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飛べない鳥の唄  作者: ぴーくおっど
11/30

ソウルオーガ。

  太陽を反射した雲が、黄金色に輝いて見える、夕暮れ時の帰り道。 

 汗臭く、漢臭く、ニンニク臭い北方剛璽プレゼンツ訓練の後、ぺんぎん堂のシャワーを借りてさっぱり、フローラルな香りになって、街を歩く。

 ……いや、まぁ、おれがフローラルでどーする、とは思うけどね。


 昔からの古馴染みの店がたくさん並ぶ、夕方の商店街はレトロな雰囲気に未だ包まれているけど、活気に溢れ、買い物に向かう人、仕事を終えて家路を急ぐスーツの人で溢れている。道には八百屋や鮮魚店、総菜屋の呼び込みの声が響き、どこからか揚げ物の匂いが立ちこめてくる。

 あぁ~、お腹すいたなぁ。こういう時にソースの香ばしい匂いとか、堪らないなぁ。


「新月…先輩?」

 ざわめきの中から、聞き慣れた声がする。

「あ! やっぱり! せんぱいっ!」

 人ごみの中からおれを見つけた加賀美さんが大きく手を振ったかと思うと、うわ、こっちに駆け寄ってきた。

 さっきシャワー浴びといて良かったよ。

 駆け寄ってきた彼女は息を弾ませ、エコバッグをぶら下げて、どうやら買い物帰りらしい。片手にはつまみ食いか、湯気の立つ食べかけのコロッケを持っている。


「えっへへ、先輩、もう冬休みなのに、二日続けて会っちゃいましたねっ!」

 その、前から思ってたけど、わんこっぽいぞ、この人。尻尾ついてたら振ってるぞ、きっと。

「そうだね。はは。こんばんは。加賀美さん、おつかい?」

「はいっ! あたしんちって晩御飯、当番制なんです。で、今日はあたしの番なんですっ!」そう言ってエコバッグを誇らしげに前に差し出す。

「へぇぇ。加賀美さん、料理、できるんだ?」

 素直に感心してしまう。何と言うか、黒コゲになった鍋を前にして涙ぐんでる姿が似合いそうな気がして。

 まぁ、それ、おれの事なんですけどね。

「あ! 先輩、『麻奈ちゃんは料理なんかできっこないさ』くらいに思ってませんでしたかっ!?」

 むぐ。図星を刺された。女の子の勘ってすごいな。

「え、いや、その。でも、偉いなっては思ったよ?」

 とりあえず、話しをしていても通行人の邪魔にならないよう、道端に寄る。

 おれのお腹がギュウとなったのを見た加賀美さんは、持っていた揚げたてコロッケを半分割って、おれにくれた。香ばしいソースの誘惑に無条件降伏したおれは、女の子の前だと言うのにガッつき、あっという間に食べてしまう。

 そんな様子をみて笑った加賀美さんだが、すぐに表情を変え、今は頬っぺたを膨らませ、拗ねている。

 

「ひっどいなーせんぱいってば! 人から物をもらったのに、人を勝手に料理音痴扱いして! もうっ」

「いや、その、面目ない」

「面目ない? あっはは、ごめんなさい、とかじゃないんですね、先輩、面白ぉい! ふふふ! あ、でも先輩こそ、料理のさしすせそも知らないんじゃないですかっ?」

「……サシスセ、ソ?」

 おれが答えられないのを見て、加賀美さんはニンマリ、自慢げな表情を浮かべた。

「おろ、せんぱいー、家庭科の授業、ちゃんと聞いてます? やりましたよ、これぇ?」

「な、なんだっけ?」

「さ、が砂糖、し、が塩、す、がお酢、せ、はこじつけで醤油、そ、がソースですよっ! 家庭科の基本ですよ、キ、ホ、ン!」


 自らの知識を披露した彼女は、胸を張って誇らしげである。ツルペタ絶壁の胸が……悲しげに誇張されてる。

 ただし貧乳が正義であると出張する輩はかなり多いのである。

 リビドーとは、げに不可解なり。


「……そう言えばあったな、そんなの」

「ふっふーん! 先輩、あたしに完封負けですねっ!」

「そ、そうなの?」

 ……ん? 待てよ。思い出した。確かに一年の頃、やったな、授業で。

「あの、おれも思い出したけど、ソって、味噌じゃなかった? ソースじゃなくて?」

「えー、細かい事気にしてるとハゲちゃいますよ?」

「細かい事なの? ってか、おれが禿げても誰も気にしないよ」

「寂しい事言っちゃダメですよ、先輩! あたしが気にしてあげますよっ。じゃなくて! ね、先輩、その、良いこと教えてあげたお礼に、っていうか、お願いって言うかですね」

「ん、なに?」

 最終的な正答を教えたの、おれじゃね?

