第十八話「先輩、秘密のお話し聞きますか?」
月明かりと、不気味な光源だけが照らし出す、暗い神社の本殿の中。
私達は壁に背中をもたれかけて、並んでぼうっと扉に打ち付けてくる白い手を見つめていた。
流石に数時間も同じ光景を見続けていると、緊張感も、目新しさも何もなくなってくる。
――パシンッと打ち付ける手の弾ける音も、秋の虫の鳴き声程度にしか気にならなくなってきた。
先輩は、途中、さっき見つけた本の内容が読めないか何度か挑戦していたみたいだったが、部屋の暗さに諦めたようだった。
(――私が、さっき懐中電灯を落としてしまったからだ……!)
その事実に気がついたときは、血の気が一気に引いていった。
せっかく先輩から借りたのに、私のせいで貴重な光源を失ってしまった。
先輩に謝っても、『構わんよ。なりふり構っていられる状況ではなかったからな』と笑うだけだ。
……そんな自分の情けなさに私は滅入ってしまっていた。
「……食べるかね?」
気づけば、並んでぼうっとしていた先輩が、アルミで個包装された袋をこっちに差し出している。
神社に来る前に、麓で購入していた栄養補助食品だ。
「……いいんですか?」
そういえば、落ち込んでいたからか、緊張からか。
まったく気がついていなかったが、言われてみれば少しお腹も空いてきた気がする。
(さっきはお茶も飲めなかったのに、私って……)
しかし、気軽に差し出しているが、これは先輩が買った貴重な食糧ではないだろうか?
そうであれば、ここでありがとうございますと受け取ってしまってはまずい気がする。
(――ほら、男の子はお腹がすくって言うし)
「私は下で何軒か聞き込みしたせいで、色々と買ったからな。この状況で食糧が尽きるような持久戦になったら、どちらにしろ負けだろう。お腹が減って、いざという時に力が発揮できない方が――困る」
悩む私の考えを先読みするように、先輩はそういって、『受け取れ』というように、もう一度袋を軽くこちらに差し出した。
(……そういえば、先輩はいろんなお店に入ってたんだっけ?)
確かに、先輩の言うことももっともだ。体力がここから必要になるというのは、よく分かる話だった。
(――もう、誰かの足をひっぱったり、迷惑を掛けたりするのは嫌だ)
「……じゃあ、遠慮無くいただきます。 ありがとうございます」
「こっちは、お手拭きな」
先輩が制定鞄からウェットティッシュを取り出すので、一緒に受け取る。
「……いただきます」
受け取ったウェットティッシュで手を拭いた後、封を破り棒状に焼き固められたビスケット状のお菓子をもぐもぐと頬張っていく。
――そういえば、おばあちゃんと一緒に居た頃は、こういうのはあんまり食べたことがなかった。
最近、独り暮らしになって買ってみたこともあったが、本当に『栄養を確保するだけ』という感じがして味気なく、それから一度も買うことはなかったのだった。
――でも、思っていたよりお腹が空いていたからか、今日のこれはとても美味しく感じた。
大切に――大切に食べていく。
「――お茶だ。喉が渇くだろう?」
私がゆっくりと食べ終わったところを見計らって、先輩が見覚えのあるペットボトルを鞄から取り出した。
――さっきの醜態を思い出してしまい、つい横に置いたビニール袋に手が伸びた。
(でも、もう流石にさっきみたいな事にはならない――はず)
今は液体よりよほど飲み込みにくいビスケットを食べていたのだ。
若干トラウマと化してきているペットボトルを受け取りながら、冷静に判断する。
(もし、さっきみたいなことになったら……先輩の手からは全力で逃げよう。先輩にこれ以上『気持ち悪い奴』だとか思われたら、我慢できずに外に飛び出しそうだ)
チラリと外を眺めてから、意を決して受け取ったペットボトルの口を開き、少しだけ水分を口に含んで――ゴクリと喉が音を立ててお茶を流し込んだ。
(――良かったぁ……普通に飲み込めた……)
……まさか、人生の中で、普通にお茶が飲めることに感謝する日が来るとは思わなかった。
しかし、やはり随分と喉は渇いていたらしい。飲み込んだお茶がじんわりと食道を通過して身体の中に広がっていく感触がする。普通に飲み物を飲めることに安堵しながら、二口目、三口目とお茶を飲んでいった。
「――ごちそうさま、でした。……先輩、ありがとうございます」
飲みかけのペットボトルを返しながら、お礼を言う。
先ほどまで落ち込んでいた気持ちが、どこか軽くなっている気がした。
「――よろしゅうおあがり」
(先輩って、ホントに面倒見いいよね……)
優しく応え、受け取ったペットボトルを鞄にしまう先輩を見ながら、しみじみとそう思う。
(先輩の家族の事って良く知らないけど、弟さんか妹さんでもいるのかな?)
