第十一話「先輩、相談したいことがあります」
『二年A組』
そう書かれた札が掛けられた教室の前で、昨日の昼休みの焼き直しのように私は立ち止まっていた。
さっきのような失態は犯さないよう、今回は入念に身だしなみを整える。制服のジャケットも一度脱いで、何かついているものがないか念入りに確認した。
最後に、ポケットから手鏡を取り出して、前髪の具合を確認して――
(――よしッ……行こう)
決意を新たに、教室に入ろうと引き戸に手を伸ば――
――ガラッ
「――君は、一体さっきからそこで何をしているのだ?」
「~~、~~ッ!!」
私が開けるより先に戸が開かれ、昨日ぶりの先輩が、不思議そうな顔をして、扉を開けようとしている私のごく至近距離に立っていたのだった。
(――ていうか、近いッ!)
慌てて、髪の毛を押さえながら少し後ろに下がって距離を取る。
「……大丈夫か?」
「だ、大丈夫……です」
傷跡を見られるかも知れない予想外の事態にテンパって、飛び退きながら左右に飛び跳ねる珍妙な踊りを披露しながら、変なリズムで脈打つ心臓を落ち着かせていると、先輩はびっくり箱を開けたように驚いた様子でこちらを見つめている。
なんとか言葉を絞り出すと、先輩は変わらず教室の扉を開けたまま、怪訝そうに首を傾げていた。
「……とりあえず…………入るか?」
「……失礼します……」
私の奇行を判断しかねているのがありありと分かる間を開けながら、先輩が取り合えずと言った調子で、私が教室に入れるように身を寄せた。
(……ああ……これ、絶対不審な奴だと思われてる……)
少し身をかがめるようにしながら、こそこそとと泥棒のような気持ちで教室内に滑り込んむ。
(――良かった。誰も居ない)
――どうやら、流石にこの時間に登校しているのは先輩だけらしい。
始業まで後一時間以上有るんだから、当然と言えば当然だ。
少し、ほっとしてため息をついた。
「――随分早くに学校に来ているのだな。いつもこんな時間に来ているのか?」
「違います。そのっ……今日は先輩とお話したくて……」
「『話』……? ああ、かまわんが……とりあえず、そこの席に座ると良い。そこの席の主は、まだまだ登校してこないはずだ」
「ありがとうございます」
先輩は不思議そうに首を傾げていたが、そのまま誰も居ない教室の机を一つ指し示した。
――昨日先輩が座っていた席の隣だ。
人の席に座ることに僅かに罪悪感を覚えながらも、お言葉に甘えて腰を下ろした。
先輩は、昨日座っていたのと同じ自分の席に横向きに座り、こっちと向かい合わせになった。
先輩の机の上には、また古びた洋書が置かれていて、その隣にはメモらしきノートが開かれている。
(……あ、よく見たら、表紙の色が違う)
どうやら、昨日読んでいた物とは別の本らしい。
「――では、用件を聞こうか」
話を聞く体勢を作った先輩が、話の流れを良くするようにわざわざそう問い掛けてくれた。
(どこから話そうか……やっぱり、まずはお礼からかな)
何から話し始めるべきか、しばらくの間考えるが、やはり常識として昨日の御礼から言わないといけないだろう。
話しやすい空気を作るためにもまずは昨日の御礼を伝えることにした。
「先輩、昨日は本当に色々とありがとうございました!」
「ああ、なに、気にすることはない。――昨日は、よく眠れたか?」
「はい。おかげさまで、ぐっすり。……いい夢も見られました」
「そうか、それは何よりだ」
先輩が、真剣だった表情を少し和らげ、本当に安堵したように、くすぐったそうなふにゃりとした柔らかい笑みを浮かべた。
――こんな先輩に、この上迷惑を掛けないといけないというのが、なんとも心苦しい。
(もし、先輩が不快そうにしたら、すぐに話すのを止めよう)
そう決意しながら、本題に入っていく。
「はい――ただ、その夢にも関連して、先輩に相談したい事があって……」
「相談? いいだろう。私で力になれることなら聞こう」
「その……その前に、謝らないといけないことがあるんです」
二つ返事で承知してくれた先輩の言葉に、じんわりとした暖かい気持ちを感じながらも、先に言わなくてはならないことを伝える為に言葉を続けた。
……間違っても、『壊してしまった事のお詫びに適当な事を言っている』と思われないように、先に謝らないといけない事は、先にきちんと謝っておくことにする。
巾着袋の中から、ばらばらになってしまったドリームキャッチャーの入った袋をおずおずと取り出す。
……正直、せっかく頂いたものを壊してしまって、罪悪感が酷い。
「……せっかく先輩から貰ったドリームキャッチャー、ばらばらに壊してしまって……」
「……これはまた、随分と景気よく壊したな……」
あまりのぼろぼろぶりに、先輩が唖然とした表情を浮かべている。
貰ってたった一日で壊して持ってくることになった私は、本当に申し訳なくて、穴があったら入りたいと思うところだ。
「――本当に、ごめんなさい!」
「……少し、見せて貰えるか? ――ああ、そんなに謝らなくても良い。頭を上げてくれ」
私が誠心誠意、頭を下げていると、私の前にそっと手が伸びてきた。
恐る恐る、ドリームキャッチャーの入った袋を先輩の手の上に乗せる。
先輩は、受け取ったドリームキャッチャーを手に取り、顔を近づけながら検分するようにじっと見つめている。
――段々とその表情が険しい物へと変わっていった。
(やっぱり、怒ってるよね?)
