心
人の心には水精の声は聞こえない。
直接、声を出してくれない限り、人と水精は話すらできない。けれど、蒼と結、この二人は言葉などなくても通じ合えているように思えた。
それほど、二人が一緒に過ごしてきた時間は長いのである。
蒼は、口パクだが「大丈夫」という。
しかし、日に日に衰弱していく蒼を見て、結は心配であった。けれどその心配を表情に出すわけにはいかなかった。結が笑顔でいることで、蒼もまた笑顔でいてくれるから。
「ムラサキちゃん」
「ん?」
シキの食事を作るために台所へ来ている結とムラサキ。
ムラサキは、子猫を抱えているため、台所の入り口に座っていた。
「蒼は、元気になるよね……」
「なんで?」
「最近、また痩せたなって、思って……。それに寝てる時間も長くなってて」
「結」
「……このまま、眠ったまま死んじゃうんじゃないかって、思うと怖くて」
結は、涙を浮かべている。
子猫を床に置くと、ムラサキは結へ近づく。優しく頭を撫でる。
「大丈夫って言ってあげたい。でもね、水精の病気は分からないの。シキですらも悩んでる。だから大丈夫って、言えないんだ。ごめんね」
「ううん、私こそごめんね」
涙を拭う。
「……羨ましいな。ムラサキちゃんも、シキさんも」
「なんで?」
「だって、蒼と話せるから。私は人で、蒼は水精。この壁は本当に厚く感じるよ」
「そう?」
「え?」
ムラサキは、味噌汁を一口だけ飲み味見する。「美味しい」と笑うと、結を見る。
「ムラサキには、二人の間に壁なんかあるように見えないよ」
「……え」
「だって、さっき二人普通に話してるように見えたから」
「話してる?」
「うん。さっきの二人話してた。大丈夫、結と蒼の間に壁なんかないよ」
ムラサキは、笑顔でもう一度結の頭を撫でる。
「ありがとう」と、笑顔を見せる結。
「蒼のためにも、結は笑っててあげなきゃ」
「そうだね」
ムラサキも一緒に笑う。
食事が完成し、お盆に乗せる。
ムラサキは寝ている子猫を抱え、結とともに部屋へと戻る。
縁側に残ったシキと蒼。
「僕、あとどれくらい生きられるかな?」
「……」
「声は相変わらず出ないか?」
コクリと頷く蒼。寂しそうな笑みを見せる
「そうか」
「少し前に、調子が良かった日があったんだけど、声は出なかった」
「……体調が良くなってもダメか」
「うん」
「どうにか出来ないか考えてみる」
「いいよ。あと一回歌えれば、僕はそれでいいの」
寂しそうな表情を見せる蒼の頭を、ガシガシと撫でる。
「そういうことは、言うな。結が可哀想だ」
「……。そう、だね」
蒼は、台所へ向かう廊下を見つめる。
「どうした?」
「……結が、泣いてる」
「……お前には分かるんだな」
「うん、分かる。だから、僕の中に結の痛みが流れてくる。僕が、結を癒してあげなきゃ……いけないのに。いつも僕が癒されてる」
「今はそれでいい。お前が元気になったら結を癒してあげればいい」
「うん……」
蒼は、ゆっくりとシキの方へ倒れていく。シキは蒼の肩を抱くと、ゆっくりと自分の膝の上に頭を乗せる。
起きて話をすることすら、今の蒼には体力を使うことであった。
「お前を治せれば、水精がこの病に苦しむことはなくなる。だから、俺は全力でお前を守ってやる」
廊下の奥から足音が近づいてくる。ムラサキと結が戻ってきた。
「蒼!?」
結が慌てて駆け寄ってきた。
「大丈夫だ。疲れただけだから」
「……そうですか」
安心した結は、シキの隣に座りお盆を置く。
後ろからゆっくり着いてきたムラサキが、結とは反対の方へ座る。
「どうぞ」
「ありがとう」
結は寝ている蒼の顔を覗く。安心したのか、笑顔を見せる。
「美味い」
「ありがとうございます」
シキは食べたそうにしているムラサキにも一口分けてやる。
ムラサキはとても美味しそうに食べているので、結は嬉しそうに笑う。
「さっき飲ませてた薬」
「なんですか?」
「いや、少しずつだが量が増えてるだろ」
「……はい。それでも良くならないんです」
「そうか」
シキが考え込み始めたせいでその場の空気がとても静かになった。
続く
第三話。
人と水精には、越えられない一線がある。
次の話もよろしくです。