第七話「先輩、――なんでここに?」
目の前で、ちょこんと可愛らしく正座している少女。
神守凜――なんでかみんな呼ぶのは『お凜ちゃん』
彼女が、今回私を呼び出した張本人だった。
「――ほんまに、えらい久しぶりやなぁ。前にちゃんと会うてから、もう、七年ぶりくらいになるんか?」
祖母と同じく訛りの強い口調で話すお凜ちゃんが、私の事を店先に並んだ季節外れのキャベツを見るみたいにじっと見つめてきた。
(相変わらず……神守の人は癖が強いなぁ……でも、なんでだろ……なんか警戒されてる?)
「……だね。お凜ちゃんも大きくなったね。――あ、これお土産。どうぞ。大したものじゃ無いけど」
私の記憶にあるお凜ちゃんは、まだ小学校に上がる前の女の子で、小さいのにどこか神秘的な雰囲気を持った女の子だった。
それでも、とても人懐っこいところもあって、親戚中の子供に声を掛けていて、浮いていた私にも物怖じせずに話しかけてきた子だったのを覚えている。
――どちらにしろ、私にとって年下の可愛い親戚という事実は変わらない。
正座したまま、念のために持ってきていた菓子折をお凜ちゃんに向かって押し出しながら頭を下げた。
「そんな、気い遣わんでええのに……ありがとなぁ。それに、そんな年寄りみたいなこと言わんといてよ? ――そないなこと言うんやったら、咲夜ちゃんもえらいお姉さんになってんなぁ?」
お凜ちゃんが、にっこりと笑いながら菓子折を受け取って、歳に似合わない態度で話し始めた。
(相変わらず、ほんとに物怖じしない子だなぁ……)
私の方が割と引っ込み思案なせいで、年上なのにうっかりすると気が引けてしまいそうだ。
(確か、お凜ちゃんは私より三つ下だったよね……だから……)
「まあ、もう高校生だから……お凜ちゃんは、今年中学生だっけ?」
「……せやねん……中学校かぁ……ウチも学校は行きたいねんけどなぁ……」
軽い世間話のつもりで振った言葉に、お凜ちゃんが可愛らしい赤い唇をとがらせた。
(え……『行きたい』って……どういうこと? 行けてないのな? 不登校……じゃないよね?)
不満そうに口をすぼめるお凜ちゃんは、なにか事件があって学校に行きたくないという感じでは無い。
どちらかというと、行きたくても行けないもどかしさを感じているように見えた。
「――学校……行ってないの?」
あまり、『他所様』の家庭事情に踏み込むのは良くないと思うけど、聞いてしまったからには、聞いておかないといけない気がした。
「――まぁなぁ、こんな家やさかい、なかなか通える中学校があらへんよって」
「そうなんだ……」
恐る恐る聞いた私の質問に、お凜ちゃんは何事か思案する様子でため息をついた。
――あまりにも浮き世離れしている神守の家のことだ。
確かに私なんかには想像もつかないような問題があるのかも知れない。
聞いたは良いものの、思った以上に根の深そうなお凜ちゃんの反応に、どう答えて良いのか分からずとりあえず相づちを打つと、気まずい沈黙が広がった。
――ガタリと、風にどこかの窓が揺れたらしい音が聞こえる。
(――それにしても、お凜ちゃん、本当になんで突然私を呼び出したりしたんだろう? 特別親しかった訳じゃ無いのに……)
実際、今話していても、とりとめの無い世間話ばかりで、なかなか本題に入る様子がない。
本当に、なぜ突然呼び出されたのか分からなかった。
ただ、ひたすらに理由が分からない中、二人、広く締め切られた和室の中に取り残されていることに、居心地の悪さだけを感じる。
正座して向かい合った膝の上で、両手を小さくすりあわせた。
(早く先輩の所に戻らないといけないのに……)
――内心、じりじりとした焦りが鎌首をもたげていた。
久しぶりに会った親戚と世間話をするのも良いが、早く先輩の所に戻りたかった。
(先輩……ご飯食べずに待ってくれてるみたいだったよね……)
なるべく早く戻って、今も宿で待ってくれている先輩と、一緒にご飯を食べたい。
――だから、できれば本題を切り出して欲しい。
「――そういえば、咲夜ちゃん手紙に友達と来るゆうて書いとったけど、あの兄さんは咲夜ちゃんのええ人なん?」
そう思ううちに、沈黙を埋めるようにお凜ちゃんが少し瞳を光らせながら、先輩の事を口にした。
……そういえば、たしかに、お凜ちゃんにもそのせいで宿に泊まると伝えているから、気になっていても不思議じゃない。
(――上手くいけば、ここから時間がないって話に持って行けるかも)
そんな嫌な打算をちょっと思いついた私は、少し早口でお凜ちゃんに向かって説明がてらせっついてみることにする。
「――ううん。ただの先輩。――だから、実は今旅館で待たせてるのも……ちょっと申し訳ないかな?」
「そうかそうか……なんやつまらへんなぁ……残念やわぁ……」
『ただの先輩』と聞いたお凜ちゃんは、つまらなさそうにため息をついた。
(……お凜ちゃんもそういうのを気にする歳かぁ……)
本気で残念そうに口をとがらしているお凜ちゃんに、内心苦笑を浮かべる。
今まで友達がいなかったせいで、私自身、だれかとそういう話は余りすることが無かったけど、それでも周りで話しているのは嫌でも耳に入ってくる。
教室内や、修学旅行で同じ部屋になった子が、そう言う話を楽しそうにしているのは、何となく遠目でみたことがある。
(……あれ? 私、一緒に来る友達が男の子だって、言ったっけ? 迎えに来た人もお凜ちゃんに伝えた素振り、無かったよね?)
