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飛べない鳥の唄  作者: ぴーくおっど
25/30

悲しみを止めるために・その2

  漆黒のカゲを全身に漲らせた龍が、焼け落ちた社から上がる炎を背景に、悠々と宙を舞っている。

 生樹が焼ける臭いがする。木々は煌煌と燃え上がり、炎が生む橙の灯りが上空を舞う龍をぼんやりと照らす。音も無く燃える炎の中、舞う龍の姿は。

 

 ……美しかった。

 大蛇の様な、全身を覆う鮮やかな碧い鱗は、身体から不規則に噴き出している火炎に照らされ宝石の様な輝きに満ち、後ろ足は退化したように小さいが、前脚は異様に発達して腕になっており、両腕から背後にかけてオーロラ色の被膜が波打っている。被膜の終わる背面には金色の翼、朱雀の翼が三対、六枚、静かに羽ばたきを繰り返している。巨大な全身に対して頭は小さいが、強靭な顎には鋭利な牙が無数に並び、紫水晶のような瞳の後ろには緑青の角が曲線を描いている。優美な姿だった。


 え、なに、深奥幽玄?

 美しき川端康成ズ・ワールド?

 はい、違いますね。

 うわ、カゲになってもカッコいいって、どういうことよ。シュート。

 反則ですよ。罰金。

 神々しいまでの美しさを前に、阿呆な事をおれは思った。


― シャァァアアアッ!!


 全身を波打たせ、龍は上空に向かい咆哮した。

 咆哮から衝撃波が生じ、突風が吹き荒れ、上空を覆っていた分厚い積乱雲が、衝撃波を受けた部分から、ボッコリと穴が開いていき、そして重たい雲が、完全に千切れて消えた。後には、墨流しの暗澹で静かな空が見えた。

 眼下の荒れ模様が嘘のように、驚くほど静かな星空だった。

 ちらちらと光っては消える星灯りの下を、優雅に飛ぶ龍は、天の川を泳ぐ蛇のようだった。リュウグウノツカイ、と言うと理系っぽいだろうか。


 おれはその目の前で、投げ捨てられたジュンさんのカチューシャを拾い上げ、ただ蹲っていた。


  □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


 喫茶ぺんぎん堂の名物は、亜麻色の髪の乙女が心をこめて淹れてくれる、美味なる紅茶だ。

 霧島義哉謹製・ブレンドコーヒーが流行った暁には、人類が存続の危機に瀕するので却下。

 ちっぽけな、趣味同然の廃墟喫茶店だったが、ウエイトレス兼厨房の南雲ジュンが淹れる紅茶とランチメニューには、実はけっこうな隠れファン(もちろん彼女目当ての客もいた)がいて、何とかフルアーマー廃墟が潰れないでやっていけるのは、彼女の影に日向にの努力があったからと言って差し障りは無い。


 ていうか、それ以外に存在理由は無い。

 ごめんよ、ヨシヤさん。

 あなたの自慢のブレンドは、人類には……早過ぎたんだ。


 南雲ジュンは料理の天才ではなかったけれど、常に相手の事を考えて食事を作る姿勢こそ、何よりも相手にとって嬉しいものだった。

 おれが行くと、いつもタダで美味しい、身体の芯まで温まる紅茶と風変わりで鮮やかな味がするお茶菓子や料理を出してくれた。ついでに下ネタで弄られた。

「食べる事は生きる事よ。お腹が空いている時と、身体が冷えている時はロクな事にならないもの」

 ジュンさんは、口癖のように言っていた。


 一度、お茶をしながら聞いてみた事がある。


「人生を渡って行くには何があれば良いのだろうか」と。


 思い返すだに、片腹痛い質問。

 高校生特有の、間違った全能感に溢れた質問だ。

 でも、ジュンさんは事もなげに答えた。


「そんなの、愛とお金よ」

「はぁ?」


ハテナマーク全開のおれ、しかしジュンさんは何を思ったか、するりと背後に回ると不意に抱きしめてきた。


 はぁぁ?!

