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飛べない鳥の唄  作者: ぴーくおっど
4/30

化粧と侍とひ弱な決意。

 あくる日の昼休み。

 いつものように、シュートと昼飯に行こうと、中庭を通り、学食に向かう道すがら。

 フィリリリリリン! 着信? こんな時間に誰から?

 「『カゲ・危険度・中』」

 あー……忘れてた。これ、カゲの探知機だった。

 フィリリリリリン! 切れた。同時に、アプリが起動する。マップアプリに似ているが、目的地名が「カゲ」かよ。どうする。

 「電話、大丈夫?」

 シュートが、心配そうに聞いてくる。あのね、いちいちね、んな捨てられた子犬のみたいな眼をするな、っての。

「うーん、シュート、悪い、昼、一人で行ってくれるか? つか、たまにはヨシカちゃんと行け。おれ、行かなきゃならんわ」

「え?」

「ラヴコール。カナシーだ。学校、抜けてきたらしい」


 ピュ! 口笛を吹くシュートを尻目に、おれは小走りになる。が、途端に鈍い痛みがのしかかる。くそ。走れない脚なんて。「脚なんて飾りですよ」とか言ったヤツ、ぶっ飛ばす。

 ええと。マップ表示されたところは。これは……!

 マジかよ。ウチの学校じゃんか。校舎裏だ。緑色のフェンスに面した、昼でも陽の入らない場所。向かうと、点々と文房具が落ちている。その先には教科書。これ。これ、まさか、イジメかよ。

 そう思った視線の先に、半裸の男子生徒が倒れている。身体には、無数の青痣。それも、制服で隠れる部分にだけ。くそ。手慣れたヤツらがやって、終わった後、かよ。大丈夫か、と倒れた生徒に声をかけようとした、その生徒の影が……伸びた。

 シュルシュル…と、黒い瘴気が立ち上っていく。マジか。これが、カゲだったのかよ。人だぜ? どうする。どうすんのよ、おれ!?


「どうしよっか?」

 背後で、声。振り返ろうとした刹那、またカゲに呑みこまれた。

「なぁぁぁっ!」


  □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


 眼を覚ますと、再びモノトーンの世界。

 目の前には、背が高く赤い長髪の女性が立っていた。なんだこの人。学校でドレス姿ですと? 胸元を強調するように開いた、黒のロングドレス。一瞬でも豊満な胸元に目が行った、自分がとても情けない。男の性である。


「さぁて、こっこでぇ、問題でぇす。私は誰でしょう? ふふふふ…」

「すみません、学校関係者では、ない、ですよね」


 ていうか、どう見たってこいつ、悪者じゃん。ってことはこいつ、こいつが影法師、かよ。

 じゃあ。こいつがやったのかよ。身体が強張ってくる。


「あらやだ。怖い顔して睨んじゃって。美人のおねぇさんを敵に回すと、後悔するわよぉ?」

 女は髪をかき上げながら、愉快そうに笑った。

「美醜なんかで、簡単に人を判断すると、苦い思いをするんで」するとしたら、あまりに報われない。

「ふぅん。若いっていいわぁ。さて、ご愛敬」

 女の姿が、地面に溶けた。

 溶けた?

「こっちよお、ぼくぅ?」そう言いながら、生まれたばかりのカゲに、纏わりつくように立っている。瞬間移動かよ。

「も、やぁねぇ、こわぁい顔してぇ。あんまりそんな顔してると、この子の持ち主の頭と身体、さよならさせちゃうわよぉ?」

 女の腕が、鋭い形に変わった。黒い刃が光る。

「な、そんな、簡単に人を、殺すって」胸の奥に、黒い塊が噴き出てくる。こいつ。

「ばばぁ、あんたは」間違ってる。

「うぅふふふ。良い顔ねぇ。とぉっても、反抗的ぃ! でも、ばばぁって言葉は、失礼よねぇ。そういう子は、おっしおきぃ!」


― グゥ! 首が締め付けられる感覚。息が出来ない……苦しい!

 っく、なんだ? 女とは五メートルは離れてるのに、女の腕がおれの首に巻きついている。これは……触手?

「うふふふふ。怖い? 怖いわよねぇ。ほら、締められてるのよ、首が? ふふ、ねぇ、これから殺されるって気分はどお?」


 苦しみながら女を見やれば、見れば見るほど、楽しそうな顔をしていやがる。くそ。どんな生き物だって、いつかは必ず死ぬ。でも今、こんなやつに殺されるのは。はっきり言って、我慢ならない。


「ふふふ。すぐには殺してあげないわよぉ?」首の締め付けが緩まった。

「…ねぇ、さっきのイケメンぼうや、お友達? 私、暴力は嫌いだけど、イケメンを苛めるのがだぁい好き! っていったら、どうするぅ?」

「はぁ、はぁ、はぁ。あんたをクソババア、っつってぶんなぐる」

「それいいわねぇ。私、どっちもイケるのよぉ」囁くように言うと、快楽的な笑みを浮かべた。

 こいつ、ぜってぇ許せねぇ。でも、どうする。どうすりゃいい?


