特訓と白虎と聖夜と。
おれが『ぺんぎんず』に入って三週間ほどが過ぎた。
さて、遂におれは闇に紛れて暗躍する影法師たち、野良カゲたちと疾風怒濤、風林火山な戦闘をおっぱじめたか!?
人生は遂に戦国時代へと突入、生死をかけた戦いが始まったか?!
……否。断じて否であった。
実は、何も……していない。
ただただぺんぎん堂に入り浸る日々が続いて、ゴートゥーヘルだ。
その間に、街はすっかりクリスマス仕様になっている。
あちらの庭にはデン、星の乗ったツリーが立てられ、あちらの軒先にはジャン、真っ赤なお鼻のトナカイのイルミネーションが飾られ、羽根の生えた天使の電飾なんてのがズガン、と鎮座している家庭まである。
どういうわけだか国民の九割方が熱心なクリスマス教徒であるこの国は、セントクリスマスを盆と正月が一緒に来たよりも忙しく祝う。
悲しいかな、おれは毎年死んだ魚の眼をしてこの聖なるイベントを眺めていたが今年は違う。違うっちゅーねん。
いつもは、街中を普通の男女ペアが歩いているのを見かけただけで変貌、シャーマン御用達の呪詛を吐きたくなる衝動に駆られていた時期であったが。今年は。ちゃいまんねんで? 繰り返し言うほど、不安だけど。
なにしろ、今年は彼女がいる、初めてのクリスマスであるから、今年こそはキャラメルよりも甘い聖なる夜を過ごせるんじゃないか……? って、さみー。
十二月になった途端、冬将軍が圧倒的戦力で攻め込んできている。寒すぎる。甘いとかしょっぱいとかじゃなくって、もう泣けてくる。あ、泣けるなら涙の味でしょっぱいのかな? 至極どうでも良いが。
冬将軍を召し捕った者には褒美を弾むぞ。でも倒せるのかな、冬将軍って。「私の戦闘力は53万です」なんて言われた日には、織田信長だって尻尾丸めて裸足でランナウェイだ。
そんなことを泣けるほどどうでも良い事を思いながら、ぺんぎん堂へと足を向ける。
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魔空間のカウンター席に腰掛けて文庫本を読んでいる西陣海、カイさんはとても優美だ。
涼しげな眼もとに、先っちょが少しウェーブした長い髪、するりと長い手足、水色のワイシャツに茶色のチョッキ、色褪せたジーンズ。親切な本屋の店員みたいだ。
「や、マヒロくん。イムラヤの肉まんっておっぱいと同じ触感らしいって知ってた?」
口さえ開かなければ。
「こんにちは。肉まん揉みたくはないですけど」と、マフラーを外しながら答える。
「毎日寒いよね。こう寒いと女子の透けブラが恋しいよねー」
「カイさん『イケメン自重』って言葉、知ってます?」
「え、ちょ、イケメンって……やだなー、もー、ぼく、そんなんじゃないよ! やめてよもう! 恥ずかしいなぁ!」
恥ずかしがるべきところはそこじゃない。
「全く。マヒロ君、大人をからかうもんじゃないよ?」あーあーそうでございますか。
「いや、でも、実際カイさんって、着こなしとか、すごく上手いじゃないですか。見習いたいくらいですよ」
「そう、かな」恥ずかしげに、かきあげた髪がさらさらと流れている。
「そうですよ。たとえば、その、ファッションコンセプトみたいの、あるんですか?」
「んー、あまりそう言うの、ないんだけど。あ、言うならあまりタイトにしないって事かな? 特にズボンだけど」
「タイトにしない?」
「街中でアイツが暴れだしたら困るだろ?」
……アイツって何ですか、なんて、おれが突っ込むと思うなよ。
「さて、それじゃあマヒロくん、いよいよ今日から修行、行きますか」
……急に、真面目ですか。
いや、良いんですけど、それで。温度差、激しい。おれが熱帯魚なら、死んじゃう。
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ぺんぎん堂の三階、屋上のベランダは、半径三キロくらいに渡って高い建物が周りに無いため、物凄く日当たりと眺めが良い。
だから周辺の山から下りて来た風がもろに当たる、吹きさらしの状態なんだけど。スカートでは危険だ。マリリンモンローになってしまう。ププッピドゥ。
