最終話「一緒に居ても……いいんですねっ!……先輩っ!」
「――失礼します」
放課後のざわざわとしている先輩の教室に、一声断りを入れて入っていく。
――本当は一昨日みたいに誰かに先輩を呼び出して欲しかったが、さすがに放課後はみんな忙しそうにしていて、上手く声を掛けることが出来なかった。
でも、やはり上級生の教室に見知らぬ下級生が入ってくると言うのは目立つらしい。教室内に足を踏み入れてからは、いろんな人が視線をちらちらと私に向けてきた。
「――ああ、すまない。よく来てくれたな。そうだな。ここの席が空いている。座ると良い」
「ぁ……ありがとうございます……」
居心地悪く、なるべく体を小さくしていると、そういって、自分の席で帰りの荷物をまとめていたらしい先輩が、私に気がついて声を掛けてきてくれた。
――ざわり、と周りがざわめいた。
(ああ……声を掛けてくれるのは嬉しいですけど……余計に目立ってる……)
先輩が明るく声を掛けてきたせいで、ちらちらと向けられるだけだった視線が、値踏みするような視線に変わっている。これ以上気にしないように、なるべく周りを見ないように、先輩の事だけを見つめた。
――やっぱり、目の色は金色のままだ
先輩の前の席に座りながら、近くからしっかり先輩の瞳を見ると、案の定、私のやらかしはそのままだったようで、先輩は日本人としてあり得ない色をした瞳をこちらに向けている。
「……っ、咲夜? どうした?」
気づけば、すぐ目の前にある先輩の顔が、どこか焦った表情を浮べている。
……よく考えれば、席に座るとなり顔を覗き込んでなにも言わないでいた。
(ええと……なにから……とりあえず、忘れないうちに、やらかしたことを全部処理しておかないと……)
気を取り直して、先輩に伝えないといけない事を全部処理していこう。
「せ、先輩。昨日と――あ、あと、今朝は、色々と済みませんでした! 色々と私先輩に伝え忘れてたりしたみたいで……」
「――ああ。昨日、今日と本当にお疲れだったな。――ん? 伝え忘れ? 特になにも問題はなかったが?」
――意外な事に、私の指摘に先輩はなんのことだと首を傾げた。どうやら、目の色の事を伝えてなかったことで、特に困ったりはしなかったようだ。
(……ひょっとして、まだ先輩気がついてないとか……? ――みんな、指摘するのも気が引けるだろうし)
予想外の返答に、私は首をかしげながら、周りに聞こえないように顔を先輩に近づけ、小声で補足することにした。……みんな、気になってはいても指摘出来ないでいるというのは、いかにもありそうだった。
「え? ――そうなんですか? ……その、目の色とか」
「ああ、なんだ。そんな事か。適当に誤魔化したから大丈夫だ」
(……『誤魔化した』って、どうやったんだろう? 先輩)
どうやっても、こんな目立つ金色の瞳を誤魔化す方法が思いつかなかった私は、心のなかで大きく首を傾げる。
(――でも、とりあえず問題なかったんだったら……良かった)
――なら、あとは解決しないといけないのはもう一つ。
「あの、先輩。あと、今朝、昨日のネクタイを返して貰い忘れてたので……返して貰っても良いですか?」
私が、もうひとつの『やらかし』を解決しようと話すと、先輩は一瞬固まった後、頭痛がするように頭を押さえた。
(――どうしたんだろう? ひょっとして、ネクタイ、先輩の家に忘れてきたとか?)