 ボインが背中に。吐息が、み、耳元に。


「なっなななななんでですかっ?」


 突然のボディタッチ行為に目を白黒、もはやマダラにしている童貞紳士なおれの耳元でジュンさんは囁く。


「愛とお金。人の世の中はこの二つで出来ているの」

 そう言って身体を離した。

「やぁね、なんとなくのハグよ。したかったらマヒロくんも私にして良いのよ?」と言って、人差し指を咥え、ウインクした。


 こ ろ さ れ る 。

「無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理」

 時間を止める吸血鬼の如き連呼をして、おれは何とか会話を続ける努力をした。

「え、や、お金と愛って、普通、それの、どっちかしか持てないから、みんな悩むんじゃないですか?」

「だ、か、ら」満面の笑みで、彼女は言った。「世の中って甘くないけど進みがいがあるでしょ?」と。

 妖艶なオーラを撒きながら。


 過去に自分と兄弟を傷つけられ、自らも罪を背負い、それでも懸命に生きていた、常に周りを想いやってくれた、ジュンさん。

 おれを童貞小僧扱いして(事実だけど)、からかい半分、本気半分で気にかけ、心配してくれた人。

 最愛の兄弟を手にかけたおれを許し、バカげたおれの行動に付き合い、おれ達を先に進ませるために、自らを捨て石にした、優し過ぎる女性。


 ……そう。優しくて強い、少し風変わりな女性。

 だった。


 もう、遺品となってしまったカチューシャを握り締めながら、そんな事を思い出していた。

 おれがもう少し早く生まれてたら、そしてカナメがいなかったら、きっと恋していただろう。他の何もかもが目に入らなくなる、強烈な惚れ方をしただろう。


 ……ジュンさん……。

 

 ゆっくりと、顔を上げた。

 上空を泳ぐ龍を見上げる。


 ……シュート、お前、そこまでしておれを挑発すんのか?

 そう、挑発だろ? 分かってるよ。シュート。おれは、知ってるよ。

 お前の、誰からも愛されるのに寂しがりやなところとか、話が上手いのに生真面目で嘘はつけなくて、本当はいつも自分を傷つけてしまうところとか、誰にでも優しくて、いつも明るくて、でも泣き虫なところとか。

 なぁ、もう何年、一緒にいると思ってんだよ。シュート。

 キノとジュンさんを殺してカゲを奪ったのは、全て、おれを挑発して自分と闘うよう仕向けているからだ、と頭の中では分かっていた。


 頭の中のおれは、落ち着けよ、と言っていた。

『なぁ、確かにジュンさんは永遠に失われた。でも、そいつは分かり切った事じゃないか。そいつは全部が全部、親玉、ヨシュアをぶっ潰す為に犠牲になったんじゃないか。お前がここでシュートとやりあっちまったら、その全部が、オシャカになっちまうんだぜ? ったく、素数でも数えて落ちつけよ』と、頭の中のおれは言っていた。

 肩をすくめ、首を振りながら、やれやれとでも言うような感じで。 Be cool.

 実にクール・ガイ。


 そう、そいつが多分正しい。でも。


『闇を背負って進め、新月マヒロ』

 ゴウジの、おれの背中を押してくれた、最後の言葉が頭の中でこだました。

『見せてくれ、ぼくに、希望を』

 カイさんが最期に見せた、優しい笑顔が浮かんだ。

『マヒロ! はじめましてのおゆうぎ、なににする?!』

 キノと初めて会った時の情景は、今だって心に残っている。


 おれの頭の中を『ぺんぎんず』のみんなの思い出が逡巡した。


 ……ぺんぎん堂に集った、最高にオカシくて最高に愉快な不良たち、『ぺんぎんず』の初期メンバーは、もう、おれとカナメだけになってしまった。

 ……なってしまったよ。もう。

 カゲを、遺して。

 いや、おれ達に、託して。


 ……シュート。

 龍は上空でとぐろを巻き、おれの出方を窺っている。


 ……オーライ。

 予定は、変更だ。

 いいよ。

 ケリ、ってのか? つけようぜ。

 おれは、お前が堕ちるってんなら、一緒に、さぁぁっ!

 

「ウォォォオオオオオッ!」


 地獄の番犬よろしく叫び声を上げ、白虎と玄武が融合したソウルオーガの力を、完全に開放する。

 全身を青白い輝きが包み、玄武の黒曜石の鎧が全身を覆っていく。

 分厚くも美しい剛刀、獅子王を構える。


 呼応するように、天駆ける龍も、おれに向かい、咆哮する。

 真っ直ぐにおれを見据え、牙をむき出しにして唸る。喜びに身体を震わせるように咆え猛ると、すぐさま臨戦態勢をとった。


― シャァアァァアッ!!

