十字路と麒麟と二人。
目を開けると真っ白で真っ直ぐな道が一本、どこまでも続いていた。
燦々と降り注ぐ光の下、草原を切り裂く様な一本道が、変に眩しく見えた。
道の両脇は見渡す限り、一面の緑の芝生だった。青みがかった芝も、白い道と同様に、太陽の光を鮮やかに反射して、じっと見ていると、少し眩しい。
土の匂いとむっとした草の匂いを感じる。
時折風が吹くと芝草の葉が裏返って草原が波打つ。緑色の大海原。辺りはグルリと一面を見渡したが建物も樹木も何もなく、おれはただポツンと拓けた道の真ん中に突っ立っていた。
どこどこまでも、視界は拓けていた。
その景色に、解放感と言うよりは少し不安を感じた。いつか写真で見た、アメリカのイエローストーン国立公園に似ているか、と思ったけど花や湖が無い。何かの映画で見た事があるような景色だとおれは思った。
拓けた大地と、どこまでも続く道。視界の彼方、地平線の先には仄かに陽炎が立ち上り、ぼんやりした輪郭ではあるけれど、もはや地球が丸く見える。
青く高く晴れ渡った空には、太陽がちょうど頭の真上で燦々と照りつけていて、遠くには力士の力瘤の様な入道雲が見える。時折そよそよと風が吹き抜けていってその時だけ涼しい。涼しい?
あれっと思う。直後に理解する。そうか、夏か、と。
夏?
夏。
……何故、違和感?
ていうか、ここってどこだ? と思う。
分からない。なんでだろう、辺りはどう見たって真昼間なのに、やっぱり頭は霞がかったようにぼんやりと、判然としないままだ。物凄く寝ぼけてるみたいな、夢の中にまだ片足突っ込んでいるような、湿った綿みたいな、もったりと重いものが頭に被さったような感覚で、思考が緩まる。
……何か、しなきゃいけなかったんじゃ、なかったっけ。
なんだっけ、何か……あった?
とても大切な何かが、あったような、無かったような。
まぁ、いいか。今こそ、華麗なるスルースキルを発揮しよう。
たぶん、どうでも良いことだから。
ていうか、人生の大半はどうでも良い。
そうだよ、と思う。『どうでも良い』か『まぁ良いか』で、人生のほとんどは出来ているんだ。どうして、人生を大層なものだなんて捉えなきゃならないんだ。面倒くさい。
何か色々ともういいや。何をするのも面倒くさい。そう思って道端にボフンと腰を落とした、その時。
道のずっと先に人影が立っているのが見えた。
人影は、揺らめく陽炎の中、何の前触れもなく、するりと現れた。
俺と同じくらいの背丈。そして、ゆったりとした動きでおれを手招きした。なんだお前? と疑問を持つ間もなく、今度は影はするすると動いて遠ざかり始めた。なん、なんだ、お前は。そう思って立ち上がり、後を追うようにおれは歩き始めた。
脚は痛み、走る事は出来なかった。
もう一度、走れなかったっけ、と思ったが、記憶は錆ついた歯車の様に軋んで動かず、何も思いだせなかった。
道を歩いていると、陽気な外人の様な陽の明るさが際立っておれを照りつけ、ジリジリと暑い。更には路面からも陽は照り返して、コールタールだかのムワッとした匂いが混ざった重たい熱気をあげ、額からダラダラと汗が滴り落ちる。むさ苦しい。暑い。
……暑い? なんだか久しぶりの感覚だな、と思った。が、ぼやけた思考では何がどう久しぶりなのか、皆目分からなかった。
道は果てもなく、真っ直ぐに続いていた。どこまで行っても地平線。
目印や目標も何もない道を、当てどもなく進んでいると、段々と不安が大きくなってくる。そんなおれの心境はいざ知れず、人影はさっきから一度も立ち止まるという事をせず、確信じみた歩みを延々、続ける。
分けの分からない不安に駆られたおれがかなり後ろに続く。しかし、おれは駆けだす事も出来ないので、人影に追いつくことは全然、できない。おれ達は何かの均衡を保つみたいに付かず離れず、一定の距離を開け、歩いていた。影は一体どこに行くんだろう。分からない。