様子をうかがっていると、大きく首を傾げた先輩が口を開く。
「――壊れた状況を、詳しく教えて貰えるか?」
一応、どういう状況で壊れたのかを、詳しく聞いてくれるらしい。
情状酌量してくれるかも知れないと言うことなんだろう。
……でも、どう説明すれば良いのか。
『夢の中で何かが迫ってきていて、そいつが引きちぎったみたいなんです!』
――馬鹿にしているのかと言われるに違いない。
「……なにか、異常事態……不可思議な事態でも起こっているのか?」
「――え? な、なんで……」
黙り込んだ私に向かって、先輩はまるで私の葛藤を見透かしたかのようにそんな質問を投げかけてきた。
「――この糸の切れ方は、何かで切った訳ではなく、引きちぎられた物だ。それに、石の割れ方なんぞ、高熱が瞬間的に加わって内側からはじけ飛んだような壊れ方をしている。……それも、すべてだ。少なくとも、ちょっとやそっとでこんな壊れ方をする理由が、私には思いつかんのだが?」
(――いや、冗談……だよね? ……そんなところまで、一瞬で気づいた?)
とんでもなく予想を上回った考察を返してくる先輩に、思わず言葉を無くして呆けてしまった。
すると、先輩は言葉を失う私をみて、大げさなほど悲しげに顔を伏せ、やれやれという風に頭を振った。
「――いや、無論、君がストレス発散のために男顔負けの膂力を発揮して編まれた糸を引きちぎり、ぶら下げられた石を一つ一つ取り外して丹念にバーナーであぶって粉砕するなどという、偏執的な嗜好を持っていたというのなら、それはそれで驚嘆を持って納得するが?」
「――そ、そんなことするかっ!」
「――だろうな。第一、それならこうして朝も早くから謝りに持ってきはしないだろう」
思わず素で突っ込んでしまった私に、『当然』という様子で、先輩は笑いながら補足した。
私を和ませるためだっていうのは、分かっている。
……分かっているが、先輩の冗談に流石に一言思わずには居られない。
こう――もうちょっと他に言い方はなかったんだろうか?
(今回は、素で突っ込んだのは別に悪くない……それとも……私、そんなことしそう……なのかな?)
乙女の名誉の問題として、複雑な内心で言い訳するのだった。
「――さて、実際の所何があった? 聞こう」
真面目な表情に戻った先輩が、今度こそ本当の話を聞きだそうと促した。
まだ、本当に話して大丈夫か不安ではあったけど、幾分か軽くなった気分に後押しされて、私は昨日あったことの説明を始めたのだった。
***
「――なるほど……それで、夢枕に立った御祖母様の言葉に従って私の所に来たという訳か……いや、なるほど。冗談のつもりだったのだが、中々に面妖な事になっているではないか」
「……すみません。こんな妄想みたいな話、信じられませんよね……」
少し戸惑ったように、机の上に置かれた蓋の開いた木箱を見ながら考え込む先輩から、隠すように顔を伏せた。
話すうち自分でも恥ずかしい妄想を語っている気分になってきたのだ。
(ああ……今すぐそこら辺の埃になりたい)
昨日の掃除当番が適当だったのか、床に落ちている埃の塊を見つめながら思った。
「――いや、まあその様子を見て嘘だとは思わんよ。それに、ドリームキャッチャーが不可解な壊れ方をしたのは事実だしな。ならば、真剣に考える必要があるだろう……時に、御祖母様は、私に頼るように言ったとき、『神様に連なるもの』と言ったのか?」
「――え? は、はい。そ、その、なんでそんな事を言ってたのかは分からないんですけど……」
頭の中で妄想の埃と戯れていた私は、『真剣に考える』と断言してくれた先輩に驚いていた。
どうやらこの先輩は、こんな妄想としか思えない話をしているのに、頭から否定せずにきちんと信じて考えてくれるらしい。
ただ、やっぱり自分に関わるところは気になったのだろうか?
