第十二話「先輩、私、貧弱なんかじゃないですよ!」
キン……コーン……という間の抜けた音が響き、ガタガタと揺れながら窓の向こうの光景がゆっくりと止まっていく。
――どうやら、車内に居た私達以外の最後の客が降りるらしい。
……私達は、見崎町に向かうバスの中に居た。
右肩に感じる熱を避けるように、傷のある顔を窓の外に向けて先輩の顔を見ないようにしていた。
(ああ……! もう……っ、なんで私座席に座っちゃったんだろう……)
エンジンのガタガタとした揺れが伝わり、小刻みに揺れ動いている窓枠を見ながら、一時間ほど前の自分の行動を激しく後悔していた。
放課後、先輩と待ち合わせていた私達は、二人して近くのバス停からバスに乗り込んだ。
今まで使ったことのなかった学校の近くのバス停は、同じ浅間高校の生徒で溢れていて、乗り込む端からどんどんと席を詰めて座っていくのだった。
そんな中、私達も並び順の問題として、車両左側の二人席に腰掛けることになったわけだ。
(――順番的に、座らない訳にはいかなかったけど……知ってたら、乗り込む順番を調整したのに……!)
今更後悔しても後の祭りである。
その後は、バスが進むにつれて段々と乗客の数も減っていき――今は二人きり、がらがらのバスに乗っている私達ができあがったわけだ。
『――車内も空いてきましたし、ばらばらに座りましょうか』
そう言えばいいだけなのかも知れないけど、なんだかそれは先輩の事を邪険に扱っているような気もして言い出しづらい。
そんな訳で、時々先輩が振ってくる話に気もそぞろに答えながら、ずっと窓の外を見つめ続けているわけである。
ちらりと、窓が微かに反射する先輩の姿を見てみると、端正な顔の眉間にシワを作りながらなにか考えている様子である。
制定鞄の中から何か取りだして、制服の中に手を突っ込んだりしている。
(――そういえば、男子のブレザーには内ポケットがあるんだっけ……?)
見た目は同じデザインなのに、やっぱり細かなところで違うんだなぁ……と自分の胸元をポスポスはたきながら考えていると、作業を終えたらしき先輩が、前の席の背もたれに着いたボタンを押した。
コーン……
相変わらず軽い電子音が鳴り響き、窓枠につけられたボタンが発光する。
「さあ、ようやくのご到着だ――行くとしようか」
「はい」
減速するバスの中を立ち上がる先輩に返事をしながら、私も立ち上がるのだった。
【走行中は、席をお立ちにならないようにお願いいたします】
――録音された自動音声に注意されたけど。
(……ごめんなさい)
心の中で謝った私は、気まずい思いで立ち上がりかけ、半分腰を浮かせた中途半端で微妙な体勢のまま、車が止まるのを待つのだった。
***
「……さて、とりあえず来てはみたが……さて、目標は見崎神社として、まずは聞き込みもしておくとしようか……」
「っ……」
――先輩の前でバスを降りると、吹き抜けた潮風が髪の毛をはためかせた。
(――まずいっ)
とっさに慌てて前髪を押さえながら、風に背を向けるように体を向けると、目の間には赤い日暮れの海が広がっている。
(――四月の海に吹く風は、肌寒いんだ……)
小学校の遠足くらいでしか、今まで、海に来ることがなかったからだろうか?
何となく『海は暑いもの』という印象があったが、今もブレザーの裾を膨らませている風は、随分と冷たく、寂しさをまとっているようだった。
「――聞き込みですか?」
一瞬、物思いに耽ってしまっていた意識を、先輩との話に戻す。
前髪を押さえたまま先輩の方を振り返ると、先輩はこちらをじっと見つめていた。
(先輩も、海が気になるのかな?)
なんだか、厳めしい話しぶりの先輩が、海を前にそわそわしているように見えて、おかしくて口元が緩んだ。
口元の緩みがばれないように、質問をしながら愛想笑いを浮かべて誤魔化す。
「……ああ。実は、放課後までに少し見崎神社について調べてみたのだが……どうも神祇院の情報にもなくてな。まあ、神社本庁に加盟していない単立神社なのだろうが、本当に存在するのか疑わしいほど、物の見事にさっぱりだ……」
「わざわざ、そんな事してくれてたんですか?」
――今日は放課後すぐにバスに飛び乗ったんだから、調べる時間なんて休憩時間しか無かったはずだ。
ということは、先輩は恐らく休憩時間をつぶして調べてくれていたのだろう。
「――進展は何もなかったがな」
「いいえ。ありがとうございます」
肩をすくめながら先輩は自嘲気味に笑うけど、私なんかのためにそこまで真剣になってくれていることが嬉しくて、自然に頭が下がった。
「……さ、さあ、ひとまず、その辺りの店で食糧の買い込みついでに見崎神社と宝珠について訊いてみようではないか」
「――はいっ!」
そういった、先輩はつかつかと近くの『オキアミあります 生』と看板が置かれた、いかにも個人経営といった商店へと入っていった。
(――そこっ!? ……そこに人の食べ物は売ってるのか……?)