――ふと、今の会話の中でお凜ちゃんの発言に違和感を覚えた。
送った手紙には、あくまで『友達と一緒に行くから宿はこっちでとる』という事しか書いていなかったはずだ。
普通、私が友達といくと言ったら、女の子の方を想像しないだろうか?
(――まあ、男の子の方が面白いから勝手にそんな想像したんだろうな……)
雰囲気は凄く落ち着いているのに、子供っぽいお凜ちゃんに微笑ましくなった私は、今度こそ抑えきれずに苦笑を浮かべてしまう。
慌てて顔を背けて、お凜ちゃんに笑っているのを見られないようにした。
「――どないしたん?」
お凜ちゃんが、顔を背ける私に不思議そうに声を掛ける。
私は、なんとか表情を取り繕うと、お凜ちゃんの座る方へと顔を向け直す。
「なんでもな――っえ!?」
……誤魔化そうとした時――背筋がぞわりと粟立った。
きょとんと首を傾げているお凜ちゃんの後ろ。
――そこから……突然鎧武者がゆらりと現われたのだ。
所々朽ちた鎧を着込んだ顔は面に隠れてどんな表情を浮かべているのか分からない。
だが、青い鬼火のような光が、空虚に落ち込んだ眼窩の奥で妖しげに光っているように見えた。
「なっ……っ!」
(なに!? あれは!? 人っ!? でも、さっきまで確かに居なかったはずだよね!? それにこの感じ――まさか……)
その鎧武者を見た瞬間から、背筋の粟立ちが止まらない――ッ。
不快な冷気が周囲に満ちてきたように、ぞくぞくとした冷たい感触が肌の下を這いずり回るのを感じる。
――その感覚に、覚えがあった。
夢の中、そして、一昨日散々苦しめられた、あの真っ白な腕達に遭遇したときの感覚にそっくりだった。
(……どっちにしろ、普通じゃない……っ、――逃げっ、逃げないと……っ!)
未だ動きを止めたまま。
こちらのことを睥睨するように見つめてくる鎧武者は明らかに異常だ。
事情は分からないけど今すぐに逃げ出さなくてはならない。
ゆっくりと、鎧武者を刺激しないように気をつけながら、逃げるために正座を崩していく。
(――でも……お凜ちゃんは?)
立ち上がりかけたところで、目の前で首を傾げている親戚の小さな女の子が目に入った。
お凜ちゃんは、まったく自分の後ろの異常に気がついていないみたいで、鎧武者を警戒している私を、可笑しそうに笑いながら見つめている。
――逃げないといけない。
――でも、逃げたらお凜ちゃんがどうなるか分からない。
(お凜ちゃんは……別に親しい子じゃない……親戚だから表だって言わないけど、私の事気持ち悪いって思ってるかも……神守だし……)
――とりあえず、今は逃げだして、すぐに外に居る人に助けを呼んで……
別に、お凜ちゃんを見捨てる訳じゃ無くて、今私が動いたら、ひょっとしたらあの鎧武者を刺激しちゃうかも知れない。
だったら、この部屋を私だけでも出てそれで助けを呼んで、その後……
――だめ。やっぱり、そしたらお凜ちゃんが。
でも、お凜ちゃんに警告して、あの鎧武者が私の方にやって来たら……
せっかく――せっかく、こんな幸せな……一緒に居てくれる人が見つかったのに……
そう……穂積先輩――
――ぐるぐると、目が回るような葛藤の中。
私の事を自分を省みず助けてくれた先輩の姿が頭に浮かんだ。
――そして、その時。
お凜ちゃんの後ろにいる鎧武者が、カチャリと腰の刀を引き抜こうとするように手を掛けた――ッ!