確かに、家に戻ったときに先輩は色々服を着替えたりしたようだ。
その時に、家に置き忘れていても不思議はなかった。
「あ、ひょっとしてネクタイ、先輩のお家ですか? だったら帰りに受け取るようにしますけど……」
「――咲夜。……本当に、君は……以外に剛胆だな。……『ここ』で、それを言うのかね……?」
「え?」
先輩が、困ったような。それでいて、なにか面白がっているような口調でそんな事をいった。見れば、先輩は視線を私の後ろ――教室内にぐるっと回している。
私もそれに釣られるように周りを見回して――
――先輩の教室内の視線が、すべて――ひとつ残らず、全部、私達に向けられていた。
それも、なぜか妙に興奮したような視線で、一部の生徒は驚きを示すように口元に手を当てたり、隣の人と黄色い声を上げ合っている。
(――な、なんで……? 下級生がこんなところに来たから……じゃないよね?)
さっきまでの、度々向けられていた視線とは違う異様な雰囲気に、その原因を考えようとして、私がここにいるからだろうかと考えた。
だが、それだけでこのなんとも言えない雰囲気にはならないような気がする。
――もしや、と思って火傷跡に触れてみても、ちゃんといつも通り髪の毛で隠れてくれているようだった。
(――あ、昨日の様子からして、ひょっとして先輩ってすごく人気があるんじゃ……)
一応自分も女子だから、男の先輩の所に来ていれば、変な目で見られる事もあるのかも知れない。今更そんな事実に気がついて、慌てて先輩のほうに視線を向ける。
「……ああ。その様子では、どうやらよく分かっていないようだな。もう一度、今し方自分が何を言ったのか考えてみると良い……」
しかし、先輩が、呆れたようにこっちを見ながら、そう疲れた声を出した。
――今し方……?
先輩の物言いに、なにか引っかかるものを覚えながらも、今さっき口にしたことを思い返す。
(ええと、先輩からネクタイを返して貰おうとして……)
――ネクタイ?
(ぁ……あああああああああ!)
……昨日、自分で先輩にネクタイを預けるときに考えていたことを思い出した。
(こう、ネクタイを預けたり、衣服を預けるのって緊張するなって、自分で考えてたのに……!)
一気に先輩と距離が縮まったつもりになっていたからか……すっかり忘れていた。
(っていうより、よく考えると、普通ネクタイを預ける状況なんてないよね……よっぽどのことじゃ無い限り……)
――しかも、私はさっきなんと言ったか。
『今朝、昨日のネクタイを返して貰い忘れてた』と言ってしまった。
(――もう、どう考えたって懇ろな間柄にしか思えない……っ!)
少なくとも、私だったら誰かがそんなことを言い出したら『そういう関係』だって察してしまうだろう。
こうして、私は、恥ずかしさに煩悶しながら……
――本日最大級のやらかしに気がつくのだった。
***
目の前にあるのは上品な造りのティーカップ。
繊細な持ち手に、美しい装飾。
(……ああ、これ、買ったらいくら位するんだろう……?)
――まあ、多分、お店で見かけても買うのを躊躇する値段がするのは確かだ。
「……咲夜?」
僅かに笑いを含んだ、しかし気遣わしげな先輩の声が聞こえた。
……どうやら、黙り込んだままの私を心配してくれているらしい。
現実逃避をするのは、これくらいにしておかないといけないだろう。
――いまだ、恥ずかしさは抜けきらないが、前髪を数回撫でてから声を出した。
「……そ、それで――先輩。お話って言うのは、やっぱり、昨日のこと……ですよね?」
「その通りだ」
淡く湯気の立つカップを片手にそういう先輩は、相変わらず喉の奥を鳴らしながら笑っている。
――結局先輩との『お話』は一昨日立ち寄った喫茶店でとなった。
(ああ……思い出すだけで、恥ずかしさで死にそうだ)
……それに、私なんかとそういう関係だと思われるなんて、先輩に本当に申し訳ないことをしてしまった。
こっそりと、両手で持った紅茶を啜り、先輩の事を観察する。
今朝方、確かに大怪我をしていたはずの先輩は、整った顔立ちに軽く笑みを浮かべながら紅茶に口をつけている。優雅な仕草は、独鈷杵を勇猛に振り回していた人物と同じとは思えないほど落ち着いている。
――ただ時折、こちらを意地悪そうに見つめる金色の瞳だけが、昨日のことを現実だと示していた。
「――正直、あまり、食事中にするような話ではないかも知れないのだが……」
「大丈夫ですよ。ここには私達しか居ませんし、――気になりますから」
「そうか……いいだろう」
こちらを気遣うように、先輩が前置きをするけど、ずっと気になっていたのだ。
――先輩はあの時、神社で見つけた『美岬宝珠記』で一体何を見たのか。
――最後に姿を表した二人組は誰だったのか?
