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虚ろな月と氷原の夏 2

 夜十時を迎えた町はゴーストタウンとかす。駅からはなれるほどにそれは顕著だ。

 オレンジ色の街灯だけが、シャッターの下りた商店街を照らしていた。

「授業で習ったときから興味があったの」

 店を閉め、バイトも終わったので、再び電車に乗って家に帰る。

 最寄り駅から独り暮らしのアパートに歩きながら、なんでもない会話を続ける。

「耽美ってのはよくわからないけど、恋愛小説なら私は好きよ」

 熱帯夜だった。アブラゼミが夜にも関わらず鳴き声をあげている。風情もないもあったものじゃない。見上げた月にも雲がかかってロマンチックな雰囲気なんて微塵もなかった。

「楽しみだわ」

 普通の女の子みたいだった。

 いや、普通の女の子なのだろう。

 なにも特別なことなんてない、普通に笑う少女なんだ。僕はなにを恐れていたのだろうか。

「……」

 というか、この人、何歳なんだろう。

「どうかしたの?」

 無言になった僕を青い瞳が写し出す。

「いや、別に」

「ねぇ。それよりさ」

「ん?」

「……」

 至極言いづらそうに彼女は頬を仄かに紅潮させて続けた。

「今日、泊まってもいい?」

「いいよ」

「ほんと!?」

「うん。汚いとこだけど」

「汚いところはイヤだわ」

「言葉の綾だよ」

「そう。お邪魔させてもらうわね。ありがとう」

 晴れやかなお礼と共に、お腹の虫の鳴く音がした。

「ぅ」

 リンネだった。

 顔を伏せて、そっと無言で僕を見る。

「なにか買ってく? お腹減ったでしょ? コンビニでいいかな」

「うん」

「明日はちゃんとしたもの食べてから出よう」

「出る?」

「家に帰るんだろ?」

「……」

「どうしたの?」

「なんでもないわ。泣いてなんかないわよ。何よ、その目!」

 普通に泣いてた。

「いや。どうやって君を実家に送り届けるか考えていたんだ」

 リンネは目元をごしごしと擦り、平静を整えてから口を開いた。

「聞かせて」

「バイト中ネットで調べてみた。品川まで電車で行って羽田空港から高知龍馬空港まで飛行機で飛んで、そこから私鉄。すごく高いけど確実だ」

「飛行機乗るの? 修学旅行以来だわ」

「ただ1つ問題があってお金がそんなないんだ。預金残高三万円じゃチケット二人分なんてとてもじゃないけど無理。新幹線を使って岡山ルートから四国に入るのも同じ理由で却下」

「それなら……」

「夜行バスかな」

「バス! いいわ。賛成。それにしましょう!」

「オーケー。帰ったらネットでチケット取ってみるよ」

 便利な世の中になったものだ。


「それは無理ですね」

 僕の提案は謎の人物の冷たい声に切り裂かれた。

「なぜならあなたたちの旅は始まる前に終わりを迎えたのですから」


 街灯がスポットライトのように長身の女を照らし出す。商店街の中心の少しだけひらけた空間だ。女性の姿は絵になった。

「お久しぶりですね」

 夏だというのにコートを羽織っていた。

 青髪のショートヘアー。フレームレスメガネ。モデルのような細身。嫌な予感がする。

「ヒサメ……なんで……そんな」

 隣でリンネが声を震わせた。

 ヒサメ? あの女の名前か。

「クダンの能力は完璧ではありません」

 女の声が闇夜に漂う。

「いくつもある可能性の一つを掬いとるだけならば、理解者はいかようにも未来を変えられるということです。相手に予知能力者がいると知ったなれば、ここでやろうとしてたのを、先にやるだけで未来は変わるものです」

「さすがね……」

「戻りましょう、リンネ。このままではあなたは死んでしまう。ワタクシの力があれば、あなたは生きていられる」

 青髪の女が恭しく手をさしのべる。

「仮そめなんてごめんだわ」

 リンネはそれを仏頂面で断った。

「力づくは好きではないのですが、仕方ありませんね」

 冷たい風が吹いた。

 ん?