「――ああっ、もう――っ!」
悩むより、先に。とっさに体が飛び出した。
畳を蹴立てて立ち上がりっ、畳の縁も気にせず踏みつけお凜ちゃんの方へと駈け寄る。
――鎧武者が、手を添えた刀を鞘から抜きはなっていく。
驚いた顔で私の事を見つめるお凜ちゃんの腕をひっつかみ、小さな体を両手で抱きしめた。
(――せめてっ、守らないと……)
そのまま、鎧武者との間に自分の体を滑り込ませて、盾にした。
「――穂積っ、先輩――ッ!」
両目をつぶり、お凜ちゃんが嫌なものを見なくて済むように、顔を体で覆うようにぎゅっと抱きしめた時、喉をついたのは先輩を呼ぶ声だった。
「――咲夜っ!」
今にも襲いかかってくるであろう衝撃に身構えて、身体を固くした私の声に応えるように。
――聞き覚えのある声が響いた。
次の瞬間、襖がバンッという音を立てて勢いよく開かれる。
「――え」
閉じていた目を向けた瞬間、開かれた白い襖の間から、猛烈な勢いで飛び出して来たのは人型の影。
その右手には――金色のきらめきが握り締められていた。
「――せ、先輩!?」
思わず叫んだ私を他所に、そのまま先輩らしき人影は、握り締めていた金色の独鈷杵ごと鎧武者に向かって全身でぶつかっていく。
――先輩に体当たりを仕掛けられた鎧武者が、重量感のある動きで吹き飛んだ。
壁際で鎧武者がぶつかり、ガチャガチャと騒々しい硬質な音を響かせる。
「――大丈夫かっ!? 咲夜っ!」
(……な、なんで……先輩、ここ――ここにっ!?)
倒れた鎧武者と私達の間で独鈷杵を片手に身構えている大きな背中を見て。
全身が震え上がるような深い……深い安堵を覚え。
同時にここに居るはずのない先輩の姿に疑問符が脳内を乱れ飛んでいく。
「――はぁ……もう、十分やな……。――ほんまに咲夜ちゃん、視力が上がってもうとるなぁ……」
混乱の最中にある私に追い打ちを掛けるように、鎧武者から守ろうと決死の覚悟で腕の中に抱え込んだお凜ちゃんが、困ったような声を出した。
「――二人とも、そんな緊張せんでええよ。別にこれ、ちょっとした『ドッキリ』言う奴やから」
――今度のその声は、先輩が飛び込んできた襖の奥から聞こえてくる。
……でも、それは確かに、腕の中に居るはずのお凜ちゃんと同じ物。
幼く、訛りの強い、親戚の女の子の物だった。
――慌てて視線を向けると、そこにはお凜ちゃんとまったく同じ顔かたちをした少女が立っている。
「――お凜ちゃんが……二人?」
「――ちゃうちゃう。あっちは偽物や」
ぼうっと戸惑いながら呟いた私に。
私のすぐ目の前にいる方のお凜ちゃんが言って、抱きかかえている私の手をそっと外した。
――パンッパンッ!
お凜ちゃんが、柏手を打つように両手をたたき合わせる。
――すると、襖に立っていたお凜ちゃんも。
そして……壁際で刀を抜き放とうとしていた鎧武者さえもがその姿を消して……
――人の形に切り抜かれた紙だけがひらひらと舞った。
「――ほな、しゃあないなぁ……ちゃんと事情聞こか……」
言いながらお凜ちゃんが、着物の懐から紙を一枚取り出すと、床に放る。
すると、今床に置かれているのと同じ座布団がもう一枚床の上に現われた。
「――咲夜ちゃんと、そっちの――兄さんもとりあえず座って貰えへんか?」
お凜ちゃんが、改まった口調で私と先輩に床の上に並ぶ座布団の方を指し示す。
完全に状況に取り残されていた先輩と私は、呆けた顔を見合わせた。
「――咲夜。一体これはどういう状況なんだ?」
「――私が聞きたいですよ……っ!」
私とお凜ちゃんを見比べながら、戸惑ったように聞いてくる先輩のとぼけた声に、私は安堵と恐怖と……よく分からないとにかくどくどくと駆け巡る感情に、泣きそうになりながら叫ぶのだった。





