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飛べない鳥の唄  作者: ぴーくおっど
5/30

祭りと恋愛と激情と。

  文化祭、当日。


 おれは臨時生徒会として『生徒会役員』のバッジをつけ、昭和技術のロボットの如くぎこちない動きで、来場者にパンフレットを渡す係をしていた。


 シュートのタイムテーブルを見て思わず、手伝いを願い出た。

 会社の重役真っ青、売れっ子芸人が裸足で逃げ出す分刻み、下手したら秒刻みののギチギチな日程が、そこにはあった。昼御飯を取る時間すら……無いじゃないか。アホか。

 出展物のチェックから、協賛してくれた法人への挨拶回り、各クラスの運営状況の確認に、貸出物の点呼、イベントスケジュールのリアルタイム調整まで、ほとんど一人でこなす超人シュートがそこにいた。

 何、お前、聖徳太子でも目指してるの?! 一度に五人の話を同時に聞けるようになりたいの?! もしくは千手観音か!? 目指すは、その高みなのか?!


 ……アホな妄言はさておき、愚痴も文句も言わず、一人で黙々と過酷な作業をこなせてしまう辺りが、シュートのシュートたる所以なのだが、さすがに友達のそんな姿を放っては置けないし、「現場が第一だよ!」とか、どこかの営業部長のように言ってるあいつは、下手をすれば受付まで自分でやりかねない。まったく。

 そこで仕方なしに、おれは慣れない造り笑顔、死後硬直のごときスマイルを浮かべ、ヘラヘラと受付をしていた。

 しかし、去年も見たとは言え、たかだか高校の文化祭に、物凄い人出だ。パンフの山が次々と消えていく。一応、人気校なんだよな、ウチ。入ったらそんな事、屁の河童なくらいどうでも良くなるんだけど。男子トイレ、汚いし。



 結局、あれ以来影法師は来なかったし、引き出したはずのカゲも、うんともすんとも言わなかった。

 シュートはあの後、予想通り、何も聞いて来なかったし、校舎裏での険悪なやり取りの後も、何も変わらず、おれと接してくれていた。

 言いたいことも、聞きたいことも、責めたいことも、たくさんあるだろうに、おれを信じてくれているのか。お前の心、菩薩? 阿弥陀如来? クールジャパン? ハラショー。あ、こうしてみると、ある意味、千手観音には近いかも。

 

 カナシーにも、影法師に襲われたことは黙っていた。

 味気ないメールのやり取りだけでも、彼女がおれをカゲから遠ざけたいのは伝わってきたし、余計な心配をかけたくなかった。


 だから、ちょっぴりお洒落したカナシーが正門に見えて、それをおれの後ろから見ていたシュートに、ほとんど無理やり暇を言いつけられ、二人で文化祭を回ることになった時も、カゲの話題は持ち出さなかった。


「いいの…本当に、私と一緒に…回っていて…?」

「え? あ、うん。大丈夫だよ。特に誰とも約束なんてしてないし」

 カナシーは初めて会った日と同じ、白いストローハットを被って、ベージュ色の丸エリ付きのトップスに、黒と赤のチェック模様スカートという格好で、来た時からもう、ずっと頬が赤い。けして頬紅では無い赤さで。

 相変わらず、おれの後ろをついてくる形。おれは話しかけるたびに振り向いてる。

 

 ああくそ、シュートがおれを送り出しながら「手ぐらい繋ぎなよ!」とか言いやがったせいか、心なしか緊張している。

 もー、あの一言のせいで喋りにくさも五割増しだ。いつから手をつなぐ仲になったんだ。あのアホ。

 その……つなぎたくない、わけじゃない、けれどさ。

 でも、それって恋人同士がやる事だろ? おれは……彼女と、付き合いたいのか?

 おれが誰かに……好かれるのか? んなバカな。


『お前さんのことを、みんな好きなんだ』


 ……ヨシヤさんの言葉が、頭を逡巡する。

 何だか人ごみの中で物を考えたせいで、ひどく混乱してきた。ダメだ、考えるのは止めよう。レットイット・ビー。


「それより、さ、来てくれて、本当にありがとう」

「ううん…呼んでくれて、嬉しかった…から…」

「カナシーの文化祭は?」あ、これメールで聞いてる。アホかおれは。

「もう、終わってる…ごめんなさい…」

「いんだいんだ、終わってることを。ごめん」


 ああ、やばい。会話がない。ヨシカちゃんにカナシーのこと聞いて、会話の予習しておくべきだった。

 いや待て、友だちと会うのに予習ってなんだ? 


