第九話「先輩、おばあちゃんに会えました」
――カラカラと、ビーズ同士が乾いた音を立てながら、窓際で先輩から貰った悪夢除けの御守り……『ドリームキャッチャー』が揺れている。
読み終わった『妖き語り』をベッドサイドに置きながら、月明かりに照らされた装飾を見つめた。
壁に掛けられた時計を見てみると、もう十一時を過ぎている。
(これは……次の巻を読み始めたら、寝れなくなるんだろうな……)
読み終わった本の横に積み上がった、まだ読み終わっていない本の山を見ながら、読後の後を引く満足感を味わっていた。
(……うぅっ――もっと読みたい)
――そう思うけど、これ以上読んだら、きっと今晩は眠れなくなってしまう。
それは、わざわざ御守りまで用意して体調を案じてくれた先輩に申し訳ない。
それに、まだまだ冊数はあるとは言え、せっかくの本をこんな短い時間で読み切ってしまうのは勿体ない気がした。
(うん。やっぱり、もう、今日は眠ろう。今日は悪夢を見ないで済む気がするし)
決心して、枕元でオレンジ色の柔らかな光を照らしている読書灯を消した。
すると、先ほどまで窓際だけを照らしていた月明かりが、部屋全体に差し込んで見える。
――ドリームキャッチャーの木枠が、丸い影を壁に落としていた。
(――見崎町の宝珠か……)
丸つながりで連想したのは、やはり夢のこと……それから、先輩から聞いた話だった。
(……おばあちゃんの友達が居たのって、見崎町だっけ)
おばあちゃんは、度々一人でふらっと出かける事があった。
そうして帰ってくると、いつもお土産を買ってきてくれるのだが、随分遠い所のお土産を持って帰ってくることもあっていつも不思議に思っていた。
そんなある日、二、三日出かけてくるといって、おばあちゃんが見崎町に行ったことがあったのだ。
(『近場なのに、何日もどうしたの?』って聞いたら、『友達にお別れ言ってきたんよ』と言ってたっけ……)
風呂敷包みを大切そうに抱えながらそういうおばあちゃんは、あまり見たことがないくらい、悲しそうに見えた。
(あの時は、悪い事を聞いたなって、思ったな……)
悲しそうにするおばあちゃんに、なぜだか病院でみた姿が重なって、それ以上なにも聞けなかったのだ。
(そういえば、あの箱、何処にしまったんだっけ……)
つらつらとそんなことを考えていると、段々と瞼が重たくなってきて、じわじわと世界が遠のいて行ったのだった。
***
――真っ暗な世界に、私は居た。
ハァ、ハァと、闇の中どこか遠くから、獣じみたナニカの息づかいが聞こえる。
明らかにそのナニカは私に向かって視線を向けていて、こちらに来ようとする突刺さるような意思を感じた。
……あれは、『来てはいけないモノだ』という謎の確信があった。
――しかし、同時に『今日は、絶対に大丈夫』なぜか不思議な安心感もあった。
そのまま、暗闇の中、体を強張らせながら、じっと様子をうかがっていると、どこかから、カラカラという細かな石が打ち合うような音が聞こえて……
――こちらに向かっていた圧力が、すっと和らぐのを感じた。
感じていた圧力が弱まると、今度は目の前にぼわっとした金色の光が集まってゆく。暖かさをもったその光は、集まると、ふわふわと人の形を作り出し、見慣れた姿を現した。
『――おばあちゃん?』
そう、それは見慣れたおばあちゃんの姿だった。
『……咲ちゃん、ごめんなぁ』
光から浮かび上がったおばあちゃんは、小さな頃から何度も何度も聞いた訛りの強い言葉で、いきなり謝ってくる。
――おばあちゃんが謝る事なんて、何もないはずなのに。
『どうして? どうして謝るの?』
『咲ちゃん一人、残してもうた……』
申し訳なさそうに、そんな風に謝るおばあちゃんに私は、力強く首を振った。
――私はちゃんと知っている。
病に伏せりながらも、最後の最後まで私の事を心配してくれていたことを。
病院のベッドの上で、最後の一息、その瞬間まで、私に向かって手を伸してくれたじゃないか。