――何故先輩は彼らを信じると決めたのか。
分からないことだらけだった。
先輩は『美岬宝珠記』を鞄から取り出して、机の上に置いた。
消えかけた表紙の文字が、どこか古代の記憶を伝えようとしているような気がした。
「この本には、見崎宝珠の来歴が記されていた」
「来歴ですか……?」
「まあ、どうやって宝珠が出来たのか……いや、造られたのかということだ」
先輩は、とても語りづらそうにそういって話し出す。
――『造られた』ということは、宝珠は人工物ということなんだろう。
元々、見た目からして、宝石か何かを削り出したみたいだった。
しかし、だとすれば、『どういう経緯で造られたのか』というところが、先輩が語りづらそうにしている原因なのだろうか?
「だが、どうやって造られたのかを説明する前に、先に説明しなくてはならないことがある――あの、二人についてだ」
「――そうです。あのお二人って一体……」
「――あの二人は……異国の『魔法使い』だ」
「魔法使い……」
その響きはとても荒唐無稽な物に思えたけど、昨日の体験がある以上本当だろうなと理解出来る。
(――そういえば、先輩も『自称:魔法使い』さんの影響で色々と調べてたんだっけ?)
ひょっとしたら、その人も本当に魔法使いだったのかも知れない。
「あの二人は、遙か昔に嵐の日に見崎に流れ着いたようなのだよ。初めは言葉も分からないようだったらしいが、あの村にはマレビトを歓待する風土があったからな。随分と甲斐甲斐しく世話をしたようだ」
先輩が、口の中を湿らせるように紅茶を含んだ。
「二人はそのお礼として、持っていた不可思議な力で『雨乞い』をしたり、『害獣を追い払ったり』、『素潜りで呼吸を出来るようにしたり』ということをしていたようだ。だから、村人達は二人を『神』と思って崇めていたらしい」
(――なんだ……お互いに助け合ったって言う美談じゃないか)
そう思って、一杯目の紅茶を飲みきって、先輩を見るが、先輩は眉間にしわを寄せている。
「……そのまま、しばらくは平穏な毎日が続いていたようなんだが……ある日、高名な呪師を名乗る者が現われたらしくてな……『その二人には怨霊が憑いている』といって、村の者を何人か巻き込んで二人を惨殺したのだ」
――紅茶を飲んで無くて良かった。
急な展開だけど、確かに昔なら外国人を見て怨霊がついているといっても不思議はない気がする。
(天狗が外国人のことっていう説もあるって聞いたことあるし……)
それにしたって、気分が悪くなる話であるのは確かだった。
「そして、殺させた後は神事を行うといって、社に三日三晩籠もってなにやら怪しげな儀式をしていたらしい。そして出てきたときに言ったそうだ『これは我が秘術により、あの者達から造った膠である。これで、あの者達は怨霊ではなく、真なる神として繁栄をもたらすだろう』と。そして、その時の社を元に、造られた膠の塊をご神体としたのが、あの神社の始まりらしい」
膠……思わず、その作り方をリアルに想像してしまった。
……つまり、きっと、それは、大鍋に二人を入れて煮込んだってことで……虚ろな目をした昨日の二人が、煮立ったお湯の中でこちらを見つめていて……
――はっとして、自分の両手を見る。
(それじゃあ、あの宝珠の正体って言うのは……死体?)