「カナシー、無い? その、どこか、行ってみたいところ?」

「…未来…?」

 ダメだ、これ、予習が必要なレベルだ! ボケてるのか、天然なのか、全然分からん。

「あ、ははは……」とりあえず笑っとけ。世界が平和になる。ピース。

「……」


 無言である。 乾いた笑いが虚しく響いて消えた。捻じりまくった首が痛い。

 ……だめだ。窒息死します。このままだと。

 さっきから二人の間に音なんて周りのざわめきしかない。売れないお笑いコンビの、つまらないネタを見つめる客席のごとく、静まり返っている。

 そう感じ取ったおれは耐えきれず、もう正直に喋っていくことにした。人間正直が一番、なはずだ。


 そう思った時、既におれ達は人だかりから外れ、校舎を覆うように校庭に植林されたイチョウの樹の下に来ていた。


 グラウンドには文化祭のメインイベント、キャンプファイヤーの櫓が組まれているが、今はまだ人だかりもなく静かだ。

 おれが去年、汗と泥にまみれてボールを追いかけた、グラウンド。その端をおれ達は歩く。


「ごめんね、その、おれ、女の子と会話したこと、あんまりないから、喋るの、下手で」

「…私も、ない…男の子、知らないから…」

「そっか……こないだもそうだったけど、会話とか、つまらないよね。ごめん……」

 イチョウの樹に手を当てる。俯いてしまう。でも、言葉は、溢れた。

「もっと上手く喋れたら、っていつも思うんだけど。人と繋がりたい、って。でも、いつもダメで……。シュート、あいつはさ、誰とでも話せて、相手を楽しませられるんだ。いや、おれは逆立ちしたってあいつになれないけど、せめてあいつの横に立ちたい、って」


 彼女は黙っている。

 真剣なまなざしを、おれは背後から感じた。


「何でか分かんないけど、アイツがおれと一緒にいるなら、おれ、あいつの前に堂々と立てるようになりたくて、でも、おれは、おれがどれだけ頑張っても……」

「……」


 はっ。しまった。カナシーはさっきから、ずっと無言で立ち止まってる。

 まずった、正直すぎたか? おれは首から身体を曲げる格好で振りかえり、彼女を見る。被っていたストローハットを取り、胸のところで抱きしめている彼女は何かためらっているような、そんな体勢だった。

 そうですよね、自分がつまらなくてごめんって、地雷ですよね。自分語りとか、独りよがりですよね。そう思ってまた、ごめん、と、そう言いかけた。その時。


「私…」

 カナシーが一歩、進んだ。決然と。

「あ、あなたの、そういう、とこ…」

 前髪を掻きあげ、青く黒い瞳で真っ直ぐにおれを見つめ、言った。

 

「す、好き……」

「え」 


― ドックン!!


 おれ、きみの、その言葉だけで、なんでも出来ちゃうなって気がして。

 おれ今、キノピオが人間になったフィーリングだぞ、って気がして。


 だが。

 おれを突き飛ばしたカナシーがカゲに呑まれたのを見、正気に戻った。

 影法師がまた来たのか。ふわふわ気分があっという間に掻き消えた。

 ……くそっ!

 なんでいつも、おれは。鏡を探して体育館に急ぐ。脚を引きずって。走れない脚なんて。くそ。

 大きな鏡があればカゲの世界に行けるはずだ。ポケットからカゲを取り出す。反応してくれ。うんともすんとも言わない。


「くそっ」鏡が体育館に無い。体育館は全てのカーテンを閉め、照明を落とされている。バレエ部が練習で使う大きな姿見が無くなっている。そうか、軽音部がライブをやるとかで。