さておき、冬になって空気が澄んでいるから、遥か遠くの河川敷のあたりまで見渡せるし、おれの通う高校も見えるし、その奥、ずっと先の山間部までも望める。
さすがに地球が丸く見えたりはしないけれど、夕陽が絶好に似合うこの景色を初めて見た時、おれは少し感動した。
おれが今立っている建物がフルアーマー廃墟、年老いたビックリハウスみたいな建物なんだってことを一瞬、忘れちゃうくらいに。
今、カイさんと二人で見上げた空は、はるか遠くまでたなびく、巨大で分厚い雲が夕陽に染まって茜色、なんだかギリシャ神話だかの天界じみた光景が、全天に広がっている。
そして、屋上の隅にポツネン、と置いてある巨大な姿見から、おれたちはカゲの世界へと入る。
白黒の、色のない世界に。
……ここで、話は少し前に戻る。
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ぺんぎんずに入ったは良いけれど、さあすぐさま影法師と決戦です、なんてことにはもちろんならなかったのは冒頭で説明した。
実際におれがしていたのは、毎日のようにぺんぎん堂に通っては、ジュンさんの淹れてくれた紅茶を飲み、カナシーと時々二人で散歩したり、一緒に帰ったり、ゴウジの趣味の禅問答を適当にあしらったり(ていうかそんなの趣味にすんな)、キノとかくれんぼだとか、だるまさんが転んだをして遊び(だるまさんが転んだはおれの全勝)、ヨシヤさんがコーヒーを淹れようとする度にPKを眼前にしたゴールキーパー並に懸命に阻止、そんな日々なだけだった。
すわ、これから毎日、戦いの日々では?! と意気込んでいたのに、これでは。おれは焦っていた。
そんな折、だった。
「そんなに言うなら一緒にパトロールとか、するかい?」
痺れを切らしかけたおれを見かねてか、カイさんが言ってくれたので、おれはようやくか、と勇んで、ついていくことにした。
二人で肩を並べ、カゲ探査アプリを使いつつ、クリスマスの広告が街に飾られ始めた十一月の街並みを、ただテクテクと歩いていた。
しかしカイさんは平常運転、やれ「冬場なのにホットパンツ女子がいてくれることを神に感謝」だの、「河川敷は無限の可能性と捨てられたエロ本を秘めている」とかの、もう高校生だって今どきそんな話、しないぜ? っていう変態トークばかりするもんで、おれは堪え切れず、前後の文脈も何もなく、
「カゲって、結局なんなんですか?」と、聞いた。典型的なB型だ。残念ながら、おれはA型だけど。
「ああ、そうか、うん、聞きたくなっちゃうよね。そうだね。んーと……はは、ごめん、いざってなると、結構説明、難しいんだけどね」
そう前置いて、カイさんは話し始めた。
「生き物の、負の感情が実体化したもの。一言でいえばそうなるのかな」
灰色の空を見上げたカイさんの口から白い吐息が上がる。旅行会社の冬のCMみたいな光景。中身は上級の変態のくせに、見た目はとてもクールガイ。
「例えばさ、激しく怒った時とか、何をする気にもならないくらい悲しい時ってあるよね。そういう時にカゲは生まれる。生まれてるんだ。みんなが気がついてないだけでね。だから、本当はカゲって凄く身近なものなんだ。裏ビデオみたいにね」
ちょ、最後、余計。
「ただ、最近になってから、これまでと状況が変わってきた。カゲを利用すれば、人間の感情をも思い通りにできるんじゃないか、って企んだ連中が出てきてしまった」
「……影法師、ですか」
「そう。ご名答。カゲ自体は自然にあるものだし、そんなに害を為すものじゃない。例えば、カゲが大きくなりすぎたら人生に絶望したり、自暴自棄になったりしてしまう。良い事じゃないさ」ふ、とカイさんは、自分に言い聞かせるように言った。
「でも、人の営みがあったら、そこには良い事ばかりじゃない。絶望も嘆きも鬱憤も、そこにはあるさ。だからカゲ自体は、まぁ無い方が良いけど、そんなに憎むべき対象じゃない」
「じゃあ、カゲを利用しようとする影法師が悪い、ってことですか?」
「うん、彼らはカゲを生み出して増やし、おまけに暴走させようとしているんだ。そうして、自分達の仲間を増やそうとしている。今のところ、何のためかは分からないんだけど」
「カゲの、暴走?」