夢の中でのおばあちゃんの言葉を確認してきた。
確かに、なんでおばあちゃんはこの話を先輩にするように言ったのか、本当に訳が分からない。
ただ、話せば先輩が何か分かるかもと思って、あるがまま私は話したのだった。
「ふむ……『魔法使い』ではないんだな?」
「『魔法使い』……?」
変わらず真剣な表情で、メルヘンチックな単語を発して確認する先輩に私は首を傾げた。
(――聞き間違いじゃ……ないよね?)
『魔法使い』という単語から連想されるのは、山高帽を被った仙人のような姿をした老人が杖を持っている姿だ。
「――なるほど。その反応を見るに関係はないか……いや、しかしそれなら……」
それから、先輩はひとり思考するように、ブツブツと小声でなにか呟いている。
なんだろう。なにか、思い当たることでもあったんだろうか?
(『――実は私は魔法使いなのだよッ!』とか、突然そんな秘密でも告げられたら、どうしよう……)
考え込む先輩の横で、落ち着かない気持ちで黙りこんでいると、珍妙な妄想をしてしまう。
頭の中で先輩が、ドラキュラ伯爵のような服装に身を包み、月夜をバックに笑っていた。
(――いくらなんでも、真面目そうな先輩がそんな夢見がちなことないよね? あ、でも……話し方とか、ちょっと変わってるし、ひょっとして……)
――こっちから頼っておいて。多分真面目に考えてくれているのだろう先輩に、大変失礼な事を考えてしまった。
その間も、先輩はずっと考え込んでいる様子で、こちらになんの注意も払わずに集中している。
「あの……先輩?」
まるで、私がここに居るのを忘れてしまったように黙考する先輩に、不安になって声を掛けた。
私の声に、ようやく考え事から戻ってきたらしい先輩は顔を上げる。
「ああ、すまない。御祖母様の言葉の意味が計りかねてな……なぜ、私なのかということが……」
「――ッですよね! すみませんでした」
(わああああああ、やっぱり先輩何にも関係ないじゃないか!?)
困ったように眉根を寄せる先輩に、申し訳ない気持ちで一杯になりながら、机の上に置いたものを慌てて片付けようと、手を伸ばす。
(――そりゃあ、こんな話訳が分からないに決まってるよ)
普通の人に、『貴方が特別な力を持っていると聞きまして』なんて相談行くなんて、頭のおかしい人と思われたっておかしくない。
――は、早く、片付けて、立ち去ろう。
「いや、一旦落ち着け――だれも、手伝わないとは言って居ないだろう」
バタバタと慌てている私を、先輩が右手を挙げてそのまま留まるように言った。
そういって優しい声を掛ける先輩は、どこか心外そうな表情で唇をとがらせている。
その顔をみて、私はぴたりと手を止めた。
「――でも、こんな変なお話し」
「『変なお話し』だろうが、おとぎ話だろうが、今、神宮さんは困っているのだろう? ならば、なんとかするようにしなくてはなるまい。――乗りかかった舟だ。途中で引きずり下ろしてくれるなよ?」
「――それじゃあ……!」
――まさか、本当に、一緒になって考えてくれるのだろうか?
こんな馬鹿げた話を? 自分になんの義理もない妄想話を?
「ああ。とりあえずは次に夢を見るとき……つまりは今日が問題か……放課後は開いているかね?」
「ああ……ッ! はいっ! ありがとうございます!」
「時間が無い中、力になれるかは、分からんがね? ひとまず、現場に行ってみるしかあるまい」
そうして、先輩が示したのは、宝珠の納められた木箱の蓋、その裏側だった。
――そこには小さく、消えかけた筆文字で『見崎神社』の文字が書かれていた。





