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飛べない鳥の唄  作者: ぴーくおっど
17/30

暴走とリンゴと…ポール…じゃない…ジョンでも…ハリスン…

  ― 古い、記憶。


 小学校三年生の夏、じいちゃんが亡くなった。

 生前は鉄道の整備員だかを定年退職するまでがっちり勤め上げて、身体も心もがっしりしていたじいちゃんだったが、その年の夏、流行りのインフルエンザをこじらせ、あっけなく死んでしまった。何と言うか、鍛え上げた肉体もウイルスには勝てないらしい。筋肉量と病原体への耐性は関係ないか。マッチョ、ウイルスには敗れたり。まぁ、そうかも。

 その三日後、おれは生まれて初めてのお葬式に出席した。新しく買ってもらったサスペンダー付きズボンがカッコ悪いし、暑くて嫌だなぁと思っていたのを、今でもよく覚えている。


 それまであいさつした事だってろくに無かった親せきが一堂に会して、今ならば不謹慎だと思うけれど、年齢が二ケタにも達していないおれは、たくさんの人が集まっている事や、何でも無い普通の日に従兄妹と会える嬉しさを押さえきれず、妙なお祭り気分を感じて、少し浮き浮きしていた。

 だから、じいちゃんの死に顔を棺桶越しに見た時も、「人が亡くなることの意味」なんて考えたりもせずに、じいちゃん、何だか白い顔してんなぁ、ぐらいにしか思っていなかった。

 だから母さんから「おじいちゃんにお別れを言いなさい」って言われた時も「またね、じいちゃん」なんて片手を振りながら言った具合だ。


 ……よく、分かっていなかったんだ。


 その後、おれは暑さに耐えかねて駄々をこね、仕方なしに父さんがおれを葬式会場の待合室に連れ出し、広告が背後に印刷された安っぽいプラスチック製ベンチに腰掛けながら、ジュースを買って飲ませてくれた。暑さにブーたれていたおれは、それはもう気持ちよくゴクゴクと音を立てて、ジュースを飲んだ。


「おじいちゃんにお別れ、できたかい?」


 真夏の暑さを一切意に介さず、生真面目にフル装備の喪服に袖を通した父さんの口調はいつも通り、ゆっくりと穏やかで、でも良く通る、頭の中に残る喋り方だった。

 ベンチに腰掛けたら地面に脚がつかないほど小さかったおれは、半ズボンの両足をブラブラさせながら、わかんない、よく……と答えると、笑って頭を撫でられた。


「今日はね、おじいちゃんとお別れをする、ぼく達の為のお式だから」

 

 おじいちゃんの為じゃないの? おれはそう聞いた。だって今日は、おじいちゃんのお葬式なんでしょ?


「お葬式って言うのは、残された人が、亡くなった人がいなくなった事を確認する為の儀式なんだ」

おれは新人の営業マンが厄介な取引先から無理難題を言われた時のような、ハァ? と言う顔をしていた。アナタハナニヲイッテイルノデスカ?

「一人の人間が、ずっとずっと永久に失われるって事は、そうやって区切りみたいなのをつけないと、整理とか、できないんだよ」

 お別れって、その為にやるんだよ。そう言った。


 まぁ、その時のおれには、さーっぱり理解できなかったわけだけど。


 人は、人が死ぬ事に慣れていない。


 慣れてしまったら、そいつはもう、人間ではないものになってしまっているだろう。


 おおいぬ座のシリウス、オリオン座のベテルギウス、こいぬ座のプロキオン、いわゆる冬の大三角形が、白と黒しかない世界で不可思議な輝きを放っていた。物凄い高解像度の白黒映画みたいな。

 矛盾した輝きだった。


 矛盾しているもの。


 ……例えば、人殺しの生徒会長。

 例えば、幼い子供が理由もなく殺される。


 それは矛盾かな? 分からない。

 間違ってるよな、とは思う。

 間違ってるよ。

 絶対に、絶対に、だ。


 キノの身体はシュートの刀に貫かれ、木彫り人形が放り上げられるように軽々と宙を舞って、シュートのカゲにシュポン、と呑みこまれた。

 

 あまりにも唐突だった。

 上手く実感できなかった。

 シュート? お前は、何をやっているんだ?

