第十三話「先輩、モーテルってなんですか?」
「そういえば先輩って、海の近く出身なんですか?」
特に代わり映えもなく続く山道に、話題がなくなる気まずさを感じて、私から話題を振ってみた。
「……なんだ? その奇妙な質問は」
急な話題だったからか、先輩のいぶかしげな声が後ろから飛んでくる。
「いえ……さっきのほら、一番初めに入ったお店あったじゃないですか? ああいう所にすっと入っていったから……」
「――ああ。そういうことか……まあ、近いと言えば近かったか。小学生の頃まで住んでいた所は、歩いて行ける範囲内に磯も浜辺もあったからな」
「うらやましいですね。私は、あんまり海ってきたことないんで」
(……なんて、ホントは、傷のことがあるから、海に来たいともあんまり思わなかったんだけど)
ただ、テレビで特集とかが組まれていると、チャンネルを変えたくなって……でも、やっぱり見てしまったりすることがあるのは本当だ。
どこか懐かしむように、笑いを含んだ声で話す先輩の話に、ちくりと胸が痛むのを感じた。
(でも、小学生か……この先輩にも、小学生の頃があったんだよなぁ……)
こうして楽しそうに話すところを見ていると、先輩にとっての小学生の頃はやはり充実したものだったのだろうと思う。
(私は、あんまり小学校の頃はいい思い出がないな……あ、でもおばあちゃんに百貨店に連れてって貰ったのは楽しかったなぁ……)
……あとは、三年生の時に遊園地に連れてって貰った時も楽しかった。
あのときは、何故かおばあちゃんが突然遊園地に行こうと言い出したのだ。
(おばあちゃんが、あんまりジェットコースターに乗ろうとするから、必死で止めたんだっけ……)
その後、釣り堀があるのを見つけてやろうとしたら、今度は私が止められたんだけど……
(――そうだ。釣り!)
思い返していく思い出の中に、昔の私がやりたくても出来なかったものがあったことを思い出して、勢い込んで先輩に話しかけた。
「先輩。だったら、先輩は釣りとかもしたことありますか?」
「ん?ああ、あるな。神宮さんは?」
「それがないんです。一度やってみたいんですけど、おばあちゃんが、『釣りは嫌いなんよ』って嫌がって」
「はは……そうか。まあ、釣りは好き嫌いが激しいからな。釣れれば楽しいが、釣れないと虚しさが残る……もっと言えば、他が釣れているのに、自分が釣れないのはもっと悲しいぞ?」
先輩が笑いながら片手で竿をしゃくるようにスナップをきかせた後、もの悲しそうな顔をして見せた。
「そうなんですか?」
「ああ。――昔、釣りをしたことがない奴が家族にいてな。一緒に釣りに行ったら、俺が一匹も釣れないのに、そいつがぽんぽんぽんぽん次々に釣り上げていってなー。あれは辛かった……」
「確かに……それは悲しいかも知れないですね……」
自分がいつまで経っても出来ないことを、隣の人間は軽々とやってのけて、しかもその相手が経験なし。いわゆるビギナーズラックという奴だろう。
(それは……辛い)
「まあ、最終的にそいつがクーラーボックス一杯に魚を釣り上げて、母親から大目玉を食らったというオチがつくんだが……神宮さんも、釣りをするときは後の調理の事も考えてしないとダメだぞ? 料理は得意か?」
「……IHの圧力鍋があるんで、多分食べられるものは作れます」
――料理……思わぬ落とし穴が待ち受けていた。
決して、料理が出来ないわけじゃないが、昔から……『炎』が苦手で、そのせいで火を使っての料理があまり出来ない。
……切ったり、はったり、混ぜたりは得意だ。
ようやく最近、IHの調理器具をおばあちゃんが買ってきて、少しずつ加熱調理を覚えていたところだったのだ。
「IHか。確かにあれは便利だな。――ただ、やはり火が欲しい料理もあるからな……前の家はオール家電にしていたのに、中華を作るために母親が結局業務用のコンロを買ってきて父親と苦笑したものだよ」
(『お母さん』……かぁ)。
今更その言葉で傷つくことはないけど、もしお母さんが生きてたら、そういう事もあったのかなって考えてしまう。
家に帰ると、お父さんがいて、お母さんがいて。
――家で待っていてくれる人が居る。
そんな毎日に憧れがないと言えば嘘になる。
けど、私の傷跡が消えないのと同じように、そんな日が来ることもないのだ。
首から提げた、祖母の形見を軽く握り締めながら、泡沫の誘惑を振り払うように首を振った。
(――ん?)
