歌えない水精
物心ついた時から、この店にいた。同じくらいの年の子が何人もいたけれど、水精は僕だけだった。最初は声が出なくて、もどかしかった時もあった。
「蒼、お腹すいたの?」
同じ年の結。十六という年になっても、一緒に居るだけで、心が落ち着く。
「もう、蒼。しっかり着なきゃダメだよ」
いつも怒られていた。一人になると寂しいという感情が芽生えてくるから、構ってもらいたくて、少し手のかかることをしていた。けれど、結は怒ってもら笑って許してくれる。心細いなんてことはなかった。
水精と人は共存できる。僕たちがいい例だと思う。
声が出るようになって、店で働けるようになってから自由にしてきた。
歌いたいときは歌って、気分が乗らないときは、顔すら出さなかった。
でも、それがいけなかったんだろうか……。
「こ、えが……なんで、体も、動かない、よ……」
今、声が、もう、出ない。
「よう、蒼」
今日は体がいつもより動いたので、縁側に出ていた蒼。小さな庭にある小さな池を見て、暇を持て余していた時だった。
――話し声が聞こえると思ったら、突然シキさんが塀をよじ登ってきた。
「シキ、さん?」
蒼は口を開けずに、シキの心へと声を掛ける。
「おう、今日は元気そうだな」
一方のシキは、普通に声を出して話しかけている。
「なに、してるの?」
「裏口まで行くのが面倒でな」
シキは、塀の上に座る。分厚い塀なので、シキくらいの大人が乗っていても、壊れたりはしない。
「ムラサキ、大丈夫か?」
「うん」
そういうと、「行くよ~、えい!」と大きく飛び跳ね塀に掴まる。
シキが、思い切りムラサキのことを引っ張り上げ、塀に座らせる。
ムラサキの頭の上には、先ほどの子猫が乗っている。
「よし、ちょっと座ってろ」
「うん」
塀から飛び降りると、塀の縁に座るムラサキへ大きく手を広げる。ムラサキも躊躇なく、シキのところへ飛び降りる。
上手く捕まえることのできたシキは、ムラサキを下ろすと、蒼のもとへ歩み寄る。
「おはよう、蒼」
「おはよう、ムラサキ」
二人の水精は、口を開かずに会話をしている。
「どうだ、声は出たか?」
シキの問いかけに、蒼は首を横に振る
「そうか……」
「歌えない水精なんて、情けないね」
「そんなことないよ。ね、シキ」
「あぁ……そんなに気を落とすな」
「……うん」
蒼の隣にシキが座り、その隣にムラサキが座る。
頭の上に乗せている子猫を下ろし、膝の上に乗せ撫で始める。
「そういえば、なんで来たの?」
「俺が起きた時、風に乗ってお前の声が聞こえたから。様子を見に来たんだよ」
「そっか、聞こえてたんだ」
蒼の左手の甲にある小さな青い水晶が、太陽に反射して光る。
一つや二つではない水晶。手の甲に指、手首から腕にかけてもある。着物に隠れたところにも無数にある。
左手の甲の水晶を優しく撫でる蒼を、じっと見つめるシキ。
「僕、もう歌えないのかな……」
「なんとか、歌える方法見つけるからそれまで我慢しろ」
「……ありがとう」
寂しげな表情を見て、シキはムラサキに目くばせをする。しかしムラサキの鈍感さが、シキの心内を察することが出来ず、子猫を撫でながら笑顔で首を傾げていた。
「はぁ~」とため息を吐いていると、足音が近づいてきた。
「蒼、寝てなくて平気? 温かい飲み物持ってきたから、飲んで、」
女の声がした瞬間、淡い桃色の着物を着た女が顔を出した。
「うわぁぁぁ!! シキさん!!」
「よ、結。邪魔しに来た」
「びっくりした……ムラサキちゃんもいるし……」
「おはよう、結」
「おはよう」
呑気に挨拶をするムラサキへ返事をする結。蒼の後ろに腰を下ろし持ってきたお盆を置く。
「驚きすぎだろ」
「驚きますよ。いつ来たんですか? 店側開いてないし、裏はだれか来た形跡ないし……」
「さっき。そこから、入った」
塀を指さすシキの姿を見て、大きくため息を吐きながら、温かい蒼にお茶を出す。
「全くもう……寿さんに怒られても知りませんからね」
「大丈夫だよ」
こう答えるシキの顔を見ながら、先ほどより大きなため息を吐いた。
「はい、蒼。薬問屋さんから薬もらってきたから飲んで」
「え、嫌だ」と顔を引きつかせながら、首を振る蒼。
口パクだが、そう言っているのが分かった結が、薬を顔の前へ出す。
「呑まないとダメ」
「ん~……」
無言で見つめてくる結の顔を見て、観念したのか、蒼は薬を一気に口に含みお茶を流し込む。
「ニガー……」
「はい、よく飲めました」
舌を出し、ゆがんだ表情を見せる蒼を見て、クスリと結が笑う。
蒼の声は聞こえていない結だが、蒼の声が聞こえているかのように見える。
――ぐぅ~
不意にお腹の音が鳴った。
「……」
「え~っと……」
「あははは~シキのお腹鳴った~」と、ムラサキが楽しそうに笑っている。
「腹減った……」
「なんか、作りましょうか?」
「頼む」
お盆を手に結が立ち上がる。なぜか、子猫を抱えたままムラサキもあとに着いていった。
「あぁ~腹減った」
「ねぇ、シキさん……」
「ん?」
「僕、あとどれくらい生きられるかな?」
雲が広がり始めた空を見つめ、心の中で小さく呟いた。
続く
第二話。
まだまだ序章のような流れですが、ゆっくり気長に読んでください。