 まったく。最初っからお願いで、いいのに。ん? は。加賀美さんのこの酔ったおっさんみたいな身悶え方は。

「その、あの、黒羽先輩のアドレスとかぁ、教えて……もらえないかなぁ、なぁんて、思っちゃったり、して、ですね……?」

 やはりか。

「はぁぁぁぁぁ」

 思わず頭まで下がる、ため息。

「え? ……あれ、ひょっとして知りません? 先輩?」

「そりゃ、知ってるけどさ。同じ部活だったし」

「だ、だめ、ですか?」

 理由を知らない彼女は、上目づかいでおれを心配そうに見つめてくる。

 だめ、っていうか、アイツそのものに、近付いちゃダメ、なんだよ……

「んー、ていうか、その、あいつのどこが好きなの?」

 仕方ない。黒ひげ危機一髪に挑むように、遠回しに諦めさせなくては。

「時雨、確かに見た目は良いけどさ」

「わー、いいな、下の名前で呼べちゃうんですね?! いいなー、男の子同士ってっ!」

 おげ、逆効果。眼が輝いてしまった。次の一手、次の一手。

「や、まぁ。その、うん、なんでか教えてくれたら、教えないこともないかな」

「えぇぇ、ずるいですよぉー……」

 お、効いたか?

「それなら、自力で頑張りなさい」

「うー、先輩、意地悪ですっ! 後輩には優しくするべきですよっ!」

「これがおれなりの優しさだよ。ねぇ、加賀美さん、その、人の好みにどうこういう権利はないと思うけど、うーん、時雨って、確かに顔は良いけど、性格はすっごいアレだよ? 正直、おれはキツイ」

「ふっふっふ。先輩、御存じないんですね」

 推理を終えた名探偵の様な、自信に満ちた顔をして、額に指を当てた加賀美さんは不敵に笑う。本当に、表情が豊かな子だ。

「黒羽先輩、あれはツンデレキャラですよっ! ツンツンツンデレくらいです! あのツンとした表情の下には、半熟卵みたいにデレっとした、可愛らしい一面がきっとあるはずです!」

「え……? それ、どこ情報?」

「ズバリ! あたしの予想ですっ!」


 それ、妄想って言います。

 

 はぁぁ。誠にもって思春期の少女の思い込みには恐れ入る。

 さて……どうしたもんかなぁ、などと思案していると。


― ぶぅぅん。ぶぅぅぅん。


 え? 着信だ。

 『鈴藤 美香』。

 ヨシカちゃん? こんな時に、しかもおれに、何の用だ?

 ちょっとごめん、と加賀美さんに断わって、電話に出る。


「もしもし、ヨシカちゃん?」

「あ……マヒロくん。お疲れさま。ごめんね、急に電話して。大丈夫、今?」

「お疲れ。ああ、うん、別に平気だよ。どうかした?」

「そっか。良かった」

 なんだ? いつものヨシカちゃんと、違う。そんな違和感を、ぼんやりとだが感じた。

「ねぇ、あのね、その……シュート、知らない、かな?」


 ヨシカちゃんの声は、幽霊の様に精気が無かった。

 それは、電話越しでも、おれみたいな鈍チンでもわかった。いつもの覇気が、凛とした張りが、まるでない。


「え? いや、知らないな」と言ってから驚く。シュート? あいつ?