「なんで、こんな時にっ……」

「あれ? 新月、先輩?」ステージ前の暗がりで作業していた加賀美さんが、おれの声に驚いてこっちに来た。良かった。生徒会の彼女なら知ってる。渡りに船だ。

「加賀美さん、鏡、知らない?」

「え? あたし、ここに」

「ちがくて。ミラー」歯がゆい。

「あ、あー。すみません。あたしてっきり」

「っ知らない?」つい、加賀美さんにも怒ってる声が出てしまう。

「す、すみません、あの、ライブステージにするからどけたんです。さっき、体育館倉庫に」

「ありがとう」急がないと。

「先輩? ちょ、ちょっと先輩? せんぱぁいぃ!」


 加賀美さんの声が遠ざかる。足早に体育館の西側、緑色のフェンスと校庭の間にある倉庫へ向かう。くそ。おれは、おれも、カナシーをこんなにも。扉が見える。南京錠が開いている。


 ダァン! 勢いよく扉を開けると、少しだけ光が入った暗がりの中で悲鳴が上がる。こんな石灰臭い中でヤッてるカップルにかまけていられるか。

 次々に陳列物にかけられたシーツを取り払う。砂混じりの埃が舞う。バスケットボール。違う。バレーボール。これも違う。埃の無い、まだ白いシーツ。バサッ。あった! これだ、姿見。

 おれは背後の聞きとれない甲高い女性の文句も、裏返った男の罵声も気に留めず、携帯をかざして鏡の中へ入って行った。



  □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□



「久しぶりね、ぼうやぁ?」

 モノトーンの世界に入った直後、むかっとする艶のある声が聞こえた時、おれの身体はもう動かなかった。

「って言っても一週間ぶりだけど。ま、それだけあたしの忍ぶ気持ちが強かった、てことかしらね。耐え忍ぶ恋は辛いわぁ……」

「あんた、あの時のっ……!」

 今日も同じドレス着てやがる。臭うぞ。あれ、美人でも臭うのか? 知るか。こんな厚化粧。


「うふふ。影縛り。動けないでしょ? ぼうや、タイムリミットよ。カゲは使えるようになってるわよね?」

「あんたには、教えたくないね」

「あぁら、そう。いいわぁ。彼女に聞くからぁ……」


 おれは黒い触手に摑まれ、無理やり校庭に運ばれた。どれほど力を出しても体は動かせなかった。


 カナシーが、モノトーンのグラウンドでカゲを使い戦っている姿が、見えた。何もかもモノクロ風景の中で、そこだけが総天然色だ。カナシーの前方には巨大な犬型のカゲ。


 ぱららぱららぱららぱらららーん。盛大にファンファーレを鳴らしまくる楽団を後ろに従えた、笑う犬のカゲ。


― グボァァァァッ!! 

 咆哮するたびに、校舎の窓ガラスが割れる。何て衝撃だ。


「あのカゲ、一週間でね、ずいぶん強くなったわよぉ。男子三日会わざれば、ってやつよねぇ」

「カナシー!」声だけは出せた。

 が、身体は縛られたように動かない。それでも何とか、精一杯眼をやると、カナシーは背後の巨大な樹のカゲから葉のようなものを相手に飛ばしているが、犬の形をしたカゲにはほとんど効き目がない。


― ゥオホホホホッ!

 犬が奇妙な笑い声を上げるたびに、ヤツの足元が衝撃でへこんでいく。魔獣。そんなイメージが頭に浮かんだ。


「あのカゲ、犬型ってのがねぇ。攻撃的よぉ。彼女のカゲ、攻撃には向いてないから危ないんじゃないかしらぁ?」


 降りしきる葉を蹴散らし、魔獣がカナシーの懐に飛び込んだ。やめろぉっ!

 