 耳の裏を流れる血の音が、止まない。

 ごおごお、ごおごお。


 ― ナゼオ前ハ、ソンナコトヲ、シテ、シマエルノダ?

 

 やがて、シュートが持っていた刀は墨を流した様な漆黒から、青白く輝く光の刃へと変わった。ジェダイが持っているような、ガンダムが持っているような。

 両の手に握られた、青白い光の刃。

 

 キノの青龍を取り込み、自分のものにした。

 そうか。おれと同じ力。あいつはそう言った。

 同じ力?

 他人のカゲを喰らい、その力を自分の物にする力。


 シュートにキノが殺された瞬間から、おれの頭の中ではキノの記憶が閃光のように弾け、全身の血が暴れ出すような感覚に囚われている。


 なぁ、シュート。あの子、まだ、子どもだぜ?

 小さい子ども、世の中を知らない、人を知らない、天真爛漫、て言うの?

 純真無垢? て言うの?

 まぁ分かんないけど、そんな、明るくてまっすぐで、ちょっと強引でおれなんかよくいじられたけどさ、そういう、無邪気な子なんだよ。おっきな瞳と奇麗な金髪の、さ。


 ― ナゼ、殺シタ?

 ― ナンデ、ソンナコトガ、デキル?


 喉がカラカラになり、声にならない声が木霊する。

 瞬きもできず、動くこともできず、脳味噌が感情の昂りにブレーカーを落としたのだ、とおれが自分の状況を分かりかけた時。

 おれの意識は薄闇のベールで包まれていった。


 意識と身体が離れる。

 意識だけが、どこどこまでも落ちてゆく、どこまでもただひたすらに落ちてゆく感覚。深く、暗い海の底に、どこどこまでも、深く、暗く。

 それはダメだ、と、誰かが言った。聞き覚えのある低く落ち着いた声。

 その声でおれは落ちていくのを止めることが出来た。

 だが、身体から魂が抜けてしまったようだった。

 おれって言う存在が、おれの身体を斜め上空から見ている様な。

 そしてわかった。


  ― これが ―『禍時』― カゲが暴走した時 ― だ ―

 

  鬼が、三日月の様な笑みを浮かべた。


 シュートが刃を振りかざして飛びかかって来る。軽業師のように、トランポリン選手のように軽くしなやかに、だが瞬きできないほどに素早く。

 ヒュヒュっ!

 空中で腰を捻り、アーチを描いた体の形から二刀が、鋭い鞭を振るうように振り下ろされる。おれの身体は反応する。二刀の間に虎徹を滑り込ませる。

 ガガッ! 受け止める。


 シュートの背後に青い龍の幻影が、おれの背後には白い虎の幻影が映える。

 二人の影法師が、ぶつかっている。


 ― なあ、シュート。おれはさ、こんな力、いらないって思ってたんだ。人の命を犠牲にしてまで自分の力を上げたいだなんて、思わなかった。こんなこと、お前にはずっと、言えなかったけど ―


 明らかにシュートの力はさっきより増している。刃の鋭さは言うまでもなく、斬撃を受け止めた時に身体を襲った衝撃は、先ほどの比ではない。意識で身体を動かしていたのでは、とても対応できないであろう衝撃が、虎徹を握りしめる両手に残っている。ギシギシと嫌な音が身体の中に響く。

 更に鍔迫り合いをしながらも、シュートの両足は曲芸のように柔らかな曲線を描き、おれの脇腹めがけて回し蹴りを放ってくる。こちらは膝を上げ、ガードする。

 ド、ドッ!


