第二十四話「先輩、だったら私が手になります」
先輩と手を握りながらではあるけど、やはり目に見えない存在に向かっていくというのは恐ろしい。いま、こうしている瞬間にも、さっきの先輩みたいに目に見えない何かに襲いかかられるかも知れないのだ。
――怖くないわけがない。
「それで、先輩。その幽霊みたいなものはどんな姿なんですか?」
じわりじわりと間合いを計るように、一歩ずつ近づいていく先輩に、内心の不安を紛らわせるように話しかけた。
「二十歳くらいの男女だな。男の方は金髪の美男子で……女の方は少し緑がかった黒髪だな。――ふむ。こっちもなかなかに整った顔立ちをしているぞ?」
先輩が、冗談めかして笑いながら進む先に視線を向けている。
視線の先になにも見当たらないせいで、どうしても違和感がある。
しかし、その先輩の横顔は、どこか楽しそうにも見えた。
(――どっちも整った顔立ちか……火傷女にはきつい話だ)
もちろん、幽霊だとか亡霊になるだとか、きっと色々と未練があったりするのだと思うが、私だって、似通った物だ。
――多分、今握っている暖かい手を離したら、すぐに私もまた『亡霊』に戻ってしまう。
「……どっちも整った顔立ちってなんだそれ。……うらやましいじゃないか」
「――どうしたっ!?」
聞かせるつもりのなかった、私のやさぐれたぼやきを聞き取ってしまったらしい。先輩がちょっと慌てた様子で私の方を一瞬振り返った。
「いえ。なんでもありません。……私はなにも言っていません」
「……あ、ああ。それは、済まなかった」
――先輩に聞かれてしまったことが、居心地が悪くて誤魔化した。
先輩は、釈然としない様子で首をひねりながら、耳の聞こえを確認するように独鈷杵を握り締めている方の手で耳の辺りを押さえている。
「……そ、それで、二人とも哀しそうにこっちを見ている。――ああ、今、宝珠の入った袋を指さした。……そのまま袋から離れていくな。今は、桜の木から少し離れたところに居る」
「『拾え』ってことですかね?」
「――雰囲気的にそんな感じだな……ああ、なにか巾着を開ける仕草もしているし、どうやら正解らしい」
見えない私にも分かるように、先輩が幽霊達のジェスチャーを一つ一つ解説してくれる。どうやら、地面に落ちている私の巾着を拾って開けるように言っているらしい。
(――でも、幽霊が言う通りにして大丈夫なのかな……)
「……どうします? 拾いますか?」
「……拾うしかないだろうな」
不安に思いながら先輩の事を見上げると、先輩もどこか緊張した表情を浮かべている。よく見てみると、表面上は余裕そうにしているが、うっすらとだが冷や汗も浮かんでいるようだ。
「もし、それが敵だったら、確実に罠ですよね……」
「ああ……まあな……。――ッ伏せろ!」
――瞬間、先輩が叫ぶと同時、体の向きを正反対にひねり、右手を振り上げた。
そのまま、私達が向いていたのとは反対方向。
何も無い空間に向かって独鈷杵を突き出す。
――突き出した独鈷杵が、万力に固定されたように何もない空間で止まった。
「――っく、らぁああああああああ!」
先輩が雄叫びを上げながら、一度止まった右腕に、私と繋いでいた左手も添えて振り切った――ッ!
「ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっぉ……」
また、あの酷く頭を痛ませるような不快感を催す。不気味な声が響き渡る。
そして、その瞬間、ジィ……という、硬いビニールをむりやり引きちぎったような音と共に、『ソイツ』の姿が一瞬見えた。
――それは、まるで動物の体内で複雑に絡み合った蛔虫のようだった。
細長く、うごうごと妙なぬめり気を感じさせる、見ているだけで不快な蠕動を繰り返す無数の腕が、四方八方に野放図にのびていき、一つの塊になっていた。
その中心には……なるほど。確かに『肉団子』とでもいうべき、白いぶよぶよとしたゼラチン質の塊がある。
『肉団子』には、ぬらぬら光を照り返す、粘液のような液体をまき散らす、巨大な亀裂が走っていて――そこからは、あたかも口のように、先ほどから聞こえている不気味な声が流れ出している。
「――うっ……く」
一瞬しか見えなかったにもかかわらず、見た瞬間に生理的な嫌悪感から、ノドの奥にせり上がってくる物があった。一気に手先の体温が下がっていく感覚に襲われるが、なんとか意思の力でせり上がってくる物は押し込んだ。
先輩は独鈷杵を振り抜いたまま、周囲に鋭い視線を巡らせている。
「――行ったか……」
「せ、先輩……今のって……」
込み上げてくる吐き気に、口元を抑えながら先輩に呼びかけると、周囲に気を配りながら先輩がこちらを振り向いた。
「ああ。またあの肉団子だな。向こうの方に飛んでいった」
先輩が、周囲を囲むように生える藪の中の一方向を指しながら、なんでも無いことのように答える。
(……あんな、気持ち悪い物だって、全然……)
どうやら、さっきから先輩は、私に心配を掛けないように何気ない物を相手にしているように振る舞っていたらしい。今も、まったくそんな素振りを見せていなかった。
「肉団子って……そんな可愛い物じゃないですよ……」
「――っ、見えたのか……っ!?」
「先輩が攻撃した一瞬だけですけど……でも、よく、先輩気がつきましたね?」
先ほどまで見えなかったにも関わらず、今回は私が見えたことに驚いたのか、どこか興奮した様子で先輩が訊いてくる。
しかし、見えたのは本当に一瞬の事で、『見えた』と言っていいのか自信が無かった。
思わず小さくなった声で応えながら、同時に先ほどの先輩の反応に感嘆も覚えていた。
(『アレ』、私達の真後ろから近づいてきたから、先輩だって目が後ろについてないんだし、見えていなかったはずなのに……)
私の疑問に、先輩は目を細めると、随分と近づいていた桜の木の辺りを指さした。
「それは……。――彼らが警告してくれた」
(……『彼ら』っていうのは、幽霊の事だよね?)
どうやら、さっきの先輩の反応は、幽霊達が後ろからあの肉団子が迫っていると教えてくれたかららしい。
(――そんな事を警告してくれるってことは、やっぱり悪い霊じゃないのかな?)
「――っつらあああああああああああああ!」
――考えている間にも、再び先輩が叫び声を上げながら独鈷杵を振り抜いた。
(――せ、先輩……ッ……凄い……ううん……凄まじいな)
どうやら、また奴が迫ってきたらしい。裂帛の気合いを入れた先輩が独鈷杵を一振りして、不可視の物体をはじき飛ばす。
思わず再びアレが姿を現すのでは無いかと、ぐっと全身に力を込めながら見つめるが、今回は姿を現す事は無かった。
「――どうやら、あまり迷っている暇は無さそうだぞ。奴ら、この段になって、随分活発に迫ってくるようになった」
「――でもっ、どうするんですか?」
弾き飛ばした先を見つめていた先輩が、少し早口で呟くのを聞いて、自分も無意識のうちに早口になるのを感じる。
先輩は、一瞬考えるように視線を伏せ、すぐに顔を桜の木の近くに落ちている私の巾着袋へと向けた。
「……いつまでも独鈷杵だけでこんなことを続ける訳にはいかん……ひとまず、どうやら共闘の意思を見せているらしい、あの者達の意図に乗ってみる他あるまい。――行くぞっ」
先輩が私の腕を掴み直し、巾着の元へと一足に駈け寄っていく。
さっと巾着を拾い上げた先輩が、きゅっとすぼめられた巾着の口を勢いよく開――
(――あ)
「……だ、駄目ッ! ――せ、先輩っ、私が開けますから!」
「――お、おう」
慌てて先輩の横から巾着袋をひっつかみ胸元に引き寄せた。
(――危ない……この中に、例の布を入れたままだった)
そんなの気にしている場合じゃないと言うのは分かってはいたが……どうしてもそれは恥ずかしかった。
――顔が赤くなるのを感じながら、巾着袋の中身を引っ張り出す。
「――ほ、宝珠ですよね!?」
「そうだな。宝珠だけ取り出して貰えれば良い。――その……女性の荷物を勝手に開けるのは配慮が足りなかった……すまない」
「~~ッ! 良いですからッ! もう、わざわざそんな事言わないで下さい!」
顔を赤くして、目線を知らしながら謝る先輩に、取り出した宝珠の入った木箱を突き出した。
先輩は、申し訳なさそうな表情を浮かべながらも、木箱を受け取り、中から宝珠をとりだす。
取り出された宝珠は、変わらずつるつると磨き抜かれた光沢を放っていて、闇夜の中でも僅かな光を受けて輝いている。
「――これで良いのかっ!?」
先輩は、宝珠を持ったまま、誰も居ない空間に向かって叫んだ。
「――なに、違うのか? ……ん? ――それは、神宮さんに持たせろということか……? 投げろだと? それは、何処でも良いのか? 奴らのいる方にか? ぶつけないといけないのか?」
先輩が見えない何かと会話するように、次々と質問をしている。
なんとか幽霊達の指示の意味を理解しようとずいぶん思案しているようだ。
相手の姿が見えない私には、先輩が一人芝居しているようにしか見えない。
……だが、なぜか私の名前が出てきているのが凄く気になる。
どうやら、何らかの役目があるようだ。
――私は、一体何をすれば良いんだろうか?