……そのとき、灰色の何かが視界に入った。
もうすでにかなり暗くなり始めている山道に、よくよく目をこらしてみると、道の両脇にぽつぽつと草の間から顔をだすように、灰色の何かが点在している。
「――先輩。あれ、なんでしょう?」
確認のため、先輩に声を掛けた。
「ん――? ああ、道祖神だな。――ほら、これで神宮さんも見えるだろう?」
チカッとまぶしいほどの灯りが周囲を照らし出した。
突然明るくなった視界に驚きながら光源を確かめると、先輩の手元から光が伸びていた。
どうやら、持っていた懐中電灯で照らしてくれたらしい。
(びっくりした……そんなの持ってきてたんだ?)
「すまない。昔から割と目は良いものでな。もっと早くから点けておくべきだったか」
「ありがとうございます……実は、さっきからうっすらとしか周りが見えて無くて……」
「なら、この電灯は神宮さんが持っておくといい。今くらいの明るさなら、私は問題ないからな」
「――本当に先輩、目いいんですね」
「私の数少ない取り柄と言う奴だ」
戯けたように肩をすくめる先輩から、懐中電灯を受け取り、灰色の物体を照らしてみる。
すると、灰色の物体としか思えなかったのは、苔むしたお地蔵様だった。
見回してみると、あちこちにまるで暗がりに潜むようにお地蔵さんが点在している。
時々、お地蔵様に追いやられるように石碑のような物体も点在しているのが、まるで看板のように見えた。
「ほら、手は如来宝珠を受ける形をしているのに、持っていないだろう?」
先輩が、お地蔵様を指さして、同じポーズを取ってみせた。
確かに、何かものを乗せているようなポーズなのに、そこには何も乗っていない。
そういえば、喫茶店で先輩が話していた時にそんな事を言っていた気がする。
(――先輩のおふざけのせいで、あんまり聞いてなかったけど)
「本当ですね。確か、喫茶店で先輩が話してくれた……」
「――なんだ。ちゃんと話は聞いていたのか。あの時は妙な様子だったからな。覚えていないのかと思ったが……」
「……そんなはずない……ですよ。先輩のお話は楽しいのでちゃんと聞いてますから?」
私の返事を聞いて、からかう口実を無くしたとでもいうように、先輩が少し残念そうにしている。
(――危なかったぁ……!)
もし、私が聞いていなかったら、意地悪な気がある先輩の事だ。
何を言われたものか分からない。
「そうか。まあ、道祖神がここにあるという事は、ここが境界だというわけだ。しかし――情報の無い神社に、地蔵菩薩――色々と面倒なしがらみがあったのだろうな……」
先輩は独り感慨深そうにしている。
残念ながら、私はその先輩の感慨を共有してあげることは出来なさそうだ。
(……まあ、神社にお地蔵様って、ちょっと変わってるしね)
そんな適当な感じでとりあえず、自分なりに納得するのだった。
***
「見えたな。あれか」
後ろから、先輩のそういう声が聞こえた。
(え? どこ?)
目の前に見えるのは懐中電灯の届く範囲すべて真っ暗がりである。
「え? 先輩……どこです?」
「もう少し進めば見えてくるはずだ」
自身を持って断言する先輩の言葉に従い、そのまま歩いて行くと、微かにぼんやりとした光が見えた。
(……ほんとだ。あんな遠くにあるのに、先輩よく見えたな)
「見えました。――良かったですね。灯りがついています」
「そうだな。大分、暗くはなっているが、まだ六時過ぎのはずだからな」
「……まだ、そんな時間だったんですね。なんだか、これだけ暗くなってくると、時間の感覚がおかしくなります」
「まあ、人間、明るさが変わると、時間の感覚がおかしくなるからな……」
先輩とそんな雑談をしながら、神社に向かって近づいていく。
だんだんと、ぼんやりとした灯りが大きくなってくる。
(――あれ?)
