夢
自分の休むための部屋に戻ったはずの創が、蒼の部屋へと戻ってきていた。
部屋には、蒼の手を握りしめ、蒼の横で寝てしまっている結の姿があった。
「はぁ、仕方ないやつだな」
溜息を吐いているが、笑っている。押し入れから、掛け布団を出すと結に掛けてやる。
蒼の寝顔を見ながら、鼻歌を奏で始める。店の中に創の歌が響き渡る。まだ休んでいない水精や店の者たちが心地よく聞いている。
蒼の水晶が、小さく光る。
「ん……」
「起きたか」
「創、くん」
蒼が目を覚ました。しかし、声は出ていない。
「どうした?」
「夢を、見てた」
「楽しい夢か?」
「うん」
「なら、もう一度寝て、見ると良い」
「でも」
「大丈夫だ。結は横にいる」
蒼は、横で寝息を立てて寝ている結のことを見つめる。
「歌い、たい」
蒼はゆっくり目を閉じ、深い眠りにつく。光りが戻った水晶が再び濁り始める。
創は、二人の寝顔を見て微笑む。
「夢の中でなら歌える。存分に歌ってきなさい」
創は、小さく息を吸う。
――夢では歌える この幸せを君は感じているだろうか
現実は歌えなくても 大丈夫
夢では歌える その幸せはきっと君の記憶に残る
記憶は変えられなくても 大丈夫
これからを変えるために 夢で歌い始めよう
現実を幸せにするために――
優しく歌い紡がれる創の歌声に、心なしか蒼と結の表情が安らいで見える。
「おやすみ」
創は鼻歌を奏でながら、部屋から出ていった。
――創くんの、歌が聞こえる……。
目を開けると目の前に蒼い空、そして海が広がる。静かに波が蒼の足に当たる。
「ここ……」
声が出たことに驚く。
「声が、出た! 出た!」
大きく息を吸い、歌を奏で始める。誰もいないこの空間に、蒼の歌だけが響き渡る。浜辺に屈み込み、砂浜に何か描きながら歌を続けていると、何かを思い出したかのように後ろを振り返る。
「結!」
だが、そこには誰もいない。蒼は、周りを見渡してみるがやはり誰もいない。ゆっくりと立ち上がると、浜辺を歩き出す。
「結、創くん……誰もいない……」
足元を見つめながら、歩き続ける。白波が優しく足を包み込む。冷たく気持ちの良い波。けれど心は晴れてこない。声は出る。詩も歌える。でも、
「誰もいないのは、寂しいよ……」
立ち止まり、空を見上げる。鳥も飛んではいない。波の音、風の音、そして自分自身の心臓の音だけが聞こえてくる。大きく息を吸い、歌い始める。けれどその歌に詩はない。音を奏でるだけ。
――歌える。でも、結がいないなら歌えても意味がない。
小さく息を吐くと、音を奏でるのをやめる。足に掛かる波を蹴る。ゆっくりと沖の方へ歩いて行く。そして、空を見上げるように海へ倒れ込む。
ゆっくりと沈んでいく蒼。苦しくはない、夢だから。目を開けても目は痛くない。そんなことを思いながら、海の中から空を見上げる。
――もうすぐ、死ぬ。怖くはない、分かっていたから。
「それでも」と、考えていることを止め、大きく息を吐く。大きな泡となり、水面へと上がっていく。
――結のためだけに歌いたい。
この言葉は水精の最高の贈り物。この言葉を贈るためには声が必要。この夢の中で声が出ても、現実で声が出ないのなら、意味がない。
「結、会いたい」
水の底へ沈んでいく蒼。そのまま深い眠りについていく。楽しかったころの思い出が、流れてくる。もう死ぬんだというのが、良くわかる。そんなことを思いながら、夢の中へとおぼれていく。
続く
第六話
ここから蒼の過去へと向かいます。