「うん、カゲって、感情エネルギーの塊みたいなものだから、ぼくらが闘ってすぐに倒せれば、負の感情を上手いこと流してしまえる。でも、黙って放っておいたらカゲの持ち主が影法師になってしまうか、下手をしたらカゲそのものになってしまうんだ」
「え、な、そ、それって、メチャクチャ悪い奴らじゃないですか」
「うーん。ただ、その、影法師も元々は人間だったわけだから」彼の目線が落ちている。
「つまりさ、彼らは絶望に落ちてしまった人達なんだ。だから、その。世界を呪う気持ちは、少し、分からないでもない、かな……」
「あ、ああ……」
絶望のどん底に落ちた時、誰かを妬んだり、憎んだりする人の気持ちは、分からないでもない。いつでも誰にでも明るく笑顔でふるまえたりするもんか。
……シュートは、できるかも知れないけど。
おれだってシュートに対して憎しみや妬みの感情を抱いたことが無いわけじゃないから。部活を辞めなきゃならなくなった時は、本当に酷かった。
「こういうこというとさ、ゴウジなんかは『断固粉砕すべきに決まっとる!』って言って、聞かないけどさ。ぼくは影法師もそんなに悪くはない、そう思ってる。カゲは科学と似てるよ。使い方次第で良くも悪くもなる。ハンドマッサージだってエロ以外の需要があるだろ?」
街中を歩きながらエロワードを語るのは禁止にしよう。おれが王様ならそういう法律を作る。即位と同時に。
「でも、『ぺんぎんず』は影法師と闘う集団なんですよね?」無視して続ける。
「ああ、そうそう。大切なことを言ってなかったね。うん。影法師達が、それぞれ絶望に落ちた境遇には同情するけど、だからって関係ない人達を巻き込む権利はない。それを止める集団が『ぺんぎんず』だよ」
「あの、なんでおれら、二人一組なんですか? 探し出すんなら人海戦術っていうか、六人しかいないけど、でも、それでも大勢で一斉に探した方が効率が良いんじゃないですか?」
「うん、マヒロくんの言ってることは正しい。でも、ぼく達はカゲを使うってところは影法師と一緒なんだけど、影法師は心の闇を完全に開放してしまっているから、カゲの力は、ぼくらよりずっと強い。ここが肝要だ。ぼくらは、単体では影法師に勝てない。だからこうしてグループになるわけ。男女入り乱れるから乱交に向いてるよね」
おいロン毛。くそう。絶対突っ込んでやらん。って、あれ? 今、重要な事、言ったでしょ。「影法師の方が、強い?」
「うん。彼らは闇の住人、人としての心を捨ててしまった存在だからね。カゲ本来の力を存分に使える。僕ら一人じゃ、ほとんど勝ち目はないんだ」
「……あの、もし、おれ達が負けちゃったら、どうなるんですか?」
「カゲは精神そのものだからね。心が砕かれるか、ひどい時には身体も無くなっちゃうね」
それって、つまり……死ぬ、ってことじゃないか。
「……でも、闘う?」
「うん。そうだよ」事もなげに、カイさんは言った。
「カゲ使いってのは、みんながなれるわけじゃない。そもそも、カゲを使うってのは心を削るし、命だって賭けなきゃならない辛い事だ。なるべくなら普通の人を巻き込みたくない」
カイさんは、おれに一瞬、悲しげな目を向けた。
「本当は、これ以上、仲間が増えて欲しくないんだ。でも、知ってしまい、カゲを使えるようになってしまった以上、ぼくらがやるしかない。誰かが感謝してくれるわけでもないし、誰に見てもらえるわけでもない。孤独に、誰も見ていないカゲの世界で惨めに命を落とすかもしれない。それでも、ね」
「そんな、おれは、そこまで割り切れてないですけど」
「はは。そりゃそうさ。ぼくだってそうだもの。人間、生きているうちは絶対に、死を体験できない。自分が死んじゃうことなんて、誰もがみんな、よくわからないんだよ。言葉には出来ても、本当には分かりっこない。だから、こういう話はね、自分の事は一回棚に上げなきゃできないんだよ」
おれは、思わず噴き出す。
「ふは。そうなんですか」
「ふふ、うん、そうだよ。ええと。何まで話したかな。マヒロくん、カゲには種類があるんだって、言った? 正常位、バック、騎乗位……」
ココヨリ先、不明瞭ノ為、我、記載セズ。
……頑張って翻訳しよう。