「なぁんて、ね」女の背後のカゲが縮んで行く。

「ぼくぅ、感謝して、泣きながら私の脚を舐めなさい。今日は殺さないから」

「はぁ?」

「今のぼうやじゃぁね、殺しがいがないのよ。まだカゲ使いになってなかったなんて思わなかった。早くカゲを引き出しなさぁい。そうしたら、私と、とっても楽しいこと、しましょ?」

「はぁ? あんた、ふざけて、るのか?」

「さぁ? どうかしらね。あと、今回は特別ご奉仕、よ。この子のカゲ、私が預かっててあげる。だから、この子は影法師にはならないわ。安心なさい?」

「は?」女が何を言っているのか、おれには理解できない。

「それとぉ、もう一回、言ったげるわ。早くカゲを引き出しなさぁい。でないといつ、このカゲ、放りだしちゃうか分かんないわよ、私ぃ?」


 しゅるる、と掻き消えるように、女はいなくなった。

 できたばかりのカゲも連れて。カゲの世界が溶けていく。おれは、フルカラーの校舎裏に倒れていた。起き上がる。あのババァ。若いけどババァ。妖怪厚化粧。それと胸はパッド疑惑。って、いない。くそ。そうだ。


「きみ、大丈夫か?」倒れていた生徒に、慎重に声をかける。

「しっかりしろ、おい……きみ、生きてるか?」

「あ……あ、はい」ぱち、と目を開けた。ふぅ。無事か。

「あれ? えと、俺。え?」

 生徒はびくっと体を起こした。周辺に散らばって落ちていた制服等を拾ってきて渡す。

「はい、これ。君、大丈夫か? やったやつとか、分かるか?」

「え? あ、あの、ありがとうです。え、やったって、え?」

 ぼそぼそ呟きながら、おどおどしている。何が? という顔で。

「おれ、二年七組の新月、って言うんだ。生徒会とも、ちょっと関わりがある。その、きみがこういうこと……辛い、って思うなら、何か、できるかもだから」

「え、いや、あの、は、おれ、おれ?」


 まさか、分かってない、のか? ビクビクはしているけど、この人は、今さっきまでイジメられてた、なんて表情をしていない。なんで自分はこんなとこにいるんだ? と思って驚いている、そんな顔だ。


「あの、おれ、大丈夫です、服、どうもです、行きます」


 散らばった自分のものを拾い集めると、あっという間に行ってしまった。

 そうか。分からないんだ。カゲは感情の産物だ、って、ヨシヤさんは言ってた。それを、あの女が持って行ったって言うなら、ひょっとしたら、あの生徒は、カゲを生んだ前後の感情が無くなったんじゃないか。感情が無くなる? もしそうだとしたら、感情を生んだ前後の記憶も、説明がつかなくなって消えてしまう、なんてことも、あるのかも知れない。おれの推測だけど。


「辻褄は合う、かも、な?」ひとりごちる。

 確かなことがある。カゲはもう、おれの身近にある、ってことだ。まったく。大八車でも引いて、さっさと裸足で逃げ出したい気分だ。でも、あの女はおれと闘う、なんて言ってた。てことは、おれのせいじゃないか。おれのせいなのに、おれが逃げたら。


「マヒロ!」 

「シュート?」しまった。

「さっきの叫び声。やっぱり、マヒロだったんだね」

「き、こえてた、か」やばいな。完全に嘘、ばれちまったな。

「なーっ! なんて叫び声、マヒロくらいだからね。ねぇ、何か、あったの?」シュートの透明で大きな瞳が、真っ直ぐにおれを射抜く。怒っている。

「なんでもな」

「い、わけないだろ?」人の声に被さるように喋る。これは、シュートが本気で怒ってる時だ。

「ねぇ、おれに嘘つくほどの事、あったんでしょ? どうして隠すの? 言ったじゃんか、おれを頼って、って。おれの事、嫌いなの?」

「そんな聞き方すんなよ。隠してるわけじゃねぇし」

「……そんなにまで、言いたくないの?」

「違うよ。言いたくないわけじゃない。ただ、これは、その」

「それは、この間から、なんだね?」

 相変わらず、凄い勘してやがる。そして、今の声は……怒り、じゃない。それは。くそ。おれは…!