先輩と私は一つしか歳が違わないはずだ。
自分が、仮に一年後同じように誰かに振る舞えるかと聞かれたら、正直難しいと思う。
――この二日間だけでも、一体どれだけ恩が出来たか分からない。
なにか先輩にお返しできる事があればいいが、なんでもそつなくこなしそうな先輩の姿を見ていると、私なんかに出来ることは無いように思える。
「先輩……先輩って、なにか困ったりすることってあるんですか?」
「……絶賛困難に直面しているところだが? この状況を困難ではないとは、中々に肝が据わっているではないか」
「いえ……そうじゃなくてですね」
呆れたように、皮肉な答えを返す先輩に、私も釣られて苦笑を浮かべながら、言葉を続けた。
「先輩って、こんな非科学的な状況でも、冗談言ったり、余裕があるじゃないですか? だから、凄いなって思って……」
「そういう意味か……別に困っていないわけでも、平然としているわけでもないのだが……まあ、オカルト的な事はずっと調べていたから、その分耐性があるのやも知れん」
(――オカルト的な事はずっと調べていた!?)
意図せず先輩から飛び出してきた衝撃的な発言に、思わずまじまじと先輩の顔を覗き込んでしまった。
(……あの……宗教的な何かだったり、急に霊能力に憧れたり……そういう妄想的ななにかなのかな?)
……できれば、先輩がそういうちょっと危ない感じの人じゃない事を願いたい。
「オカルト的な事を調べてたって……?」
こっそりと、僅かに緊張しながら、とりあえず、当たり障りの無さそうな感じで質問してみた。
(多分……この聞き方なら、特に怒らせるような事は無いと思うけど……)
先輩の性格を考えながら、大丈夫だろうなとは思いつつも、やはり失礼かも知れないと不安になりながらの質問だ。
そんな私の心配を他所に、先輩はどこか遠くを見つめるように視線を明後日の方に向け、懐かしむように口元を緩めている。
「ああ、昔周りに、自分の事を『魔法使いだ』なんて言ってる奴と知り合ってな。まあ、普通に考えてみればおかしな奴なんだが……いや、おかしいといえば、それ以上に色々とおかしな奴だったんだが……」
(……うん――確かにそれはおかしな人だ)
思い出したことが口から漏れ出てきたように語る先輩に、内心で同意した。
普通に考えて、自分を魔法使いだという知り合いがいたら、ちょっと心配になると思う。
「その人の影響で調べてたってことですか?」
「――言ってしまえばそういうことになる」
でも、それで先輩自身は、そんなオカルトにのめり込んでしまいそうな雰囲気に見えないのにも納得が行った。
(要は、単に先輩は必要に迫られて知識を吸収していただけってことか……)
「――ただ、それでも、色々と伝承やなにやら調べるのは、それなりに知識欲は満たされたな。まあ……少々の小遣い稼ぎにもなっていたから、止める理由もなくてな」
「……お小遣い稼ぎですか?」
伝承を調べるのと『お小遣い』という単語が上手く結びつかなかった。
――まさかとは思うが、アルバイトで都市伝説系のライターでもしてるんだろうか?
(――なんだか、行く先々で事件に巻き込まれそうな設定だな……)
自分で考えながら、今の状況を考えると笑えない、少し不吉な妄想だなと苦笑してしまった。
「ああ、読んだ本の内容や現地で聞いてきた内容をまとめておいてな。それを知り合いに売りさばくのだよ。高値で買ってくれる好事家がいて、それなりに小遣いにはなるのだ」
「……凄い、『お小遣い稼ぎ』ですね」
(――なるほど。それで見崎町の宝珠伝説も前に聞いたことがあるって言ってたのか)
今までずっと疑問に思っていた、ドリームキャッチャーなんて変わった御守りを持っていたり、独鈷杵を持っていた理由も本当はそういうことだったのか。
――ようやく、色々な疑問が少し解決した気がする。
「ほら、神宮さんが教室に来たときにも、ノートにメモしていたんだが、気がつかなかったか?」
(……? ――ああっ! あれか!)