歩く程に辛い感覚が身体を覆い、心が軋む。身体が、何やら不吉な重みに覆われている。引きずるようにしか動かない脚は、全く思い通りに動かない。腰がメリメリと、嫌な音を立てている。歩くことが苦しい。ただ歩くだけの事が、苦しい。
……苦しみの中、どれほどの時間歩いたのか分からなくなってきた頃、人影はようやく立ち止まった。
そこは、十字路だった。
今まで一本道だった白い道路が、そこで初めて垂直に交わっていた。
一面の緑に描かれた見事な白い十字模様。何となく、宗教的ですらある。
十字路の先には、今までの様な高く澄んだ空は無く、蒲団のように重たくて分厚い雲が低い位置に重なり、雨模様にすら見える日陰が、延々と続いていた。
光と影の陰影が二つの道を別つ。
その境界線に立つ人影は、近づいて見てみると、輪郭のはっきりしない黒い、擦れた墨みたいな、真っ黒な影だった。
おれに向き直り……いや、真っ黒なんで向き直ったのか分からないけど多分、向き直っておれに手を伸ばし、ゆっくりと手招きした。
― モウ、イインダヨ。
そんな言葉が頭に直接響いた。優しい声と、招き方だった。
― オマエハ、良クヤッタヨ。
その声を聞くと、おれを甘ったるく重い、柔らかな泥につぷつぷと沈んでいくような心地に包み込まれた。そうだよ。これでいいじゃないか。何もかも忘れて、日陰に入って心地よさの中に身体と心を置きたくなった。
ああ。ゆっくりと息を吐いた。自分独りの脚で歩くことを止められ、おれはようやく安心に身を持たせられる、と思った。
そうして、人影に手を伸ばしかけた、その時。
……胸の中で、何かがつっかえた。熱を感じる。
何だよ、おれの安心を邪魔するなよ、と胸の中をまさぐった。
二つの、黒い球体が出てきた。
それを見た瞬間、何かを思い出しかけ、慌てて背後を振り返った。
燦々と照りつける太陽の下、薄い人影が幾つも立っていた。
― おうこら、死んどる場合か?!
― 寝るにはまだ、早いよね、マヒロくん?
― マヒロ! いっぱい、いきてね!
― あなたの為すべきこと、してきなさい?
流し目の長髪と、ガタイの良い角刈り、金髪碧眼少女と、亜麻色の髪の乙女。四つの人影が、日向の方に立っていた。
……誰だっけ。が、思い出そうとすると、頭がネジを締めるように痛んだ。更に、背後の人影が、俺を呼んでいる。
― ダレデモイイジャ、ナイカ…
だが、四人の後ろにもう一人、無言の紺色の髪の女の子がいた。俯き気味の顔、灰色がかった暗く青い瞳。何故だかとても儚く、悲しそうに見えた。
……ねぇ、君、何が、そんなに悲しいんだい?
そう思った時、彼女の後ろにもう一人、蜃気楼の様に立つ、少年の姿が見えた。
こちらに背を向けた、光を反射する明るい茶色の天然パーマ。一瞬だけこちらを振り返った顔に見えた、外国人の様にパッチリとした目。
だが、少年の影だけが日差しの中、天に昇るようにすぅっと消え始めていた。
― 待ってよ。と思った。
そんなこと、させねぇよ。そう思った時、反射的に叫んでいた。
「待てよ、シュート!」
叫んだ瞬間、靄に包まれていた記憶に曙光が射した。
青天の、霹靂。
記憶の歯車が今、錆を振り払って音を立てて廻り出し、分厚い綿すら引きちぎるように、おれはおれを取り戻した。
……思い出した。
うわ、思い出した。すっごい思いだした。
カイさん! キノ、ジュンさん、ゴウジ、カナシー!!
あぁもう、ぜんっぜん、死んでる場合じゃねぇわ。うん。
頭を濡れた犬みたいにブンブン振った。
そうだろ? シュート!
はは。思い出したよ。甘ったるくて気持ちいい感情に浸ってて、果たしてその先、良い事があったか?
