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飛べない鳥の唄  作者: ぴーくおっど
19/30

白く、白く黒く吠える。

  ガラスの中に細い針金が入っている、校舎の窓ガラスから外を眺めていた。


 一晩中降り続いた雨が上がった翌日の、水分を出しつくした冬空はカラッと晴れ、深く青く広がり、作りたての綿アメのように薄く伸びた雲が、幾筋も浮かんで流れていた。

 こういう日にスカイツリーに登れたら最高、だろうなぁ。どこまで、見渡せちゃうんだろう。


 上空では風が強いのだろうか、雲が次々と場所と形を変えていく。

 一枚の木の葉が、三階建ての校舎の上にまで舞い上がり、そしてあっという間に、どこでも無い場所まで飛ばされ、視界から消えてしまった。

 なんとなく、孤独を感じた。

 谷川俊太郎の詩みたいだ。

 空を見て解放ではなく、孤独を感じる。


 そうして外の景色を薄ぼんやりと眺めていたら、透明ガラスについた、薄い汚れが嫌に目に止まった。

 鳥のフンでも跳ねたか、薄い灰色の汚れ。最初は景色に目が行っていたので気がつかなかったが、一度気がついてしまったが最後、ずうっと気になって拭き取りたくなった。

 ……ダメ、だな。


 外の景色に意識を集中していたおれは仕方なく、もう一度教室の中を見渡した。

 光の無い教室を。

 シュートのいない教室を。

 誰もが、不安と戸惑いを感じているのを、ビリビリと、痛いほどに感じる。


 朝のホームルーム。

 定年までなるべく穏便に過ごしたいという小市民的願望が丸見えの、頭髪も存在も寂しい中年担任が「えー、日向君ですが、残念ながらお家の都合でね、えー、転校、されることになりまして。えー、席はそのうち片づけるので……」などと、己の存在を最大限縮小したいんじゃないかというショボくれた声でシュートの不在を切り出した途端、教室中がざわめいた。


「マジかよ?!」

「うっそ!」

「え、ヤダヤダヤダ!」

「はぁ? 信じらんねんすけどぉ?!」

「ちょ、パネェってマジ!」

 云々。


毎日を退屈だと思い込んでいるおれたち高校生に、とんだゴシップだ。

 担任の「えー、皆さんショックだとは思いますが……」から続く、幸薄そうなウィスパーボイスは完全スルー、クラス中の視線がおれに集まった。


 ここでおれはたっぷりの余韻とため息の間を取る。


 「……いや。聞いてなかった。おれも」今の演技、七十八点。


 渾身の情感を込め、やれやれ、と言うように首を振りながら放った台詞に、教室はやっぱりざわめいた。

 男子の制汗剤の匂いと、女子の香水の匂いが、ストーブの熱気で混ぜられカオスとなって襲ってくる。軽く吐き気がするのはおれだけか。


「ちょ、新月、ガチで?」

「えええ、ねねね、ホントに? ホント?」

「あり得ねェってコレ!」


 男子の驚愕と好奇の歓声、女子の落胆と悲嘆の叫喚。

 おれはこれからの自分の学校ライフに、女子の匂いが消えることを覚悟した。

 ま、シュートがいなきゃ、そんなもんだ。


 しかし、なんでだろう。

 いつもと変わらないはずの、教室のみんなの反応が、安っぽい劇団の、嘘臭い大げさなリアクションのように思えてしまう。

 日向秀人という、カリスマ主演が一人消えただけで、この劇団はご覧の有様か。烏合の衆かよ。


 でも、それはある意味、仕方ない。

 日向秀人は、そういう存在だった。

 ナンバーワンのオンリーワンだった。

 誰もがかけがえのない存在になれるわけじゃないけど、あいつは、少なくともおれ達の学校にとっては紛れもなく「かけがえのない存在」だったんだ。


  □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


 お昼休み。

 それまでの休み時間に「知らないって」と、企業の謝罪会見のように同じ言葉を繰り返すだけのおれに納得しない女子群が、ピーチクパーチク、餌をねだる小鳥のよーに甲高い声で、矢継ぎ早にシュートに関する質問を浴びせてくる中、ヨシカちゃんがやってきて、おれを呼んだ。