「……だから、あまり食事中にする話ではないと言っただろう……」
――そっと、頬に暖かな物が触れた。
よほど私が血の気を引いた顔をしていたのだろう。
気がつくと先輩が身を乗り出して、私の方を心配そうに見つめていた。
先輩の右手が私の頬に触れている。
じんわりとした暖かさが、嫌な想像を少し追い払ってくれるが、それでも血の気の引いた頬が冷たくなっているのを感じた。
先輩が席を立ち上がり、私の方に近づいてくると、空になっていたカップにポットから紅茶を注いでくれる。先輩が握らせてくれたカップは、まだ暖かくていつの間にか冷え切っていた手先を温めてくれた。
「――この話はこれで終わりだな。あの白い腕達については、この本にも載っていなかったから、詳細は分からないが……もう、全部終わったんだ。頑張ったな――咲夜」
先輩が、軽くかがみ込みながら、私の髪の毛を少し掻き上げるようにしながら、私の頭を撫でてくれる。
……そうすると、やっぱりどうしたって火傷跡が見えてしまうけど、先輩はまったく不快そうな様子も見せずに私のことを慰めるように勇気づけてくれている。
(――そうか……もう、終わったんだ)
先輩の暖かい手の感触を感じると、なぜかその事がすとんと心の中に落ちてきて、同時にとても寂しくなった。
(せっかく、私の傷を気にしない人と出会えたのにな……)
――これで終わりと言うことは、こんな風に先輩と話すこともこれからどんどん減っていくんだろう。
段々と、『これから』の事へと考えが及んで、ここ数日の色々な意味で夢のようだった毎日が終わっていくのに気がついた。
さっきまでとはまた違った冷たさが体を支配し始めて、そっと顔を伏せる。
――パンッと、何かが破裂するような音がした。
「――さて……いつまでも終わった怖いことを考えている場合ではないなっ! ――早く、花見の日程を決めねば桜が散ってしまうぞ!」
だから、驚いて顔を上げた先、両手を打ち合わせた姿勢のまま、悪戯っぽい笑顔を浮かべた先輩の言葉は、全くの不意打ちで……
「――え?」
「何を呆けておるのだ? 一緒に行くのだろうが?」
呆れたように先輩が、私の方をじとっとした目で見つめている。
その目はまるで、『忘れてたな?』と言っているような気がする。
(――別に、忘れてたわけじゃない)
むしろ、楽しみにしていた。
しかし、先輩が昨日『初めての花見は散々になった』と言っていたから、てっきりもう花見はあれで最後なのかと思ってたのだ。
「え……でも、昨日『散々の花見になった』って」
「そうとも。だから、余計にまともな花見をしたくないのか?」
――行って……良いんだろうか?
花見ということは、ちょっと時間をかけて見ることになると思う。
多分、十分とか、十五分とかそんな時間ではきかないはずだ。
(良いのかな……そんな時間を取って貰って)
――昨日、花見をしちゃってるのに、二回目の花見なんて贅沢をしてしまっても……
――良いんだろうか?
「いいん……ですか……?」
ドキドキと、再び加速を始めた鼓動が、冷え切っていた全身に熱を運び始める。
不安から、自分でも分かるくらいにうわずった声で確認する私に、先輩は肩をすくめながら笑った。
「……何を言っている? そもそも、元からそのつもりだぞ?」
言ってから先輩は、何か思いついたようにもう一度軽く手を打ち合わせると何かをしゃくるように右手を振って見せた。
「――次は、釣りにも行くのだろう? ――ふむ。絶対に大物を釣り上げてアッと言わせてやろう」
――だから、そう。だから――私は思わず、『これから』に向けて俄に高鳴り始めた胸を押さえて、喫茶店の中なのに椅子を蹴立てて立ち上がりながら叫んだ――ッ!
「――はいっ! 行きましょう! 先輩――っ!」





