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『GLアイドル』外伝「東郷麗華の朝は早い」

 七月上旬の朝は、五時頃でもすでに明るい。


 その日、自室のベッドの上で目覚めた東郷麗華とうごうれいかは、今年初めてのセミの声を聞いた。


「もう夏ね」


 ゆっくりと起き上がると、ベッドを出て、カーテンを開いた。


 庭の木々は青白い光に照らされ、視界の隅に、バラが花開いているのを見つける。


 ガラス窓のカギを開けて庭に出て行き、咲いているうちの一本をハサミで切って、部屋に戻った。


 部屋の明かりをつけると、バラの花の真紅が、鮮やかに輝く。


 匂いをかぐと、ほのかで清涼感のある甘い香りが、朝のさわやかな目覚めを一層気持ちよくしてくれた。


 満足感を覚えた麗華は、さっそくバラを生けるための花瓶を探しに、部屋を出た。


         ◆


 ――私が、女性を恋愛対象として初めて見たのは、中学一年のときだったわ。


 朝食を終えて自室のソファでくつろいでいると、そんなことをふと思い出した。


 良家に生まれた麗華は、当然のように中学受験を両親に勧められ、するりと難関中学に入学した。


 そこでは、名だたる企業に勤める親を持つ生徒が多数在学していた。約束された栄光、あふれんばかりの自信と誇り、そして自分こそがトップである、という意識をひけらかすことはなくても、内に秘める学生が集っていた。


 その中にあっても、麗華の人並み外れた美貌は、他者からすれば異様に映り、目立っていた。


 麗華を、高級品を所有する欲のような気持ちで近づいてくる人たちもいれば、遠巻きに噂し、決して自分のプライドを損なわれないようにと警戒する人たちもいた。


 つまり麗華は、孤独だった。


 ――だけど、あの子だけは、私に普通に接してくれた。


「東郷さん! わーやっぱ近くで見ると、よくわかる。超きれいだね」


 隣のクラスとの合同体育のあったその日、麗華に気さくに話しかけてきた女子がいた。


 麗華は、自分からすれば初対面の、隣のクラスのその女子生徒が、あまりに屈託のない笑みを見せてそんなことを言ってきたから、


「あ、ありがとう……」


 がらにもなく、戸惑いを隠せずにお礼を小さく言った。


「私、倉田香奈くらたかな! よかったら、またお話させてね」


「ええ……」


 恥ずかしくて、うつむきながらそう返事をした麗華は、心がドキドキと嬉しさで、一杯になっていくのを感じた。


 その日から、麗華と香奈は、しょっちゅう一緒にいるようになった。


 活発で明るく、友達もたくさんいる香奈。


 そんな香奈が、どうしてクラスでも浮いていた自分と一緒にいてくれるのか、困惑しつつも、麗華は幸せだった。


 たとえ、クラスでは一人でも、休み時間や放課後になれば、香奈が来てくれる。


 他愛もない雑談。

 放課後の、規則で禁止されている買い食い。

 休日の長電話。


 香奈からのメールが一通くる度に、麗華は心躍り、どんな文面で返せば喜んでくれるだろう、と考え抜いて、返信した。


 灰色の世界が、鮮やかに変化したことを感じた。


「私、香奈と出会えて、本当に良かったわ」


 二人で映画を観に行った帰り、麗華は心の底からの本音で、彼女に言った。


「そう? ありがとう!」


 香奈は、にこっと人なつっこい笑顔を見せた。


 毎日、幸せな心地で自室のベッドに入ると、麗華の頭の中は、香奈で一杯になる。


 ――香奈ともっとおしゃべりをしたい。

 ――香奈ともっと一緒にいたい。


 ――香奈と、キスしたい。


 麗華は、そこでがばっと、跳ね起きた。


「私、今、なんて……」


 自分から浮かんできた思考が、あまりに突飛だと感じて、麗華の中で、恥ずかしさがふくらんでいく。


 深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。


 そして、


「香奈のことが、友達以上分、好きなんだわ」


 はっきりと、自分の心を確認した。



 ある日。

 麗華は覚悟を決めて、香奈を呼び出した。


 自分の気持ちを隠したまま、彼女と接するのは、これ以上無理だと思った。


「どうしたの? 麗華。急に呼び出して」


 約束の時間より少し遅れて、香奈がやってきた。


「大事なお話、聞いてくれる?」


「いいけど」


 麗華は、あふれる想いを、ぶつける。


「私、香奈のことが好き。友達としてというよりも……恋心で」


 言ったあとで、とてつもない開放感と共に、どうなるのかという怖さがぶわりと吹き上がる。


「麗華……」


「答えは、すぐじゃなくていいから!」


「違う、麗華。聞いて」


「……?」


 振られるかもしれない、という予感とは別の、何か嫌な予感が、麗華の中に瞬時にわいた。


 香奈は、ふーっと、深く息を吐くと、観念したようにしゃべり始める。


「ごめんね、麗華。本当のことを言うね。……私のパパが、あなたのパパには、お仕事でだいぶお世話になっているの」


「えっ?」


「麗華が一人ぼっちってこと、噂でみんなが知ってたから。だからパパが、あなたのパパには恩があるから、仲良くしてあげなさいって……」


 気まずい顔をして、暗いトーンで話す香奈。


 初めて見せるそんな香奈の表情を、信じられない思いで、麗華は凝視した。


「でも私、言わないから! 家の人にも、他の誰にも、麗華がそんなこと言ってきたなんて……内緒にしておくから。大丈夫。だから、許してね!」


「…………」


「れ、麗華?」


「私があなたに告白したことは、『そんなこと』で、『内緒』にしておかなければいけないことなの?」


 そこには、数分前までの、恋に心躍らせていた少女はいなかった。


「理解したわ。親の頼みで、浮いていた私とお友達ごっこしてくれたのね」


「そ、そんな怒らないで……」


「大丈夫よ。あなたやあなたの親に、迷惑がいくことはない。そして、私とのお友達ごっこも終わり。一つだけ、頼みを聞いてくれるかしら」


「な、何?」


「金輪際、私に近寄らないで」



 香奈と話をすることは、それから卒業まで一度もなかった。


 麗華は、高校受験の学校を決めるとき、両親のアドバイスの全てを拒否した。


「私は、自分で全部決めるの。どこに行くか、誰と会うか。誰と付き合うかも。私自身が、決めるわ」


 深い心の傷が、麗華の中の何かを変えた。


 獲得したのは、強さであり、同時に、途方もない虚無だった。


「何に価値があるかを決めるのは、私。この人生に価値を見いだせなければ、それを引き受けるのも、私」


 そして東郷麗華は、自分になった。


         ◆


「バラの花が、きれいに咲いたの。見に来る?」


 今日は、仕事がオフの日だ。


 遠い過去のことをふと思い出して、少しセンチメンタルになっていたのだろう。


 電話の相手の、快活な声が、愛おしくてたまらなかった。


『行く! 絶対行く! 麗華さん、待ってて』


「ええ。待っているから」


 恋が、きれいなだけでも、楽しいだけでもないことは、とうに知っている。

 でも、勇気をしぼって、言葉で、行動で、未来を切り開いていけば。


 幸せは、ここにある。

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