雪の迷い子
見渡しても雪。ゆき、ユキ、わたしも含めて。白いそれはそっと静かに問いかける。
「あなたはなあに?」
氷の結晶。そう答えてしまいたい。なぜならば、もう命が尽きる寸前の生命みたいに、春になれば溶けて消えてしまえるから。
「ねえ、君にはわかる?」
逆に問い返す。でもシカト。
わたしは無視されるのが、この世界でトマトの次にイヤなのって。そう駄々をこねても無駄なんだよね。
「なぜならこの世界には私わたし一人しかいない」
昼でも夜でもなく、月が出ているわけでも太陽があるわけ……でもない。
ただ呆然と明るくて、でもやっぱり辺りには雪しかない。百回見てもそれしかないんだからきっと間違いない。
「えー?」
こらそこの私わたしっ。えー、とか言わない。
本当にホントにやったんだよ。エッヘン。
……などと一人芝居をやるたびに虚しくなる。これでもわたし、乙女なんです。
末期症状は置いておいても、この状況は常に平等で正しくて。
あの人が言った、罪には常にそれ相応の対価を払う義務があるんだ、という言の葉が胸にちくちくと刺してくる。
膝を縮めその場に体育座り。冷たさなんてちっとも感じない。
「………」
もう嫌だ。このままなんて、永遠なんて、一人きりなんて。対価はとっくに支払ってる。だから、
「あいたい。あ、会いたい。一緒に居てよ、シンオウ君っ!」
私は叫んだ。それはもうノドが破れるくらいの大きな声で。
雪も叫んで、聖なる夜の始まりを告げた。
◇◇◇
周りを見るとそれは凄い人だかり。12月の草木も凍えるほどの寒さの中、僕と華蓮は夜の街を歩いていた。
「凄い人ですねぇ。さすが、と言うべきでしょうか」
「さすが、と言うべきね。ギョク、私を見失わないようにね。さすがにこんなとこではぐれたら……とにかく置いていかないでよね」
「わかってます。ちゃんと手、握ってるじゃないですか。大丈夫ですよ」
そう言って、華蓮の方を見る。
案の定、顔が赤くなってる。素直にはぐれたら恐いって言えばいいのに。でもそこが華蓮だ。
「あーそれでも、もしはぐれたら悲惨ですよねぇ。クリスマスの聖なる夜に迷子かぁ。うん、交番で一人で泣いてる華蓮の姿が目に浮かびます」
「なーに言ってるの。ギョク、あなたは私の大切な人形なんだからそんなこと、するはずないでしょ?置いていかないって約束、信じてるんだからね」
にっこり、と華蓮は微笑む。
僕にはそれが天使のようで。我ながら彼女にぞっこんです。
「せっかく華蓮をからかうチャンスだと思ったのに……そういうところがダメなんだなーて」
「な・に・が、ダメよ。人がせっかく信用してあげてるのにぃ」
冬の帳に真っ赤な顔。やっぱりこうじゃないと。
「華蓮はそういう顔の方がお似合いですよ。聖なる夜のムードなんて、僕たちには似合いません」
「そ、それもそうね……私はそれでも良かったんだけどな」
「うん、なにか言いました?早く先に行きましょう」
「聞こえなかったの。まあうん、そうね早く行くわよっ」
空を見上げれば、雲一つない満天の星空。ホワイトクリスマスには程遠いけれど、雪が降るとそれはそれで面倒だ。ないとは思うけど、それでも急ぐに越したことはない。
「遅い、ギョク。もう人もほとんどいなくなったし家まで競争でしょっ?」
手は良いのか、と聞こうと思ったらとっくに離して行ってしまった。僕も早く行かないと。
「華蓮。聖なる夜はまだまだ僕たちには早いですよ。僕も……」
イルミネーションの輝く街をぬけ、僕と華蓮は静まり返る住宅街へ走り出す。
◇◇◇
街灯が辺りを照らす唯一の光。その光の中で華蓮は輝く。
さらりと揺れる深遠の黒髪。寒いからか僅かに赤い頬。
