支度
「お守り」
ムラサキは藍から託されたかんざしを蒼に差し出す。
「お守り……」
「大丈夫、絶対に歌えるから」
手にしているかんざしを見つめる。
「これ」
蒼は思い出していた。夢の中に出てきた藍のことを。美しく蒼い空が似合うと思った。空を見上げれば、会える気さえもした。
「お母さんの……」
「うん」
「ありがとう」
蒼はかんざしをギュッと抱きしめると、嬉しそうに笑った。涙の欠片がきらりと光る。まるで蒼の気持ちを受け取ったかのように。
「結!」
「なに?」
「これ、使って」
結に藍からのかんざしを渡す。結はそのかんざしを覗き込むと、きらりと光った。
「綺麗。分かった、これ使おうか」
「うん」
結はかんざしを受け取り、蒼の髪を梳いていく。ムラサキは嬉しそうに笑っている。そこに別の裏方、知が近寄ってきた。
「ムラサキちゃん、準備しよう~」
「うん」
「いきなり消えるからびっくりした」
「ごめんね~」
ムラサキは知とともに、部屋を出ていく。蒼は目を瞑り、すべてを結に任せている。結に任せておけば大丈夫。それはずっと共にいたからこそ、結を全面的に信頼している証である。そして結も、蒼が任せてくれているのが分かるので、優しく安心させるように髪を梳いていく。
「蒼」
「ん~?」
「こうやってやるの、久しぶりだね」
「そうだね」
「またこうやってできるの嬉しいな」
「僕も」
「明日から、嫌ってほどやるだろうけどね」
「……結」
「ん?」
楽しそうに笑っている結を見て、蒼は喉まで出かかっていた言葉を飲み込んだ。「これは今、伝えるべきではない」そう思い、無理矢理にでも笑みを見せる。
「……なんでもない」
「なに?」
「なんでもない~」
「本当?」
「本当」
楽しそうに会話する二人。「結には笑っていてほしい」というのが、蒼の願い。今日でその笑顔が見れなくなるとしても、結の笑顔が無くなることだけは、耐えられない。
準備を終えた創と八重が二人を見ていた。
「言わなくていいのか?」
「今、言ったら結が取り乱すかもしれないだろう」
「でも」
「蒼は、歌うことを望んだ。なら、私たちはそれを支えるべきだ」
「……そうかもしれねーけど、結の気持ちはどうなるんだよ」
「それは蒼がなんとかするだろう」
「投げやりだな」
納得はしていないが、八重は創の言う通り結には何も言わないことにした。それが二人に幸せに繋がればいいと、願ったから。そして、八重は言えなかった。
二人は、廊下に出ると外を見つめる。
「おい、創。あれ」
「ん?」
八重が指さす方を見ると、水に包まれた炎がこちらに近づいてきた。大きさは片手の掌に収まるくらい。創は窓を開け、手を伸ばす。炎は創の掌の上で浮かぶ。
「これは?」
「炎精からの贈り物だろう」
「蒼のためか」
「あぁ」
創たちは、炎を蝋燭に移し、消えないように気を付けつつ、店へ持ち込んだ。
その頃、シキは居候している飴屋に戻ってきていた。
いつも着用している深い青の着物と深い紫色の羽織ではなく、羅刹が纏っている黒い袴を出していた。
「飛燕、手伝ってくれ」
「あいよ」
すでに店じまいをして、片づけをしていた飛燕を呼ぶ。いつもの飛燕なら文句を言いながら、シキを叩いているようなものだが、今日の飛燕はとても素直だった。
「珍しいな、お前がこれ着るなんて」
「久々の大仕事だからな」
「そうなのか。じゃあ、飯いらないな」
「あぁ。ムラサキも福屋にいる」
「福屋……あぁ西にある歌癒屋な」
一人で着替えることの出来る袴だが、シキは必ず誰かに手伝ってもらっていた。黙々と着替えることが嫌なのか、面倒くさいのか。飛燕は多少忙しいくらいなら、手伝いをしていた。彼に恩義があるからなのか、断ることはあまりしない。文句は多少言うが。
「今日、雨降るから気を付けろよ」
「分かった。お前も傘差さずにいるなよ」
「ん?」
「風邪引くなよって意味だ。分かれ」
「はいはい」
「髪は?」
「やってくれ」
普段、結ぶほど邪魔ではない髪を結うのは、とても大切な時だけ。シキは、飛燕に髪を梳いてもらい結ってもらう。
「色は紫か?」
「いや、今日は青色の気分だ」
「わかった」
「飛燕さん」
「どうした?」
シキの部屋に飴屋の従業員が顔を覗かせる。
「黒い着物来た人が来たんですけど」
「羅刹のやつか?」
「はい、たぶん……」
「じゃあ、コイツの迎えだろ。ほらよ出来た、さっさと行って来い」
「おう」
「気を付けろよ」
「分かってる」
シキは、小太刀を手にすると、部屋から出ていった。飴屋の表には、一人の羅刹に属する女鬼、ミツカが迎えに来ていた。
「待たせて悪い」
「いえ、問題ありません。行きましょう」
「あぁ」
シキは、ミツカを従え歩き出す。無表情のまま、淡々と現在の状況をシキに伝え始めた。
「町に通じる道には複数人配置済み。各歌癒屋付近にも今、向かわせています」
「そうか」
「何故、今日は守りに力を入れるのですか?」
「奴らは、水精の感情に感づきやすい。今日は普段より感情的に歌うだろうからな。そういう時の水精は美味いらしい」
「お詳しいですね」
「前に、嬲り殺そうとした水喰が死ぬ前に騒いでたからな」
「嬲り殺す……」
ミツカは、その場に立ち止まり、シキの後ろ姿を見詰めた。真顔で何事もないかのように言うシキのことを、時々恐ろしく感じていた。同じ鬼でも、やはり長く生きているシキは自分よりずっと様々なことを経験してきている。だから、逆らうことはしない。殺されることはないだろうが、シキは恐ろしい人物だから。
そして、夜が訪れた。
店に明かりが灯り、寿が裏方の者を引きつれ、表玄関より外に出てきた。そこには、すでに待っていた客が多数いた。
「お待たせいたしました。本日は特別な夜となります。ご理解ください」
深々と頭を下げると、客の案内を始めた。
招かれざる客も……。
続く
第二十三話
準備が整いました。さぁ、店を開店させましょう。




