脇役主人公の事情
「あー、やってらんない」
「サレン?どうしたの?」
「どうもこうもないよ……」
また雑巾掛けでただでさえ憂鬱なのに、今日はその5割増しで気分ががた落ちだ。
……本当にもう嫌だ。
昨日は、とりあえず仕事があるからと逃げてしまった。だが、あの兄のことだ。どんなに逃れようとしても必ず見つけ出されるのが目に見える。
……そもそも、なんで今更。
「……っ、」
クソ、と漏らして私はめちゃくちゃに床を磨く。
何とも言えないような、そんな感情が込められたリーアの視線を感じた。
その時、
コツ、コツ、
「ッ、サレンッ!」
「……はいはい」
不意に聞こえる足音。こういう時のメイドの対応は教えられていた。……実際に起こったのは、今日が初めてだったけど。
そう、この朝早い時間に清掃中の廊下に来るなんて、普通の使用人は来ないのだ。来るとしたら、いつもくっそ早い時間に鍛錬している騎士の方々……とか。
それが聞こえると、私たちは雑巾とバケツをもって端によけて、頭を下げた。
コツ、コツ、コツ、コツ、
だんだんと近づいてくる足音に、教えられた90度のお辞儀を続ける。
コツ、
腰がつらい、早く通り過ぎろよ___________そう思っていた矢先、ふと足音がピタリとやんだ。
ハッとして前の方を体制をそのままにして見やると、見覚えのある靴。そう、これは騎士団の、特に幹部が履く靴だ。
城の階級は見た目で分かるように支給された服を着ることで区別できるようにしている。私とリーアは下級メイドで、メイド服にあしらわれているレースの位置が首元である。そのほかにも服の質だとかヘッドドレスの微妙な色だとかで分かるらしいが一番の特徴はここだろう。中級は両裾、上級はスカートにのみレースがついているのだ。
一方騎士は軍服のボタンの色が一番わかりやすい。平なら黒、部隊長クラスなら白、幹部クラスは銀色、そして隊長は金色といった具合だ。それが一番わかりやすい。
……アイル様の場合は非番の衣装だったから気づかなかっただけだ。
けれども私の目についたのは靴だった。まあ、頭を下げているから仕方がないといえば仕方がないのだけれども……気づいたのは、ヒールの高さだ。
騎士の区別にはヒールの高さも含まれる。ヒールが高ければ高いほど上の職だ。だが非常にわかりづらいので目で確認する際はあまり着眼されないのだが。しかし目の前の騎士のヒールの高さは私にはよく見覚えがあった。
実家でよく、みかけた靴だったから。
私の兄は幹部クラスの騎士である。
伯爵家、宰相家の跡を継ぐはずだったその人は、数年前、私よりも一足先に家を出ている。
まぁ、そのせいで私は家を出ることになったんだけれども。
私がなぜこんなところにいるのか。その問いの答えはあっさりとしている。ただ単に家から逃げたのだ、権力争いに巻き込まれたくなかったから。
私の父は好色家で、いろんな人に手を出していた。そのせいで妾腹の兄弟は多い。だからあんな恐ろしいことになってしまったのだ、そう、13人いた兄弟姉妹の中で長男と私だけが、正妻の娘になってしまっただなんて。
はじめのころはそれでもよかった。長男が後を継ぐことは周知の事実でもあったから、私がその位置にいることは周りに何の影響も及ぼさなかった。なのに。
そんなことを思っていたら、その靴のつま先がいつの間にか私に向いていた。
もしや、と思ったそのとき、頭上から声がした。
「頭を上げろ、サレン。兄にはそう頭を下げるものではない」
「……ッ……」
聞き覚えがある声。隣でリーアの息をのむような音が聞こえた。私は気づかなかったふりをして、その声に返す。
「申し訳ありません、……副騎士団長様。」
家では呼んだこともない兄の名前を初めて口に出すのがまさかこんな形になるとは。
「ローウェン、兄様……」