 ― カゲの事、お前に言ったらさ、お前、絶対関わろうとしちゃうだろ。おれの心配、本気でしちゃうだろ?  ―


 身体が吹き飛ばされる。

 全力で刃を受け止めていた分、蹴撃までは十分な態勢で受け切れなかった。吹っ飛んだ先の電柱を、三角飛びのように利用し地面に着地する。

 間髪を入れずにシュートがフィギュアスケートのトリプルループのように回転しながら飛びかかって来る。光る刃が鮮やかな光の輪を描き、再びおれへと振り下ろされる。

 ビギャッ! 

 白虎の超速度でバックステップしたが、かわし切れずに右肩に斬撃を喰らう。激しい熱を感じる。カゲが噴水のように溢れる。

 

 ― なぁ、人を傷つけたりするのって、全然楽しくないな。何にも、さ。ゲームとかだとさ、あるじゃん。人を斬ったり撃ったりするの。それって、ゲームじゃん。楽しかったりするじゃん。

 ……でも、現実では、全然だ。

当たり前だったな。人を殴ったり蹴ったりするとさ、残るんだ、手に、足に、そして心に、感触が。おぞましい感触が。父さんが暴力を否定した理由、ようやく分かった。

 でも、その時はおれの手はもう、暴力に染まってしまっていた。だから、太陽みたいな、真っ直ぐなお前には、絶対に関わって欲しくなかったんだ ―


 シュートは詰めが甘くない。腰が落ちた体勢から、伸びあがる反動をつけて斬り上げてくる。左肩に切っ先を浴びる。

 が。

 斬り上げたその腕を、おれは摑んだ。二太刀、浴びたその状態で。おれでないおれが。


『うがぁぁぁぉぉぉぉおおっ!』

 ソウルオーガが咆えている。おれの声で、凄まじい唸り声を上げている。

『ぁ゛ぁ゛ぁ゛っ!』 気迫だけで、無理やりに全身から溢れるカゲを止めた。

 そして摑んだ相手の腕を押さえこみ、ニタ、と笑う。

 鬼のように。


 不意に冷たさを感じた。

 涙が頬を伝っていた。

 

 ― お前には、笑顔が似合うんだ。お前には、真っ直ぐに前を見ていて欲しかった。うん。おれ、お前に憧れていた。眩し過ぎて、時々憎らしかったけど、おれは。

 おれ、伝えたかったな。シュート ―


 ズゴ! 

 頭突き。至近距離から。シュートが一瞬、怯んだ。

 その隙に摑んだ腕を離し、腰の回転をこれでもかと加えた、凄まじい回し蹴りを顔面めがけ放った。キツネの面が、ピンボールのように弾け飛んだ。

 跳んで追う。宙に浮かされ、崩された体勢に追い打ちをかけに。肘鉄を鳩尾に、膝蹴りを背中に。上と、下。

 鬼が獲物を喰らうように。

 両手を前で組み、ハンマーのようにして振り下ろす。

 相手の身体は為す術もなく、轟音と共に地面に叩きつけられた。

 涙が止まらない。

 傷ついた親友を、更に打ちのめす拳を振り上げるたびに雫が弾ける。しかし振りあげた拳は、おれの意思と関係なく動く。心と身体が、全く一致してない。

 胸倉を摑み上げ、顔面に渾身の右ストレートを放つ。

 シュートが人形の様に吹き飛ぶ。


 止めろ、と叫ぶ心と、ぶっ潰す、と叫ぶ身体。


『オ゛ァァァァッ! ア゛ァァアッ!』


 泣き叫びながら、ゆっくりと倒れたシュートの方へと歩み寄って行く。

 左手で虎徹を取り出す。刃からは、今までに見たことのないほどの禍々しい瘴気が立ち昇っている。

 立ち上がろうともがく相手の前に立ち、ゆらり、と刀を片手で上段に構える。

  ― やめてくれ ―


 ビタ、と身体が止まった。

 足元に、黒いカゲが伸ばされている事に気づく。影、縛り…?


