。
――そもそも蚊に等しい存在だったらしい。