無いね。反語的表現で自問自答し即答する。安楽だとか、何となく楽しかったり、何となく今が幸せだから良い、なんて思っていても、その感情には、耐久性が無い。だから結局、ふとした不快からダウト、破滅になる。
人生、レッツ刻苦。それでも生きろ、おれ。
艱難辛苦の先に安息が無くったって、良いじゃないか。
いや、本当は欲しいけどさ。不安も苦難も消えなくても、独りでも、みんなが独りなんだから。独りなのはおれだけじゃないから。
もう、認めよう。人生は、にがじょっぱい。
けれども、その中には美味しさがしっかりとあるんだ。
十字路の反対側、ひかりの方を方を振り返る。おれの心と身体を焼く、ひかりの方を。
― 行ッチャ、ダメダ……
人影が手を伸ばしておれを摑んだ。
― 苦シミヲ忘レテ、安ラカナ、眠リヲ……
摑んできた黒い影を、もう片方の手でそっと摑む。少し笑う。
「ソウルオーガ。いや。新月真広。安息にはまだ早いよ」
黒い影はユラリと揺れて縦に長く伸びた。
「生きるのって……辛いな。楽しいって誰かが言っても、おれには辛い。たぶん、本当はそうなのかも知れない。でも、でもさ。人を憎んで人から憎まれ、愛され無いと言って嘆いて、一人、この世を呪う。人を騙して自分にも嘘をつき、誤魔化し、のた打ち回ったりヘラヘラ笑ったりする。面白い事の方が少ないかもしれない。でも、それでも生きたい、世の中を呪ってなお、生きたいと願う」
影は大きく伸び、おれをゆっくりと包み込んだ。おれは受け入れる。
自分の、カゲを。己の、闇を。
「辛い道のりでも、辛さが全てじゃ、きっと無いから。それに辛さは未来の楽しさかもしれない。分からないんだ。分かりたかったら、生きるしかない、たとえ理想通りの世界じゃなくったって」
影も光も、おれは持って生きていこう。
どこかでは、きっと笑えてしまうから。
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
水中で息をガボッと噴き出すように、暗闇の中、再び目を開けた。
ぶはぁっ。
目の前には、見慣れたサングラスがいた。
「おっ、ぼうず。目ぇ開けたかぁ。ははっ。死に損なったなぁ」
横たわったまま、ゲホゲホ咽てるおれの枕もとには、ヨシヤさんが腰を屈めていた。いつものエプロン姿で。
「ええ、なんとか」答えて、ゆっくりと身体を起こす。「来てくれたんですね。そして、助けてくれた。また、おれは救われた」息を整え、おれは礼を言う。
「いや、助けたのはおれじゃねぇ。タイミング良く駆けつけただけだ。お前さんを救ったのは、こいつらだ」
そう言って、懐から球体を二つ取り出し、おれに渡した。
鮮やかな、赤と、蒼の、球体。 ……カゲ。
「お前さんの胸元に置かれていた。そいつが何だか、お前さんにはわかるな?」
「四神……」紛れもなく、朱雀と、青龍のカゲだった。
おれはポケットからカゲを取り出す。
カゲは、集められた事で共鳴でもしたのか、それぞれが鮮やかで透明な光を帯び、明滅を繰り返していた。
白虎の、白。
玄武の、黄。
朱雀の、赤。
青龍の、青。
それぞれのカゲが、一際まばゆい輝きを放ったかと思うと、おれのカゲ、ソウルオーガに吸い込まれていった。
鬼の、黒。
全ての色の光を集めれば白になるが、全ての色の影を集めれば、黒になる。
魂喰らう、鬼。
「四つの他人のカゲの力があって、ようやっとお前さんをこの世に留める事が出来た。その意味が分かるか? ぼぉず」
「おれの命は、もう、おれだけのものじゃ、ない……」
なんだってそんなにまでして。ちくしょう。みんな、良いやつ過ぎる。
「ふむ」サングラスを外した瞳が、射抜くようにおれを見つめている。「ぼぉず。お前さんの命はお前さんのもんだ、もちろんな。ただ、お前さんが生きてこれたのはな、お前さんだけの手柄じゃねぇ」
「は、い。おれは、もう、おれで、おれで良いなら。やります。もう間違えない。いや、間違うかもしれないけど、投げ出さない。絶対に」
うっかりすると涙が込み上げてきたけど、それは必死で抑えた。
「はは」と、ヨシヤさんはいつも通りの笑い声を上げると、おれの頭をクシャクシャと撫でた。
「良い目と返事だ。この土壇場に来て目が覚めたか。それでこそだ。行け、ぼぉず」
び、と手を翳した。
「取り戻して来い、今度こそ、全てを」
「はい。あの、このカゲを置いて行った相手って」
「おれがここに来たと同時に、おれにカゲを託して、走り去ってっちまったよ。目元が涼しげなイイ男だったなぁ。涙ぐみながら、山の向こうに駆けてった」そこで声のトーンを落とした。「ありゃ、死にに行く面だ」
「あんの、バカ……」跳ね起きる。さながらオンブバッタ。
「助かりました、ヨシヤさん。おれ、行きます」
「おぅ。どうなるかぁわかんねぇけどな、そうだな、おう、しっかりな、やってこい」
ヨシヤさんの、幾つもの意味が込められた言葉を、しっかり咀嚼してから、頷く。
「はい」
「よっしゃ。行ってこい。で、ヨシュアによろしくなぁ」
「え?」
よろしくって。どういう、意味だ?