 あまりに自然すぎて忘れかけたが、いまの季節は夏だ。

 底冷えするような風が吹くはずがない。

「気を付けて、ヒサメはユキジョロウの先祖返りよ」

 リンネの忠告を僕はぼんやりと聞いた。一歩前に出る。寒気が肌を刺した。

「そこの人は?」

 ヒサメと呼ばれた女が僕を指差す。

 アブラゼミの輪唱は止んでいた。静寂のみが耳を打つ。

「縁あって里帰りを手伝うことになった」

「そうですか。改めてお礼を申し上げます。ですが彼女の事情をご存知ならどいていただけませんか?」

 ちらりと背後のリンネを見る。

「……」

 無表情だった。

「あなたは溝呂木鈴音を理解しているのですか?」

「クダンのことか?」

「ならば話が早い。このままでは彼女は死にます」

 当たり前みたいに言う。

 いまだに僕は信じられなかった。

「あなたが邪魔をしなければ彼女は生きられます。どいてください」

 蝉時雨はいつの間にか止んでいた。

 僕の足は動かなかった。

「なぜどかないのですか?」

「……」

「どいてください」

「少し話を聞かせてくれ」

「話すことなどありません。どいてください」

「事情が全く飲み込めないんだ」

「どいてください。どいてください。どいてください。どいてください。どいてください。どいてください」

 壊れたカセットテープのように同じ言葉を繰り返す女は恐怖でしかなかった。

 不思議と僕の足は棒のように動かなかった。自分でも驚きだ。

「どいてください」

「断る」

「退けっていってんだろぉが、クソガキがぁ!」

 女は懐からペットボトルを取り出すとキャップを外し、中身を僕に向かってぶちまけた。

 夏の夜空に街灯を反射した水滴が飛ぶ。 星空に混じって輝いていた。

「っ!」

 咄嗟にリンネを押し出した僕は身代わりのようにペットボトルの中身を浴びた。

「な」

 劇薬かなにかと思ったが、なんてこともない、ただの水だ。シャツが濡れて肌に貼り付いた、だ、……?

「あ、……」

 冷たい。

 なんだ、中は氷水か?

 振り向いてヒサメの顔を確認しようと思ったが、体が固くて動かなかった。

 関節が固められたように稼働しないのだ。震えだけが起きる。

 首を動かして背後を窺い見る。

「ひっこんでろ、ボケかす」

「冷っ!」

 いつの間にか目の前に立ったヒサメが二本目のペットボトルの水をビールかけさながら、浴びせてきた。

「なにすんだよ!」

 びしょびしょになった髪から水滴が垂れる。手を使って拭いたかったが、うまく動かなかった。

「ワタクシは警告いたしました。聞いていただけなくて誠に残念です。しばらく凍っていてください。まあ、熱帯夜ですのですぐに溶けますよ」

「は?」

「息はできるようにしてあげます」

 口がポカンと開いた瞬間、

 一瞬だった。

 僕の全身は透明な氷に覆われ指一つ動かせなくなった。

「その状態で動くと砕けて死にます。大人しくしといた方が身のためですよ」

 ユキジョロウ。

 リンネの忠告を思い出す。ユキジョロウって、……雪女のことか。

 全身を凍らされた僕は彫像のように固まってしまった。凍傷になってしまう。

「リンネ、戻りますよ」

 穏やかな口調に戻った雪女は僕のことなどすっかり頭から消去したみたいに、立ちつくすリンネに声をかけた。

「戻りたくない」

「言うことを聞いてください。あなたには時間がありません」

「いやよ。残りが少ないのなら自由にさせて」

「延命させます。真の解決法が見つかるまで冷凍睡眠を繰り返せばいいじゃないですか。ワタクシの力と研究所の化学力を持ってすれば、あるいは生きられるかもしれませんよ」

「私は今を生きたいのよ!」

「割りきれ! ボケナス!」

「いや!」

「めんどくせぇやつだな!」

 ヤンキーみたいな口調で怒鳴り散らしたヒサメは大袈裟な動きで僕の肩をがっしり掴んだ。

「言うことを聞かないのなら、こいつの空気穴も凍らせる」

「……脅迫?」

「お願いですよ。あくまでも」

「……悪いけど、その人とは今日あったばかりよ。助ける義理はないわ」

「嘘ですね。あなたは未来予知で何べんもこの男に会っているはずです。いえ、それにつけても電車の中で遺念火いんねんびを気絶させた際、かばったそうじゃないですか」

「そんなの、ただの、気まぐれ……」

「確証にいたるには十分なのです。仮に赤の他人だとしても、あなたたちの運命は交わりあった。虚勢はやめてください、無意味ですから」

 女の手が僕の頬に延びる。間に薄い氷の膜があるためなにも感じなかった。

「……ヒサメ、お願い……」

「ダメです。帰りましょう」

 駄々をこねる妹をあやすような優しい口調だった。

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