そのデジャヴ、前世の記憶につき
前もって言うことでもないかもしれないが、俺は記憶喪失だ。
と言っても生まれてからの記憶は全て残っている。残っていないのは生まれる前の記憶、前世の記憶ってやつだ。
まぁ、前世の記憶を持っている奴がいれば連れて来いって話なんだが、どういうわけか俺は前世の記憶はなくても、前世の知識は持ち合わせている。その知識の中には、記憶の片鱗を呼び起こすものがあり、そのたびに謎が増えていく。
さて、どうしてこんな前置きを持ち出したのかと言うと、シエルが一冊の本を読んでいたからだ。
「前世の記憶を呼び起こす方法? そんな本見ても、お前の前世はまな板か洗濯板なんだから意味ないだろ」
「まな板と洗濯板って、生物でも何でもないじゃないっ! しかもどこ見て言ってるのよ、この変態っ! 私が調べようとしているのはタードの前世よ」
「あえて言おう。お前がその本を調べたところで俺の記憶が呼び起こされることはないぞ。そういうのは本編で起こるものだからな」
「別にいいじゃない。どうせタードの前世なんて本編で語るまでもなかったってことで、ここで適当に記憶を呼び起こしておけば――」
まぁ、確かに。俺の前世って実はただのダメ男だったんじゃないかって説も有力だしな。
この世界に生まれて最初に思ったのは、「夕べ酒飲みすぎたかなぁ」だった。記憶がないのも飲みすぎたせいだって思ってたくらいだし。
俺の死因は急性アルコール中毒じゃないだろうかとさえ思えてくる。
「ということで、タード。前世の記憶を呼び起こしてみない?」
「気軽に言うけどな、お前。どうやるんだ?」
「実は誰にも前世の記憶の片りんってあるものなのよ。はじめて来た場所なのに、どういうわけか前にも来たことがあるって気がすることがあるでしょ?」
「デジャヴ――つまりは既視感ってやつか?」
「うん、既視感だけじゃなく、五感全部ね。特に人間って匂いに敏感だから、嗅覚も重要。既知感って言ったほうがいいと思うわ」
とシエルは何かまともなことを言い始めた。
忘れそうになるが、こいつはダンジョン学園というダンジョンフェアリーが通う学校の首席を務めていた。賢いのは当然だった。
「例えば、花の匂いで思い出せそうなこともあると思うのよ。私が摘んできた花なんだけど――」
とシエルは何種類もの花を並べた。
「これらは世界の多くの場所で咲いている花なの。といってもどこにでも咲いているわけじゃないから、これらの花の香りに覚えがあるのなら、タードはその花の咲いている地域に住んでいる可能性があるってことなの」
「ほぉ、シエルにしては冴えているな」
まぁ、俺が世界中を旅していていろんな花の匂いを嗅いだことがある――というのなら全くあてにならないんだが。
でもどうせ暇だし試してみるか。
と俺はその花々の匂いを嗅いでいく。
「どう? 何か思い出せそう?」
「……懐かしい香りがするな」
「え? 本当?」
「あぁ……懐かしい……普段からお前が主食にしている食べられる花の香りじゃないか」
「だ、だって。どうせ摘むなら食べられる花のほうがいいかなって思って」
「初めて嗅ぐ匂いじゃなかったら意味がないだろうが……そういえば、シエルって俺が最初に来た時にアロマとか焚いてた気がするが、そういう趣味もあるのか?」
「あぁ、あれはリラックス効果のある香草を使ってたの。ダンジョンボスとの交渉がしやすいようにって意味もあって……ってもしかして、タード! その匂いに覚えが――」
「ないな、全く。というか、スライムって鼻がないから微妙に人間と感じ方が違うのかもしれんぞ」
「あぁ、その問題があったわね……あ! でも聴覚は普通に聞こえるんでしょ?」
「耳はないし何をもって普通とするのかはわからんが、まぁ、これは人間の頃とはそう変わらんだろ」
「なら、タード。ちょっと口遊んでみてよ。歌のメロディーって地域によって特色があるから、そこからタードがいた地域がわかるかもしれないわよ」