「そう、そうか、そっか……」彼女の言葉はそこで途切れてしまう。

「あ、あいつ、どうかしたの? 昨日、あの後なんかあったの?」

「うん……ねえ、あのね、これ、あまり言わないで欲しいんだけど、最近ね、変なの。シュート」

 瞬間、嫌な予感が走った。

― 初詣は、一緒に行けるよね? 誕生会の後の、アイツの声が頭に響く。

「変。変、か。うん、なんだろう、その、たとえば?」

「私といてもね、嬉しそうじゃない、ていうのかな、ううん、顔は嬉しそうなの。笑顔は絶やさないし、でもね……あ、ごめん、これ、話しだすと長くなっちゃうね」

「え、おれは別に」と言ったところで、思い出したように加賀美さんの視線に気づく。そうだ。時雨の話も、真っ最中だ。


「ごめん、ヨシカちゃん、あの、後で掛け直して良い? その、ほっとけない話だし」

「あ……本当? ありがとう。でも、あの、私、今日塾なの。終わってから、九時くらいになっちゃうんだけど、すごく勝手言ってごめん、なんだけど、その、少し、会えない、かな?」 

「あ、うん。じゃあ、九時に『涼風公園』でどうかな?」

「うん、わかった。大丈夫。ごめんね、夜、寒いのに」

「全然だよ。ヨシカちゃんこそ、厚着してきてね。じゃ、塾、頑張って」

「ありがと。ホントにありがとう。またね」

 ツー、ツー、ツー。


 なんだか全然ヨシカちゃんらしくなかったな。

 シュートが、変? 天才すぎて、アイツはある意味、いつも変だけどさ、おいシュート、ヨシカちゃん落ち込ませるとか、何やってんだよ、お前。

 らしく、ねぇぞ。


「先輩? あの、大丈夫、ですか?」

「あ、ごめんごめん。大丈夫」無言のまま、思わず手にした携帯の液晶画面を見つめてしまっていた。

 加賀美さんは熱い、そして心配そうな視線を、おれに送っている。

 あぁ、もう。

 そんなに、好きなのか。なんでだろうな。君が好きになった相手が、なんでよりによってアイツなんだ?

 ……いや、分かってる。好きになるのに理由はない。

 おれが、そうだったように。

 ……でも、ダメだ。ダメなんだよ。ごめん、加賀美さん。


「その、ごめん、電話してたら急に思い出したんだけど、時雨、なんか携帯変えたらしいんだ。おれ、退部したあとって野球部と連絡、取って無くて」

「え……? あ、そ、そうなんです、か」

「うん、ごめん、そのこと、すっかり忘れてた。その、野球部の事、あんま思い出したく、なくて」

 申し訳ないと思うけど、こっちの切り札を使わせてもらう。

「あ……先輩が退部したのって……ああああ」そう言った加賀美さんの顔から、色が、失せて行く。

「す、すみません、その、あたし、あたし、む、無神経で、その」

「ううん。その、そんなにまで好きなのに、ごめんね、力になれなくて」

「ぜ、全然です! その、す、すいません先輩、嫌なこと、無神経に聞いて。あたし、あたし……! ごめんなさい、あたし、ホントに、ヤなヤツですね……すい、ませ、ん」

 振り絞るようにそう言うと、彼女は手で口を押さえ、視線を落とし、言葉を失ってしまった。

 いや。おれが、させてしまった。


「それは、ないよ」

 違うん、だ。

「加賀美さんは、全然、嫌な奴なんかじゃない」

 ……嫌な奴は、嘘ばっかりついてる、おれだ。

「凄く一生懸命で、明るくて、良い人だよ。それは保障する。おれでよければ、だけど」

 落ちた彼女の視線が、僅かに震えながら、おれを見ている。

「ホントだよ。嫌なやつなら、おれ、なんつうか、もっと冷たく扱っちゃうよ」

 町のざわめきが、雑踏が、おれ達の間を流れる。


「……新月先輩って、あたしに、いっつも、少ぉし、冷たい気、するけどなー」

「……え?」

「良いですか? 先輩? 先輩は今、可愛い可愛い、後輩の女の子と話してるんですよ? もー少し嬉しそうにしてくれたって、良いと思うなぁ~」ちょっと拗ねたようにそう言って、笑った。