 お昼も食べれずにうんざりしていたおれはこれ幸い、とばかりに教室を抜け出す。


 ヨシカちゃんは生徒会室から持ってきた鍵を使って、屋上の扉を開けた。

 誰もいない一月の昼休みの屋上は、風がヒュウヒュウ吹き抜け、とても寒い。深呼吸をしたら、身体の隅まで冷たさで尖ってしまいそうだ。


 ここへ来る合間に自販機で買ったアンパンを齧る。冷たいし、何だか味がしない。

「……マヒロくんにも、黙ってたんだね、シュート」こちらに背を向けたままヨシカちゃんは話す。プリーツスカートが風にはためく。

「……そだね」アンパンを齧りながら、なるべく平静を装う。パンの味が、しない。

「なにか、あったのかな。あったんだよね。でなきゃ、おかしいよね、こんな、こんなの」


 伏し目がちに話す、学年一の美人。いつも明るく真っ直ぐな彼女が、恐らく人前ではほとんど晒さないであろう、弱気な一面を今、全開にしてしまっている。おれはコーヒー牛乳をすする。冷たいものが、胃の中を一気に駆け下りていく。


「わ、私、知らなかった。今朝、ルミとかショウコが教えてくれて、それで、それで初めて……」


 言葉に、詰まっている。いつもは軽快なラジオのDJみたいに、迷いも淀みもなく、スラスラと言葉を紡ぐはずの女の子が、言葉が無いという状況に陥っている。

「私、何にも、知らなかった。知らなかったの。なんで、なのかな。わ、私、失格だよね。彼女、失格だよ」

「そんなこと」

「どうして、どうして気づけなかったんだろう。なんで、何も言ってくれなかったんだろう。ううん、私、私がいけない、よね。どうして、私が気づいてあげられれば。こんなことに、ならなかったんじゃないかって、頭の中で、ずっと、それだけがグルグルしてて……」

 そこで言葉は、絶えた。


「……う、うっ……」


 彼女の頬を、涙が伝う。

 恐らくは今日一日、ひょっとしたらそれよりもずっと前から、我慢していたのだろう、堪えていたのだろう、大量の涙が、拭おうとした指の隙間から、ホロホロと零れ落ちて、彼女の頬を濡らしていく。


― ザリ。

 アンパンから、変な歯ごたえがする。


「ご、ごめんね……ひっく、きゅ、急に、泣いたりして……ひっく、お、可笑しいね、わ、私、ま、マヒロ君、呼んだのに、な、何、言おうとしてたのか、頭から、と、とんじゃった……」


 ひっく、と涙をこぼす彼女の背後、古びてペンキが剥げたフェンスの遥か上空にはジェット機が今、一筋の白い直線を、真っ青な空に何の迷いもなく、ゆっくりと描いている。

 おれは彼女の側に歩み寄って、そっと肩に触れる。

 ぴく、と制服の肩が小さく揺れる。そして。


「う、う……あ、うぁぁぁん……うぁぁぁん……!」


 堰を切ったように、大粒の涙を零して始めてしまう。

 思わず見上げてしまうような、澄み切った大空の下で。


 きっと、誰かは空を見上げて写メを撮っているだろう。

 きっと、誰かはこの空の写メをブログにアップするだろう。


 ……くそっ。

 誰かの眼には、世界は総天然色でこんなにも美しくて、なのに、同じ世界でおれたちは、モノクロなんかよりずっと醜い状況に取り囲まれて、それに押しつぶされようとしている。


 パン!

 片手に握っていたアンパンの袋を潰す。


 ……違う。


 君たちは、間違ってなんかいない。潰されるのは、おかしい。

 おかしいよ。

 そんなこと。

 あって、たまるか。


 ……ヨシカちゃん、言えないけど、おれ、君とシュートに憧れてたよ。ずっと。

 二人は眩し過ぎたけど、おれは君たちを見てると、世界は大丈夫なんだって、いつも思えた。

 羨ましいって気持ちだってさ、そりゃもう、数え切れないほど……あったにはあったけど、人と人とって、こんなにも愛し合っちゃって良いんだ、って、腹から教えてくれたのは、君たちだ。