白いニット帽と少しぶかぶかのコート。
冬着だからか彼女の本当の魅力は伝わりづらいかもしれないが、それでも道行く人が思わず振り向く程の可愛さを持っている。そんな彼女が今、僕の隣で一緒に歩いている。
「そういえば華蓮。妖精と精霊の違いって知ってますか?」
「違いかー。知らないな。どうしたの急に」
「暇つぶしになるかなぁと」
「なるほど。家までまだまだあるもんね。じゃあ違いってなんなの」
華蓮が僕を覗き込む。目が期待で輝いている。
「おっほん。では……妖精は元々精霊で、でもある時その精霊が人間に恋をしてしまい、人の形を手に入れて。そういう精霊が増えていくにつれ、だんだんもとの『カタチ』から離れていき、こうして生まれたのが妖精で」
「つまり人間に恋をするのが妖精で、恋をしないのが精霊ってわけね」
顔に手をあて思案する華蓮。その様子がじつに微笑ましくて、ついこっちまで笑顔になってしまう。
「そうですね、合ってます。後はまあサキュバスも妖精の一種ですね」
「へぇー。どっちにしてもこの時代じゃそんなのなかなか見ないけど。でもなんだかロマンチックね」
「そういうことになりますね。でも太古の昔、人間との関係で精霊と妖精が戦争をしたこともあったそうです」
「何だかやけに詳しいわね。でもさ、そこまでしても妖精は人間を愛してたんでしょ?妖精と人間の関係はすごいね」
僕もそれには同感だ。
「僕たちもそういう関係になりたいですね」
「……よくそんなに恥ずかしいことをしれっと言えるわね。まあ私としては満更でもないけどってちょっと待って。今の私たちはそういう関係じゃないの、むーっ」
「えっとまあ、そんなこと言わずに」
くだらないことを言い合いながら街を歩く。少し肌寒いけれど、それ以上に心が温かい。こんなクリスマスも良いなと思っていた、その時。
「ギョク。あの子、どうしたんだろ」
華蓮が見つめるその場所に。
僕たちが見ていないと溶けて、消えてしまいそうな。
水で流れるような銀髪に雪のように白い肌。
純白のワンピースを一枚着ていて、他に防寒着のようなものは見当たらない。
そんな彼女も僕たちに気づいたのだろうか。雨のように青い目をこっちに向けている。
「行きましょう、ギョク」
華蓮が走る。僕もその後を追う。
「あ、えーっと。あなたたちはだあれ?」
この子のいる所までそんなに距離はなかったので、ここまでくるのはあっという間だ。
「だあれって、まあ私たちのことだよね。なら私は枯牧華蓮。そっちの頼りなさそなのが角田玉座。私の大切な人形よ。あなたは?」
「わたしはユーキ。ユーキ・ウィントフィールド・フェイレンツ」
ユーキ、と言った少女はその場でくるりと周り、僕たちに向かって一礼する。
「そう。ならユーキ、あなたはなんでこんな所にいるの。それにそんな格好じゃ風邪ひいちゃうよ」
そうだ。こんな夜に一人でいるなんて怪しい。僕らみたいにこれから家に帰るのならまだしも、これじゃなにかあったみたいだ。
「えっと。恐がらなくても良いよ。君と僕たちは同じくらいの年みたいだし。でね、なにかあったのかな。クリスマスの夜に女の子が一人でいるなんて。正直危ないよ」
「ふえー、クリスマス?それにわたし以外の、いや人間かあ。それじゃあわたし、外に出られたんだ……」
僕と華蓮、お互いに顔を見合わせる。いったいどうなっているんだ。
「うぅ、言われてみればこの格好じゃ寒いな。魔法で暖かくなるかーそれっ」
ユーキの周りに淡い光が集ったと思えば、一瞬で弾けるように消える。華蓮はそれを唖然とした表情で見つめる。
「これでよしっと。あったかーいあったかーい、でももしかして魔法を知らない?まずいなぁどうしよう」