「あ、う、そ、それは、またしても、面目ない」

 すみません。

 いや待て、これでも女性関係ドンケツのおれにしては、相当、頑張っていると思うんですけど。

「えへへ。先輩のこと、苛めちゃったっ」そう言って、ようやく、クスクスと小気味よく笑ってくれた。よ、良かったぁ。

「分かってますよぉ先輩。先輩優しいですもん。知ってます。えへへ。すいません、この間から色々、気を使わせちゃって」

「あ、はは、いや、そんなんじゃないよ」

「でも、先輩の言葉、嬉しかったです! ありがとうですっ! 麻奈ちゃん、恋も! 生徒会も! 頑張りますので、全力で応援、よろしくですっ!」

 そう言うとびっ、と敬礼のポーズをしてニコ、と笑った。

 勉強も全力、とは言わない辺りが、彼女らしい。

「はは。分かったよ。あの、てゆかさ、時間、大丈夫?」と言って、腕時計をコンコン、と叩いて彼女に見せる。

「え? あ、わ、ひゃぁあぁ! も、もうこんな時間!? お、おかぁさんに怒られる! せ、先輩、すみません、今日はこれで、失礼しますっ!」


 跳び跳ねるように叫んだ加賀美さんは、手にした買い物かごをバタバタさせて、大慌てで人ごみを掻きわけ掻きわけ、行ってしまった。

 はは。まるでドタバタラブコメみたいだ。

 はは。人を殺すことを決意したおれが、そんなんに入ってるとか。はは。

 自嘲気味な笑いがこみあげてくる。はははは。


 夕焼けが少し暗がりを見せ始めた商店街は、相変わらず、張りのある店員さんの呼びこみと、おばさん達の世間話、子どもの喚声で賑わっている。

 その中を一人、黙りこくって歩く。

 変わってしまった時雨への反発、何も知らない加賀美さんへの罪悪感、ヨシカちゃんの変化に対する不安、シュートへの何とも言えない苛立ち。

 頭の中が沸騰しそうだ。どうしてこうなった。どうすりゃいいんだ、おれは。

 

 でも、やることが、一つだけはっきりしている。

 ごめんね、加賀美さん。

 おれは、時雨を倒す。だからきっと、君をとても、悲しませてしまう。ごめん。謝るだけじゃ足りないくらい、ごめん。

 そうだ。面と向かって謝ることすらできない。

 ……辛い、な。

 思えば、最初、カナシーが必死でおれをカゲから遠ざけようとしていたのか、よくわかる気がする。


 ……こんな気分、味わうの、なんて、おれだけで、十分だ。

 そうか。それが、『ぺんぎんず』か。

 カナシーも、カイさんも、ジュンさんも、ゴウジもキノも、ずっとこんな誰にも言えない罪の意識を背負い続けていたのか。

 おれだって、自分なりに覚悟はしたつもりだった。

 でも、全然足りていなかった。そうじゃない。覚悟の意味を分かっていなかった。くそ。おれは、いつだって、そうだ。

 だからって。

 おれは思いなおす。

 弱さを、言い訳にするな。

 おれは、なんの為に『ぺんぎんず』に入った……!


 喧騒を抜け、住宅街へと入って行く。見上げた鉄塔に止まっているカラスの群れがおれを見つめていた。


 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


「あ、マヒロくん。お疲れさま」


 刃物みたいに鋭い輝きを放つ、三日月の下。

 河川敷のある土手の反対側、陸地側にある涼風公園の入り口に一人、佇んでいたヨシカちゃんはおれを見つけると、軽く手を振った。

 オフホワイトのコートにベージュのフリンジストール。茶色のフラットブーツ。

 何と言うか、この人は何をしても絵になるな。隣に連れて歩いてたら思わずニヤけてしまいそうな、凛とした美しさ……なんだけど、やっぱり、いつもより元気がない。いつもおれを圧倒する、美人オーラが若干、いや、かなり、薄い気がする。


