第九話「先輩、人間消失マジックってどうやってるんでしょうね……?」
「――そもそも、その妖魔というのはなんなのだ?」
私が、お凜ちゃんの言葉に戸惑っていると、今まで黙っていた先輩が口を開いた。
先輩の声を聞いた瞬間、固まってしまっていた頭の中がふっと和らいだような気がして落ち着いていく。
先輩の方を見つめると、正座のまま難しい顔をして、少しだけお凜ちゃんの方に身を乗り出している。
「――その正体は、分かってへん。そもそも、科学的な分析ら出来ひんよって。……せやけど、妖魔は霊力――さっきの言い方をするんやったら『人ならざる力』を持っとって――人を食らうんよ」
「――食らっ……っ、食べる!? でもっ――そんな事件、今まで聞いたこと無いよッ!?」
そんな話……信じられない。
いや――信じたく無い。
現実逃避だと言われるかも知れないけど、それでも物騒な発言をするお凜ちゃんに、とっさに私は叫んでしまった。
熊が人を襲いでもしたら、全国ニュースになるような世の中なのに。
得体の知れないなにかが人を食べるだなんて……そんな、恐ろしい存在がその辺りをうろついて居るだなんて俄には信じられなかった。
「やろうなぁ……一応、それには理由があるねん。さっき、特殊な力は血に宿る言うたけど、『今』の妖魔やウチら術師は大体共通して持っとる力があるねんな?」
「その……力とは?」
お凜ちゃんの意味深な言葉に、先輩が微かに緊張した面持ちで続きを促した。
「――ウチらは隠世呼んどるけど、この世界とは別の空間があんねん。現世と対なす世界。そこに奴らは普段から潜んどる。それで、人を襲うときだけ、隠世からこの世界に現われたり、逆に人を隠世に連れ込んだりして喰ろうとるんよ」
「ならば、隠世というのは、神域としての隠世ということか? いわゆる神隠しや浦島太郎の竜宮城のような」
お凜ちゃんの言葉に、間髪入れずに先輩は質問を返した。
先輩の言葉に、お凜ちゃんは話が通じたことに安堵したのか、どこかほっとした表情を浮かべた。
「なんや、兄さんはよう分かっとるんやね。まさしく神隠しやのなんやのは、妖魔に喰われた人間のことも多いわ。――隠世自体は一般的にも浸透しとる言葉やけど、それは確かにある意味近いっちゃー近いんよ。ただ、一口に隠世いうても深さがあってな? それが一番、一般的に知られとるんとは違うところかも知れへんわ」
「隠世の……深さ? どういう事だ……黄泉などという話か?」
「……まあ、それは後付けやね……」
眉間に刻んだしわを深くしながら先輩がお凜ちゃんに問い掛けた。
お凜ちゃんは、先輩の言葉を肯定も否定もせず、悩むように右手で自分の右目を押さえるように手を被せた。
そして、お凜ちゃんは軽く手元を払うと、私と先輩を交互に見つめる。
「――せやな。それに関しては、言うより見せた方が早いわ。今からウチが実際に隠世に潜ってみせるよってに……二人とも、どう『見えるか』教えてや」
「分かった。頼む。――咲夜も良いか?」
「え? あ、はい」
先輩から突然同意を求められ、若干話から取り残されていた感のある私は、焦りながらもこくこくと頷いて見せる。
「ほな……いくで?」
なぜか、にやりとした笑みを浮かべたお凜ちゃんがそう言うと同時。
――すっとお凜ちゃんの姿が溶けて消えた。
一瞬、陽炎のようにその輪郭がじんわりと歪んだかと思うと、次の瞬間にはその場から消え去っている。
「――なっ!?」
驚いて周りを見回すがお凜ちゃんの姿は何処にも見えない。
本当に、あたかもさっきまでそこに居たのが白昼夢か何かだったかのように、影も形も無くなってしまっている。
見回していると、先輩が目を見開きながら驚いた表情で私の方をじっと見ていた。
(きょ、きょろきょろしてて、ひょっとして私って今、変な事してる? え、え、? でも、普通人が消えたら慌てるよねっ!?)
先輩が、不思議なものを見るように私の事を見ているので、内心酷く動転した。
(――なんでそんなおかしなものを見るような目でこっち見てるの!?)
「さ、咲夜……? まさかその、後ろ――」
先輩が、こちらを見つめて何か言いかけた。
その瞬間。
――フッと生暖かい風が耳元を吹き抜けた。
「――ぃっやぁっ!?」
風が髪の毛を揺らし、ぞわっとした感覚が全身を抜けていった。
思わずその場で素っ頓狂な声を上げ、後ろを振り返りながら、先輩の居る方に飛び退く。
「――っと、大丈夫か?」
先輩が飛び退いた私を、後ろから支えてくれた。
――先輩が支えてくれた手から、じんわりと熱が全身に広がっていく。
そして、私が振り向いた先には……悪戯っぽい笑顔を浮かべたお凜ちゃんがいた。
(な、ばっ!、なんで? いつ?)
思わず、『馬鹿』と叫びそうになるが、すぐに何故という疑問の方が頭の中を飛び交った。
「――あれ……? ――どうや? 咲夜ちゃん、今ウチが後ろに回ったところ見えへんかってんろ?」
先輩の方を見たお凜ちゃんは、不思議そうに納得の行かない様子で首を傾げながら私に聞いてくる。
(……不思議なのは、こっちの方だッ!)