― ズムッ。

 魔獣の真下から巨大な刺が伸び、貫く。

 ズムッ。カゲは鈍い音とともに二度、三度貫かれ、校舎の三階ほどの高さの宙にまで舞い上げられ、ゆっくりと地面に崩れ落ち、輪郭を無くして溶けていった。


「あら、あらあら?」

「女子だって…三日で、変わるわ…」そう言い放ち、こちらに歩いてくるカナシーの目つきは、鋭い。

「やだ、立ち聞きっていうか、闘い聞き、してたのぉ? お下品ねぇ。お仕置き、しないとねぇ!」そう叫んだ女の触手が、カナシーに伸びる。

「逃げて、カナシー!」

「大丈夫…マヒロ、助ける…」カナシーの樹のカゲが伸び、女の触手と衝突した。風圧が起こりおれの頬を揺らす。

「んま。本当に…強くなってるわぁ…!」

「マヒロのため…なら、私…」しなやかに、でも力強く、彼女の両腕が舞う。

「春霞…たなびく山の…桜花…見れどもあかぬ…君にもあるかな…」

 更に女の周囲に葉が舞う。

 オールレンジ・アタック。

「倒す…」

 もがいていたおれの身体が動いた瞬間、女の触手が辺りを薙ぎ払った。

「誰を?」と、絶対零度の声を上げて。

 女の動きは俊敏だった。カナシーが次の手を繰り出す間もなく、まっすぐ伸びた触手が数本、カナシーの身体を貫いた ―


「カナシぃぃ!」


 触手で幾度も貫かれる、彼女の細くて華奢な身体。

 オルゴールの音色と共に軽やかに踊る、バレリーナの人形みたいだった。

 目が、合った。― 逃げて ― そう動いた彼女の唇から、どぅと黒いものが噴き出している。落下する。貫かれる。再び落下。地面。

 ドチャ……。

 女が、嗤っている。


「カナシぃぃ!」駆けよる。首元をかかえて抱き起こす。彼女の口から黒いカゲが流れて止まらない。背後では女の笑い声。

「カナシー!」底の見えない、暗い大きな穴が、いくつも身体に空いている。カナシーの口が、微かに動いている。


― に、げ、て ―


「やめてよ、もういいよ、おれのことは!」


 ゆっくり、彼女の口が動く。


― す、き。 ―


 ……強く、抱き寄せる。


「おれも、だよ」抱き締め、耳元で答える。「好きだ、カナシー……」


― う、ん。 ―


「ごめんね。さっき、言えなくて」

 彼女の前髪を掃う。黒く青い瞳に、おれが映る。

「言われて、すごく嬉しかった。心臓、飛び出るかと思った。なのにおれは、きみに何も言えなくて。ごめんね」 

 そっと、頭を抱かれる。


― いい、の。すき。 まひろ。 ―


「初めて、なんだ。好きになったの。人がおれを好きでいてくれるとか、なんでだ、ってずっと思ってて。シュートもさ、よく言うんだ、おれを好きだって。なんでだ、って。おれなんかじゃないだろ、って」なんでだか、震えているのに、出した声は、笑っていた。

 撫でられる。ゆっくりと。何よりも優しい瞳が、おれを見ている。

「でも間違ってた。好きも嫌いも理由はないんだって。おれが、自分で好きになって、初めて分かったんだ。ううん、違う。本当は、誰かを好きになるの、怖かったんだ。ずぅっと。隣に並ぶの、怖かった。同じ立場に立つのが。おれは、みんなにもらっても何も返せないんじゃないかって」


 ……コトリ。

 おれを撫でていた手が、落ちる。視線が外れ、光が消えていく。


 撫でるように、瞼を閉じさせた。頬を撫でる。冷たい、な。おれを見てる時は、いつも火照っていた顔が。おれ、きみに何か返せたかな? 返せてない。

 返せてないよ。

 まだ、何も……。

 なんで。こんな。いつも。おれは。

― 許せねぇよ。


 ゆらり、と立ち上がる。正面から見据えても女はずっと嗤っている。

「人の笑顔って、こんな邪魔だったっけ……」

「うふふふぅ。優しいぼうやは、彼女を一人ぼっちには、させないわよねぇぇっ!」伸びてくる触手。右手で摑む。

「あら……?」

「なんつったっけ、十字路で悪魔と契約したギタリスト」

 そんな伝説があった。なんつったっけ。

「はは、自分の命と引き換えで名曲作れるとか」

 笑える。

「おれならマジそっこーやるね、こんな、間抜けな根暗、はは、そっこーだよそっこー」口を動かしながら、もう、考える間もない。左手でポケットからカゲを取り出す。黒いオーラが渦巻いている。


「あいつ、ツブす。手伝え!」

『待ッテタゼェェ……』

 鬼の歓声が、した。


 鈍く低い不吉な音が、鼓膜の内側から響いた。


 身体が、動かなくなった。

 いや。身体は動いている。ただ、おれが動かして無い。そうだ。触感や、痛覚がない。でも見える。聞こえる。女の声も。


「なに……?! おっきな人型のカゲが、ぼうやを包んでる? ひ、ヒト型?! あり得ない! あり得ないわ?!」


 摑んでいた触手を、たやすく引きちぎる。

 ブツツツッ。

 脚を縮め、解放、飛びこむ。間合いを潰す。

 相手が飛びのく。伸びて来る触手。弾く。金属がぶつかるような音がする。

 ガァン! 右に。

 ギィン! 下に。

 ゴォン! 正面に。

 弾く度に飛び散る、赤い閃光。女の顔が、恐怖と驚きで、歪む。

 ゴッ!