 


『や、マヒロ。今日もイケてるね』

 お前がな。

 

 水中に墨を溶かした様な線を引くカゲを、全身から溢れさせた龍の口から、真一文字の真空波が放たれる。


― ボシュッ! 空を切って、一発。二発。三発。


 玄武で受けるか?

 いや。どんな攻撃か分からない。白虎の神速で避ける。


 ズ、ズガァッ!

 真空波が、大地をシャーベットでも掬うみたいに抉って行く。

 撒き上がる、砕けた石や泥を避けて山の上の方に駆けだす。だが、駆けだした方向に、更なる真空波が放たれる。

 ちぃ。その攻撃、出すのにタメとか無いのかよ。やめて貰えませんか、無敵すぎます。とはいえ、その攻撃、変な効果は無いと見た。


「玄武、頼んだ」


 右手に陰鉄甲を集中させ、籠手を造る。玄武の力が更に増大した、この籠手なら。

 真っ直ぐおれを狙った真空波を、こちらも真正面から受け止める。


 ギュオォォォォ!


 凄まじい風圧を放ちつつ、籠手が真空波を吸い込んで行く。

 ……力を増した玄武の籠手にゃ、衝撃を無効にする力、あんだよ。


 しかし、足を止めたおれの方向に真空波が連続して来る。尚も籠手で抑え込む。

 くっ。前が全く見えない。でも、そうだ、こんなのは目くらましだ。目も眩む風圧の中、脳内ハードディスクをフル稼働させる。本命は、これじゃない。おれが脚を止めたところを襲ってくる、と思った途端、


― シャァァァッ!!


 銀色に煌めく龍の牙が襲ってくる。

 ……やっぱ、か!

 けどな。

 それは予想済みだ、

 ぞ。


 瞬時、バックステップし、勢い、龍の顎をカウンターで蹴る。

 サマーソルト。


 ギャウッ!

 派手にバク転しつつも、真っ直ぐ目標への最短距離を通る、蹴り。顎を打たれた龍は、一瞬、動きが止まる。

 それを、おれは逃さない。着地と同時に、獅子王を構えている。


「らぁぁっ!」


 渾身の力を込め、獅子王を振り下ろす。


 ザゥウッ!

― ギャァァッ!!


 のたうつ龍が、鋭い爪を振り下ろす。籠手で抑える。が。

 ニュル、と抑えた龍の腕の脇からもう一本、腕が生えた。

 生えた、って……?

 ……隠し腕、だぁ?!

 ガードした体勢、更に驚きで一瞬硬直したのもあって、避けられない。


 ゴッ!

 クリーンヒットを受け、頭が跳ね上がる。

 更に脈打つ尻尾が、追い打ちをかけ、おれを薙ぎ払う。


 ズビャ!

 撥ね飛ばされる。吹き飛ぶ。


 ズドッ、ドドドドドドッ!!