どうやらユーキが頭を抱えて真剣に考えて込んでしまった。華蓮はまだぽけーとしている。
しょうがない。助け舟を出しますか。
「魔法は知ってますよ。ほら、僕も使えます」
左手には光源としての火。右手には暖をとるための炎。これでも一応、魔法使いなんです。
「おぅー。一度に二つの種類の魔法を全く同じ出力で操るとは。なかなかに器用なんだねっ。まるでシンオウ君みたいだ」
――真王君?まさか、
「さっきから二人でおうおうと。ユーキ、あなたの要件はなに。こんな所で一人、しかも魔法まで使えるなんて。こっち側の人間でしょ。早く言って」
「あらあら、嫉妬は見苦しいだけだよ。可愛らしいお人形ちゃん。でもまあ、せっかくあそこから出られたんだし、あなたたちにも手伝ってもらおうかなあ。人探し」
人探し。妙に心に響くその言葉を噛みしめる。
華蓮はどうなったかと思い隣を見てみると、ふくれっ面。余裕そうに足をぶらぶらさせてるユーキとは大違いだ。
「ユーキちゃん。あなたの探している人は誰なんだい」
結局、これを聞かなきゃ進まない。けれど返ってきたその答えは確信で。
「だれって?それはもちろんシンオウ君。シンオウ・イウト・デュアル。かっこいい人だよ」
「えーと。それ誰よ」
華蓮はそういうことを言っているけれど。
ああ、やっぱりか。
ならその人は――すでに故人だ。ならばこの子は?
外に出られたと言っていた。クリスマスを知らないみたいで。いくら人目がないとはいえ、魔法を軽々しく使って。そして僕たちに向かって人間かあ、と。
まさかとは思うけれど。
「ユーキちゃん。質問なんだけど、正直に答えてね」
「おーう。なになに?」
「君は、もしかして精霊かな」
「ちょっとギョク、いきなりなに言いだすの」
僕のその質問に間髪いれず。
「イエース。もちろんその通りだよっ。よくわかったね」
そうだったか。
そして彼女はこの世界じゃないところに閉じこもっていた。
おそらく精霊と妖精の戦いの頃から。確かシンオウ・イウト・デュアルはそのぐらいの時代に活躍して、そしてそして死んだ有名な魔法使いだったはず。
このことをユーキに伝えるべきか。
「シンオウ君いないかな。どこにいるのかなー」
「ちょっとユーキ、落ち着きなさい。近所迷惑でしょっ」
いや、きっと伝えるべきだ。きっとそれが彼女のためにもなる。
「ねえ、ユーキちゃん。ちょっと話を聞いてくれる?」
今までになく真剣に。ちゃんと話を聞いてもらえるように。
「ふぇ?うん。良いよっ」
ユーキをあやしてた華蓮も静かになった。よし、今ならちょうど良いだろう。
「じゃあ話すね。君の探していたシンオウ君、シンオウ・イウト・デュアルなんだけど……実はもう、死んでいるんだ」
「え、それってギョク」
ユーキはなにも答えない。
「それに、恐らく君は妖精と精霊の戦いの途中でこの世界から引きこもったと思うんだ。だからシンオウの死を知らない」
それにこの時代のことも。
「もうやめてっ。わたしはあの世界からやっと出られたの。それでシンオウ君を探すんだ。だからそんなこと言わないで!」
「君の閉じこもってたあの世界ってなんだっ。妖精は時に自分の世界を想像してそれを現実に顕現させることが出来るという。君は自分の作った世界に自分の意志で閉じこもってただけじゃないのか」
「わたしはあの時あの戦いで、シンオウ君の大切な仲間を見殺しにしちゃって……それで」
ユーキは泣くのをガマンしている。僕と華蓮はしばらくその様子を見守る。
「ユーキちゃん。罪にはね、常にそれ相応の対価を支払う義務があるんだ。それを君は自分以外誰もいないその世界で払ってきた。そうだよね」
「う、ひっくぅ、うん」
「なら……」