カゲには、大きく分けると『近接憑依型』と『遠隔具現型』の二種類に分けられる、ということだった。
『近接憑依型』は、切り取ったカゲを身体に憑依させて使うタイプで、身体能力の向上や、身に纏ったカゲを硬質化させて鎧のように身体を守ったり、武器の様にカゲを使うことができる。
『遠隔具現型』は、カゲを自分の周りに具現化し、操って使うタイプ。カゲを自分から切り離して遠距離を攻撃できたり、カゲに乗って、空を飛んだり、地を走ったり、高速移動ができる。
近接は主に力に優れ、遠隔は主に速さに優れる。
おれや、文化祭の時に襲ってきた厚化粧や、ガチゲイは『近接憑依型』で、カナシーや、最初に見た猫のカゲは『遠隔具現型』だ。
カイさんが話してくれた内容から、変態の要素を抜いてまとめると、大体こういうこと、のはずだ。
うぎぎ。要約するのに、定期テスト五教科分の脳みそと精神力は使ったぞ。おれ。褒めてくれ。誰か、嘘で良いから褒めてくれ。
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……話は今に戻る。
おれたちは、カゲの特訓の為に、ぺんぎん堂の屋上からカゲの世界に入っていた。
「じゃあ、行くよ?」そう言ってカイさんはポケットからカゲを取り出すと
「白日」と呟いた。
とたんにカイさんの周辺に、青く白い輝きが広がる。その中に黒いカゲがす、と立ち上り、カイさんの横に、虎の姿を形どった。
虎の、カゲだった。
虎を更に巨大にした風貌で、全身を白く輝く毛並みに包まれ、四肢は丸太のように太く、大きく戦闘に適したように、筋肉質に膨れ上がった体躯、ふさふさの尻尾、口元には巨大なサバイバルナイフみたいな鋭利な牙が並んでいた。
そして、瑠璃色の光をたたえた瞳が、静かにこちらを見つめている。
「初めて見せるよね。これがぼくのカゲ。白虎だよ」カイさんは虎の喉元を、愛おしそうに撫でている。巨大な虎も、静かにカイさんに身を寄せている。
「これが四神のうちの一つ。西の白虎」
「……シジン? ビャッコ?」
「そう。四つの方位と四季をつかさどる神の事。それが四神。ぼくが白虎、ジュンは朱雀、ゴウジが玄武、キノの青龍。何の偶然だか、ぼくらのカゲは神様の形をしてたんだ。あ、要はちょっと特別で、彼女はサクラのカゲ」
「みんな、動植物の形をしてますね……あれ、おれのヒト型って、ちょっと変、ですか?」
「うーん、まぁ、今までにはない、タイプかなぁ。はは、そんなの気にしないで良いよ。で、ぼくとゴウジが憑依なんだ。で、ぼくの方がベテランだから、きみの教育係ってわけ」
「あ、あの、おれ、最初にカゲを使った時、あの時って全然身体、動かせなかったって言うか」
「はは、そりゃ訓練もしてないし、怒りに任せて解放しちゃったんだろ? ほとんど、カゲに呑まれていたんだ」
白虎の目つきが鋭くなったように、おれは感じた。
「それ、結構危ないことだよ。ヨシヤさんがいなかったら、君は影法師、下手をすればカゲそのものになってたかも知れない」
確かに、間一髪だった。下手をしたら、カナシーも助からなかったかもしれない。あれは、もう既に奇跡だ。
「す、すみません……」
「はは。大丈夫だよ。心を平穏に保っていれば、カゲを制御する事は必ずできる。だから、そのために一生懸命修行しましょう、って話だから。君から修行したい、って言ったくらいだよ、マヒロくんは偉いよ。大丈夫。頑張ろう?」
「は、はい!」
「良い返事だ。じゃあ、行くよ。カゲを使うための特訓、まずは平常心を鍛える訓練だ……」
白虎が地面に溶けていく。
「眼を閉じて……?」
おれは言われたとおり、息を大きく吸って眼を閉じた。
さぁ、何が出て来る。
「はい、開けてごらん?」
眼を明けると、あぁ不健全。
おっぱいがいっぱいだ! うわぁ不健全!
え? え? あ、目の前にはジュンさんがいた。
え? それも大勢。しかもみんな、胸元を強調した服装で、おれの目の前で、悩ましげなポーズをしている。うわぁ、おっぱいがいっぱい。
あ、谷間見えた。
その刹那、おれの体内時計は極限まで凝縮され、空間把握能力を肥大、一瞬で周囲の状況を認識した。
額には閃光が走る。ぴきぃん!
