不安
福屋の一階の部屋にシキが入ってきた。
上の階では、客を取り営業が始まっている。
蒼は、病気になるまでは大きな部屋で複数人の水精と、暮らしていた。けれど、今は一人で体に障ると、蒼に負担がかかると思って一人でいる。その蒼の部屋でシキが、静かに蒼の寝顔を見ている。
「もう少し待ってくれ。すぐに出来るから」
そういうと、シキが小さく息を吸う。誰にも聞こえないくらい小さな声で、奏で始めた。詩のない歌を……。
「……やっぱり俺が歌ってもダメだよな」
すると、蒼が目を覚まし、シキの心の中に呟く。
「シキ、さん……」
「すまない、起こしたな」
「ううん、凄く心地よかった。ありがとう」
「そうか」
とても優しい笑みを浮べるシキ。
「どうしたの?」
「あと一回、思い切り歌えるようにしてやる」
「本当?」
「あぁ」
「嬉しい」
「でも、」
「大丈夫、もうずっと覚悟は出来てる」
強いまなざしで、天井を見つめる。そして笑みを浮べ、口パクで「結」と呟く。
「ただ、一つだけやりたいことがあるの。……結に歌いたい。結のためだけに歌いたい」
「……そうか、だからあと一回か」
「うん……」
目を瞑り、笑みを見せる。
「蒼、もう少し待ってくれ」
「うん。歌えるなら頑張って、待つ、よ……」
蒼は言葉を残すと、静かに深い眠りについた。
シキは蒼の頭を撫でると、掛け布団を掛け直してやる。しばらくすると、部屋の襖が開いた。廊下から、顔を出したのは寿。
「シキ、用意出来た」
「あぁ」
シキは、静かに立ち上がり、部屋を出ていく。寿とともに別の部屋へと入っていく。
「蒼は起きてたのか?」
「少しだけな」
「そうか」
部屋には料理が用意されていた。その前にそれぞれ座る。
「で、話とはなんだ?」
「……蒼のことだ」
「分かっている。詳細を話せ」
「今、薬問屋の壱佳に薬を作ってもらってる。一時的に体調がよくなる薬だ」
「そんなものが出来るのか?」
「最近、分かったことを壱佳に伝えた。それでなんとか、な」
「そうか」
徳利に入っている酒を、シキの持つお猪口に注ぐ。
「分かったこととは?」
「水精の特性」
「なんだ、それは」
「水精は、他の水精の歌を聞くと、一緒に歌う傾向がある」
「それがどうした?」
「自然と、勝手に歌いだすこともある。それは歌いたいからという感情よりも、水精という種だからなんだ」
寿は、黙って聞く。
シキの話が終わってから、疑問に思ったことを聞けばいいと思っているからである。
「水精は、他の者の歌を聞くことによって、共鳴ということを起こす」
「……」
「人間には理解しがたいことだが、水精にはそれがある。思い出してみれば、水精が歌っている時、人間は一切関与しない。だが、水精は歌っている水精の歌に共鳴して、歌いだす」
「確かに……ムラサキの歌が昼間聞こえる日は、鼻歌だが店中に響いていたな」
シキの言葉を聞き、寿も何度か聞こえてきていたムラサキの歌を思い出す。あの八重でさえ、鼻歌を奏でていたのを思い出し、少し笑ってしまう。
「今回はその水精の共鳴を利用する」
「蒼の体調に、か?」
「あぁ……」
「どうやって……」
「お前の店の水精に蒼の歌を聞かせる」
「それで、体調が良くなるのか?」
「あぁ、一時的に」
「それなら、毎日蒼の体調はいいはずだ。水精の歌は毎日響くから」と、投げかける寿。だが、シキは笑みを浮べる。
「だが、部屋の中だけだ」
「???」
「この店もそうだが、部屋は音を遮断するようにしてある。それでは、水精の共鳴は出来ない。だから、体調も良くならない」
「そうか、直接聞こえないといけないのか」
「そういうことだ」
食事のペースはほぼ同じだが、シキの方が多く話している分、酒の減りは遅い。しかし、話の間を置くごとに一気に酒を含むので、寿は次の酒を持ってこさせる指示を出す。
「蒼に直接歌を聞かせても、聞かせている間。もしくは歌が終わっても少しの間くらいしか、体調良くならない」
「そう、か……」
「それを一日中持たせるようにする」
「出来るのか?」
「薬が出来れば」
シキは立ち上がり、部屋の障子を開ける。空からは月明かりが差し込む。
続く
第十六話
今回のタイトルはシキの本当の思い。いくら長く生きていても、やったことが無ければ、自信はないはず