「っなんでもないって言ったら、なんでもないって!」 

 おれの絶叫に、シュートの顔から色が消えた。「…あ」しまった。でも、お前を巻き込みたく、ない。これは、おれの責任なんだ。でも、それは言えない。「……ごめん」

「……そっか…」

「……うん……」

「分かった。分からないけど。分かったよ……」俯いたままそう言うと、シュートはおれに背を向けた。

「シュート、でもおれは」

「良いよ、もう」

 言いかけた言葉を遮るように、こちらを見ずにシュートは言う。

「良いんだ、もう」

 吐き出すようにそう言うと、疾風の様に走って行った。


 親しい人を怒らせるよりも、悲しませてしまった方が、よほど苦しい。いっそ怒鳴って欲しかった。責めて欲しかった。

 でも、いつだってあいつは許す。他人を傷つける代わりに、自分を責める。

 いつだってお前の影に隠れてて、何も言えない、それでも反抗心だけは消せない、情けないおれさえも責めない。誰よりも優しい、おれの親友。すまない。

 お前を守るよ。お前に守られてばっかりな、太陽に照らされてるだけのおれが。

 そうしたら、胸を張ってお前の横に立てる気が、するんだ。


「守りたいものが親友だけって、どこまでにがじょっぱいんだ、おれの人生」

 自嘲気味に呟いて、ちょっとだけ笑う。

 誰か砂糖をくれませんか。飴をください。鞭しかない世界に、飴を。


  □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


  放課後、自転車を飛ばし着いたぺんぎん堂の入口を開けると、亜麻色の髪の乙女と、キノがいた。あれ?


「あ! えーとえーと、ヒロ! ひさしぶり!」

 カウンター席に座っていたキノが、大きく手を振って叫んでいる。

「……マヒロだよ。こんにちは、キノちゃん」

「そうだった! マヒロ! ジュン、マヒロだよ!」

 そう言って、カウンターで紅茶を淹れていた、美しい亜麻色の髪の乙女の袖を引っ張っている。ジュン? 乙女の視線がおれを捉える。


「あらぁ。あなたが、マヒロ? 要の王子様、ね。チョロそうで、誠実そう。ふふ、お得物件ね……」 オウジ? ブッケン? ナニヲイッテルノデスカ?


 亜麻色の髪の乙女は、背がおれと同じくらい、目じりの下がった、優しげな栗色の眼。ルージュを引いた、艶のある唇。亜麻色のウェーブがかった長い髪を、ツインテールにしてカチューシャを付けている。服はゆったりとした紺色のロングドレスに、白く長いエプロン。そして何とまぁ、驚く程に大きな胸。良いなぁ…おっぱい。じゃなくて。えーっと。なんだここ。メイド喫茶?


「はじめまして。私、南雲ジュン。要のお友達よ。ジュンで良いわ」

「はじめまして、ジュンさん。おれ、新月真大っていいます」なんか、魔空間に合わない、笑顔の優しい人だな。

「あら、照れちゃってるの? ふふ、可愛らしいわね。しゃぶりたくなっちゃうくらいねぇ……」

 は? えと、あの。

「マヒロ! あのね、キノ、おにごっこしたい!」

「え、あ、ごめん、キノちゃん、今日はおれ、ヨシヤさんに用事があるんだ。おにごっこは、また今度」と言いつつも、できれば鬼ごっことか、やりたくないけど。

「えー! じゃあかくれんぼにしてあげる!」

「だめよ、キノ。マヒロは忙しいの。幼女には、興味がないタイプねぇ。あら、そうしたら私、ストライクかしら? ねぇ、おねぇさんとぉ、火遊び、してみるぅ?」

 何言ってんのこの人。く、組んだ腕におっぱいが…乗ってる…え、笑顔が優しいんじゃなくて、怖い。取って食われちゃいそうだ。

「むー! つぎにあそんでくれなかったら、マヒロ、きらいになっちゃうからぁ!」

「ごめん、キノちゃん。ジュンさん、ヨシヤさんはどちらに?」

「そうね、今の時間なら…あなた、駅裏手のお蕎麦屋さん、分かる? そこにいるんじゃないかしら」

「え、それって、『ネコニッパチヤ』のことですか?」

「そうそう。そんな名前だったわね。ヨシヤ、お蕎麦が好きだから」

 似合わねー。いや、そうじゃなくて。

「あ、ありがとうございます。おれ、行きます」

「ふふ、行ってらっしゃい。気を付けてね?」

「マヒロ! つぎはゆるしてあげないから! それと!キノはレディなんだよ!ちゃん、なんてよんだら、だめなんだからね!」


  □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


  駅側の蕎麦屋、『猫二八屋』、通称ネコニッパ(って全然通称じゃないけど)は、おれが引っ越してくる前からこの町にある、老舗の蕎麦屋だ。

 駅の高架下に店を構える、昔からの小汚い蕎麦屋で、古びて煤けた看板に、眠っている猫の絵がペンキで描かれて、何度も塗り返されている。胡散臭い噂によると、戦後すぐからあるとか。