おれの周囲には十七人のジュンさん=三十四個のおっぱいだ!
人は変わっていける、私たちと同じように……。
じゃなくて! 妄想終了。ちょっと強制終了。
な、な、な、なんだこれ? 平成のハレンチ学園か?
「驚いたかい? これが、影分身だよ。カゲ使いはこうして記憶の中の映像をカゲで再現できるんだ。もちろん限界はあるけど」
「え、え、記憶? それじゃ、その」
V字の、物凄いエロい水着みたいのを着けてるジュンさんが、カイさんと一緒に……?
「あっと、もちろんぼくの妄想がかなり占めてるよ? どうだい、ネコ耳眼鏡メイド服のジュン! ミニスカメイド服は二―ハイとのマリアージュによる絶対領域がポイントさ! こっちはピンクのナース服のジュン! 是非とも痛い事をされたいね! さらにさらに、腋とヘソ出しセーラー服のジュン! どうだい? ご所望とあれば要のも作れるよ?! それともキノかい?!」
……すんません。勘弁して下さい。
エロいにはエロいかも知れませんが、おれには怖いだけです。お婆さん達と混浴行かされた気分です。
妄想じゃアリなシチュエーションですが、現実じゃ全然無理です。知り合いのエロい姿とか、キツいだけです。
スクール水着の上にセーラー服を着たジュンさんとか、なんて言うのか、お腹が激減りで、早く何か食べ物を! って時に、美味しいガムの詰め合わせを差し出されたっていうか。キレるわ。何かが。
「ダメだよマヒロくん! 平常心を鍛えるって言ったろ! ほら! 眼を開けて現実を見るんだ!」
つ ら い 。
エロい服装の女の子に囲まれるなんて、酒池肉林の桃源郷だと思っていたけど、知り合いだと……凄絶にノーサンキューだ。
にがじょっぱさハイパーマックス。
しかもジュンさんだなんて。鳩に豆鉄砲というなら、餓死寸前のブンチョウにマカダミアナッツのガトリングキャノンだ。むしろ毒。
「どうした? 恥ずかしがったら、そこで試合終了だよ?」
……全世界のバスケットボールファンに謝罪、してください。
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拷問あらため、地獄の特訓を終え、ほうほうの体で現実世界に帰ってきたおれたちを出迎えてくれたのはおっぱい星人、じゃなかったジュンさんだった。
紅茶を淹れてくれ、そっと差し出してくれた。
「あらあら。どうしたの、世界中の不幸を背負ったみたいな顔しちゃって」と言いながら、心配そうな目でおれを覗き込み、額に触れた。
「ヒィッ!?」
すみません……今のおれには、どうか触れないで下さい……おれ、もう、口から小さいおれが出てきちゃいそうです……魂魄が……エクトプラズム……
「ん? どうしたの? 別に、お紅茶に媚薬とか入れてないわよ?」
現実世界でまで、サラッと何言ってんすか? いや、そうではなくて。
あぁ、さっきまで、半裸であざといポーズをとるジュンさんの大群に囲まれていた、なんて言った日には、おれの背中に百八か所、除夜の鐘と同じ数だけ根性焼きを隈なく入れられてしまいそうだ。
「や、マヒロくんね、さっき初めて実戦形式の特訓をしたから、ね」
「あらら。お疲れさま。じゃあジンジャーティーにしましょうか。疲れが取れるわ」
「うん、そうしてあげて。マヒロくん、一口でも飲むんだよ? 温まるからね」
どんなメンタルしてれば、先ほどの変態ぶりを帳消しにして、真顔でそんなセリフが言えるのか?
くそう。この人のさっきのド変態っぷりを言いたい。暴きたい。
でも言ったらおれも第一級変態野郎の仲間入りだ。望んでもいないのに共犯者。
……それでもボクはやってない。
「やだ、本当に酷い顔色……ねぇカイ、どこまでやったの? マヒロくん、憑依型でしょ? 『夜半』までやったの?」
「いや、まさか。出しただけ。まだ『黄昏』だよ。いくらヨシヤさんに切り取って貰ったとは言え、今すぐ『夜半』まで行ったら『禍時』まで行きかねないからね、一度やりかねちゃってるし。」
「ええ? 『黄昏』でここまで消耗しちゃってるの? よっぽどの力を持ったカゲなのね」そう言うとジュンさんはカウンターを出て、おれの背中を優しくさすってくれた。
「カイ、マヒロくんにはもう白虎たちの説明、した? 私の朱雀で帰り、説明がてら、送って行ってあげようかな、って思うのだけど」
「ああ、是非、そうしてあげてよ。みんなのカゲ、口で説明するより見た方が早いもの。マヒロくん、良いかい?」
「え、あ、や、その……」
出来れば今は一人になりたいっす。いや、一人になりたいって言っても、さっきのをオカズに自家発電するためではなく。
ってもうおれ何考えてんの?