 その一撃で遥か後方、尾根を抜けて池の向こうまで吹き飛ばされる。何十という鳥居が、まとめて薙ぎ倒される。


 ……玄武の力が無かったら、とっくに致命傷だな、こりゃ。

 くっそ……。攻防のどちらも、常に一枚上手を行かれてる。まいっちんぐだな。こりゃあ、さ。


『ヨォ、苦戦してんな?』 

 頭の中に、淀んだ声が響く。

「ソウル、オーガ……?」

『ひひ、そうそう。ココは良いぜぇ、カゲの力がギンギンに溢れてる』楽しげに笑う、もう一人のおれ。

「で、おしゃべりに来たわけか」

『もちろん違うさぁ。お前、身体寄こさねぇか? おれにやらせりゃ、あんなトカゲ、一瞬で片をつけてやっぜ?』

「なるほど。『禍時』まで行けば、シュートに勝てる、か」


 ゆっくりと、考えながら身体を起こす。視界の先に、龍が再び、飛翔するのが見える。


『ヒャハ、さっきっから見てっけど、ヨォ、お前、幼馴染相手に本気ンなれてねぇだろ? ひひ』

「痛いトコ、突くね」


 龍はおれを見つけ、身体をしなやかに泳がせて真っ直ぐこちらに飛んでくる。獲物を狙う態勢で。


『殺気が、まるでねェ。ンな甘ちゃんがヤツに勝てっかぁ? あぁ?』鬼が、せせら笑う。

「前門の龍、後門の鬼、てか。四面楚歌ってヤツか。四面楚歌って、読めるけどたまに書けないな。楚って字をたまに忘れる。てなこたぁ置いといて、ま、やめとくわ」

『オイオィ、オリャ親切に言ってやってンのに……後悔すんゼ? 死んでからじゃ、おせぇぜ?』

「天使は皆、厳しくて、悪魔は皆、優しいんだよ」


 手には乗らないと分かったのか、すぅ、と鬼の気配が緩んだ。

 龍が突進してくる。獅子王を構える。


 やるしか、ない。

 勝ち目は、ある。カイさんとゴウジがくれた力、獅子王に玄武甲のおかげで、攻撃力も防御力も、そこまで差があるわけじゃない。

 『禍時』の力、すなわち、影法師特有のヘンチクリンな特殊能力の分を、いかにして埋めるか、だ。とはいえ、そいつがとっても無理ゲーなレベル。


 でも。

 カイさんは、泣きごとなんか言わなかった。

 ゴウジは、意地を貫き通してた。

 キノは、いつだって笑ってた。

 ジュンさんは、おっぱいがデカかった。

 ……あれ? こんな時まで童貞丸出し? おれ。って、まぁ。だから。

 だから、さ。


 ……ドントクライ、ボーイ。

 

― シギャァァァッ!


 猛り狂った龍が、牙を向いて襲いかかって来る。

 先ほどの斬撃で警戒が強まったのか。丸っきり人の理性は見られない。獣そのものだ。

 シュート、お前、完全にカゲに呑まれちまったのか……?


 ……だったら! 引きずり出すまでだっ!

 

 獅子王を斜に構え、腰を落とす。

 つま先に体重を預けていく。


 周辺の木々、鳥居を蹴散らして龍が突っ込んでくる。数えきれないほどの衝撃波を放ちながら。

 全身を回転させて強風を巻き起こすその姿は、まるっきり嵐が渦巻くようだ。暴君竜。台風の目の部分に、紫水晶の瞳が煌めく。


― シギャアァァァッ!!


 今のお前は、天才じゃなくて天災だな。シュート。

 お前の悲しみが、苦しみが見えるよ。


 ……もう、仕舞いにしよう。


 玄武の籠手にカゲを集めて、衝撃波を受け続け、防御に徹した為、身動きが取れないおれの目と鼻の先まで神龍の巨体が迫り、狙い澄ましたように牙を剥いて、上半身を鞭打たせ鎌首を上げた、その瞬間。

 落とした腰を、膝のバネで跳ねあげた。


 口の端を目掛け、獅子王にありったけの力を込め、斬りつける。

 鈍く確かな手応えが、ある。灼熱の温度の鮮血ならぬカゲが噴き出、返り血のようにおれを染める。


『嘘は嫌だよ、マヒロ?』


 ……まだだ!

「あ゛あ゛あ゛あぁああっ!」


 声にならない叫びをあげ、切り口に満身の力を込め、斬り裂く。


― ガァァァッ!!


 神龍が抵抗しようと腕を振りあげた瞬間、おれはそこにいない。

 白虎を全開。

 身体……限界まで、動け。

 剛力と神速を纏い、舞え。

 ……無限、闘舞(むげん、とうぶ)


 シュキィ! 手首から肘の先まで伸びた白刃、ブレードトンファー。カイさんの技も、使って見せろ、おれ!


 ……ジャカッ!

 闇に光る白刃を、身体ごと回転させ旋回、龍の腕を根元から……ぶった切る。


『カナシーと、手ぐらい繋ぎなよ!』


 ……まだまだっ!

 苦しみのたうつ龍を、玄武の鎧で覆った拳で乱打する。

 肘打ち、裏拳、正拳、膝蹴り、つま先蹴り、踵落とし、回し蹴り、再び肘打ち。

 乱打で怯んだ隙に、突き刺さったままの獅子王を、今度は力任せに引き抜き、間髪いれずに上段に構え、最後の一撃を放つ。

 龍が、絶叫する。


― ゴアァァァァァァァッ!!