 そうだ。君たちが苦しむ必要なんて、絶対に、無い。

 だから、さ。

 彼女の肩に置いた手に、力がこもる。


「なんとか」

「え……?」

「なんとか、するから」

「な、なん、とか、って……?」鼻をすすりながら、ヨシカちゃんは真横のおれへと視線を上げる。

「なんとか。わかんないけど、あいつを取り戻す。約束するよ」

「とり、もどす……?」

「うん。ごめん。何言っちゃってんだか全然分かんないかもなんだけど、約束する。あいつは帰って来る、いや、来させる」


 そしておれは跪き、彼女の手を取る。

 騎士のように。


「必ず。だから、さ」見上げて、彼女と目を合わせる。

「悲しい顔、しないで。『そんな悲しい顔ばっかりしてたら、カナシーって呼ぶよ!』」

 くす、と笑みをこぼしてくれた。


  □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


 ……さて、こんな展開があった場合、大抵の物語では「この後むちゃくちゃセックスした」ってアホな一文が挿入されちゃいそうなもんだが……


 残念ながら、皆無だ。

 草食系男子のカースト最下層、草食にも食べられる草だもの。

 しかもシロツメグサとかの、そんな奇麗な野草じゃないぜ。オオイヌノフグリだとかの、あんまりな名前が付けられた、来世に生まれ変わるんだとしたら、絶対にお断りしたいタイプの雑草だ。

 ……人生とはそんなものさ。

 ヒィウィゴー!


  □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


 放課後。おれはゴウジを呼びだし、ぺんぎん堂で待ち合わせをした。

 相変わらず珍妙な象の像……の横にある扉を開け、中に入ると、ヨシヤさんが新しいコーヒーブレンドの開発に精を出していた。困った事に。

 魔空間に、飲料の匂いとは到底思えない異臭が充満している。

 ……最高に最悪な場面だ。


「へぇ。そいで、お前さんは影法師を潰したい、てか」

 おれから博物館に現れたカゲの報告を聞いたヨシヤさんは、コポコポとコーヒーを淹れながら話す。

「はい。大元を断てれば、周りのカゲだって弱まるだろうって、おれは思うんです」


 おれは、いつだって人生に負けてきた。

 勉強でも、運動でも、人望でも、青春でも、大切なところでは、いつも負けた。

 オーケー、おれは人生の敗北者だ。顔の無い人々は、後ろ指を刺して笑うだろう。“調子に乗んな負け犬、お前キモイんだよ、勘違い馬鹿”とかって。


 ……はっはっは。

 悪いが、おれはおれの人生で、まだまだ格闘を続けさせてもらう。

 おれはおれのカルマと、運命と、闘わせてもらう。おれはくだらない人間だが、それぐらいの基本的人権は、あったっていいだろう? 


「んー、ま、そうだろぉけどなぁ。それ、蟷螂の斧っつか、勝ち目、薄いよぉに、俺には思えるんだがなぁ」

「斧があるだけ十分ですよ」うっ。コーヒーの香りが漂って鼻をついた。

 凄いぞ。ガス漏れの時、カナリアは異臭を感知して鳴くっていうけど、今ならビートルズのライブ会場のオーディエンスみたいに大合唱するぞ。


「はは。まぁ、言葉遊びは別としてな。落ち着けや。焦ったって良い事なんざありゃしねぇ。焦って良い事あんなら焦れ。な。ドゥーユーアンダスタン?」コトリ、と妖気のような湯気を上げるカップをおれの前に差し出す。

「はは。でも、いんです。おれ、負けんの、慣れてますから。勝ちって御褒美なくったって、闘うの、慣れてます」しかしながら、コーヒーの方は全然アンダスタンしてない。


 ……すごい。

 匂いだけで不味い。

 何か生臭いし。

 え、どうしたらコーヒーが生臭くなるの?