「ま、会えば分かるさぁ。ほれ、急げ。大切なんだろ、友だちが」
「はいっ!」
おれは、駆けだす。
待ってろシュート。すぐ行く、走ってく、お前に追い付く。
が。
「なはははっ! 待ちかねたぞ、少年っ!」
全力疾走中のおれの耳に、颯爽とガチゲイ白タキシードの声が聞こえた。
「待っていたぁ。私は、この時の為にぃ、生きてきたぁっ!」
コイツ、マジで時空を超えた御邪魔虫だな。
ここまで来ると何か逆に褒めたい。何も褒美はやらんけど。
眼前の地面に、ニュルと生えた一筋のカゲから、ぬっと金髪が現れ、おれの前に立ち塞がり、両の手をパチパチと叩いた。
「まさか、四つのカゲをその身に宿す事が出来るとはな。私が見込んだ以上だ。素晴らしい。そうだ、素晴らしいぞ、少年っ! 今こそ宿願の時……」男はそう語るや否や、全身から瘴気を発し、カゲを纏った。
「どけよ」口から言葉が溢れる。
「どけぇっ!!」白虎も玄武も全開、むしろオーバーロード、突っ込んだ。
が。ヒラリと身をかわされた。
は? カルメン?
Toreador, L'amour t'attend?
「そうだ少年! 君の全身全霊を傾けた殺意と相見える事こそが、私の本懐ぃっ! さぁ始めよう、私と君の、ラストダンスをぉっ!!」
男の背後に伸びたカゲが濃く、強くなる。
「我が天馬流の真髄、私の全身全霊全精力を捧げた『ユニコーンペガサス』と共にお見せしよう! いざ、尋常なる勝負をっ!!」
ダサさ全開のネーミングに突っ込む奴はいなかったのか。
が。見る間に男の全身が墨流しの色合いの鎧で覆われ、背中に隼の様な鋭い翼が伸びた。
……翼?
空気の刃が、男を中心に渦を巻く。常緑広葉樹から木の葉が舞い散り、更に空中で四散していく。
翼に、真空波? そんなの一度も見たこと無いっつの。これが、コイツの全力?
「行くぞ、神速の刃ぁ……」そう言って男は低く腰を落とした。
え、必殺技って喋って良いの? いきなり出すから効果的なんじゃないの?
ギュパッ!!
え?
目の前から男が消え、腕に衝撃が走り、音が聞こえた。そう感じた瞬間。
既に男はおれの背面に立っていた。音が衝撃より、後?!
動いたのか、こいつ? 音より速く? 玄武の籠手がピキ、と音を立てて真っ二つに割れた。
はっ?!
き、斬られてた、のか?!
男の動き、全く、見え、なかっ、た? 嫌な汗が額に流れる。
「紫電一閃が。どうした少年、焦燥に駆られた顔をして……まだダンスは始まったばかりだぞ?」男の背後では、勢い薙ぎ倒された樹木が音を立てて倒れていく。自然保護団体から抗議が来るね。
てっか、まっずっ。
駆けだして距離を取る。あの速度、近距離じゃ捉えきれず手に負えない。でも、遠距離で攻撃手段の無いおれはどうする?
ドッ!
疾風が駆け、男は全力で離れたはずのおれの目の前に、いとも容易く立っていた。くそ。距離は一瞬にして詰められた。
「どこへ行く、少年っ! この星は小さいぞ?!」大きいですぅー。
じゃなくて。このぉっ!!