――だから、おばあちゃんに謝られる事なんてない。むしろ――
『そんなこと言わないで。おばあちゃん、最後まで、ずっと、ずっと、僕の事を心配してくれたじゃないか……ッ! ずっと、っずっと、お母さんと、お父さんの居ない後、僕の親になってくれて……ずっと言いたかったんだ――』
……詰まりそうに、引っ込みそうになる言葉を、少しだけ勇気を出して引っ張り出した。
そう、病院でおばあちゃんを看取るときから、ずっと言いたくて言えなかった言葉あったのだ。
――だけど、この言葉を言うと、本当のお別れになってしまう気がして。
だから、ずっと言えなかった言葉。
この数ヶ月。ずっと、私の中で後悔になってしまっていた言葉。
『ありがとう。――ありがとうございます。貴方に育てて貰って、私は幸せです』
『咲ちゃん……』
言いながら、私は目頭が熱くなるのを感じていた。
堪えきれない雫が、目尻から顎下に向かって流れていく。
遅れて、その量を増やした雫が、頬の傷跡の上を流れ落ちていった。
『咲ちゃん……うちも、トシが先に逝きおって、でも、トシが最後に龍樹様のご加護で繋いだアンタが無事に生きててくれて、最後まで一緒におられて、ほんまに良かった。幸せやったわ。ほんまに――ほんまに、生きててくれて、ありがとなぁ』
……そう。最後まで、ずっと心配してくれていたのは分かっていた。
それでも、心のどこかで不安だったのだ。
こんな、私――おばあちゃんの娘でもないし、見た目も醜く火傷跡のある私が、一緒に居て迷惑だったんじゃないかと。
――目の前のおばあちゃんは夢の中の、私の妄想かも知れない。
だけど、私は目の前にいるおばあちゃんの涙に確かに救われたのだった。
『おばあちゃん……』
『咲ちゃん……』
そうして、私達は二人、本当の親子のように抱きしめ合ったのだ。
***
『――あかん……咲ちゃん、時間があらへんよって、よう聞いてな』
お互い、ひとしきり泣き合ったあと、祖母がはっとした表情で遠くを見つめた。
『どうしたの?』
『もうひとつ、おばあちゃん、咲ちゃんに謝らなあかへんことがあるんよ』
真剣な様子のおばあちゃんの様子に、ドキドキと不安を覚える。
(一体、どうしたんだろう?)
なにか、謝られるような事があったかな。
――しばらく考えてみるが、思い当たる事が無かった。
『うん……なに?』
『咲ちゃん、ここんところ、白い手に追われとるやろう?』
『うん……』
おばあちゃんが続けた言葉は、予想外の物だったが、ずっと気になっていた事だった。
いつも、おばあちゃんが現れると消えていく無数の腕達。
あれは一体何なのか。一体何故追いかけてくるのか。
『あれらは見崎の宝珠を狙うとる』
――『見崎の宝珠』。
……まただ。それは、きっと、先輩が今日喫茶店で雑談混じりに教えてくれた伝承で……
『なんで――? あれは、ただの伝承じゃないの?』
『見崎の宝珠は、実在するんよ。昔、おばあちゃん、見崎の町に行って木箱持って帰ってきたことあったやろう?』
『風呂敷包みに入ってた?』
寝る前に、ちょうど思い出して居たところだった私は、すっと答えることが出来た。
おばあちゃんは、その返事を聞き、満足げに頷いた。
『それや、その中に、見崎の宝珠が入っとるんよ』
『――ほんとうッ!?』
――随分と身近に伝説は転がっていたらしい。
俄には信じられないけど、こんな時におばあちゃんがそんな事を言うって事は、流石に冗談ってことはないはずだ。
『あれは、おばあちゃんの親友の形見でなぁ……自分が死んだら、後ぉ頼む言われとったんよ。そのうちなんとか処分しよう思とってんけど、処分できひんかってんなぁ……』
『……でも、それで、私はどうしたら良いの?』
悔しそうに言う祖母は、ひょっとすると、『友人の形見』の処分が出来なかったのかも知れなかった。
(でも、そんな大事な物、私はどうすれば良いんだろう?)