一瞬考えて、すぐに先輩の教室に休み時間に行ったときの事を思いだした。
確かにあの時の先輩は、洋書を片手になにか熱心に書き付けていた。
「あれ、凄い勉強熱心だなって思って見てました! ――流石に、二年のトップクラスは熱意が違うんだなと……」
「……あんな珍妙な勉強をして入る学校というのは、少々問題があるだろうな……」
「あはは……」
呆れたように先輩が言うのがおかしくて、思わず声を上げて笑ってしまった。
だって、あんな熱心に洋書を読みながら書き写している内容が、まさかオカルト的なものだとは普通思わない。
(――あ、でも、そういうことなら……)
――『先輩に、なにか返せること』
小さなことだけど、一つ思いついたかも知れない。
今も胸元からつり下げている、祖母の形見のペンダントの感触を確かめながら、思いついたことを口にする。
「先輩、そういうことなら、私も一つ変わった伝承を知ってますよ?」
――私も、先輩が興味を持ちそうな内容の話を一つ知っていた。
……昔、おばあちゃんに教えて貰ったお話しだ。
全然有名な話じゃないし、ちょっとした事情もあって、私が先輩に話せる中ではとっておきだ。
「――ほう? どういう話かね?」
珍しく私がちょっと先輩に上から目線で話しかけたからか、案の定先輩は興味を持った様子で先を促してくる。
「『龍樹様』っていうお話しなんですけど、聞いたことありますか?」
「無自性空の龍樹か?」
先輩が、世界史の授業で習ったことのある名前を挙げる。
――確かに、あれも龍樹様だけど、それとは全然違う。
「あ、多分違います。私の本家に伝わってるお話というか、信仰なんですけど……」
「――ほう? 聞いても良いか?」
先輩は、窓の外をちらっと見て、まだまだ空ける様子のない空を確かめると、少し私との距離を詰めた。私も、距離を詰める先輩の熱気を感じながら、壁にもたれかかったまま、ぼうっと天井を眺めて、話の続きを語ることにする。
「――『龍樹様』というのは、私の本家――『神守』というんですけど――に生えている御神木の名前なんです。とても大きな木で、見た目はそうですね……柑橘類……『橘の木を大きくしたような見た目』と言われてますが……どうみても橘には見えないくらいおっきいです……実も出来ないらしいですし」
「――なんだ? 神宮さんはその龍樹というのを見たことがあるのか?」
脳内に、かつて見上げた巨大樹の姿を思いかえしながら話すと、先輩は意外そうな様子で聞いてきた。
「はい。最近はあまり行ってないんですけど、小さいときは本家に行くことも度々あったから……」
(――昔、龍樹を見たときはびっくりしたなぁ……)
注連縄で区切られた、大型体育館のような大きさの建物に入っていったら、全体が見えないくらい大きな木が立っていたのだ。
日差しもない場所で、あんなに大きな木がよく育つことが出来たなと思ったのを良く覚えている。
(よく考えたら、あの大きさってギネスとかに登録されててもおかしくないよね……)
「なるほど……続けてくれ」
「分かりました。この龍樹というのは、万病の薬と言われてるんです。この木から滲み出してくる樹液を飲むことで、あらゆる傷や病を癒やすと言われているんです」
「ほう」
「実際、昔は偉い人とかにも献上されてたらしいです」
(時の天皇にも献上された記録があるとか、本家の人から聞かされたっけ……何天皇だったかな……? 垂仁天皇?)