「あ、あの……先輩、あれ、なんだかおかしくないですか?」
ソレに気がついた瞬間、ぞわりと首筋の辺りの産毛が逆立つような感覚がし、両腕に鳥肌がたった。
寒くも無いはずなのに、思わず、制服の袖の上から両手をすりあわせる。
「ふむ。気づいたか。――ということは、これは、私の錯覚ではないようだ」
どうやら、先輩はとっくに気がついていたらしい。
そりゃあ、そうか。先輩は私よりも目がいいのだ。私より気がつくのは早いだろう。
(――でも、だったらもっと早く言ってくれても良かったんじゃないかな)
もう随分と近づいてきた灯りを見ながら、先輩の呑気な声に思う。
さっきから私達が目印にしていた灯りは、妙に広い範囲で輝いていて、軽く開けた土地の周りを照らしている。
それはとても神社の窓から漏れ出た程度の灯りではなく……
――神社自体――建物自体が光り輝いている灯りだった。
「場末のモーテルじゃあるまいし、まさかこんなところで観光客向けのライトアップという訳でもあるまい」
(――モーテル?)
冗談めいた様子で先輩が言うけど、生憎よく意味が分からなかった。
だから、とりあえず、せめて冗談だと思われる点にだけは突っ込んでおこう。
「――先輩、私は建物の壁自体が発光するライトアップは見たことありません」
「――ふむ。私もだ」
先輩は一瞬黙り込み、感心したようにふっと笑うと、妙に自信満々な様子で、納得いったというようにそう断言したのだった。
「しかしまあ、不可思議な現象の原因を究明に来ているのだ。このような珍妙な現象に行き遭うというのは、考えようによっては幸先が良いかもしれんぞ?」
あっけらかんと言い放つ先輩は、この光景をみて恐怖とかそういうものを抱かないのだろうか?
私は、正直もうここで引き返して帰りたいなとか正直考えてしまう。
たぶん、気楽な調子の先輩がいなかったら、もうとっくの昔にとって返しているだろう。
――確かに悪夢は怖い。
でも、目の前で現在進行の『現実』で体験している現象も、負けず劣らず恐ろしい。
「まあ……確かにそうかもしれないですけど……で、でも、先輩みたいにさっぱり割り切りのはちょっと……」
微かに声が震えるのを自覚しながら、若干後ずさりする私に先輩は苦笑してみせた。
そして、冗談めかしていた表情を、急に真剣なものにすると、私の事を正面からじっと見つめて口を開いた。
「……怖いか? 確かに怖いかも知れんが、私は現実にこんな現象が起こっているのに、そのまま放置している方が恐ろしくてな。――本当に悪夢だけで済んでくれるのかと不安になっているのだよ」
――脳裏に浮かんだのは、今朝起きたときに見た部屋の光景。
はじけ飛び、床の上に飛び散るドリームキャッチャーの破片。
……そうだ。そもそも、悪夢はすでに『現実』のものになっているのだ。
そう思うと、目の前の光景と、今朝体感した衝撃が、今までに無い現実感を持って押し寄せてきた。
(もし、今朝の現象を引き起こしたなにかが自分に向かったら?)
部屋の中で、引き裂かれて、血の海に沈む陰惨な姿の自分を幻視した。
――私の頭部が虚ろな瞳で、醜い火傷跡を晒していて……
「――っぅ」
這い上がる吐き気を押さえ込むように、視線を地面に向ける。
とっさに浮かべてしまった想像は、嫌になるくらい解像度が高くて……
――まるで本当に殺された私を見ているような気がした。
「どうしても、怖ければ、ここで待っていてくれてもいい。――だけど、俺はあそこにいかなくちゃいけない」
先輩の、優しくて、でも決然としている声に誘われるように、少し視線を上げる。
(――先輩、震えてる?)
だが、途中、先輩の手を見て気がついた。
――その手が微かに震えていることに。
(そうだ。先輩だって、怖いはずなんだ)
さっきから、ずっと冗談みたいな言い方で色々言って居たけど、先輩だってこんな訳の分からない状況、怖いに決まってる。
――そもそも、先輩は私からお願いされなかったら、なんの関係もなかったはずなんだ。
それなのに、私よりも前に出ようとしてくれていて……
「……ごめんなさい。――大丈夫です。行きましょう。穂積先輩」
「――いいだろう。だが、本当に無理はするなよ? ――私の後をついてくるといい。なんだったら、制服の裾でも掴んでて貰っても構わんぞ?」
それは、ついさっき麓で先輩が口にした言葉の焼き直しで、だけど、その前後が変わっていて。
――つまりは、危ないところは自分が先に行くと言っているわけで。
そして、最後は下手な冗談のように笑いながらで……
(――そうか……さっきから、変な冗談を言ってたのって、私が怖がらないようにするためだったんだ……)
「ありがとうございます……!」
気がついた瞬間、なにかぐっと押し寄せるものがあったけど、どうしていいか分からず、ただ私は感謝を込めて頭を下げるのだった。