ダメだ……おれの脳味噌、かなりオーバーフローだし、おれの脚は心労から、ダウン寸前のボクサーみたいにカクカク、ズンドコ節を踊っている。
「すみません、ジュンさん、お願いして、いいですか?」
「はぁい。了解。ふふ、やっと二人っきりになれるわね、サービスしちゃうわよ……」
……やっぱり、超絶的に断りたい。
今から断わってはダメだろうか。しかし、カイさんはバイトだとか言ってスタコラ去って行ってしまったし、キノとヨシヤさんは出かけているし、カナシーはゴウジと『ぺんぎんず』の活動にカゲ探しに行ってしまった。助けてカナシー。喫茶店に巨乳美人と二人きり。
これぞ、ヘビに睨まれたカエル。
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「……あの、ジュンさん」
「なぁに? 蚊の羽音みたいな声、出しちゃって。」
「いや、あの、足……」
「なに? 男ならはっきり言いなさい?」
「おれの足、踏んでます……」
「あら、わざとよ?」
「えええ?!」
「ふふ。冗談よ。ほら、行くわよ」
そう言うと先にカゲの世界に入って行ってしまった。あああ。笑顔が怖すぎる。
「赤射」と言ってジュンさんが呼びだした朱雀は、巨大で赤い、コンドルのような姿のカゲで、二人くらいは余裕で乗れる大きさだった。
優雅に広がる羽根は、火の粉のようなカゲを舞い上げ、嘴からは煌煌とした、今にも火に変わりそうな息吹が溢れている。
尾羽は輝く緑や青が混じっていて美しく、朱雀と言うより鳳凰と言った方が似合う気がした。
それに乗って空に舞うジュンさんはさながら天使のようだが待て待て待て、あんなドSな天使はご免こうむる。
ただ、飛んでいる最中「もう、しっかり摑まってなさい」と言われた時には背中空きドレスの素肌に触れたけど。
やましい気持ちなんてなかった。やましい気持ちなんてなかった。
どうして二回言ったのかは秘密にしますが。
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そんなこんなで、まもなく十二月二十四日、クリスマスイブがメリーに到来する。
おれにとっては、聖クリスマスは一味違った意味合いがある。
シュートの誕生会が、超豪邸シュート宅にて、三十人くらいの友だちを集めて行われるから。アホシュートは、この日の為にわざわざサンタクロースのコスプレ衣装を買ってきた。
曰く、「来てくれた人へのサプライズだよ!」とのことだが、衣装を買いに行くのに付き合ったおれには、全然サプライズってない。その衣装が浅草橋で3800円だったってトコまで知ってるから。背中に背負う袋付きで3800円。実に浅草橋プライス。わざわざ東京まで出向いた甲斐がある、かどうかは分からないけど。
ていうか、みんなの前でサンタの格好って、恥ずかしくないのか。
おれにとっては高難度の罰ゲームだぞ。
もしおれがやったら、サンタっつうかサタンだよ……まぁ、ファッションについては、おれなんかがシュートに対して語れるわけもなく。
それに、自分の誕生日を素直に喜べるって言うのは、少し羨ましい。
おれは誕生日がお盆に重なっていることもあって、誕生会なんて開いたことはない。
一度、シュートがおれに内緒で開こうとして、人が集まらな過ぎて開けなかった、と泣きながら謝られたことはあったけど。
……開けなくて、正解ですが。
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「え、カナシー、来れないの」そう聞いた時、おれは思わず声を上げてしまった。
「そう、なの…ごめん、なさい…」そう言って彼女はまた、悲しげにうつむく。
夕暮れ時の児童公園は、もう誰もいない。
冬になって陽が短くなってからは、子どもたちは早めに家に帰っている。住宅街に取り残されたように残っている、小さな児童公園でおれたちは二人、肩を並べてブランコに乗っていた。
キィ、キィ。錆ついたブランコはこぐと切なげな音を上げる。キィ、キィ。
時々、どこかからカレーの匂いが漂ってくる。
