涙
代わりの酒が届き、シキは一口飲む。
「薬は水精の涙の欠片を使う」
「涙……水精は涙を流さないはず……いや、流してはいる。どういう周期かは知らないが」
「そう、水精は涙を流さない」
しかし、ある一定の周期で水精は涙を流す。満月の日、新月の日……。それぞれ違うが、必ず一度は涙を流す。例外もあるが、一定周期で流している。それは雫の形になり、とても美しく輝く。
「それを使うのか? 蒼の?」
「いや、蒼の欠片はここにはない。だから、近い者から譲ってもらった」
「誰だ?」
「……秘密だ」と、悪戯をしてような笑みを見せる。その答えに「そうか……」寿は表情を一切変えずに答える。
シキが言わないことは聞かないこと。それが一番良いと、寿は分かっている。答えてくれることなら、しっかり答えるが必要ないと判断したものは、答えない。だから、今回はこれ以上聞かない。
「で、その薬を蒼に飲ませて、歌うだけでいいのか?」
「まぁ、それでいけると思ってる」
「そうか」
「今まで、なんとか蒼が生きているのは壱佳が作っている薬のおかげだ。けれど、それももう効かなくなっている。だから、あとは水精の歌を頼るしかない」
寂しそうな表情を浮かべるシキ。なんとか、薬が成功することを祈っていた。それしか、もう思いつくことが無いからだ。
「水精の歌を聞けば、体調も良くなる。だが、涙の欠片をなぜ利用する?」
「……涙の欠片も、水晶の石と同じく共鳴する。それを体に取り込めば、内側から共鳴を促せると思ったんだ」
「そうか……」
寿は酒を口にする。すると、シキが寿のことを見て、にやりと笑いだす。表情を変えることはないが、寿は「また何か企んでるな」と、思っていた。
「寿」
「なんだ」
「蒼が歌えるようになったら、店を一日アイツのためだけに開いてほしい」
「なるほど。最後に思い切り歌わせるのか」
「あぁ、ただしいつもより早く店を閉めることも条件の一つだ」
「何故だ?」
「その日になれば分かる……頼めるか」
「俺は構わない。蒼にとっては、最後に大仕事、だな」
「あぁ」
寿も分かっていた。この最後の店に出ることで、蒼が亡くなることを。人は生まれ、死んでいく。それは水精も例外ではないのである。だから、寿も分かっている。
しかし、あまりにも早い死である。病を治せる薬さえ作れれば、と思っている。けれど、今の時代では無理であるということも目の当たりにされてしまっている。
「蒼の薬」
「ん?」
「今回出来れば、次にまた繋がる」
「あぁ……今は無理でも、将来きっとこの薬は進歩して、蒼みたいなやつを救える」
「そうだな」
十五年前。
いつの間にか蒼が店で引き取られてから、一年後の春。蒼を勝手に引き取った水精が、病に倒れた。蒼と同じ病で。
「アズマは、もう歌えない。もうすぐ死ぬ」
そう聞かされた寿は、理解できなかった。昨日まであんなに歌っていたのに。
こんなあっさりと歌えなくなり、そして死んでいくなんて。
「アズマ、歌って」
寿の声に反応しても、口パクしかできない。その口パクは毎回、「またな」と言っていた。彼は最後まで笑っていた。
死んでいく時も……。
「寿、大丈夫か?」
「なんだ」
「意識が飛んでたみたいだからな」
「あぁ、気にするな。思い出していただけだ」
「昔、蒼と同じ病で亡くなった水精のことを、か」
「……あぁ。アイツは倒れてから、1か月も生きなかった」
「それだけ、薬が進歩したんだ」
「そうか」
徳利にも酒が入っていないことに気づき、再び裏方の者に声を掛ける。
「お前も、酒強いよな」
「お前ほどではない」
「そうか? 真顔で飲み続けると少し心配になるから、いきなり倒れるなよ」
「加減ぐらいは出来る」
食事はもうなくなっており、酒のつまみを持ってきてくれたのでそれで飲み続ける。
「そう言えば、ムラサキはどうした?」
「城。殿さまの相手してるよ」
「そうか」
「帰りたがってたけどな」
「嫌いなのか? 住んでたところなのに」
「どう嫌いかは知らないが、頻繁に行こうとはしない。たまに、いや、俺が言わない限り行かないな」
「そうか」
月が雲に隠れた。
部屋の中は蝋で灯した明かりで、明るいがやはり月明かりは優しく包んでくれる光。シキが少し残念そうにしていると、何を思ったのか突然立ち上がった。
「じゃあ、俺はこれで、お暇するか」
「金は払っていけ」
「分かってるって」
「店はいつ開ければいい?」
「三日後」
「分かった。町中に触れ回ってくれ」
「おう、ちゃんと準備しろよ」
「言われなくても」
「それと、蒼はこのまま寝かせといてくれ。当日まで体力溜めさせるために」
「分かった」
シキは代金を少し多く払うと、店から出ていき城の方へと向かった。
続く
第十七話
水精は涙を流さない。けれど、ある一定の周期で涙を一度、そして一粒だけ流す。涙を流せないことがどれだけ辛いか。