 でも、味と素材にこだわるとか、そう云う類のうるさい蕎麦屋じゃなくて、かけソバが二百五十円からある、毎週月曜日は「月の日」とか言って、生卵を無料サービスしてくれる、嬉しいお店でとにかくリーズナブル、大盛りも無料だし、注文が出てくるのだって素晴らしく早い。

 おれたち中高生の間でも、賭けごとの対象になったり、部活帰りにちょっと寄って行くような、身近なお店だ。

 ネコニッパに向かう間、おれの脳裏にジュンさんの姿がこびりついて離れなかったのは、ジュンさんが、まさかの背中空きドレスだったから、じゃない。

 おっぱいが大きく揺れていた、とかは関係ない。

 ましてや、おれが童貞だってことと、関係ない。童貞だってことと、関係ない。

 ……大切なことなので二回言いました。

 

 ネコニッパの古い木の引き戸を開けると「らっしゃい」という主人の声と、ヨシヤさんがソバをすする姿があった。


「よぉ、ぼうず。奇遇だなぁ。元気してたかぁ? ウチのメイド喫茶は繁盛してたかぁ?」

 カウンターで蕎麦をすすっていたヨシヤさんがおれを見つけ、声をかけて来る。喋る時は食べるのを止めましょうよ。

「こんにちは。ちょっとばかり、心が折れそうになりましたけど。ていうか、そうじゃなくて」

「卵はまず、少しソバを食べてから黄身を崩す、ってのが月見そばのジャスティス、だよなぁ。ってなんだ、何事かある、って顔してやがんなぁ」

「はい。あの、ヨシヤさん。おれ、カゲを使えるようになりたいんです」

 ああ。焦っているな、おれ。直球勝負は、おれに合わないのに。頭に水玉の鉢巻きをしたネコニッパの主人が、怪訝そうな顔でおれを見ている。

「ほっほう。ま、チョイ待て」そう言うと、ヨシヤさんは外国産の掃除機の如き吸引力でソバをすすった。ずぞぞぞぞぞ。

「ふぃー。ごっつぁん。おいちゃん、代金、ここに置いとくかんなぁ。さ、出るぞ、ぼぉず」


 ありやとやしたぁ、という主人の声に見送られて店を出ると、ヨシヤさんは高架下の、薄暗く人気のない、ガラ空きの駐車場におれを連れだした。巣があるのか、カラスの鳴き叫ぶ声が、コンクリートの柱に響いている。


「くぅぅ、中途半端な時間に食べる月見そばほど、うンめぇもんは世の中に二つとねぇなぁ」

 ヨシヤさんは一つ大きく伸びをして、緑色のフェンスに寄りかかり、サングラスをかけ直しておれに向き直った。逆光を浴び、ヨシヤさんの細長いシルエットが伸びる。

「で。どした、急に。って何かあったんだろうけどなぁ」

「はい、あの、おれの学校に、影法師が来ました。そして、ウチの生徒のカゲが引き出されました。しかも、引き出したカゲを連れて行きました。おれのせいです。そいつは、おれのカゲを引き出せって。そして自分と戦え、そう言いました。だから、おれのせいでおれの周りの人が危ないんです。あいつは、おれが倒さなきゃならない。お願いします。おれのカゲには、強い力があるんでしょう? おれに力を下さい。おれには、やらなきゃいけないわけがある。お願いします!」


 思っていた事、悩んでいたこと。それらを一気に、怒鳴る勢いで、喋りきった。そんなことは随分久しぶりで、喉が少し痛くなった。

― ガァァ! ガァァ! 不吉な鳴き声が、周囲に響いている。


「若いなぁ。ぼうず。お前さんはやっぱりぼぉずだよ」

 黙って話を聞いていたヨシヤさんは、フェンスをカンカンと蹴った。古びたフェンスから、埃が少し舞う。

「なぁ、ぼぉず。確かにな、お前さんのカゲは強い。でもな、もう一つ俺が言った台詞、覚えてるか? お前さんのカゲは不安定だ、ってな。カゲは力になる。でもそりゃあな、上手く使えれば、の話だ。軽はずみだとか、面白で引き出してみろ、あっという間に呑みこまれて、影法師の仲間入りだ」

「それは分かっています。でも、おれには守りたい人がいるんです。友だちが」

「なぁ、ぼぉず。誰かを守りたい。それは良いことだな。でもな、んなのはぁ、道徳の教科書を開きゃ、書いてある。自分の為じゃなく、誰かの為に頑張りましょう、てな。でもな。そいつは絵空事の世界で人間離れしたヒーローってやつらがやってることだ。お前さんはヒーローか? おれにゃ、普通の坊主に見える」


― ガァァ! ガァァ!