「マヒロ…やめ、て…」


 震えるカナシーの声が聞こえた。


「もう、やめて…お願い…」 大人しく、内気な彼女が、必死におれを抑えようとしている。


「これ以上、傷つけないで…」


 そのまま後ろからひし、と抱きしめられた。


「シュートくんと、あなたが…傷つけあう、なんて…」廻された両腕に力がこもる。「絶対に、あっちゃ、ダメ……!」

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛……!」

「ダメ…絶対、ダメ、よ…っ」カナシーの、震えながら、泣きながら、俺に訴えかける声が、贖罪の声が、聞こえる。

「ガアァァアァッ!!」


 しかし身体は暴れた。

 恐ろしく強固な影縛りに遭いながらも尚、彼女を振りほどこうとする。

 それでも、カナシーは離さない。大人しい彼女のどこに、ここまでの力が秘められていたのかと驚く程の力で、懸命におれを押さえる。

 そして、一度抱きしめた手を緩め、おれの身体がもがいて動いた瞬間、正面に向き直り、再び抱き寄せた。

 顔をうずめ、もう一度、さっきよりもさらに強く、懸命に、おれを抱いた。細い腕に、カゲを全開にしているはずのおれが振りほどけないほど強い、強い意志の力が込められていた。幼子を庇う母親のように、強く抱き締めて、放さない。


『このアマぁ……邪魔、だ……』


 ソウルオーガの呟きが、おれの頭に木霊した。

 暴れる身体が、虎徹を逆手に構える。


 ……え?


 白虎の力を消し去った、純粋なカゲの刃が、おれを抱きしめた彼女へ向けられ。 


 ― ダメだぁぁっ!!―

 

  ドスッ。


 彼女の背中に、禍々しい刃が立てられた。


 硬直した姿勢から、ゆっくりと、彼女の顔が上がっていく。

 カナシーの灰色がかった暗く青い瞳がおれを映す。


「ごめん、なさい…」

 彼女の冷たくも暖かみのある手が、そっと、おれの頬を撫でた。

「あなたを、あなたたちを、巻き、込んで、しまっ、って…」

 彼女の身体は、ゆっくりと崩れ落ちた。


 ……そん、な。


 身体が後ずさった。

『禍時』に耐えきれなくなった身体の限界が、きた。

 彼女の身体に突き刺さった漆黒の刃が、すうっと消えていく。

 その背後に、よろめきつつも立ち上がったシュートが、カゲの世界から逃げるように消えていくのがかろうじて見えた。

 

 そうしておれの意識は、底の無い泥の中に沈んで行った。


 


 ……眼が覚めるとベッドが軋んだ。


 どうやら酷くうなされていたらしい。着替えは汗でびっしょりと濡れ、前髪が額に張り付いていた。袖で拭う。

 身体を起こし、周りを見渡した。どうやら以前にも寝かされていたぺんぎん堂のベッドだった。白い何もない部屋。部屋には、いつも流れているはずの、センスが粉微塵も感じられないBGMが無く、しぃんと静まり返っていた。

