第十四話「先輩、こういうの、映画で見たことありますよ!?」
暗闇の中、建物の壁面が発する光に照らされて、円を描くように照らされている空間にゆっくりと足を踏み入れた。
私に右隣には、歩調を合わせて進む先輩の姿がある。
――前でも後ろでもなく、一緒に行くことを私が希望したのだ。
そんな私のお願いを聞いて、先輩は手をのばしながら優しく笑った。
「――ああ、ではエスコートさせて頂こうか」
――そんな言葉、こんな時じゃなかったら、絶対に身悶えするような恥ずかしい台詞だし、もし、普段の私が言われたら『気持ち悪い』と思っていたかも知れない。
それでも、今先輩に引かれる右手からは、おばあちゃんと同じく暖かい、人のぬくもりが伝わってきて……ずっと独りだと思っていた私には、もう失いたくないとても大切なものに思えた。
「……やはり、近くで見ると、随分と痛んでいるな」
「――え!?」
一瞬、顔の火傷の事を言われたのかと思って、前髪を反射的に押さえながら先輩の事を見上げると、先輩は建物を近くから検分するように覗き込んでいた。
(――、じ、神社のことだよね!? こんな状況で……わ、私、一体何を考えてるんだ……)
皆から、蔑みの視線を向けられ、哀れまれるのに慣れきってしまっていた私は、ついつい『失いたくない』だなんて思ってしまっていたところだったから、変に意識してしまっているらしい。
(――それにしたって、今この状況で考えることじゃないよ!?)
冷静に考えれば、この、ぼろぼろで、柱も傾き、屋根も壊れ、とても人がいるとは思えない。
オンボロ神社の事だと分かったはずなのにっ!!
(ああああああ……この状況で痛んでるから放っておこうって、なんの脈絡も無く突然言い出すわけないじゃないか……)
恥ずかしくて仕方が無くて、八つ当たりと言うしかない視線で、先輩の方を伺うと、こちらの痴態には気がついていない様子で、ペンで壁をコツコツ叩いたり、手で壁に触れてみたりと調査を進めている。
「……本当に、すみません」
「……どうしたっ!?」
気恥ずかしさと気まずさに耐えきれず、思わずぽつりと呟いた言葉を、耳ざとく拾ったらしい先輩が驚いた様子で振り返った。
「なんでもないです……」
「……分かった。気にしないでおくが……中に入るぞ?」
しかし、一人相撲の盛大な勘違いなど説明出来るようはずも無い。
か細い声と共に首を振りながら、私は耳たぶに熱を感じながら視線を伏せ、コクコクと頷くのだった。
私が頷くのを確認してからも、先輩はしばらく首を傾げていたが、すぐに警戒した様子を取り戻し、そっと建物の扉をノックした。
(とても、人が住んでいるとは思えないけど……あれ……?)
そう思うと同時、なんとも言えない収まりの悪い違和感を覚えた。
なんの応答もない建物をみつめながら、違和感の原因は何だろうかと首をひねってみる。
しかし、小骨が喉に刺さったような奇妙な感覚だけがある。
――結局、原因は分からなかった。
「――すみませーん!!」
――唐突に、先輩が大きな声で建物に向かって呼びかけた――ッ!
(――なにやってるの!?)
――さっきまで気配を殺しながら居たのに、大声を上げるなんて!
その行為は、どう見たって不気味な建物の中で、私達を待ち構えるように潜む某かを呼び出してきそうで、心臓がバクバク言っている。
「誰かー!居ませんかーっ?」
「ちょっと……先輩、何してるんですか!?」
「……家を訪ねるのに、無断で入るわけにも行くまい? ――中にいるのが人かどうかはわからんがな」
(……それは……確かに正論なんだけど……いま、この場面で言われるのは納得いかない!)