「それはそうです、けど」

 予想していなかった手厳しい言葉に、口の中がヒリヒリと渇く。

「けど、な。お前さん、お前さんみたいなのを世間じゃ、なんて呼ぶか知ってるか?」そう言うとヨシヤさんは長い手で、おれをまっすぐ指差した。


「偽善者。そういうんだよ」

「っ! 偽善者。ですか……」

 

― ガガン、ガガ、ガガン、ガガ、ガガン、ガガンッ!

 真上の高架線を、列車が走っていく。高架から、僅かに埃が落ちる。言葉を反芻する度に、口の中が苦くなってくる。心なしか、西日が眼に痛い。


「そ。一言で言うなら、な。言い換えれば、胡散くせぇってやつだな。お前さんはさっき、守りたい人がいる。そう言ったな。でもな、その人以外を守る気はあるのか?」

「その人、以外?」

「お前さん、高校生だよなぁ。クラスに嫌いなヤツ、いるだろぉ? そいつを守る自分って、想像つくか? あんなぁ、人助けってのはそういうことだ。誰かさんは守りたいから守る、誰かさんは守りたくねぇから守らない。そんな都合のいいことはできねぇ。違うか?」

「あまねく人々を救う、仏のようになれ、とでもいうんですか?」

「そうは言ってねぇ。お前さんの本気を聞いてる。人はな、神様にはなれねぇ。みぃんな自分の分、ってやつをわきまえて生きてる。お前さんは今、人を助ける力が欲しいっつってる。そりゃつまり、今までの自分を超えたモノになろうとしてんだ。それの意味を考えろ。そう言ってんだ」

「お、おれ、自分をわきまえてないつもり、ないですよ」

「そうか? あのな、お前さんは誰かを助けたい、っつってる。で、じゃあだな、仮にお前さんが命をかけて、自分の大切なものを投げ出して、その見知らぬ誰かを守ったとする。それでお前さんに何が残る? 何も残らねぇよ。『ありがとね、助かっちゃった。じゃさよなら』その言葉で、それだけで、お前さんは満足できるか? 本当に?」

「それは、」

― ガァァ! バタ、バタバタバタ! 羽ばたき音が高架下に響いた。

「できないかも、しれません……」


 おれには、できないだろう。シュートなら、できるのか。わからない。でもあいつなら。

 ……悔しい。


「ヨシヤさんがおれに言ってること、分かります。いや、分かるような気がするだけ、かもしれない。己は欲さず、人には施す。そんなやつには、おれはなれない。そう思います。おれはおれにだって、満足できていない、から」


 そうだ。おれは、おれが許せていない。シュートの横に立てるヤツに、おれはなれる気がしない。でも、おれは。


「おれには創造力が、欠けているんだ、って、思います。『撃っていいのは撃たれる覚悟があるヤツだ』。レイモンド・チャンドラーの小説の台詞です、この台詞の覚悟だって、おれには、無いかもしれない。でも、それでもおれは、おれのせいで事件に巻き込まれた人が、目の前で傷つけられるのを黙って見てるなんて、できません。できませんよ。だっておれが悪いのに! そりゃ、おれは全ての人を助ける、なんてこと、できない。でも、おれは……! おれは、おれの責任を取りたい」

 どもりながら話すおれを、ヨシヤさんはじっと見ている。

「おれの人生、きっと、最初っから負け戦です。十六年間の人生で、もう随分と負けてきました。でも、もう、そんなの関係ない。偽善かもしれません。負け戦かもしれません。それでも、これはおれの責任です」

 胃の中がズキンと重くなる。でもこの痛みは。

「おれのせいで、誰かが傷ついていいなんて法律は、ないんです……!」おれが生きてるって、痛みだ。


 ……悔しいなぁ。シュート、いつからか、おれは勝ち続けるお前に、反発しかできなくなってたよ。


「おれには、ずっと仲良しの友達がいて、そいつは人生でいつも勝ち続けている。今回のことだって、そいつなら、きっと上手く、簡単に片づけたと思います。たとえ必死で努力しても、おれには結局、何も出来ないのかもしれない。でも、おれには、おれにはっ……」

 いつのまにか、涙声になっていた。口の中がしょっぱい。はは。ダっセェな。おれ。


「おれには、努力することしかできません……っ」 


― ガァァァ!