なにせ小さな頃の記憶だ。正直、退屈な話に眠気を堪えるのが必死で、詳細なんてあやふやな物だった。
それでも、先輩が少しでも喜んでくれるならと思って、記憶をたどり言葉を紡いでいく。
「それで、神守の家ではずっと昔からその龍樹様をご神体として奉っているんですが、ちょっと変わった風習がありまして……」
――我ながらたどたどしい話しぶりだとは思うが、その先、私が持っている『とっておき』に繋げるために、ちょっともったいぶりながら話を続けた。
普段、こんな風に誰かと話すことが無いからか、悪戯を企んでいるようで胸が高鳴る。
「――変わった風習?」
案の定、興味津々に食いついてくれる先輩に、『上手く話せているかな?』と僅かに期待しながら、言葉を続けた。
「そうです。神守の家に連なるもの。その中でも、本家との関わりが深くて、なおかつ功績のある者には、『龍樹様の雫』と呼ばれるものが渡されるんです……まあ、要は樹液らしいんですけど」
「さっきの万病治療の薬か……なるほど。確かにそれは面白いな」
「――ほんとですかっ!」
感心したように、思った以上に好感触な反応を返してくる先輩に、ちょっと認められた気がして嬉しくなった。
「ああ。なかなか、狭い範囲で今もなお受け継がれている風習を新たに聞くことがないからな。大手の祭事であれば、よくマスコミでも取り上げられているが……ふむ。聞いたことが無い。新鮮だ」
「――実は、まだこの話には続きがあるんです」
先輩の反応に、少しは恩返しになったかなとか、手応えを感じながら、制服の下にある硬い感触をもう一度確かめた。
――制服のネクタイを緩めて、ブラウスの首元を少し開けるとおばあちゃんから貰った形見のペンダントを取り出す。
「ん?」
突然の行動に、戸惑ったように声を上げる先輩に向かって、首から外したペンダントを差し出した。
つるりとした磨かれた石のような表面の下で、ちゃぷりと何か液体が揺れる感触がする。
「――これがっ――龍樹様の雫です」
――これが、この話を私がとっておきとして先輩に話せる理由。
マイナーなお話しなだけなく、実際の『物』を見せることが出来るというのは、いかにも先輩は喜んでくれそうな気がする。
案外、独鈷杵を集めていたり、御守りを持っていたり、先輩、こういうが好きそうだ。
(聞き込みとか、フィールドワークとかも先輩好きそうだし……)
「――これは……なるほど。たしかに中に何か液体が入っているようだな……まるで水入り瑪瑙のようだ」
先輩が、差し出されたペンダントを両手で受け取り、格子窓から差し込んでくる光に透かしながら、興味深そうに左右に振って、中で液体が揺れるのを見ている。
「そうなんです。私も昔からどうやって作ってるのかは不思議なんですけど……」
密閉された石の中で揺れる液体は、どうやって封入したのか分からない。
石には一切の継ぎ目がなく、ぴったりとくっついている。
上部の液体のない部分に開けられた穴に組紐が通され、首から提げられるようになっているだけだ。
「――しかし……これを神宮さんが持っていると言うことは、神宮さんはさっきの条件を満たしているということかね?」
先輩は、じっと魅入るよう『龍樹様の雫』を見つめていたが、ふとした疑問を解消するように、少し期待したような――どこか少年のようなワクワクした表情で聞いてきた。
多分だけど、私が功績を挙げたと言ったら、どういう功績を挙げたのかを聞きたがっているんだろう。
「まさかっ! 私は、おばあちゃんの形見で持っているだけなんです。おばあちゃんと……あとお母さんは、持ってたらしいんですけど……私は本家の人と会うこと自体あんまりありませんから」
「なるほど……そうか。――いや、貴重なものを見せて貰った……」
先輩は、私の説明を聞いて、大切な物だと改めて思ったように、再び両手で龍樹様の雫を捧げ持つと、感謝を示すように深々と頭を下げながら差し出してきた。
「まあ、不老不死の妙薬だなんて言いますけど、そんなのがホントにあれば……って話ですよね。私も、形見にするくらいなら、『自分で使って』って思います。それでも――おばあちゃんは……ずっと名誉に思ってたみたいです」
そんな先輩の丁寧な態度が、おばあちゃんやお母さんに敬意を払ってくれている気がして、嬉しくなりながら、ずっと思っていたことを口にした。
(……本当にそんな薬があったらいいのに)
にこやかに先輩と話しながらも、気がつけば、ちくちくとした棘のような痛みが胸を刺激した。
――だって、もし、本当にそんな龍樹様のご加護なんて物があるなら、おばあちゃんも、お母さんも。きっと二人とも今も元気な姿を見せてくれているはずだからだ。
おばあちゃんが、『龍樹様は、万病の薬言われとるけど、病にはきかへん。あと、寿命はしゃぁないわなぁ』なんて言っていたけど……少なくともお母さんの死因は事故だった。
――もし、そんな薬があったら、今私がこうしてここに一人で居ることはないはずだ。
だから……だから、そんな薬はないって言うのはよく分かってる。
でも、その胡散臭い習慣のおかげで、ここで、こうして先輩を楽しませることが出来たんだから、私にとっての役目は十分に果たしてくれただろう。
それに、『おばあちゃんの形見』というだけでも、私にとってはとても大切な存在だ。
『これ以上』を望むのは、石ころ一つにはちょっと荷が重いだろう。
(――うん。コレは、十分頑張ってくれてる)
――だから、少なくとも今この瞬間を頑張ってくれた石ころに、ちょっとしたお礼を言いたくなって、数回撫でてから首にかけ直した。