 ありがたい。今は、ヘンチクリンな歌謡曲も、流行りのラブソングも、ノリ重視のポップソングも聞きたくはなかった。

 窓の向こうには灰色の曇り空が見える。


 しばらく、そのまま窓から空を眺めていた。

 自分がやってしまった事、周りで起きてしまっている事が頭の中で何度も何度も繰り返し、断片として浮かんでは消えた。

 エチゼンクラゲみたいなふよふよとした記憶、シロナガスクジラみたいな巨大な事実。それらが大きな流れとなって頭と心に渦巻いていた。


 やがて部屋にアネーゴがするりとやってきた。

「よぉ」と言って手にしたリンゴをお手玉のようにキャッチングを繰り返している。


「要が心配してたぞ……お前、大丈夫か?」 

 カナシー。そうか。安堵した途端、言葉が反射的に口を突いた。

「ごめん」

 ポク、と殴られた。

「え」わけがわからないよ。

「謝んな」そう言うともう一度、おれの頬っぺたをピシャリと叩いた。

「謝って済まそうとすんな。キノのこと、だろ」


 抜身の言葉がおれに刺さった。


「謝んなよ。謝ったって悔んだって泣いたって喚いたって、アイツは帰ってこないだろ。だから、謝んな。自分を許すな。向くんなら未来に向け。だから、闘え」

 強い、どこまでも強い瞳がおれを射抜く。それでも。

「ごめん」そう言って頭を下げる。

「おっまえなぁ」振りあげられたアネーゴの手を押さえる。

「わか、ってる、だけど」ごくり、と唾を呑んだ。

「それだけじゃない、から。シュート、おれの友だちの影法師、止める、って言ったのに、止めらんなかった、ジュンさんのお兄さんを殺してしまった、キノを死なせた。それは、謝ったってどうなるもんでもない。取り返しはつかない。でも、だから、これは、おれがおれに『分からせる』為の、ゴメン、なんだ」

 言葉が、震えた。一語一語、振り絞るようにしか喋れなかった。情けなかった。何もできずに、却って取り返しのつかない事をしてしまった自分が。


「じゃぁ、だな」

 アネーゴはリンゴをガリっと噛んだ。

「その上でさ、お前はどーすんだ? これから」

「影法師には、黒幕がいる」

 ぴくり、とザンバラ髪が揺れた。

「ヤツらが言ってたんだ。『よしゅあ』って」

「よしゅあ? 変わった名前だな。外人か?」

「分からない。でも、恐らくは大元締めみたいなのがいるんだ。そいつを倒す。こんなこと、もう絶対に、終わらせなくっちゃいけないんだ」ぐ、と拳を握る。

「闘うよ、おれ」

 

「そいつぁ、無理なんじゃぁねぇかぁ?」

 不意にヨシヤさんの声が聞こえた。え、と思ってドアに眼をやるがいない。え?

「カゲって、自然にあるもんだって、オリャいったろぉがよぉ」


 太陽光が射しこむ窓ガラスの外に、節くれだった掌がベシ、と当てられたかと思うとそのままからりと窓が開けられ、よいしょっ、と声が上がるや窓枠によじ登って来た。

え? 窓って、ここ、二階。どうやって登って来た? あなた大工さん? もしくはヤモリ?


「は、や、それはまぁ、てっか、なんでそこにいるんすか?」我ながら間の抜けた返答だ。

「ほれ、おれ、前世が忍者だからよぉ。たまには壁伝いに張り付きたくなんのよ……っと」そう言ってふわりと部屋の中に滑り込んできた。え、窓から入ってきた意味は? 無いね。聞かなくても分かる。

「とりあえず意味分かんないです」

「世の中ってソレだからおもしれぇだろぉ?」

「そう言うのいいですから」

「ってっかヨシヤ、どうせなら窓ふきやっといてよ」 突っ込みどころ違くね? アネーゴさん?

「ま、置いといてだなぁ」

「追求したいですけど」

「ぬはは。まぁ、楽しみはとっとけ」楽しくあるか。

「ぼぉず、お前さん、ヨシュアとやり合う気か?」

「知ってるんですか?」がた、と身を乗り出してしまう。

「んー、ま、な。てっか、問題はそこじゃねんだよ」 つかつかとベッドの前に歩いてくると、どっか! とビニールのパイプ椅子に腰かけた。うわ、年寄り臭い。

「あんな、まぁ、一応、ヨシュアは今のとこのカゲの元締めだわな。だから、そいつを叩いて倒しゃ、応急処置的に影法師のこたぁ落ち着くかもしんねぇ。でもよ、前に言ったろ? 人間がいる限り人間の闇も無くなんねぇ。終わらせることなんざできやしねぇよ」