 バタ、バタバタ、バッ! カラスが羽ばたいた。


「ふ、ふはは!」ヨシヤさんは手を叩いて、笑いだした。

「はっはは! いいぞぉ、ぼうず」大きな声でそう言うと、金網にもたれていた身体を起こした。

「うん、よく言った。すまんな、ひどいこと言ってな。いやぁ、カゲに引き込まれちまう時ってのは、一時の欲望に流されたやつらが多いからなぁ。ちょっと試してみたんだ、いや、すまんすまん。良いんだよ、ぼぉず。お前さんは真面目なヤツだ。懸命だ。自分の頭を使って、きちんと、自分なりに答えを返してきた。ははっ。人生は、そうだ、負け戦だ。でもな、覚えとけ。『人を守ってこそ、己を守れる』。お前さんは、間違っちゃいないさ」

「『七人の侍』ですか」

「へぇ、若いのによく知ってんな。そうだ、素晴らしい映画だ。あの映画の侍はな、関係ない人間の為にな、命を張って死んでくんだ。何のために?」

「己の、誇りのために。自分自身のために」

 そうだ。おれの負けだらけの人生も、シュートの勝ちだらけの人生も、これからずっと、続く。

「そういうことだ。すまんなボウズ。大人ってのはな、いつだって若者に期待するんだ。自分の出来なかったことを、次の世代にして欲しくてな。でもな、大人だって人間だ。期待することにも疲れちまう。どうせ無理なら最初からしたくないってな」

「そんな、おれは、期待されるようなやつじゃないです」

「アホ。期待させろ。そして願わくば、お前さんの今の思いが良い方向に育つように、な。覚えとけ、お前さんの為に傷ついた誰かは、お前さんの事がきっと好きなんだ」


 ……え?


「そんな、バカな」おれを、好き?

「違うか? 違わんさ。はは。でもな、良いんだよ、好きでやってるんだから、お前さんなりの答えで、それはもう、十二分なんだ」


― グワァァッ! 一際高く、カラスが鳴いた。祝福か、呪縛か。


「さぁて、そんじゃま、カゲを取り出すか。ぺんぎん堂に行くぞぉ」と言ってヨシヤさんはポケットに手を突っ込み、歩き出した。

「はいっ。お願いします!」


 しかし、まさかネコニッパのすぐ裏で、こんな真面目な人生の話するとは…思わなかったなぁ。一寸先はなんとやら、だ。

 黒猫が道をまたいでナァーと鳴いた。


  □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


  ぺんぎん堂に着くと、むずかるキノをジュンさんに抑えてもらっている間に、真っ直ぐ書斎へと入った。

 ヨシヤさんは、おれを光の射す窓際に立たせると、机の引き出しから、彩り鮮やかな筒と、奇妙な棒を取り出した。筒の蓋を開け、その中に棒を入れたり出したりしている。

「この中はな、純度の高い光が入ってる。強すぎる光だ。カゲを断ち切る光。危険だから、こうして、いつもはしまってるわけ。で、コイツを使うとぉ」


 棒の先が、まばゆく光っている。夏の夜の手持ち花火。そんな光。ヨシヤさんはおれの隣に腰を落とすと、棒でおれの影をスゥ、と引っ掻いた。おれの影はぶる、と身震いするかのように動いた後、するすると吸い込まれるように棒に集まり、球状に丸まった。おれの足元の影が、心持薄くなった。


「ほいっと。これが、お前さんのカゲだ」と言うと、おれに黒い玉を渡した。

「え? あの、まだおれ、影があるっていうか」

「あのな。要だって影、あったろ?」

 そう言えば。おれは、自分の影が丸っきりなくなるのを想像していた。

「カゲを全部切り取っちまったら、影法師みてぇにマイナス側に行っちまうのよ。ま、人であろうとしたら、限界で七対三の割合、だわな。それ以上は危険だ。で、最初はこうしてちょこっとだけ、カゲを切り取る。そうすっと段々と慣れて行って、この丸くなってるカゲの力が強くなってくる。そうして心を鍛えて、カゲに飲まれない様に訓練する。そうやって時間をかけて、カゲ使いになってく、って寸法だぁ」