近寄って来た男を振り払うように、虎徹をブン回す。上体反らしで難なく避けられる。あれ? なんて攻撃を。やべぇ俺焦ってる? などと思った瞬間には、反身を逸らした男の得物が、おれの喉元に突き付けられている。
「まず、一本」
男の口調は冷静で、低い。変態性が消えてる。ガチマジ。
「三本だ。そこまでは寸止めでいく。君は、その間に私の速度に対応して見せたまえ。三本目には君の命を頂く」
「るせっ!」叫びつつ、冷静で余裕しゃくしゃくの横っ面に蹴りを放つ。
が、今度は腰を落としてかわされ、そのまま水面蹴りの足払いを喰らった。あれ、しまった、ゴウジに教わった蹴りじゃなくて普通の大ぶり回し蹴りになっちった、とか思った途端、視界が天を仰ぐ。漆黒の不気味な空が広がる。目先に刃が光った。
「二本目だ。歯がゆいな、少年。どうした? そんなものでは!」
勝てない……?
畜生。こんなこと、してる場合じゃないのに。脳裏に絶望に駆られたシュートが浮かぶ。おれを殺したと思い込んで泣き叫び、自暴自棄になったあいつが。冷たい空の下、たった一人で。
……たった一人?
もう、そんなこと。
させねぇよ。
だって、誓ったよ。おれは。
そこまで考えが至り、神経が極限まで張り詰め、逆に心が落ち着いた。
静かな水面に、一滴の水が零れおちる音が、頭の中で鳴り響く。
ぺんぎんずの面々の笑顔が、頭に浮かんだ。最期の時も、あんなにも嬉しそうな顔を浮かべていた人達を。
― すみません、皆さん。頼ってばっかで…申し訳無いんですけど!
― おれに、力……貸して、下さい。
……シュート。何があってももう二度と、お前を一人にしない。
そんなことは、させない。たとえおれがおれでなくなっても、絶対に、だ。
……だからさ。安心、しろよ。親友。
大きく一つ、息を吐き、吸う。
「むっ? 少年、どうした、その燐光の様な光…通常のカゲのモノではないな?! 何をするつもりだ?!」
カゲの力を引き出しつつ、カゲに呑まれ無い為には『夜半』で止めておく必要がある。『禍時』まで行ったらカゲの力を最大限活かせる代わりにカゲに呑まれ負の感情が暴走する。それが影法師だ。でも、その先があるとしたら?
夜には先が、あるだろ。
一人では出来なかった。じゃあ、四人の心を渡されたら?
夜明けとか、余裕だろ。
『禍時』も超えた、その先へ。
「おれは、さ。やっぱりアホだなって思う。ここに来るまでに色んな人に出会って、そして別れて。その間に胸を張れるほどの事なんて何一つできてない。そう思うんだ。それでも、それでも、こんなおれでも、さ?」
十字路を思い出す。カイさん、ゴウジ、キノ、ジュンさん。はは。思い返すとこんな時でも笑みが零れる。ヘンチクなメンバーだ。そう、ヘンチクで、最高の仲間。
「……みんなが生きろって、言ってくれた」
両の手の平を、胸のところで合わせた。
さぁ、生まれ持った闇と、みんながくれた光を合わせ、今こそ、『禍時』を超え、生まれ変われ。ソウルオーガ。
― 黎明。
「なんだ!? なんの光だそれは! カゲが輝くだと?! まやかしか?! 少年、君は私を惑わすと言うのか? 誘い受けとだでも言うのかぁっ?!」
も、黙るかどっか行け。
四神は、合一する。
生まれろ、四神の集合。 ― 麒麟。
おれの心が生んだ闇、鬼は満足そうに笑みを浮かべ、光の中に混ざって行った。
カゲの世界に燈った光の中心、そこから軽やかな音が辺りに鳴り響く。
り、り、り、り、りぃん、りぃん……
「おれは夜を超えたよ。初めまして、麒麟」
青光りする虫や星の様に瞬く、発光する木の葉を舞い散らせ、軽やかに地面に降り立った、四つのカゲと鬼が融合した神獣が、そこにはいた。
陽を反射する、海原の様な青い身体は馬の形、蹄は透き通る琥珀、真珠の如き美しい翼。額には緑柱石の光沢を放つ雄鹿の様な角が一対生えている。金剛石の輝きを放つ瞳は穏やかで温かい眼差しでおれを見つめていた。
はは、某ビールのパッケージとは随分違うね、麒麟。