「まあ、中に人の気配はないから、誰も居ないのだろうな」
「この荒れ果て具合ですし……」
「そうだな。むしろ、中に入ったところで、崩れてこないかの方が心配な痛み具合だな……」
「――入るんですか?」
「それは、……まあ、入らんわけにはいかないだろう?」
先輩と二人、元は社務所だったらしき建物の扉に手を掛けながら、正面から顔を見合わせた。
多分、今の自分の顔は大分引き攣っていると思う。
しかし、先輩の言う通り、ここで中に入らないといつまで経っても前に進めないだろう。
(――うう……怖いけど……頑張ろう)
心の中で沸き上がる本能的な恐怖を押し殺しながら、目の前の扉を見つめ直した。
「ですね……カギは開いているんですか?」
「……それがな……開いているのだ……ほら」
せめてもの抵抗なのか、浮かんだ疑問を口にすると、先輩は私に示すように戸を引きあけた。
不用心この上ないことに、荒れ果てた見た目に反して、するするとひっかかりもなくスムーズに開いていく。
扉が開かれることで露わになった建物の中は、暗く影を落としていて、外のように発光している訳では無いようだった。
暗い廊下が私達を飲み込もうとするように奥に向かって続いている。
――やっぱり、物音一つしなくて、人の気配はない。
所々廊下には穴が開き、天井が落ちてしまっているところも多々見受けられる。
どう考えたって、廃屋以外の何物でも無い。
暗くぽっかりと口をあけている暗闇に恐怖が身をすくませているのか、まるで水の中にいるような不思議な抵抗感を感じた。
「……家主不在の所申し訳ないが、少々家捜しさせて貰うとするか……しかし、これは酷いな。床板を踏み抜かないように気をつけろ? 廊下は狭いから、後ろを歩いてくれ」
「……分かりました」
そんな事を言われたところで、『床板を踏み抜かない歩き方』なんて分からない。
とりあえずなるべく床に衝撃を伝えないように、そろりそろりと泥棒になったような気分で先輩の後ろを歩いて行く。
それでも、歩く度、ギッギ……と床がきしむ音を立てる度ドキドキと冷や汗が流れていく。
(先輩、良くあんなすいすい歩けるなぁ……)
前を行く先輩の方を見てみると、普通に歩いているようにしか見えないのに、まるで猫のようにさっきから足音一つ立てずにすっすと進んでゆく。
(……この人、本当に普段何しているんだろ?)
――私なんかを真剣に手助けしてくれる底抜けのお人好し。
――だけど、ちょっと意地悪。
――豪邸に住んでいて。
――若いお母さんが居て。
――京 青嵐先生の知り合い?
――小さな頃、海のあるところに住んでいて……
――釣りは下手。
――あ、あと、なんでか分からないけど、ドリームキャッチャーみたいなマニアックな御守りとか持っていて、色々詳しい。
――それくらい。
それくらいなら、分かるけど、変な情報ばっかりで、普段の先輩がどんな人なのか私は知らなかった。
まだ、初めて話してから二日目だ。だから、なにも知らなくても仕方ないって言うのは分かる。
だけど、あれよあれよという間に、こんなうち捨てられた神社の中を二人で探索しているわけで……
(本当、今まで全然構築してなかった対人能力の低さが恨めしいな……)
私がもっと社交的だったら、この時間にもっと色々お話しできたかも知れないのに。
今だって、こんなことを考えている間に、話の一つでもして、なんでこんなに協力してくれるんだろうとか、どんな人なのかもっと知ることが出来るだろうに。
……ずっと、人と関わるのを避けていた私は、何を話せばいいのかが分からない。
自分の情けなさにちょっと憂鬱になりながら、私は先輩の後ろから横合いの部屋の中を覗き込んだりしながら歩いて行く。
どの部屋もあらかた家財はすべて運び出されているようで、なにもめぼしいものは残っていなかった。完全に廃墟の建屋が残ってるだけという感じだ。
――そのまましばらく歩いて行くと、先輩が一つの部屋の前で立ち止まった。
先輩の背中の横から顔を覗き込ませて、手に持った懐中電灯で部屋の中を照らす。
……雨漏りでもあったんだろうか?
部屋の中は妙に湿度が高く、むっとするような木のにおいが立ちこめていた。がらんとした空間に、薄黒く水気をおびて朽ち果てようとしている机だけがある。
(この部屋も、なんにも無いみたいだね……空振りかぁ……)
そう思って、少し部屋の中に踏み入れていた先輩が出てきやすいように体を引いた。
――しかし、先輩はそのまま部屋の中にどんどんと入っていく。
(――え!? 今まで部屋に入ったりしなかったのに、どうしたんだろう?)