「……おれ、今すぐカナシーみたいになれるものだ、って思ってました……」 


 おれは、胸がだんだん重くなってくるのを感じた。そうだ。今、力が必要だった。そのうちじゃ、遅いんだよ……

「おっと、マイナス感情は止めとけ。カゲが暴走すんぞ?」

「でも、おれは、今すぐ力が」

「あのな。影法師はよぉ、今すぐ襲ってくるって言ったのか?」

「いえ」

 おれが、殺しがいがある時。そうだ、あの女はそう言った。

「だろ? あのな、さっきからお前さん、勘違いしてっけどな、影法師にカゲを引き出すなんて能力は、ねぇぞ。やつらは光を使えねぇからな。誰かのカゲを暴走させるほどの力を持つやつなんてのもいないし、せいぜい他人のマイナスの感情を育てるくれぇだ。お前さんが今、やっちゃいけねぇのはな、焦って欲望を丸出しにすることだ。憎しみや悲しみは、カゲの大好物だからな。カゲ使いってのはな、めんどくくせぇぞ。自分の感情をなるたけコントロールしなきゃなんねぇからなぁ」

「昔の映画にでてた、光るセイバーを使う使者みたいですね……」

「あー、近いかもわかんねぇな。ま、そういうの、思春期のぼぉずにはちぃっと辛いかもわかんねぇな。お前さんは迷ってる。正しくあろうとしてな。でもな、正しいだけの人間なんていやしねぇ」 そういうとヨシヤさんはおれの肩をポンと叩いた。「だから、安心しろ。後何万年経ったって、悩まない日は来ねぇ」


 その言葉に、思わず苦笑した。


「それのどこが、安心なんですか」

「悩みが無くなる日は来ないけど、悩まない人間はいないってことだよ。みんな同じだ。だから、安心だべ? さ、今日はこれで終了だ。十日くらいたったらまた来い。その頃には、カゲの使い方を覚えなきゃならんからなぁ。言っとくが、それまではカゲ使いになろうとか、すんなよ。いいな? もっかいおれのとこに来るまでは、ぜってぇ、使うな。取り返し、つかなくなっかもしんねぇからな」

 そう言うと、ヨシヤさんは再び机に向かい座ってしまった。

「よっと。ぼぉず、今日はもう、下でジュンの淹れた紅茶でも飲んで帰んな。ついでにキノと遊んでやれ。あいつ、お前さんのことが好きみたいだからなぁ」


 球になったカゲは、今のおれじゃ、本当に何をしても反応しないし、ヨシヤさんがこれ以上教えてくれなかったら、確かに出来ることはもうなかった。万が一カゲに呑まれたら鏡を探せ。お前さんに渡した携帯があれば、それであっちの世界ととこっちの世界を出入りできる。それ以上は何も教えてくれなかった。

 しかたなく下に降りて、勧められるままに恐る恐る口にしたジュンさんの紅茶は物凄く美味しかった。

 信じられない。泥の味を覚悟していたのに。


「どうしたの、ぼく?」

 ジュンさんがカウンター越しに尋ねてくる。

「あ、いえ、その、凄く美味しくて。こんなに香り、爽やかで、なんていうか、整った味の紅茶、初めて飲みました」

「ふふふ。ありがとう。でも、普通のダージリンセカンドフラッシュよ。ストレートが美味しいお紅茶」

「セカンド? 二番煎じ、みたいな?」

「二番煎じぃ? あっはは、やだもう、笑わせないでよ。違うわよ。セカンドフラッシュって言うのはね、五月か六月に摘まれた紅茶葉のことをいうの」

「す、すみません、おれ、凄く失礼なことを」

「知らなかったんでしょう? 仕方ないわ、ふふ……」

 普通のえ、笑顔なのに、す、少し怖い。ドレスの後ろ、パックリ開いた背中が気になって緊張しているわけではないぞ。まして後ろ姿がみたい、だとかじゃないぞ。断じて。そんなんじゃないんだ。そんなんじゃないんだ。


「でも、こんなにおいしい紅茶は初めて飲んだ、ってのは本当に思いました。ジュンさんって何か、紅茶にこだわりみたいの、あるんですか?」

 ヨシヤさんはそれが悪い方向に飛び出てるんだけど。

「こだわり、ねぇ?」んー、と言いながら、ジュンさんは顎に人差し指を軽く当てて考える。

「うぅん、そういうの、特にないわね。私は、ただ普通にお紅茶を淹れただけ。ポットとカップを温めて、浄水器を通したお水を沸かして少し待って、紅茶葉をポットに入れて、お湯を一気に注いで、三分間待つ。ポットをひと混ぜしてからあなたに出した。それだけよ」