「お正月、毎年、実家に戻るの…今年は、叔父が、亡くなったから…少し長めに…それで…」言いにくそうに喋るカナシーはブランコをこがず、鎖をただ握りしめている。
「そっ、か……」
おれは、単純にクリスマスをカナシーと過ごせないことに、がっかりした。
キィ、キィ。
思わず肩が落ちる。鎖を握りしめていた手が鉄臭い。
「いつから、行くの?」
「ちょうど、二十四日…だから、今年、もうマヒロに…」
鎖から放した手のひらをぎゅ、と握りしめた。
「会えない、の…」
そう言って、真っ直ぐにおれを見た。
「あ、はは……」
彼女の直球の言葉が、視線が、胸に響く。乾いた声が出てしまう。
でも。おれは。彼女を。
「年が明けたらすぐ、会えるよ。ていうか会いに行く。毎日さ、メールするよ。電話も。離れてたって」
カナシーはおれから視線を外さない。
「……そりゃ、寂しいんだけどね」
その言葉に彼女はニコ、と笑ってくれる。
その顔だけで、たぶんおれは、なんだってできてしまうんだ。
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二十四日の午後五時から始まったバースデーパーティは、開始十分で早くも変声期後の男女の叫び声に包まれていた。
シュートのお父さんが他大学の教授仲間を集めて教授会の懇親会を開くこともある、巨大なシュート宅の応接間には大勢の高校生、クラスの友達にその人たちが呼んだ他クラスの生徒、生徒会関連の仲間にシュートが助っ人に入った事のある部活動の主要メンバー、そんなこんなで総勢四十人強が集まっている。
テーブルの上には、スパゲッティーの山が盛られた六つの大皿、その脇にはミートソース、たらこソース、カルボナーラにバジルソースにサーモンクリーム等のソースの缶詰が並べられ、自分で好きなだけパスタを取って、自由に味をカスタマイズできるようになっている。
その他にはデリバリーのピザ、お寿司、フライドチキン、フルーツポンチなどなど、見ているだけでお腹がいっぱいになる御馳走が山と積まれている。そして真ん中にはどこで調達したんだか、おいおいウエディング用じゃないのかと言いたくなる、巨大なケーキ。
パーティはサンタのコスプレをしたシュートと、胸元の銀のペンダントがお洒落なヨシカちゃんを中心に、和やかかつ円滑に進んでいく。
バースデーソングを歌い終え大量のクラッカーが鳴らされ、ローソクの火も消され、雑談ムードに変わった部屋で、おれは人の輪から離れて壁際のソファに腰掛けた。
全員が浮かれているけれど、幸福を讃える空気に包まれている。
普段はモード系の爽やかイケメンが、モサモサのヒゲ付きサンタコスプレって爆笑……だと思っていたが大外れ、シュートは完全にみんなの輪の中心として大車輪をかましている。
「日向、おめ。これ母ちゃんがお前にって」
「うわ、ほんと? ありがと! お母さん、元気? 今度会いたいな!」
「日向くーん! サンタちょー似合ってる!」
「あは、ありがと! タカトオさんも今日可愛いよ!」
「も、やぁだぁ!」
「日向先輩、写メ撮らして下さい!」
「もちろん。サミダレさんと写れるなんて嬉しいよ!」
なんたる捌き具合。お前、公開番組の司会者? さすがシュート……。参ったよ。女子に「可愛いね」の一言が言えたら人生が楽なのかな……。
息を吐いて頭を振る。
すごいな、シュート。改めて、親友の人望の厚さを思い知る。
普段はおれと二人でいるけれど、その気になればお前は、こんなにも大勢に囲まれて。お前には絶対言えないけど、お前は……そっちの方が似合ってるんだ。
「先輩? どうかしました? どこか具合悪いですか?」
うな垂れていたおれを見つけた加賀美さんが、ちょこちょこと近寄ってくる。
いつもの小鳥の髪留めに、ちょっとよそ行きか、タータンチェックのセーター地のワンピースに黒のズボン。
「ん、や、あはは、大丈夫、悪いのは気色だけ」
「えっ? やだもー、何言ってるんですか。えへへ……」
そう言うとグラスを取っておれの目の前に来る。
「あの、あたしもご一緒して良いですか?」