「そう、だと思います」

「おろ? 即答?」

「はい。おれ、そんなに大層な事を成し遂げたいとかは、その、思ってないです。でも、おれは、おれが関わって流された血と、亡くなった命の責任を、おれが出来る限り……取りたいんです」

 アネーゴは黙っている。黙ってリンゴをシャリシャリと食べている。あれ、見舞い品ではありませんでしたか、それ。まぁいいや。ヨシヤさんはフム、と頷いておれの続きを待っている。

 カナシー、無事であってくれ。おれは、君に言わなきゃならない事がある。

 ジュンさんにも。あと、ついでにゴウジにも。ついでだけど。

 そして、シュート。おれは、お前に。


「友だちを、止めたいんです」


 一個一個、言葉を探していく。嘘をつく為じゃない。素直になるために、自分の気持ちを表せる言葉を、ゆっくりと探していく。


「友だちが影法師になって、取り戻そうとしたらジュンさんのお兄さんを殺してしまって、それでキノが殺されて、おれはぶち切れてカナシーをこの手にかけた。カナシーはあの時、おれに謝りました。巻き込んで、ごめんなさいって。でも、そんなん、そんなん」

 涙がこみ上げてくる。みんな、優し過ぎる。優しいから傷ついて、なのになんでみんな。

「おれ、いつだって誰かに助けてもらってきました。おれは一人では何一つできなかった。カイさんがいなくなった時、思い知ったはずなのに、本当には分かっていなかった。分かっていなかったんです」ふぅぅ、と息を吐く。

「その友だちは、ずっとずっと、おれを助けてくれていた。そいつが側にいてくれたことが、なによりの助けだった事を、おれはそいつがおれから離れるまで分からなかった。だから、今度は、今度は、おれが助ける番なんです。キノみたいなちっちゃな子を手にかけさせるようなマネ、もう二度と、絶対にさせちゃいけない。あいつは、おれが止めなきゃ、おれじゃなきゃダメなんです」

 つっかえつっかえ、何度も同じ意味を繰り返しながら、おれはそれだけを何とか喋った。


「あー。つまるとこ、許せねェんだな? 自分と、友だちと、それと影法師を操ってるクソ野郎が?」アネーゴが食べ終えたリンゴの芯をクルクルと弄びながら言った。

「身も蓋もない言い方をすれば、ね」

「分かりやすく言えば、って言えよ。ったく、めんどくせぇなぁ」あなたが直球すぎるんですよ。おれはいたってノーマル。

「ぬはは。まぁ、そう言う事情があんなら、なぁ」頭をボリボリと掻く。フケ、飛ばないだろぉな……。

「おっさんとしちゃ、わけぇもんにゃぁ、死に急ぐようなマネ、して欲しくねんだけどなぁ」

「あはは。死にませんよ。いや、ホントの時はアッサリ逝っちまうのかも知んないですけど。死ぬために闘うんじゃないです。命を賭ける事と捨てる事って、多分全然違いますから」

「……やれやれだ。お前さんが、そんなこと、言うとはなぁ。出会った三か月前とはえれぇ違いだ」

「へ? そうですか?」おれは、何も、変われていない……。

「……ま、良いのよ、過去を振り返らねぇのは若もんの特権だ…これ、持っといてくれっか?」 ぽん、と青みがかった透明のおはじきを渡した。

「これ……?」

「キノにな、こないだ買ってやったんだ」

「え」

「あいつぁエッラく喜んでな、宝物にすんだって、もう大はしゃぎして、大好きなお前さんにも一個、分けてやるんだって、言ってたかんよぉ。わりぃけど、持っといてやってくれるか?」

 

 涙が溢れてしまった。

 ようやく整理しかけた思考は、全てひっくり返った。

 キノの無邪気な笑顔が頭にいくつも浮かんでは消え、抑えていたものが外れたように、堪えていたもの、精一杯の力で蓋をしていたものが外れてしまったようにおれは泣いた。

 キノ。キノ。キノぉぉぉ……!