「え、そういうの、こだわりって言うんじゃないんですか?」

「違うってば。もう、あなたの方がこだわってるみたい。ふふ。でも、そうね。あなたはその紅茶葉が、どこで採れたか分かるかしら?」

「え? 日本じゃないんですか?」

「ええ。外国産よ。インドのお紅茶。インドはね、イギリスの植民地だったころから紅茶葉の産地なの」そう話したジュンさんの目が一瞬窓の方に向く。

「そこでは一つの山がね、丸々のお茶の葉で埋め尽くされている、なんてのも珍しくないわ」


 おれは父さんが生きていた頃、車で静岡の方に行った時、高速道路から見えた山の一面、段々にお茶っぱ畑があったことを思い出す。きっと、あれの何倍も凄いんだろう。


「自然をそこまで変えてまで、人間は、お紅茶を得ようとしたのよ。そこにはお茶畑で働く人の家もあるの。学校も、病院だってあるわ。だから、私たちが飲むお茶には、その人たちの生活が、人生そのものが、詰まっているの」


 おれは、ぺんぎん柄のティーカップに目を落とす。おれの顔をはっきり反射するほど鮮やかなオレンジ色が、さっきまでとは違った意味合いを帯びているように見えた。


「あ、やだ、ごめんなさいね。お説教みたいになっちゃったわね。お年寄りに思われちゃう」と言って、ジュンさんは舌をペロリ、と出してウインクした。

「でも、そう感じるから、せめて丁寧に心を込めて淹れたいなって思うの。私ができる限りの礼儀として」

 そう言うと、ジュンさんは悪戯っぽく口を曲げて笑った。あ、今は笑顔が怖くない。


 自分でできる限りのこと、か。紅茶をすすりながらさっきのヨシヤさんの会話を思い出す。努力することしか、おれにはできない。それが善か悪かは、あとで振り返ればいいことだ。

 もう一杯、いかがかしら? そう勧められるままに紅茶をお代わりしながら、おれはしばらくジュンさんと世間話をした。なんでも、ヨシヤさんはいつも書斎で物書きをしていて、日頃はジュンさんが通いつめでぺんぎん堂を切り盛りしている、ということだった。

 まだ十代に見えるジュンさんとヨシヤさん、二人の関係が気になったが、ぺんぎん堂が潰れない理由がほんの少し、わかった気がした。ここの名物は紅茶であり、断じてコーヒーではない。

 やがて外で遊んでいたキノに見つかって急かされ、おれはキノと表へ行って竹トンボで遊ぶ羽目になった。竹トンボで遊ぶ高校生、ここにあり。


「ねぇキノ?」

 おれが飛ばした竹トンボを仔猫みたいにすばしっこく拾ってきたキノに聞いてみる。

「なあに? マヒロ、おねがい?」

 透き通るような瞳が、おれを見上げている。

「違うよ。や、違くもないか、な? ねぇ、キノはひょっとして、ヨシヤさんと暮らしてる、の?」

「そおだよ! ヨシヤとね、ジュンも! ジュンはよるにかえっちゃうけどね! いっつもいてくれるよ!」

「そっか。ヨシヤさんがお父さん、か……」

「ううん! キノのおとーさんもおかーさんもね、しんじゃったよ!」

 西日の中で、ころころと笑いながらキノは言う。

「……え?」そん、な。

「ご、ごめん、キノ」

「え? なにが? マヒロ、いけないことしたの? キノ、なぐさめてあげるよ?」

「え、いや、そうじゃなくて」

「よしよし。マヒロ、いけないことしちゃったんだね?」と言いながらキノは背伸びをして、うんと手を伸ばし、おれの頭を撫でる。

「でもキノがゆるしてあげる! ね! だからへいきだよ! マヒロ、つづきやろ!」


 キノの金髪が光を反射して眩しい。この子がこんな笑顔でいられるのって、それはもう奇跡に近いんじゃないか。おれは、おれは、この子に何もしてあげられないけど。


「……うん。やろうか。キノ。おれ、本気出しちゃうぞぉ!」

「きゃー! たいへんだー! あははは!」


 ……笑ってよ。キノ。おれは、せめて今だけでも、きみに笑っていて欲しい。


 帰り道、キノはおれが見えなくなるまで、全身を使ってちぎれんばかりに手を振っていた。茜色に染まった町並みに浮かんだ、小さな小さな影。「またあそぼうね。きっと、きっとだよー!」その声が、いつまでも耳に残っていた。ワイシャツに染み込んだ汗が冷えて、少し寒い。こんなにクタクタになるまで遊んだのはもう、随分と久しぶりだった。


 ……文化祭が、近い。


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