 子ども電話相談室に相談したいよ。

 もう……コメントしづらい。

 流れ的に言ったらおれ、これ飲まなきゃならんけど、え、嘘。

 思わずあたりを見回してしまう。


「おぅ、どした? さ、グッと行け、グッと」ビールですか。

「そりゃ、ブレンドだかんなぁ。お前さんにぴったし、なんだぜぇ?」

「……さいですか」墨汁よりもドス黒い感じなのですが。

「お前さんのカゲの強さと同じだ。ごちゃ混ぜだから良い。そういうブレンドだぜぇ?」

「ごちゃ混ぜ?」あい変わらず、人に対して随分な言い草だ。

「そぅいうこった。お前さん、突っ込む腹積もりなら、自分の事、少しは知っとけ。勇猛と無謀は違ぇぞ」

「おれの事……ですか? そんな、今更知らないつもりとか、そんな」

「はぁ。あんな、人はいつだって自分が知ってるつもりの半分も、物事を知らねんだよ」

「……そういう、ものですか」

「そうよ。だから聞いとけ」と言うと、ヨシヤさんはカウンターに両手を置き、おれを真正面から見据えた。

「あんな、お前さんってな、シンプルじゃねんだわ。カゲ持ちってのは、大抵はシンプルだ。感情の一部、何かの狂気に身を任せたヤツらだかんなぁ。吹っ切れてる。世の中の常識や哲学の及ばねぇ連中がカゲを持ち、影法師になる」コーヒーをすすり、満足そうに笑みを浮かべた。分かった、この人、一番おかしいの、味覚だわ。

「『ぺんぎんず』は、そこんとこでギリギリ、狂気と平常の狭間で踏みとどまってるってわけだが、だからこそ力は影法師に劣る。委ねてない分、感情の力、カゲの持つ力を完全には引き出せないからなぁ。ところが、そこにいくとお前さんは特別だ。お前さんは、狂気じみた理性の持ち主だ」

「狂気じみた……理性?」

「乱暴なんだよ、理性が。理性を支えてる、自分の中の道徳やら倫理が、随分とねじくれ曲がってる。世の中のもんで動いてねぇ。お前さんの根っこ、欲望が、理性を保ちたがってる。そんな感じなんだわ。自分の心を正しいと思ってねぇ。普通はな、人って自分を正しい方に置きたがるんだ。だって、そうじゃねぇとやってらんねぇからなぁ。お前さんは、そこで散々悩んだんだろう。自分が許せねぇっつう自己否定と、周りの人間に支えられて生まれた自己肯定が、グネグネと入り混じって、決めかねて(うごめ)いて、それでも何とか、正しくあろうとして、もがいてる」

「それは……」

 コーヒーに垂らしたミルクが、黒をそっと茶色に染めていく。


「お前さんは、光に憧れつつ、闇を否定しない……。それが夕暮れなのか、夜明けなのか。結論を出すのは、お前さんだ。俺に見せてみろよ、新しい世代が出した答えってのを」

「それは」僅かに笑う。「そんなのは、少し大袈裟です。おれ、自分がやれることをやるだけ、ですから」

「はは。ま、年長者からのアドヴァイス!」びし、おれの額を指差してグリグリと押す。

「全部を抱え込もうとすんな。どんな英雄だろうと、人間が一人で出来ることなんざ、ほんの僅かだ。そいつを、忘れんな」

 ふ、と頬を緩めたヨシヤさんの眼が、小さなサングラス越しに覗いた。

「はい……!」


― カランカランカラン!


 乱暴な音がして、勢いよく重たい扉が開けられる。

 胸に『大艦巨砲主義』と筆で書きなぐったようにプリントされたTシャツに学ランを纏ったゴウジがドッカ、とおれの横に腰をかけた。

 ねぇ、そのシャツ、どこで買うの?


「ったく、おんどれ、急に呼び出すとは、人の都合とか関係ないんかい? えぇ?」

 不機嫌な言葉使いだが、口調はウキウキしている。


「わりぃ。来てくれて助かったよ」

「べ、別に来たかったわけじゃねぇど? たまたま、ほんまにタマタマ……暇じゃったってぇわけよ!」

「はは。ホントは、ジュンさんとアネーゴにも言っておきたかったんだけど、ゴウジが一番、分かってくれそうかなって思って」

「あぁ? ……んだ、ったくよぉ。急に腹ぁ括ったよぉな発言しやがって……いったい、何を始めようってんでぇ?」

「合戦だよ」


 思ったよりも落ち着いた声が出た。

 一瞬、店内が静まり返る。ガラス窓が風に揺られて音を立てる。


「……あぁ? 合戦?」

「そうだ。影法師と決着、つけに行くぞ」


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