『ほんまは、本家の凜ちゃん辺りに処理して貰うんが一番確かやねんけど……もう、その時間があらへんねやわぁ……せやから、咲ちゃん……今、園田の旧宅に住んどる子おるやろ? あの子を頼りぃ……』
『――えっと……穂積先輩?』
意外な人物を頼れという言葉に、思わずそれが今日一日一緒に過ごした先輩と繋がるまでに時間がかかった。
『そうや。ほんまに、おばあちゃんがなめたやったよって、やり残しで迷惑掛けてもてすまんなぁ……』
『そ、それは別に良いんだけど……なんで? なんで、穂積先輩がそこで出てくるの!?』
穂積先輩が関わっているという事が信じられなくて、思ったよりも強い口調になってしまった。
おばあちゃんは、そんな私を見て、焦ったように言葉を続ける。
『あの子とは話したことはあらへんけど……あの子はいずれかの名のあるカミさんに連なる子やさかい、絶対力になってくれるはずやよってに……あの子にお力添えを頼みぃ――ああっ、あかへんわ。ほんまにもう時間があらへん』
『おばあちゃん――? おばあちゃん!』
見れば、おばあちゃんが足下から再びきらきらとした金色の粒へと溶けていっていた。
『――ええか? 咲ちゃん、起きたらすぐに宝珠引っ張り出して、あの子の所へ相談に行くんやで?』
『――分かった。分かったから――消えないでッ!!』
今にも消えそうなおばあちゃんに必死で手を伸し、その手のひらを握り締める。
小さい頃に、出かけるときに握ってくれていた手より、ずっと小さくなった手のひらだったが、とても暖かい手のひらだった。
『そういう訳にはいかへんねやわぁ……ほんまに……もうちょっと生きとったら、咲ちゃんが男の子と『お出かけする』所も見られたかも知れへんのに……』
『――ちょっと、……おばあちゃんっ!?』
『――咲ちゃん、幸せになるんよ?』
最後に一方的にそんな事を言って、ニカッと年に似合わない悪戯小僧みたいな笑顔を浮かべたおばあちゃんは、手を振って――消えた。
そうして、段々と私の意識も白に塗りつぶされていって……
――目を覚ました。
(――何だったんだ……今の夢)
いや、確かに悪夢ではなかったよ?
悪夢ではなかったんだけれど……なんなんだあの終わり方は……
――せっかく前半はとても良い感じだったのに……
そう思いながら、幾分か軽くなっている気持ちを実感しながら、目の端に浮かんだ涙を拭った。
そうして、落ち着いて、夢の内容を思い返してみる。
……
…………
………………
(――あああああああああああああ!!)
――後半のあれはなんなの!
(――恥ずかしいっ! 恥ずかしすぎる――っ!!)
耳の辺りが熱を持ち始めるのを感じながら、布団に顔を突っ込ませ、しばらくの間身悶える。
(僕は、心の奥底で、そんな、夢見がちな……馬鹿みたいなこと考えてたのっ!?)
実は、夢の中で追いかけてきている手は、伝説の宝珠を狙ってて、しかもその宝珠がうちにあって、しかもしかも、それから身を守る術が、同じ学校の先輩を……昨日知り合って親切にしてくれた異性の先輩を頼れって!?
(――なんだ!? その白馬に乗った王子様願望!?)
……は、恥ずかしい……
まさか、私としたことがいくら何でもコンプレックスをこじらせすぎて、ちょっと優しくされただけで、そんな事を考えてしまうなんて……自分では割としっかり者だと思っていた分、余計にショックだ。
自分で自分が信じられなくなって、遠くを見ながら、気分を切り替えるためにサイドテーブルに置いたはずの眼鏡に手を伸す。
……すると、そこにあるのは積み上がった本。
――『先輩に貰った』妖き語り。
(……そうかぁ。これを、寝る前に読んだから、ああいう設定だったかぁ……)
――余計に心のどこかにダメージを負うのだった。
気を取り直すように、両手を添えて眼鏡を掛けながら、のろのろと布団から身を引っ張り出し、ベッドから降りて床へと足を降ろ――
「――ッ! って痛ったああああ!!」
――なにか踏んだ。
――硬いなにかを踏んだ。
その場で痛みに反射的に涙を浮かべて飛び上がって、足を押さえながらその場を飛び退く。
そして、今足をおいていた場所を見てみると、青い色をした小さな石のかけらがあった。
(――なんだこれ?)
拾い上げて見てみると、どうやら硬い石のような何かが割れて、鋭くとがった破片になっているようだ。
(こんなの部屋に置いてたかな……?)
疑問に思いながら、視線を上げて――
――上げた先、部屋の中には無数の青い破片が飛び散り四散していて……
――さらに視線を上げれば、窓際には、ぼろぼろになった木の残骸がぶら下がっていて……
――それは、間違いなく先輩から貰ったドリームキャッチャーの残骸だった。
今日の更新分はここまでです。
明日からは一話ずつの更新の予定です。





