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疲れ切った身体をどさりとソファに落とし込む。背中を背もたれに預けるように天井を向き、大きく息を吐いた。
「見つからなかったね、しのぶさん」
言いながら琴絵が僕と同じソファの、少し離れたところに座る。
屋上での一件の後、僕はなぜかやってきた琴絵とともに、しのぶを求めていろんな場所を探し回った。
そうして結局、見つけだせずに深夜と言ってもいい時間になり、部屋に帰ってきた。
――でもどうして、琴絵が来たんだ?
疑問に思って、僕は琴絵の方に顔を向けた。すると彼女は訊かれることを察していたのか、自分から口を開いた。
「会ったの、わたしも。わたしがここに来た理由はね……」
「あなたが琴絵さんね」
顔を上げるとそこには落ち着いた感じのする、少し年上らしい見知らぬ女性が立っていた。
「初めて会うわね。私が幸伸の幼なじみの、しのぶよ」
その声を聴いた瞬間、身体は無意識のうちに立ち上がり腕を振り上げていた。
「いきなりひどいわね。まぁ、座らせてもらうわね」
わたしが思いっきりひっぱたいた頬を押さえ、その女――しのぶさんはさっきまで幸伸が座っていた席に座る。
「少し話がしたくてね。琴絵さん、あなたも座ってくれる? 話しにくくてさ」
そんなことをされたのにまったく動じる風もなく、彼女は微笑んでいる。仕方なく一度立ち上がったわたしも席について、彼女と対峙した。
「私はね、幸伸のことを迎えに来たの。そのために、私は彼のもとに現れた」
前置きもなにもなく、しのぶさんはそう語り始める。微笑みを浮かべている彼女にどう言葉を返していいのかわからず、わたしは沈黙しているしかなかった。
「幸伸は私を選んでくれた。私と一緒に来てくれるって言ってくれた。でもその選択がいいことなのかどうなのか、私にはわからない。彼が最終的にどういう結論を下すのか、それは幸伸次第ね」
「どういうことなんですか?」
説明が加えられることのない彼女の言葉の真意が読めない。どうにか返した問いも、やっとでてきたと言う感じのものだった。
「たいしたことじゃないわ。確かめて欲しいの。幸伸が出す結論を。いまから、すぐにでも」
言うことだけ言ってしのぶさんはさっさと席を立つ。一度微笑みを投げかけてきた後、彼女は出口に向かって歩いていってしまった。
――どういう意味なの?
一瞬それを考えていて、わたしは立ち上がるのが遅れた。はたと気づいてしのぶさんの後を追って喫茶店の出口に向かったけれど、人通りがそれほど多くない外の通りに、彼女の後ろ姿を見つけることはできなかった。
「それでわたし、すぐにここに来たの。しのぶさんの言葉の意味はわからなかったけど、でも、幸伸になにかありそうだって感じたから」
「そうだったのか」
どうしてしのぶがそのときしのぶのもとに現れたのか、写真くらいは僕の部屋にあるけど、その喫茶店に琴絵がいることをなぜ彼女が知っていたのか。その疑問を訊こうにも、しのぶはいまここにいない。問うべき相手は霧のように消えてしまった。
「お腹空いたな」
出ない問題を考えるのは止めることにした。数日間一緒に過ごしたしのぶが誰だったのか、そして本当にいたのかどうなのか、もう確かめられないことだ。
考えるのを止めてみると、僕はお腹が空いていることに気づいてそんなことを口走っていた。
「いまなにか食べるものはあるの? 材料でもあったらつくるよ」
この前まであった琴絵とのぎこちなさもいまは消えている。まだ少ししこりのを残すことになるかも知れないけど、この後は、僕と彼女のふたりで考えていくことになるだろう。
「調べてみるよ」
ソファから立ち上がってキッチンに向かった。果たしてしのぶが片づけていったのか、冷蔵庫の中はきれいになっていて、同時にめぼしい材料も入っていなかった。
続いて冷凍庫の方を開ける。
「――これは」
「どうしたの?」
僕の声に琴絵もキッチンにやってきて僕の手の中にある物を見る。
僕が持っているものプラスチック容器。その中には、しのぶがつくってくれたクリームシチューの残りが入っていた。
*
「部長。これを」
そう言ってひとまとめにした書類を手渡すと、机についていた部長は僕を下から見上げるように睨みつけてきた。
その書類の表紙には、「月観測衛星の搭載に関する企画」と言う文字が印刷されていた。
僕はなみも言わずに部長の視線を受け止める。そして睨むわけではなく、視線を返す。
「……わかった。受け取っておく」
しばらく続いた視線のやりとりは、部長のその言葉で終わりを告げた。
空を見上げると、もう夏の名残は見えず、すっかり秋の色に染まっていた。
昼間の強い日差しはあるのに寒ささえ感じる屋上で、僕は空を仰ぎながらあのときの白い羽を手の中でもてあそんでいた。
「幸伸、お昼は済んだの?」
そうしているときにやってきたのは琴絵。微笑みを浮かべながらやってきた彼女に、僕も微笑みを返した。
「琴絵のこと、待ってたんだよ。たぶんここに来てくれるだろうって、ね」
「どうせなら下で待っててくれれば良かったのに。会社の近くにあるっていういいお店聞いたからさ」
「わかった。一緒に行こう。でもちょっと待って――」
一陣の風が吹き抜けていく。
迫り来る冬を感じさせるような冷たい風が。
それに吹かれて僕は目を瞑る。風だけは、あのときもいまも、変わらぬように感じられていた。
「出してきたの? あの企画」
「うん。出してきた。だから、あれの結果が出る前に言いたいことがあったんだ」
「え?」
企画のことで一瞬暗い表情になった琴絵の両肩に手を置き、僕は言う。
「琴絵。結婚して欲しいんだ。たとえ企画が成功しても失敗しても、関係なく」
「え?」
「僕は弱い人間だ。でも夢を追ってる人間だ。もしかしたら会社を辞めるなんてこともあるかも知れない。でも琴絵、企画のことも会社のことも君に対しての気持ちには関係ない。なにがあっても、君についてきてほしいんだ」
唐突なプロポーズに、琴絵は驚いた顔になった。それから無言で目を瞑って、しばらくしてから、彼女は頷きを返してきてくれた。
そんな彼女のことを、僕は静かに抱きしめた。
「That's a plume of dream」 了