 ― とは言ったものの、実際には男の涙と言うのは傍から見ていると大変に心苦しい。

 アニメやドラマなどでは必ずと言っていいほどカットされているが、実際には涙だけでなく鼻水も溢れ出ているから、見ている側は汚いなぁと思うのは必定、ドン引きせざるを得ない。

 主に赤提灯の安居酒屋から帰路につく中年サラリーマンなどを観察していれば確認できるが、汗と涙と鼻水にまみれながらううぅ、あぐぅ、おぅぅ、などと奇怪なオットセイの如きあえぎ声を上げながら泣いている姿は、それを見た者の心まで暗澹たるドブ板に引きずり込むので厄介である。

 美女の喘ぎ声はそれだけで金を生むのに、大変な格差社会である。

 人生は不平等だ。


 ……てなことは分かっちゃいたが、涙が止まらなかった。自分を客観視して心の余裕を生み出そうとしたけど失敗した。キノ、キノ、キノ……! 

 あぁくそ……ダセェなぁ、おれ。

 

 そんなおれの肩をぽんぽんと叩きながら、アネーゴは内ポケットからリンゴを二つと果物ナイフを取り出すと丁寧に皮を剥いてウサギにしてくれた。

「食えよ。林檎食べたら医者いらずって言うからさ」

 そう言うとそのまま立ち上がって出て行った。

 相変わらずの侠気である。

 女子高生だけど。


 ヨシヤさんの処置が効いたのか、二、三時間後にはすっかり動けるようになっていた。すぐさまカナシーに連絡して会いに行った。


 待ち合わせた午後の児童公園は、全く人の気配がなかった。

 まだ年始だからか。若い親子連れでもいそうな暖かい日差しが降りそそいでいたが、ベンチに遠慮がちに腰掛けたカナシーしかいなかった。カーキグリーンのファー付きジャンパーにデニムのジャンプスーツという出で立ち。


 息せき切って駆けだしたおれを見つけると、手をちょこ、と上げて立ち上がった。

「ごめん、待たせちゃった?」

「ううん…今、ちょうど…来たとこ…」


 二人で並んで樹の板が打ちつけられたベンチに腰掛ける。

「その、いきなり変な事言うけど、こないだは、ごめん。君に刃物を向けるとか……」

忌々しい出来事が生々しく甦ってくる。女の子に手を上げたのは、生まれて初めてだった。『禍時』を、カイさんたちがあれほど警戒していた理由がようやく分かった。


 ふいに、彼女の冷たい手がおれの手に重ねられた。

 びく、とする。


「私より…マヒロ…平気…?」

「え?」

「あなたが…とても…苦しんでたの、分かった…から…」

「そんな」


 堪えきれず、彼女の両肩を摑む。

 揺する。

「そんなの。おかしいよ」

 彼女の胸に顔をうずめる。

「君は、優し過ぎるよ……」

 

 おれの周りは菩薩ばっかりか。


「ねぇ…マヒロ、約束…してくれる?」

「俺にできることなら、もう、何でも」

「自分を…傷つけないで…? あなたが苦しいのが…私は、一番…」

 頭を抱き寄せる。カナシーの柔らかな髪に触れる。

「苦しい、から…」

 頭を強く抱く。

「約束する。おれは、自分も、君も、傷つけない。君は」

 彼女の耳元に軽く口づける。耳が真っ赤に染まっていくのが見えた。

「おれの、世界で一番大切な人、だから」


 二人の手を強くつなぎ合わせる。

 こうしたって相手の心は見えない。でも。

 相手がそこにいる事が、分かる。

 もう二度と、君を離さない。

 いつか離すんだとしても、今は離したくない。



 ……もうすぐ新学期が始まる。

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