「曲か……それは困るな」
「困るって……あ、もしかしてタードって音痴だった? 私、そういうのは気にしないわよ」
「いや、困るのは俺じゃなくてお前の方だぞ。俺の知識にある曲って、たぶんストリップバーとかで流れている曲だろうから、その曲がどの店の曲か調べまわるお前が困るだろうなって思ってな。じゃあ鼻歌で口遊むから、ちゃんとストリップバーで――」
「聞いて回らないわよっ! なんでタードはそうなの! 本気でやる気があるの?」
「そう言ってもなぁ。ちょっとその本見せてみろよ」
と俺はシエルから、前世の記憶を呼び起こす本を借りた。
「それ、借り物だから汚さないでよ」
「わかってるよ――なんだこれ、胡散臭いことしか書いてないじゃないか」
と俺は本を捲って何か本当に使えそうなものはないかと見た。
すると、そこにあったのは――
「これなんていいんじゃないか? 『前世の記憶を一番強く持っているのは赤ん坊である。母親に抱かれても泣き止まない子供は、実は前世の母親と目の前の母親との差異に敏感になり泣いていて、そういう赤ん坊は本来なら失われているはずの赤ん坊の頃の記憶を持っている。もしもその記憶の中の母親と本当の母親に大きな差異があるのなら、記憶の母親が前世の母親の可能性が高い』ってやつ」
「え? それでどうするの?」
「俺がお前に抱かれるんだよ!」
「待ってよ、全然違うじゃない!」
「なんでだ? 俺は生まれて一カ月半。赤ん坊といっていい年齢だ。そして俺を召喚したのはお前――つまりお前は母親のようなものだろ?」
「そ、それはそう……なのかしら?」
「そもそもこれはお前が言い出したんだ。協力くらいしろ」
「わ……わかったわよ。でも変なところ触らないでよ?」
とシエルは簡単に折れた。
そして、椅子に座るシエルの膝の上に飛び乗ると、シエルは俺を優しく抱きかかえた。
赤ん坊なんて持ったことはないのだろう。
「えっと、赤ちゃんを抱きかかえる時は二本の足の間に手を通して――ってタードに足はなかったわね」
と本で得た知識をもとにぶつぶつを言っている。
最初はシエルの挙動を確認していたが、飽きてきたな。おっぱいでも吸ってやろうか。母乳が出ないのは知ってるけど。
「タード、何か思い出せそう?」
「んー……この感触ってあれに近いんじゃないかな」
「あれって?」
「母さんの背中に背負われている子供」
と俺が言ったとき、シエルは俺の体を思いっきりぶん投げた。超硬化したため痛みは全くない。
「タード、あんまりバカにしないでよ! そりゃ私の胸はちょっと小さいけど、背中と一緒の扱いってあんまりよ」
「そういう意味じゃない。母親の背中のようで安心感があるなって言いたかったんだ」
「え? そう言う意味だったの? ごめんなさ――」
「嘘だけどな」
「ムキーっ!」
声を荒げて怒ったシエルだったが、怒りつかれたのか、今度は膝を抱えて涙を流した。
「本気でタードの記憶を呼び起こそうとした私がバカだったわ……もう疲れた」
「そう泣くな。記憶なんてすぐに蘇るもんじゃないし、第一、自分が死んだ時の記憶なんてない方がいいに決まってるだろ? それより、腹が減ったな。アドミラのところに行って飯食べに行こうぜ!」
「うん、いくいくっ!」
とシエルは一転、パッと笑顔を輝かせて立ち上がった。
その時だった。
俺の記憶に、涙を流している十歳くらいのシエルそっくりの女の子の映像が蘇る。
一体、なんだこれは――
と思ったとき、さっきまで俺が読んでいた本の項目を思い出す。
『もしも、年上の人の、自分が知らない幼少期の姿が浮かんだとしたら、もしかしたら前世でその人と会っているのかもしれない。袖触れ合うも多生の縁というから』
俺の前世がシエルを知っている?
……まさかな。
「タード、何してるの? 早く行きましょ」
「あ、うん。行くぞ。お前の飯はこの食べられる花だからな」
「ちょっと、私だって普通のご飯を食べたいわよ」
まさかね