『初詣はさ、一緒に、行ける、よね……?』


 ……脈打つ腹を、両断、した。


 断末魔を上げた龍は、巨体をどぉ、と倒れこませ、釣りあげられた魚のようにしばらくハァハァ息をした後、ぶるっと身を震わせ、やがて尻尾の方から、砂が風に飛ばされるように消えて行き始めた。黒曜石が紙ヤスリで削られたような黒い透明な欠片。


 そして、その散りゆく欠片の中に、確かに見えた、ジュンさんとキノの姿。

 それは、陽炎のように消えていくカゲの中にぼんやりと浮かび、安らかな笑顔でおれを見ていた。


「キノ……? ジュン、さん……?」


 おれは我を忘れて幻影に話しかけていた。何をしてるんだ、とすぐに思った、が。


“マヒロ!”

 キノの幻影が口を開いた。驚きのあまり、おれは声を失った。

“マヒロくん”

 今度はジュンさんの幻影が口を開いた。


“ここは、カゲの力がとても強いところ。だから、私たちの最後の思念、残せたみたい”

 そう言うと、二人の幻影は、友を傷つけた衝撃で、膝から落ちていたおれの隣に来て屈んだ。


“マヒロ! ケンカなんてしちゃだめだよ! ともだち、でしょ!?”

“もう、許してあげて? とっても苦しんだ、この子を……?”


 そう言い残し、幻影は消えて行った。


 ……そう、か。

 もう、良いですよね。


 ……ありがとう。


 手には友を斬りつけた感触、殴りつけた感触がまだ、生々しく残っていた。

 その拳を、確認するみたいに握っては開いた。

 やがて、龍のカゲが消え去った後、その中心の辺りで、人影がすっくと立ち上がるのを目にした。

 

「さすがだね、マヒロ」

「シュート……」


 足まである黒のロングコートをたなびかせ、ユラリとした構えからシュートは青白く光る二刀の刃を瞬時に生み出した。


「『神龍』の状態で勝てる、って思ってたんだけどね。本体を引きずり出された……。やっぱり、最強のカゲ使いだよ、きみは」


 そう言って、楽しげに笑っている。闘いを、愉しんでいるように。

 シュートには聞こえなかったのか、二人の声は……。


「あはは、でも嬉しいよ。ホント嬉しい。こうしている間、君はおれに釘付けだ。それがどんなに嬉しいか、分かるかい? マヒロ?」


 シュートは青く輝く二刀を、新体操の選手がバトンを回すようにクルクルと振り回し、嬉々とした表情を浮かべている。

 その姿。その笑顔。久しぶりに見た、お前の笑顔。でも、純度百パーセントとは程遠い、引きつったような笑顔。

 おれには分からない。致命的な痛みが、おれの胸を覆う。


「……どしたの? マヒロ?」

「……もう良いだろ、もう充分だろ、シュート」

 祈るように、ようやっと声を絞り出した。

「これ以上、おれに、お前を、傷つけさせないで、くれよ……」

「あはは、何、言ってるのさ? 良いところはこれから、でしょ?」


 ふわ、一瞬、ロングコートは宙に浮いた。

 カマイタチのように弧を描き、斬りつけてくる。


 ギャキィ!


「君の瞳におれが映ってる! おれの瞳に君が映ってる! おれ達は今、完全に二人きりだ! 最高じゃない!」鎬を削る、美しく火花の散るその向こうでシュートは笑う。「おれは、もうこのまんま、本当にこのまんま、死んでも良いくらいなんだよ?!」

「っざけんな!」


 一瞬、鍔迫り合いの力を緩め、相手のバランスを崩して、一気に斬り払う。

 後方に飛ばされたシュートは、宙を泳ぐ様にして、優雅に着地した。


「約束したんだ、ヨシカちゃんと。お前を必ず連れ戻すって! 死ぬとか言うな! お前は、日向秀人がどんなに求められてるか! それが分からないお前じゃないだろに!」


 途端、シュートの眉間に、深い皺が寄った。

「はっ」

 突き放すような笑い声を上げ、凄まじい嫌悪の表情を浮かべた。


「ヨシカ、そんなン言ってたんだ」

「そうだよ。思い出せよ、お前の大切な人の事を!」


 瞬間、シュートの瞳に、悲しげな光が浮かんだ。


 ……え?