どうみても、人の食べるものより魚が食べるものの方がたくさん置いてそうなお店である。
(オキアミ……だったら嫌だなぁ……)
嫌な想像が浮かぶのを振り払いながら、私は先輩の後ろに着いていった……
***
「――見崎の宝珠伝説? それだったらアレ――あーあの……カミさんの……ああ、そう、見崎神社。あそこに行ったらいい」
――ちゃんと、食べ物も売っていた。
薄暗く、微かに生臭――失礼。海の香りがする店内に入ると、意外にも中はコンビニとあまり変わらないように、棚の上に商品が陳列されていた。
どうやら、釣具や釣り餌が売っているだけで普通のお店とあまり変わらないらしい。
先輩は戸惑った様子もなく、固形のクッキー状の栄養補給食品とお茶を手に取り、店員の所へと持って行く。
そして、慌てて先輩と同じものを持って並ぶ私の前で、会計の間に世間話の如く話し始めたのだ。
――だが、一番今私を困惑させているのは、そんなことではなく、目の前の光景だった。
「それが、実は他の方からも聞いて見崎神社の場所を探しているのですが、なかなか調べても情報が見つからなかったもので……もしよろしければ教えて頂けますか?」
(――先輩が敬語話している!)
いや、当然先輩も馬鹿な人じゃない。それに、そもそも普段は敬語ぐらい話してるはずだ。
しかし、私が出会ってから今まで、ものの見事に敬語を話すところを見ていなかったからだろう。
その光景は酷く不可思議なものに思えた。
(――違和感が凄いっ!)
「ありがとうございました」
「気ぃつけてください ――お待たせしました」
「あ、すみません」
私がひどく失礼な感想を抱き、固まっている間に先輩は聞き取りを終わらせたらしい。会計の終わった商品を持って、店の出口の辺りで私を待つように立ち止まっている。
ぼうっとしていた私は、慌てて会計を済ませて、先輩に追いついた。
「――まさか一発目で場所まで分かるとは思わなかったな」
「やりましたねっ!」
幸先のいいスタートに、私は素直に喜んでいたが、先輩はどこか浮かない顔をしている。
「……念のため、後数件回っておくか。神宮さんは、店の外で待っていてくれたらいい」
「え? あ、はい。分かりました」
そのまま、先輩はふらっと何軒かのお店や民家に声を掛けていく。
一件、二件と回るにつれて、なぜか先輩は不思議そうな顔になっていく。
漏れ聞こえてくる声を聞く限り、どの住民も愛想のいい様子で教えてくれているようなのにだ。
「あの、先輩……どうしたんですか? さっきから、何度も聞いてますけど、一体なにが……」
「ああ、いや、大した話じゃないんだが、さっきから全員が同じ返事をするので不思議な気分になってな……見崎の宝珠伝説は珍しい話題のはずなのだが……」
「同じ返事ですか……?」
同じ返事が返ってくるということは、その答えが確かだという事なんだろう。
珍しい話だと思っていたところがすんなり帰ってきて不思議ということだろうか?
(ひょっとすると、この町では有名だけど、他の町まで伝わらない……とか?)
「しかも、宝珠伝説についてはまったく語らずに、神社に行けの一点張りでな……いや、実は昔少しだけ見崎町の人間に聞いたことがあったんだが、なかなか知っている人間に会わなかったのだが……考えすぎか」
首を傾げる先輩の姿に、理由の分からない不安感を覚えた。
確かに、本当に今まで調べてみて知っている人に出会わなかったのだとしたら、いまここで立て続けに知っている人物に出逢うというのは少々気味が悪い。
「……前に聞いた時は、運が悪かったとか?」
「――なるほど。ならば、さしずめ今日の同行者は幸運の女神という訳か」
「ははは……そんな良いものならいいんですけどね」
からかうように笑う先輩の評価に、温度の低い笑いが漏れた。
(――どっちかというと、私は疫病神の類いかな)
――ああ、でもなんだかんだで今まで無事に生きているんだから、幸運なのかも知れない。
(でも、周りに不幸を持ってくるって事を考えたら、やっぱり疫病神の方が近いんだろうな……)
「とにかく、言われた場所に行ってみるしかないか」
「神社の場所は何処なんですか?」
すでにかなり暗くなってきている空を見上げながら、ようやく納得したように歩き出した先輩の背中に神社の場所を聞いてみる。
先輩は振り返ると、親指で木々の間に隠れた山道を指し示した。
「ああ、そこの山道を十五分ほど登ったところらしいのだが……神宮さんは大丈夫か?」
どうやら、初めに会ったときの印象はまだまだ強く尾を引いているようで、私の事をよっぽどの虚弱少女だと思っているらしい。
確かに、顔に火傷があったりでインドア派ではあるけど、これでも結構体力には自信があるのだ。
そろそろ、先輩の認識を改めておいて貰いたいところだ。
「大丈夫です。――私、そんなに貧弱じゃないですよ?」
「……そうか。分かった分かった。だが、本当に無理はするなよ? ――私の前を歩くといい」
少しむくれながらの私の言葉は、やっぱり先輩には聞き入れて貰えなかったようだ。変わらず心配そうに、とりあえずと言った様子で、先輩が自分の前に私を誘導する。
(ちょっとでもしんどそうにしたら、すぐに休ませるつもりだな?)
わざわざ前を歩かせる先輩の意図を推察する。
どうやら、私から目を離すのがよほど心配らしい。
(――置いて行かれないだけマシか……)
そう自分を納得させるが、やっぱりどこか不満な私なのだった。