僕は泣いているユーキの肩を抱き寄せ、ぎゅっと、温かく抱きしめた。
「え、ふぇ、」
「なら、君はもう十分頑張ったんだ。偉いえらい。でもなんとなく気づいてたんでしょ。君はあのもう一つの世界で過ごした年月で。なのにもういなくなった人を探すなんてみっともないよ。だから、」
ユーキが息を飲むのがわかる。僕は彼女をより一層強く抱きしめて。
「こんなこと、終わりにしよう」
「……うん。わかった、ギョクくんっ」
◇◇◇
ひとまずユーキを離して目の前に立たせる。
「ギョク、つまり事情はわかったんだけど。でもなにを終わらせるの?」
そういえば華蓮には説明していなかった。どう話そうかとユーキの方を見ると、手で僕のことを制してくる。自分で話すということだろう。
「そのわけはわたしが話すね。華蓮って言ったけ。実はねまだ隠していることがあるんだけど……わたしね、ホントはもう死んでるの」
「ふーん。ならとっとと成仏しちゃいなよ」
「ふぇっ!なにその反応。冷たいよぅ」
……やっぱりいつも通りの華蓮だ。彼女らしい、優しさ。
「そうでしょ?だってユーキの会いたいシンオウ君ってのはもう死んでるんだし、それならこんな所で道草食ってないで、早く会いに行きなよ」
「華蓮ちゃん……」
「そーして私の大切なギョクを早く返して」
「やっぱりそれかぁ。でもいいや、華蓮ちゃん優しいし。そしてもうそろそろ時間か」
今までそこに当たり前のようにあったユーキの身体が、急に淡く薄れていく。
「わたしをここに留まらせていたのは、シンオウ君を探すんだって強い意志だったからなぁ。もうそれもないし、お別れだね。ギョクくん、華蓮ちゃん」
僕と華蓮に向かってはにかむユーキ。もう彼女は泣いてなどいない。
「でもさぁ、せっかくこうして逢えたんだし。華蓮ちゃん、これ。受け取って」
消えゆく身体を一生懸命に動かし、華蓮になにかを手渡す。
「きっとこれから先、きっと華蓮の役に立つ時がくるから……大事にしてね」
「もちろんよ。ありがとうさん、ユーキ。あなた少し人騒がせだっったけど、嫌いじゃなかったわ。ずっと忘れない。だから、早くいってシンオウ君とやらと幸せに暮らしなさいよ」
まったく素直じゃないんだから、華蓮は。
「……可愛らしい人形さんと優しいギョクくん。じゃあね。あなたたちのおかげでもしかしたら、この世界でもう一度シンオウ君に逢えたのかもしれない。長く辛い時間だったけど、妖精として最後にこんなに幸せで、よかったっ!」
そう言って彼女は、世界に溶けるようにして消えていった。僕に一抹の想いを残して。
「華蓮、この後どうします?」
「どうするってなにも、早く家に帰ってプレゼント交換よ。忘れたとは言わせないんだから」
「そうでしたね」
「あーあとそれとね、ギョク。なんで彼女が死んでいるってわかったの?」
そういえば。その説明もしていなかった。
「それですか。えっと、僕に霊感があるのは知ってますよね。だからそれでぴかーんときたんですよ。この子、死んでるかもって」
それと後は状況証拠。考えれみればそう難しいことではない。
「ふーんそっか。ってあ!見て見てギョク、空。雪が降ってきたあ」
「ほんとですね。雲なんてなかったのに」
感動の雪、というやつでしょうか。
「ギョク、ホワイトクリスマスってものよ。ひゃっほー。ほらほらギョクも早くっ」
「はーい。行きますよ」
この世界には不思議なこと、理不尽なこと。それらが沢山ある。
けれど、僕はこうやって華蓮といるのが幸せで。彼女のために頑張れる。
このことを忘れないよう深く心に刻み込み、一歩ずつ前へ進んでいこう。
たとえこの先、どんなことがあろうとも、それが華蓮のためになるならば。