おれがそっと歩み寄ると首をもたげておれの身体に額を擦りつけてきた。
「ありがとう。行けるかい?」
その一言で、麒麟の身体は光の粒子となって、おれの身体に降り注いだ。
ああ。なんて暖かい光だろう。暖かいだけでなく、柔らかい。おっぱいってこんな感じか? ここまで来ても最低な発言に、ハラショー。
「それが君の完成形かぁっ!! 究極とも形容したくなる壮麗なカゲを身に纏いし姿……何とも麗しく、神々しいっ! 現世のモノとは思えん……追い詰められた事により、君のカゲは鬼を超え、虎を超え、神にも近しい存在へと昇華した! 素晴らしい!! 牡牛座の私は、昂る興奮を抑えられんっ……いざ、真剣なる勝負を!!」
胴と腰を覆うは黒曜石の如き玄武甲、背中に生えしは燃え盛る炎を吹き上げし朱雀の翼、額に宿るは天に届かんばかりの青龍の鋭角、両の手脚を包むは煌めく白虎の毛皮。それら束ねし悪鬼のカゲ、光と闇を携え、今は輝く麒麟の魂。
歌舞いてやがる。
いやはや、男の芝居がかった暑苦しさがおれにも少し感染ったみたいだ。
「あんた」
おれは問いかけていた。一分一秒を争いたいはずのこの瞬間、おれは死闘を繰り広げている相手に話しかけていた。歌舞いてやがる。
「あんたは、なぜそこまでして、闘うんだ? あんたには力がある。愛する人もいる。なのに、何でこうも無意味な戦いに身を投じるんだ? 何があんたを駆り立てるんだ?」
男は刹那、刃を下げた。向かい合ったおれの眼をマジマジと覗きこみ、やがて天を仰いで高笑いをした。
「くははは! 面白いな少年! く、くはははは! なるほど、君は随分と夢を見ているのだな」
「夢ぇ?」
「そうだ。世界に、自分に、人に。物事には意味があると信じ切っている。物事にはあるべき姿がある、そう思っているのだろう。若さだな、少年」
「なんだよ」おれは少し、腹が立った。
「人生を無意味だって思って、生きている意味、あるのかよ」
「それだよ、少年。人生に意味など求めなくても生きている人間が、世の中の大多数を占めているのだ。世の中の大人を見るがいい。壮年になって身体が老いて行く大人たちは、君の様に明日に希望を抱いて生きてはいない。明日も今日と何も変わらない無意味な一日だと悟って、それでも生きているのだ」
「そんな……?」
「私もそうだ。世界などどうでも良い。未来も、明日も同様だ。変わることなど期待していない。私を滾らせ、熱くさせる闘い、私が生きる理由があるのだとしたら命をかけた闘いこそが生きる理由だっ!!」
そう言うや否や、再び刀を構え斬りかかって来た。白虎の力を結集した腕で受け止める。堪えられないのか、男の口には笑みが溢れる。
「だから今、私にとって至福の時間だよ、少年! 君と全力で向かい合う……素晴らしい! 自分の全存在をこれほどまでに実感できる瞬間など無いっ!」
「違う! あんたは今を、現実を生きようとしていないだけだ! 明日の為の今を積み重ねるのを止めてるだけだ!」
「見解の相違だ! 世界は君の考えだけで動いているわけではない! 私には私の生き方がある…それを邪魔する権利は、君には無いっ!」
「この……男色一代男がぁっ!!」
ガッ!
刀と腕での鍔迫り合いを止めた男は、すとんと後ろに飛びのくと、刀を構えた腕を上げ、腰を奇妙にくねらせた。ピストン運動すんなっつの。
絶対的な変態だ。相変わらず。
で、来るか。さっきの必殺技っての。
……おれは、もう虎徹を出す事をしない。
麒麟は、闘うための姿じゃない。
十メートルほど前方にいる男が、全身の力を一点に溜めているのが分かる。先ほどの攻撃とは比較にならないほどの、凄まじい闘気が渦を巻き、周辺の地面が抉れていく。
― シュオオオオオォォ……!
もう何かに活用したいほど過剰なエネルギー。渦を巻いた闘気が集束していく。
― シャアァァァァァ!!
― っ。来る。
「秘技! 真っ向! 兜割りぃっ!」
ギュバァ!!
ギャキィ!!