「せ、先輩!? どうしたんですか?」
「――ん? いや、そこにある本がなにかと思ってな」
(……? ――本なんて、見当たらなかったけど……?)
そう思いながら、先輩が朽ち果てかけた机の上を指すから、そっちに再び懐中電灯を向ける。
「本? 本なんて何処に……。――ありますね……」
(――あ、あれ? あった)
なんでさっきは見落としていたのか、机の上にとてもわかりやすく湿気を吸って古びた一冊だけ本が置かれている。
先輩は部屋の中を警戒するように見回した後、ゆっくり机に近づいていき、懐から取り出した布で本を包んで手に取った。
「――流石にこの暗さでは、読むのは無理か……すまない。灯りを貰えるか?」
「あっ、今そっち行きます」
そういえば、もうほとんど懐中電灯の明かり無しでは真っ暗なのに、先輩の電灯を借りたままだった。
慌てて、ミシミシ嫌な音がする床の上を歩いて、先輩の横に並ぶ。
そして、横から先輩の手元を覗き込むよう懐中電灯を向けた。
「なんて書いてあるんでしょう……?」
和綴じの本の表紙には、湿気に晒されていたせいか、滲みかすれかけた字でうっすらと何か書かれている。
「――良かったな。アタリだ。『美岬宝珠記』と書かれているように見える」
私と違って、表紙の文字が読み取れたらしい先輩が、嬉しそうに私に向かって本を少し寄せた。
なんとか私も読取ろうと、眼鏡の下で目を細めてじっと眺めてみる。
(――言われてみれば、そんな風に読めないでもない気がするけど……)
表紙に書かれている文字は、確かに先輩の言ったとおりに読み取れなくはない。
ただ、その漢字が『見崎』ではなく、『美岬』に見えた。
「先輩。見崎の漢字が違うように見えるんですけど……」
「ああ、それは大丈夫だ。『美しい岬』と書く『美岬』の表記は、昔の書き方だ。さっきのバス停があっただろう? あの辺りから見る風景が美しいことから『ミサキ』と名付けられたのだよ。それが途中から表記が変わって、『見る崎』と書いて『見崎』になったわけだな。この見崎というのにもまた由来があるのだが――」
ギリギリ……ミシッ……バキッ……
先輩が興奮した様子で語るうちに、二人分の体重を乗せた床板そして、部屋全体が連鎖するように、嫌な音を立て始めていた。
(――これ……下手したら崩れるんじゃ……)
嫌な予感に顔を引き攣らせながら、天井に懐中電灯を向ける。
すると、水がたまったビニールシートのように、薄い板で出来た天井がこちらに向かってたわんでいる。
「……それについてはまた今度だな。――出るぞ? いや、しかし……ただ立っているだけでこれとは中々……」
「――何呑気な事言ってるんですっ!? 先輩、早くッ! 出ましょう!」
「――だな。……それっ!、走れっ!」
先輩の言葉に押されるように、とっさに体を反転させて走り出す。
――多分、ここまで焦りで顔を引き攣らせたのは、今までの人生であんまり経験が無い。
夢の中で白い手から逃げるときだって、恐怖で顔が強張っていた自覚があるが、こんな風に映画で崩れていくダンジョンの中を走り抜けるような気分は、まず日常生活で味わうことがないものだと思う。
(――え、映画の最後で爆発に巻き込まれる人って、みんなこんな気持ちなんだ……)
ついさっきまで居た部屋の天井が周囲を巻き込みながら落ちる音を聞きながら、私は必死に現実逃避しながら床を踏み抜いて転ばないよう注意して、廊下を走っていく。
(……あ……ちょっと、視界が滲んできたかも……)
恐怖のせいなのか、興奮のせいなのか。
走りながら、悲しいわけでもないのに、よく分からない涙でじんわりと目頭が熱くなってくる。
(――ていうか、先輩、ちゃんとついてきてるんだろうか?)
ふと、後ろをついてきているはずの先輩が気になった。
だが、気になったところで、後ろを振り返る余裕はなく、ただ涙目になりながらも私は玄関先の扉に向かって走り抜けるのだった。