 触手にカウンターで左手。摑んで、そのまま裂く。ゆっくりとビニールの様に裂けていく触手。さらに歪んでいく女の顔。しかし、笑みがゆらめく。

 瞬間、女の右腕が形を変える。槍のように。突かれる。

 風を切る音。

 屈みこんで、かわす。低い体勢のまま、懐に突っこむ。

 ギュン!

 右手で脇腹を貫く。

 ズヌッ。

 

 意識が、勝手に動く身体に追い付かない。全部、反射で動いてるような。何千、何万と繰り返したように、的確に鋭く、身体を動かしている。これが、カゲの力……なのか?

 

 深手を負った相手が飛びのく。同時に伸びて来る、無数の触手。こちらも飛ぶ。触手をかわし、大きく弧を描いて校舎脇の木々の間に。続けざま、丸太が飛んでくる。キャンプファイヤーの木材だ。


 蹴り払う。湿った破裂音がして、頑強な木材が、四散する。簡単に。

 シュ、タタタッ。

 イチョウの枝を蹴る。そして登る。駆けあがる。

 タァンッ! 高く跳ねる。四階建て校舎より高く。

 上空で回転して、刹那の静止。


 ……ボッ! 踵落とし。上空から。女の左肩めがけ。裂ける。勢い、グラウンドが削られる。轟音。

 女の肩口からカゲが噴き出る。おれでないおれは、追い打ち、そのまま地面に手を突いて、身体を捻る。

 鋭い風切り音。

 逆立ちの姿勢で地面を回転。風圧を感じる。あ、なんだっけ、これ。

 ああ。カポエイラ。

 二段蹴り。深く鈍い音と共に、弾け飛ぶ女の頭。しかし動きが止まる。おれの。

 女が嗤っている。口から影を吐きながら。

「影縛りよ。ざぁんねぇん」女はしてやったり、と嗤っている。

 触手が全身に纏わりついてくる。締め付けられる。

 嗤う女の槍が、漆黒のオーラを放つ。右腕の槍が。

 やばい。狙われた。


『ゥオオオオォォ……!』


 地を裂くような咆哮。おれでないおれの。鬼の、猛り声。

 そして、両腕が動く。ゆっくりと。

 ……ブツッ。

 全身を絡め取った触手が、千切れる。

 ブツ、ブツ、ブツッ。

 鬼を縛り上げた強固な触手が、次々と容易く千切れていく。信じられないと言った形相で、女が恐怖している。


『死ネヨ……!』


 ゴッ!


 ふいに、衝撃と共に視界がぶれる。おれの右手が、脇腹をガードしている。攻撃された右側を向く。

 ……新手、か。


「はじめましてだな! 少年っ!」


 校庭にはどこから現れたのか、金髪ポニーテールの白タキシードが立っている。

 男は、精悍な彫りの深い顔立ち。背後には、揺らめくカゲのオーラ。

 誰? しかし身体は反応している。跳躍して。そっか、影法師だ、こいつも。おれがそう思った時にはもう、カゲのおれは相手を蹴っている。右足で。

 ガァン!

 防がれた。


「褥のカゲを感じて来てみれば!」と、男はガードした体制のまま、喋る。

「よもや君に出会えようとはな。何たる僥倖。今朝の星座占いも、牡牛座は最高調であった! 特に恋愛がな! 名を名乗らせてもらおう。私の名は最上・天子(さいじょう・てんし)! まさしく君にとってのアークエンジェル! そう、私は君に心奪われた、運命の男だ!」


 ギャン!