「なっ!? 白刃取りだとぉ?!」
超振動で起きた火花の中、男と視線があった。
……ぱんっ。
抑えた刀を乾坤一擲の力を込め、折った。
そのまま男の胸倉を掌底で摑み、纏ったカゲの鎧を砕いていく。
ビキ! パリパリパリィィィ……。
麒麟が生み出す光が、カゲを消失させていく。分解されたカゲは粉雪がそっと降り注ぐように消えていく。全身に纏ったカゲを完全に掻き消された男が膝から落ちる。
これが、麒麟。おれの望んだ力、相手のカゲの歪みだけを消す力。
「私の、負け、か」ぽつり、呟くように、蹲った男の口から言葉が零れた。
「見事だな、少年。得物すら持たず私に打ち勝つとは」それでも不敵な笑みを浮かべ、言葉を続けた。
「完敗だ。ふ、ふはは! 牡牛座の私は興奮と感動に打ち震えている。さぁ、止めを刺すが良い」
おれは纏ったカゲを解除した。
「な、何をしている、少年?!」男の視線が驚愕の色を浮かべる。
「生きろよ、あんた」
男の表情は嫌悪へと変わった。
「酷を申すな。生き恥を晒せと言うのか」
「見解の相違、なんだろ」
「何?」
「生きる事が何で恥なんだよ。弱さや負けを恥じて、軽々に死に逃げる方が、よっぽど恥だろ。辛い道を歩けよ、あんた。強いんだからさ」
「敗者に鞭打つ気か、君は」
「なら、勝者の権利って奴だ。敗者をどうするのか、権利はおれにあるんだろ? あんたは殺せない。殺さない。あんたを殺したらあんたを好きな人たちに詫びる顔が無い。簡単には死ねないんだ、おれも、あんたも」
「少年……っ!」
男の顔が引きつる。泣きだすような、叫び出すような。その全てを堪え、ただ打ち震えていた。
「じゃ、おれ、行くから」
ちゃんと生きなきゃならないんだ。おれも、あんたも。
幾百、幾千の鳥居が立ち並んだ山道にシュートが倒れ込んでいた。
「シュートッ!!」思わず声を上げてしまう。駆けより、抱きかかえて顔を覗き込む。天然パーマがふわっと動く。
「ま、ひ、ろ」口元がゆっくりと動いた。
「ご、めん。止められ、無かった。ヨシュアさんを……」覗きこんだ瞳には微かな光が宿っていた。
「シュート! 良かった! 無事で!」
無事ではないか。でも、生きてる。
「なぁ、俺も無事だよ、ほら、見てくれこの身体!」そう言って片手をシュートの身体から離して大きく振って見せた。
「な? だから、お前が自分を責めることなんてない、無いよ。何も無いんだ、シュート……!」抱きかかえた腕に力がこもる。シュートの腕が、おれの手を握り返す。
「マヒロ……」そう言うとおれの頬に触れようとした。しかし手はためらうように宙を摑むと力なく落ち、おれは慌てて支える。
「良かった。君が、生きていて、本当に」シュートの声に温かみが戻ってきていた。
狐の仮面の幻影が、弾けて消えた。
「ああ。おれは生きてるよ。そして、お帰り、シュート」おかえり。
麒麟を発動させる。おれの背の翼がシュートを包む。命の力を、シュートに。
柔らかな光がシュートに降り注ぐ。優しくて力強い生命の光が。帰って来い、おれの、おれ達の太陽、日向秀人。
シュートの顔に生気が帰って来る。やがてゆっくりと口を開いた。
「は、はは。ただいま」シュートは、そう力なく笑った。
「ごめんね、君の代わりにヨシュアさんを止めようとしたけど……全然ダメだった」
「無謀すぎるだろ…幾らお前でも」
「あはは。そうだね。でも、君の心に少しでも残りたかったんだ、おれ」そうして寂しそうに笑った。
「残りたかったって……シュート……?」
「分かってたんだ。君の一番大事な時、おれは側にいられないって。それはカナシーの役目だから。ううん、本当はね、もうずっと前から分かってた。一緒にいられるの、高校までだろうなって。大学は、違うところに行くだろうって。そうしたら、君とは段々、ゆっくりだけど距離が出来てしまうだろうって思ってた。ごめんね。おれ、女だったら良かったのにな」そう、やっぱり寂しげに笑って行った。
「女って」 ボケかますなよ。笑ってしまう。
「お前、疲れてるんだよ。よくやったんだよ。休んでくれ、シュート」
「おれね、君が好きだったんだ」
パッチリと開いた青い瞳がはっきりと俺を捉えた。
「……そんなの、おれもだぞ?」
「ふふ、ははは……」
「笑うなよ」
「ごめんね、そしてありがとう。うん。違うんだ、マヒロ。俺は、君が好きだよ?」そう言うと、おれの手をそっと握り締めた。おれは一瞬だけ、ビクッと腕を震わせる。
「シュート……?」
あ、あー。そういう、好き、か?