「あ、うん、そりゃもちろん」
おれは彼女が座れるよう、少しソファをずれる。
「あ、良いですよそんなぁ。よいしょっと……」
ちょこん、とおれの隣に腰掛けた。
「先輩ってこういう時、疲れたような顔してますよねー。ほんとに大丈夫ですかぁ?」
「ん、そう見える?」
「あたしのシックスセンスがそう言ってます!」
「はは。良い勘だね……うん、そうだね、あまり得意な状況じゃ、ない、かな、人が多いお祭りみたいのは」
「へぇえ。あたしと一緒ですね!」
「え?」
「あ、何かシンガイだなぁ。辛亥革命ですよ先輩!」漢字が間違ってますが。
「え、あ。いや、ごめんごめん。その、おれの中の加賀美さんイメージとあまりに違ったから。お祭りとか、好きそうに見えてたんだ」
「んー、お祭り自体は大好きなんですよ。でもですね、その……」そう言って加賀美さんは頬を少し撫でている。
「例えば花火大会とかありますよね? そういうのがあるって知った時はもうワァーってなって、友だちとどうやって見ようか、どこを廻ろうか、ってすっごく楽しく考えるんです。当日までドッキドキで、その日になったらもう心臓バックバクで!」
シュートは、おれの方に何度か心配そうな視線を送っている。
今は王様ゲームで王様になり、ムムム、と頭を捻る仕草をしつつ命令を考えている。周りの女子は狂乱の騒ぎで、男子は期待と興奮と不安の眼でシュートを見ている。
「でも、いざ本番っ! ってなったら、あたし、楽しいなぁ! って思いながら、心のどこかでは『あぁ、もう始まっちゃった、じゃあ終わっちゃうじゃん、嫌、嫌、いやぁ……』って、まさに花火が打ちあがってる最中に切なくなっちゃうんです……」
指でソファの毛玉を突っついている。
「変ですよね、楽しみなのに始まった途端に嫌だって。すみません、あははっ、あたし、頭良くないから上手く言えないや。すみません」と、舌を小さく出して笑っている。
……そうか。
だからバレー部にいながらも、生徒会に入ったのかな。
企画が、みんなが盛り上がってくれるのが楽しい。でも、いつもどこか寂しい。意外だけど、なんだろう、加賀美さんにこういう面があって、おれはどこか、嬉しい。
「あー、やーだなーもうっ! 少し暗くなっちゃいましたっ! イケませんねー、麻奈ちゃん、本気モード入りますっ! 先輩っ!」
がし、と肩を摑まれた。うわ、さすがバレー部、力持ち。
「はいっ?」なんですか。脅すんですか? カツアゲですか?
「聞いてくださいっ! 麻奈ちゃんにも漂ってきたんですよ、恋の香りがっっ!」
「へええ。良かったじゃない」いや、おれに恋の話をしても不毛すぎる気がするが……。馬の耳に念仏の方が有用そうだ。しかし、言われたからには聞かねばなるまい。「ねぇ、相手、誰?」
「え、いや、そのぉ」
途端にうつむき、もじもじしている。や、自分から言っておいて。
「誰なの? ねぇ、言わないからさ?」
声をひそめて聞いてみる。というか聞いて欲しいんですよね、これは間違いなく。
「あはは、いやぁ、そのぉ。うへへ……」
きみは酔ったオッサンか。変な言葉遣いで身をくねらせて。外見が可愛いオッサンか。
へらへらになった加賀美さんは、真っ赤になりながら、ようやっと顔を上げた。
「あ、あの人ですよぉ、あそこの、ほら……」
「ん?」
加賀美さんの視線の先にはトランプをしている一団がいる。見知った顔もいる。
「あそこで、ほら、今、アガった……」
― フィリリリン!
おれの携帯が鳴った。誰から?
画面を見て、おれは息を呑んだ。
どうかしましたかぁ? 加賀美さんがおれを覗き込む。
「いや、何でもないよ。母さんから。今夜遅くなったから心配させちゃったんだ」そう言って取り繕う。落ち着け。
加賀美さんの視線の先の男子生徒は。
おれの、元チームメイト。
野球部のエース、黒羽時雨。
おれが、高校野球をしていた二年間で、ただの一度も勝てなかった相手。いや。それはいい。ただ。
……カゲ探知アプリが、起動している。
「『カゲ・危険度・大・影法師』」。
アプリは時雨をそう、表示していた。