まったく動揺していない先輩に抱き留められながら、一人挙動不審なのは流石に格好が悪いことに気がついた。
……大きく息を吸って……吐いて。
心の中だけで驚愕の叫びを上げながら、なるべく冷静に見えるように言葉を返す。
「――う、うん。全然」
「……穂積の兄さんはどうや? ……ひょっとして、見えとったんか?」
「――普通に、立ち上がって咲夜の後ろに歩いて行って、顔を近づけていくのが見えた……が?」
「――ええっ!?」
なるべく冷静に見えるようにと頑張ったメッキは、一瞬ではがれ落ちてしまった。
落ち着き払った先輩の返答に、思わず驚きを声に出してしまう。
多分、とっさにそんな非難染みた反応を返してしまった理由は――
(――わ、私はなんにも見えなかったのに……理不尽だ!)
飄々としている先輩と、こんなにも慌てふためく羽目になっている私。
同じ状況が理解出来ていない者同士のはずなのに、この差は一体どこからやってくるのか。
「――ええ目ぇしとるなぁ……流石やわ。今も最後はかなり深いところまで潜っとってんけど、全部普通に見えてはったんか?」
「……逆に、私には、何も変わったように見えなかったくらいだ。咲夜が突然周りを見回し始めるわ、君が咲夜に接吻でもするように顔を近づけるわで、もはや別の驚きしか無かったとも……」
「おお……ええ具合に咲夜ちゃんと分かれとるなぁ。言ってまえば、それが目の良さ言うことなんよ。どこまで深くに潜った妖魔が見えるか言うことやね」
先輩の反応に、感嘆した様子で息を吐き出したお凜ちゃんは、なるべく私達にわかりやすいように説明してくれているようだった。
一方で、説明を受ける先輩の方は、どこか冗談めかした様子で口の端を吊り上げている。
「――因みに、さっき兄さんが突き飛ばしてはった鎧武者は、元々部屋に居ったんを段々浅いところに持って行っとってん。咲夜ちゃんがどれくらいまで見えるんか『視力測定』しとった言うことやな。それでも、咲夜ちゃんがさっき反応した深さは普通の人間は見えへんくらい深いところやってん」
どうやら、さっきの鎧武者も、お凜ちゃんが私がどこまで『かくりよ』とか言う奴が見えるか確認するために準備したものだったようだ。
(こっちは……決死の覚悟だったのに……)
先ほど、『なんとかお凜ちゃんだけでも守らないと』なんて考えていた私は、どこまでも空回りしていたらしい。
こうして改めて種明かしをされてみると、なんともばかばかしい喜劇も良いところだった。
――でも、ちょっと待て。
(――じゃあ、さっきの先輩の目には……私って突然周りをきょろきょろ見回したと思ったら、後ろに回り込んでるお凜ちゃんに堂々と息を吹きかけられてる間抜けな奴に見えてたんじゃ……)
……客観的に。
先輩からの視点で先ほどの自分の姿を想像してみると、ちょっと……いや、かなりお馬鹿な奴にしか思えなかった。
(ていうより、そもそも……)
「お凜ちゃん! ――別に、最後に息吹きかける必要なかったんじゃないかなっ!?」
私は恨みの籠もった視線をお凜ちゃんを見つめた。
――そう。これだけはちゃんと言わないといけない。
絶対に今の、最後にそんなことをする必要性なんて無かった。
(お凜ちゃん……絶対面白がってた)
一応関わりが薄いとは言え、親戚のお姉ちゃんとしてそれを注意しなければならなかった。
(――先輩の前だったのに!)
――恥ずかしさから来る八つ当たりも少々含まれているかも知れないけど。
「いやあ、そんなん、えらい穂積の兄さんの方に熱心な視線を向けとったさかい、兄さんの視線を引きたいんちゃうかな~いう親戚なりの気遣いやんか」
「いらないよっ! そんな気遣い!? ……要らないよっ!?」
私が食ってかかると、お凜ちゃんは片手を振りながら誤魔化すように笑っている。
(――お凜ちゃん全然反省してないっ!)
「――こらこら咲夜、そんなに照れなくても良いだろう?」
そんなお凜ちゃんの反応に、私が憤然としていると、後ろから私を支えたままだった先輩にやさしく窘められた。
その言葉に、私も『言い過ぎたかな』と思わず動きを止める。
すると、さっきのお凜ちゃんのように、先輩の顔がすぐ横に迫る気配がして――
「それに――さっきの反応もなかなかに愛らしかったぞ?」
ぼそっと先輩が私の耳元で囁いた。
――その声は、とても甘くて耳の辺りが妙にくすぐったい。
「~~っ!」
瞬時に顔が赤くなるのを感じながら、先輩の腕の中で声にならない悲鳴をあげる。
何となく恥ずかしくなって、顔を伏せながら前髪を片手で撫でて顔を隠す。
前髪を透かすように、お凜ちゃんの姿を見てみると、彼女まで顔を赤くしてこっちを見ていた。
さっきまで歳にそぐわない、大人っぽい。
どこか超然とした態度だったお凜ちゃんだったが、今のその顔は、中学生になったばかりの女の子らしいものだ。
どう、反応して良いのか分からない様子で、お凜ちゃんはふっと目線を逸らした。
「――な、なんや、ほんまに『ええ人』なんかいな……」
「ち、ちがっ! 先輩っ! ――っ、やっぱり、このっ、スケコマシっ! お凜ちゃんまだ小さいんですから、そういう冗談は控えて下さいっ!」
「――そこまで言われることか……?」
お凜ちゃんの言葉に増幅された恥ずかしさに、ついつい先輩に少し強めの言葉を使ってしまう。
すると、悪のりしたきわどい冗談を放った先輩の方が、ショックを受けたようにしている。
(……あ……言い過ぎ……た?)
「え? あ、ちがっ……っと、とにかく、違うんです!」
罪悪感を刺激された私は、しどろもどろになりながらお凜ちゃんと先輩に向かってひたすら違うんだと言い続けることになるのだった。