「うん……ごめん……」
青い瞳に陰りが見える。
「そう言う意味で、好きなんだ。君がおれを思ってくれてるのと、意味合いが違う、好き」
風が落ち葉をかする音が聞こえる。
上空の雲は不吉な風と雷が絶えず生んでいた。何かの啓示みたいな雷光がおれ達を照らした。
おれは一つ、深呼吸をした。
「そう、だった、の、か」
「うん」
それからもう一度、沈黙があった。
「……悪い。おれは、お前の好きに応えられない。要がいるから」
シュートには表情が無い。初めて見る顔だった。
「そう、だよね。ごめん。こんな事言って。気持ち悪いよね……本当に、ごめん」
「謝るなよ」
「え」
「謝るような事、してないだろ」
シュートは笑った。泣きだしそうに、でも笑った。
「うん。そうか。はは。ありがとう」
「さっきっから感謝と謝罪ばっかだぞ、お前」
「そう、だね。ごめんね、好きになって」
「そんな事」
無いって言いたかった。誰かを好きになるのは間違いなんかじゃないって。言いたかった。
「あるかよ。シュート。おれこそ、応えられなくて、ごめん」
「良いんだ。分かってた。でも、気持ち悪がるだろうとは思ってた。だから、さっきの言葉は、予想外」そう言ってやっぱり笑った。
「悪くないよ」抱きかかえたシュートの両肩に力を込めた。
「お前は何も悪い事は、してない。絶対に、絶対にだ」
「うん。ありがとう……優しいよ、マヒロは。本当に。そういうところが、好きになっちゃったんだ。誰に対しても優しくしようと努める君が、受け入れようと頑張る君が。はは。本当に、さ」
シュートは身体を起こした。
「好きになることと、幸せになる事は、一緒じゃなかったんだ。誰かを好きになる事が、こんなにも悲しい事だって、おれは知らなかったよ」
「そう、だな……」
きっと、そうかもしれない。おれ達は欲張りだ。自分の望んだ相手以外からの好意は、時として重荷にしか感じないのだから。
「でも、さ、シュート?」
シュートが尋ねるようにおれの表情を覗き込む。おれは、言う。言えなかった言葉を、見つからなかった言葉を。
「それでも、一緒に生きよう」
それが辛い事であっても。
「どっちかが年取ったり、病気したり、事故に遭ったりして、くたばるまで、その日まで生きよう」
「まひろ」
「大丈夫だよ。やっていける。おれと」
向かい合ったシュートの胸に拳を当てる。
「お前なら。だろ?」
その拳をシュートは手に取る。
「良いのかな、俺は……」
「光があったら影も無いとダメだろ?」
「なんだい、それ?」
「んー……禅?」
お前が光で、おれが影。ずっとそう思ってた。でも違った。おれにも光はあったし、お前にも影があった。
「はは」そう笑ったシュートは、純度百パーの笑顔を浮かべた。
「そゆことにしよっか」
「ああ。行こう、ヨシュアを倒す。帰ろう、みんなのところに」
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シュートが影法師の力で闇の道を開いた。影法師が現れる時に見る、墨が流した様なカゲだ。そこが門の様になっていて、入るとそこは影法師の世界だった。
どこか和のテイストだったカゲの世界とは打って変わった、ゴシック調のハイモダンな白黒の世界だった。社に飾られた山にいたはずが、おれ達は巨大な塔の中にいた。
ガランと吹き抜けの天井に、どこまでも続く段差の大きな白の階段があり、ところどころに学校の教室くらいの大きさの踊り場がある。つるりとしたプラスチックみたいな壁は右が黒で左は白。踊り場の床は市松模様、宙に浮かぶランプはほの暗く灰色に辺りを照らす。
シュートに導かれるまま階段を何度か昇ったり下ったりした。塔の中で前に進んでいるのに階段を下るってどないやねん、と思ったりしてるとこれまで見たよりもずっと巨大な踊り場に出た。
国立の体育館、とでも言えば良いのか、巨大なホールに出ると、そこには見覚えのある人影が立っていた。
「ヨシヤさん?!」
おれの叫び声がホールに、階段に塔に響き渡った。