 弾かれる。着地。同時に目線が低くなる。おれは腰を落としている。

 と、不意に男が、感極まった表情で叫んだ。


嗚呼(ああ)……この感情の昂り……我が胸を貫き、全身を焦がすこの想い……まさしく! フォーリン・ラブだぁあっ!」

 誰も得をしない告白だ。


『シュフフルル……』おれが唸っている。

『ォァアアア!』叫び声とともに、空気が渦巻く。

「ふふははは! 渾身のプロポーズも、素気無くあしらわれるとは! それでこそだ! その殺気。我が闘志、炎に萌ゆるぅっ!」

 何言ってんのこの人。股間がパンパンに膨らんでるんですけど。超ガチのゲイ? ていうか変態だ。

「良いぞ、感じる、あぁ、感じるぅ!」良いけどさ、叫びながら腰、振るな。

「君を包み込んだ巨大なカゲ。何とも雄々しく逞しい。私も人型のカゲとは、初めて相まみえる。全身全霊全精力を持ってぇ、勝負を挑むぅ!」


 そうかい。知るかよ。死ね。スライディング。いや。水面蹴り。跳んで避けられる。そのまま、男が上から掌底(しょうてい)を繰り出す。

 低く鋭い金属音が弾ける。

 掌底にカウンター。合わせて摑む。押し合う。


「なんとぉ!」いちいち男は叫ぶ。歌舞伎役者か。

「力戦型の私と同じ、或いはそれ以上の力だとぉっ!?」尚も男は叫んでいる。歓喜している。

「信じられん。さすれば、奥義ぃ! 爆熱っ……ぐぇっ」蹴り飛ばした、思いっきり。ガラ空きの腹を。吹き飛んだ男を追う。跳ねる。


 ドゥ!

 回し蹴り。右脚。弾け飛ぶ、男の身体。反転。追う。

 ズダァァン!

 地面に叩きつける。両腕で締める。首を。

 ……ほら。死だ。

 ドムッ。

 下から腹を蹴られる。身体が吹っ飛ぶ。だが空中で反転、体勢を立て直し、着地。すぐさま、低く身構える。


「はっ、はあっ、さすがだ! これぞ魂の衝突! 君の期待に応え、お見せしよう。奥義ぃぃっ! ムラマサぁ! マサムネぇ!」


 叫んだ男の腕から影が伸びて、刃の形になる。

 あの、何かやる時、イチイチ叫ばないとダメなんですか? あなたは?

 やがて、男が手にしたのは、分厚い鉈の様な刀。二刀の。え、二刀流? 男の背後のカゲが濃く暗くなっていき身体に密着、陣羽織のような黒いカゲになった。


「これぞ、柳生の漆黒……」

 今度は日本舞踊のようなポーズで語りだした。エリマキトカゲか。相手を威嚇してるのか。わからん。


「我が天馬流(てんまりゅう)の極意。人種も性別も超越した私の愛情と共に、とくと味わっていただこう!」性別を超越する必要を感じない。

 

― 黙って死ね。今度こそ。


 だが、身体は動くのを止めた。

 止まる。膝から落ちる。

 ガクン。地面に倒れる。立たない。立てない。


「何とぉ!」男が叫んでいる。

「身体が本調子でない、とはな。くくくく、それで私をここまで追い詰めるとは……何たる強さ! やはり運命を感じる。運命と書いてディスティニーと読む! ふは、ふはははは!」男の高笑いが響く。運命がディスティニーって。


天晴(あっぱ)れだ、少年! だが、次こそは真剣を望む。今日は引き上げよう……(しとね)。下がるぞ」

「……あんたに手を貸されるなんてねぇ。お笑い草ね、ほんと……」

「お互い様だ。私とて仲間を捨てていくほど破廉恥ではない……ではさらばだ、少年。再会を心待ちにしているぞ!」


 足音が遠ざかっていく。待てよ。しかし立つことはできず、地面を不様に転がるだけだ。脚が、動かせない。目の前に地面。

 しだいに、全身が動かなくなっていく。おい……カゲの、おれ……?

 不意に、感覚が戻ってくる。汗で身体が濡れている。寒い。動けない。

 そうか、ヨシヤさん、言ってた。これが、カゲ、使うなって、理由……。


 ……カナシー。

 仇、討てなかった。

 ……シュート。

 おれ、お前を守るって思ってたのに。

 結局、何も。


 ……ごめん、ね……。


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