 おれは困惑した。

 その目は、影法師になる前のシュート、いつも明るい笑顔のシュートが、時折見せる、寂しげな瞳だった。


「マヒロは、知らないもんね」

 そう言うと、シュートは刀を消した。


「おれとヨシカの間は、もうダメになってるんだよ。とっくの昔に」

「……は?」おれは、当惑した。なにを、バカな……。

「君は想像した事があるかい? 自分の彼女が天性の、そして真性のマゾヒストな事を?」

「ま」

「マゾヒスト、さ」


 口の中で苦いものを転がすように、シュートはその言葉を繰り返した。


「……ヨシカはさ、マゾなんだよ。それも、自分じゃ抑えられない位の」

「ど、ういう、ことだ?」

「マヒロ、君はできる? カナシーを裸にして、縛りあげて、何度も鞭で打ったり蝋燭で炙ったりすることを」


 話していくうちに、シュートの整った顔が、醜く歪んで行く。まっさらな紙を握りつぶしていくような。


「……おれには、耐えられなかったよ。好きな子をぶったり蹴ったり、そっぽ向いたり、そんなひどい扱いしたりするなんて、耐えられないんだよ……」

「そんなこと、どうして? どうして、どうして……」

 おれには、言葉が無い。

「そうしてって、ヨシカに泣きながら、頼まれたんだ」

 シュートの声は、震えていた。

「分かるかい、その時のおれが、どんな気分だったか。二人で作って来た、それまでの幸せが、全部が全部、柔らかな痛みに、じんわりと変わって行く気分が、分かるかい……?」

「そんなの、そんなの……」

「でも、おれには断わることもできなかった。おれはそれくらい、彼女に参ってしまっていたからね。はは、これはノロケだよ。でも、おれには耐えられなかった。ヨシカが離れていくのも、ヨシカの望むようにするのも、おれには耐えられなかった。耐えられなかったんだよ……」


 シュート……。


「分かるかい、その時、どんな目にあっても立ちあがった君が、野球が出来なくなっても、お父さんが亡くなっても、獅子のように立ちあがった君が、ずっと側にいてくれた事が、どんなにおれを救ってくれていたか……」

「それは、おれもだよ、シュート……」


 生まれてこの方無いんじゃないかってくらい、素直に言葉を探す。

 嘘をつく為じゃない、素直になるために。


「おれは、本当は諦めていた。初めから、諦めていた人生だった。でも、そんなおれの隣にいたお前は、いつでも、どんな状況でも、諦めなかった。そんなお前が横にいてくれたから、おれは、おれでも、どうにか努力、できたんだよ。何もしてないくせに、勝手に世の中を軽蔑してたおれを、お前が素晴らしいものに見せてくれていたんだ、シュート。だから、おれは立ち上がれたんだよ」

「そうかな。ありがとう。でもね、マヒロ。おれ達人間は欲張りなんだ。こと、恋愛に関してはね。自分が望んだ相手以外からの愛情なんて、重荷にしか感じられない、弱い存在だよ」


 シュートは俯いた。


「ある時期からは、おれにとってヨシカは、もう、重荷でしか……なかったよ」

「なんで……だよ。そんなの、悲し過ぎるだろ?」

「『人間は皆泣きながら生まれてくる』。シェイクスピアだよ。ヨシカは何も悪い事をしていない。でも、おれには彼女を支えられない。こんなにも好きなのに、彼女に近づく事は、こんなにも悲しいんだ……」


 絞り出すように、言葉を口から吐き出すと、シュートは両手で顔を覆った。

 おれは。

 おれは、お前が、こんなになるまで、なにもしなかったのか……!


 自分に対する、どうしようにもない怒りが沸きたつ。

 でも、今は、怒りを沸き立たせている場合じゃない。

 目の前の親友を、救う言葉を……!