(……でも、もし私なんかで出来ることがあるんだったら、いいな)
「……最後の質問だ。お前らは、敵か?」
最後に先輩が、隣に居た私が一瞬恐怖を覚えるような、鋭い声で質問を投げかけた。――そのまま、視線を揺らすこともなく、一点を見つめ続けている。
――静かに、先輩から、圧力のようなものがゆらりと立ち昇っているような気がした。
「――本? これか?」
――先輩への返答なのだろうか?
どうやら、幽霊達がまた何か指示を出したらしい。先輩が、なにか聞き返しながら、先ほど神社の中で見つけた本を取り出した。
すると、先輩の手の中で風に巻かれたようにばらばらと頁がひとりでにめくれ始めた。
ある頁を開いたとき、ぴたりと本の動きが止まる。
それと同時、先輩の持っていた宝珠が、消えかけの電灯のように微かに光を放ち、先輩の手元を照らし出した。
――そう。それはまるでその頁を『読め』と言っているようだった。
真剣な様子で、宝珠から放たれる微かな光源を頼りに先輩が視線を走らせる。
……段々と、その表情が固く強張っていくのが見えた。
チラリと私に視線を向けた先輩が、なぜか本を私から隠すように少し自分の方に傾けた。
「――そうか。……分かった。信じよう」
やがて、読み終えたらしい先輩が、どこか哀しそうな声で応えた。
大きくため息をつきながら、幽霊に向かって頷いて見せたようだ。
それを確認したかのようなタイミングで、宝珠が発光するのを止める。
――先輩はそのまま、一瞬黙祷を捧げるように頭を下げた。
(……一体……何が書かれてたんだろう?)
疑問には思ったが、頭を上げた先輩が、私の方を振り返り、表情を哀しげな物からいつも私に勇気をくれる、不敵な笑みに切り替えるのを見て、私は口に出かかった疑問を引っ込めた。
「さて……神宮さん。協力して欲しいことがあるのだが……」
「はい――ッ! なんですか?」
真剣な表情で振り返る先輩の表情に、不安と……それと同時に『協力して欲しい』という言葉に嬉しさを感じながら返事をする。
「少し、そこにいる者達との会話で解せない事があってな……この宝珠を持ってみて貰えるか?」
宝珠を差し出す先輩に促され、今も月明かりを反射し、すべすべとした光を放つ宝珠を受け取った。
……受け取るときに先輩と指先が触れ、また、暖かい何かが流れ込むようなくすぐったい感覚に襲われる。
「――こ、これで良いですか?」
「ああ……特に変化は……、――あったな」
先輩から宝珠を受け取ってしばらくすると、見る間に宝珠が先ほど先輩の手元を照らし出したときのように光り出した。
しかもそれは、さっきみたいな消えかけの電灯のような明るさじゃなく、暗闇に慣れた瞳にはまぶしいと思えるほどだ。
手元で勢いよく発光する球体を持って、まるで自分が電池になったような気分になった。
「せ、先輩……! こ、これ……ど、ど、どうしたら良いんですか!?」
「……失礼」
「ひゃ……!」
先輩は、焦った私の問いには答えず、両手で宝珠を持つ私の手にそっと手を添えた。
――自分の物では無い、大きな、少しゴツゴツとした感触が私の手を包みこむ。
……すると、先輩からさっき感じたのと同じ、何かが流れ込むような感覚が走り抜け、手に持つ宝珠がその輝きを増しはじめた――っ!
「ふむ……なるほど……いや、実は彼らが神宮さんに、その宝珠をあの醜悪な肉団子にぶつけろと言っていてな……」
「わ、私ですか……っ!? 先輩じゃなくて!?」
「――私がしたいのは山々なのだが……この様子を見ると――確かに神宮さんでなければならないようだ……」
悔しそうに言う先輩の姿にはっとする。
(――確かに、先輩の方が運動だって出来るみたいだし、さっきまでの対応を見てても適任だと思うけど……)
もし、これが私にしか出来ないなら……。
――私にだって『出来る事』があるということだ。
(だったら……頑張ってみよう)
そう決意する。
しかし、すぐにそれには一つ問題があることにも気がついた。
――先輩と違って、私にはアレの姿が見えないのだ。
投げつけようにも、何処に向かって投げたら良いのか全然分からない。
「せ、先輩! あの、頑張ってみます! でも……私、アレの姿が見えないんですけど……」
緊張から切羽詰まって言う私の言葉に、先輩は『分かっている』とでも言うように、頷き、――続けた。
「――そうだ。だから、私が君の目になろう」