「だからって、だからって、どうして、影法師になる必要がある?! 戻って来い、シュート! お前を必要としているのは、ヨシカちゃんだけじゃない! そうだ、他の誰よりも、おれはお前が、必要なんだ!」


 頼む。そんな願いを込めた、俺の言葉とは裏腹に、両手の隙間から覗いた、歪んだシュートの顔は、そこでサッと悲しい色に染まった。


「そんな……ずるいよ……どうして、その言葉……」

 震えながらシュートはコートのフードを被り、再び顔を覆った。

「どうして、どうして、あの時の、神社、で……ううん、その前から……言ってくれなかったんだよ、言ってくれなかったんだよぉぉぉっ!」


 再び刀を取り出し、斬りつけてくる。かわす。距離を取るように、跳ぶ。


「そうだ、おれは、言えなかった。でも、だから今、言いに来たんだ! 聞いてくれシュート、おれは確かに、お前が憎らしかった。お前といると、自分がちっぽけで、誰からも愛されない存在に思えて、惨めで仕方なかった!」


 突きが来る。反らしてかわす。シュートの腕を摑む。


「でも、それは違った!」

 シュートの顔のすぐそばで、おれは言う。

 叫ぶ。お前の、隣で。

「おれは愛されなかったんじゃない、愛さなかったんだ。お前が教えてくれたんだ、世の中には奇麗なものも醜いものもあって、それを知っても尚、嫌う事も拒否する事もなく、みんなまとめて、お前は愛してたことを! 愛されたいんじゃなくて、愛したがってた、お前が!」


 たぶん、生まれてこの方、出した事の無い声量を出した。ほとんど絶叫した。


 ……シュートの顔が、ますます歪んでいく。泣きだしたいような、怒りを押さえている様な。


「やめ、てよ」

 端正な顔立ちから、まるっきり別人の様な、低く淀んだ声が沸き出していた。おれの手を強引に振り払い、叫ぶ。


「ずるいよ、そんなの、今さら、そんなのはぁ! 君は、おれを捨てた! 捨てたじゃないか! おれから、離れていったじゃないか! そばにいてよ、って、あんなに願ってた時に、君は……離れたじゃないか! なのに、なんで、今さら、今さら……ぁぁああああああっ!」


 雄叫びを上げ、白刃を滅茶苦茶に振り回す。近寄るものを拒むように。


「止せ! シュートぉっ!」


 近寄ろうとした刹那、巻き上がった剣圧がぶわっと顔に当たり、頬を切った。

 つ、と血が滴る。


 ……畜生。せっかく、せっかくここまで来て、お前を取り戻せないなんて。

 

 ……オーライ。腹、決めろ、おれ。

 シュートなら、きっとそうする。

 そうだろ? と、目の前でもがき苦しむ、最高の親友に、心の中で尋ねる。


 カゲを解き、両手を大の字に広げる。悲しみに暴れる親友を、包み込むように。


「やめろよぉ! 来るな、来るなあっ!」


 泣きじゃくる子どものように暴れるシュートに、そのままの姿勢でゆっくりと歩み寄る。


「なんでさ……来るなって、言ってるじゃ、ないかぁぁっ!」


 シュートが、突きの姿勢を取るのが、見える。

 ……閃光が、走る。


― ごめん、な。


  ドカァッ!!



「……ようやく、来れたよ。シュート。遅く、なった、けど……」

「……マ、ヒロ……?」


 シュートを強く、抱きしめる。

 はは、お前、生まれたての赤ん坊みたいな横顔、してんな。はは。


「ごめん、な、シュート」耳元で囁く。


 おれの両胸を、深々と貫いた白刃が、消えていく。


「お前の、大切な時、側に、いらんなくて。ホントはさ、どうしていいか、いつだっておれ、分かんなくて、さ。ごめんな。ごめ、んな……」


 致命傷を受け、倒れかけたおれを、シュートが慌てて抱える。


「マヒロ?! なんで……マヒロぉ! どうして、どうして?! 嘘だ、いやだ、嫌だよ、こんなの!!」


 ……はは。ごめんな。

 おれ、器用じゃないから、お前に謝るのって、もう、これくらいしか、思いつかなくてさ。


 ……人が人に出来ることって、なんて小さいんだろう。なぁ、シュート。


 あぁ……カッコいい男は、死に際が見事なんだっけ。

 ま、仕方ない、か。にがじょっぱかったけど、悪くなかった。


 ……そう。全然、悪く、なかったよ……。


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