 大晦日間近、住宅街近くの児童公園『涼風公園』は、中はもちろん、公園の周囲にも全く人気は無く、しんと静まり返っている。

 この辺りは地方都市だけど、実家を出て自分の家を建てた家族が多いから、年の瀬と盆は人気が無くなる。

 家々の灯りも少ないので、空を見上げれば冬の星たち、中でもオリオン座が、はっきりと見える。寒さで吐く息の白さも格別だ。

 おれ達は、頼りなげに点灯する電燈の下のベンチに腰掛けた。


「おつ。ごめんね、寒い中」

「え、呼んだのわたしだし」そう言って、力なく笑う。

「カナシー、元気?」

「ん、あれは元気、って言うのかな、はは、わかんないけど、その、電話した感じは」

「そっか。連絡、毎日してる?」

「あ、うん。その、まぁ」

 おれ達が付き合うきっかけを作ってくれたヨシカちゃんには、何だかおれとカナシーの全てを見透かされてるようで、すこし、照れくさく報告する。

「良かった。あのね、カナシー、基本連絡無沙汰だから」

「え?」

 連絡無沙汰な人は、履歴表示を超えるほどの回数、電話かけなくね?

「あの子、引っ込み思案って言うか、消極的って言うか、だから」

「あ、ああ、ああ」

 変なとこ、積極的だけど。水ごりとか、ね。

「良かった。ほんと、良かった。カナシーまで落ち込んでたらどうしよっかと思った」そう力なく言うと、目にかかった前髪を、さらりとすくい、小さな耳にかける。

「その、あのね…」

「うん。電話の件、だよね。シュート、どしたの?」 


 あれ?

 そこでヨシカちゃんの眼に涙が光っていることに気がついた。


「え、え、あの、ど、どどどしたの? おれ、なんかしちゃった?」 

「……ぅうん。違うの。は、あの、マヒロくん、ほんと優しいね。ほんと」そう言うと、ぽとぽとと涙を流して泣きだしてしまった。「うっ、うっ、うえぇ」


 女性の涙、と言う緊急事態におれの脳内会議は狂乱に荒れ狂った。

 『美女の涙』緊急対策本部を設置しなくては。

 ていうか落ち着け。いや待て。どうすればいいのだ。肩を抱く?

 それ、地雷。

 ええと。何があったのだ。どうしろというのだ。

 いきなりの出来ごとに頭の中がカーニバル。リオ・デ・ジャネイロ。

 ああ、恋愛偏差値底辺のおれは、女の子の涙に慣れていないにもほどがある。


 「そ、その、えと、はい」

 とりあえずハンカチを渡す。

 「や、ほ、ほら、おれ、優しくなんかないし」

 あー、何言ってんだ、おれ。支離滅裂とはこのことだ。辞書に用例として載せるが良い。

 眼の前のヨシカちゃんは、差し出されたハンカチを受け取ると、小さくフルフルと首を振った。振る度に、髪がさらさらとなびいた。


「ううん、優しいよ、マヒロくんは。わ、わたし、マヒロくんに『ゲイなんじゃない?』なんて、ひ、ひどいこと、言ったのにさ、こうしてちゃんと話してくれるし。わたし、ダメなの、ホントに、ダメな子なの」そう言うとハンカチで顔を覆ってしまった。

「そ、そんなこと、あるわけないよ」

 ていうか貴女がダメなら人類の九割はダメになってしまいますから。

「ってっか、シュート、なんだろ、ヨシカちゃんが今こんなんなってんの。あンの野郎。電話する」

「っ待ってっ……!」ヨシカちゃんはハンカチを握りしめていた腕を素早く伸ばし、携帯を取り出そうとしていたおれの手を摑んだ。細くて、白い指。涙に濡れた、小さい手で。

 

 仕方なく、おれは自販機で飲み物を買ってきてヨシカちゃんに渡し、公園のベンチに腰掛けてもらった。

 いい加減に温まらないと、この寒さ、風邪をひいてしまう。手にしたホットコーヒーの暖かさ。プルトップを開け、一口すすると、途端に目の前が真っ白になる吐息が漏れる。

 目を腫らしたヨシカちゃんは、黙ってロイヤルミルクティーの缶を握りしめている。


「その、飲みなよ。身体、冷やしてるとロクなこと、無いしさ」

「うん……」

 ヨシカちゃんの白く小さな顔が、蝋細工の様に儚く、弱弱しく見える。

 どうしたって言うんだ。いつもの理路整然とした、みんなのまとめ役、憧れの的の生徒会筆頭書記が、嘘みたいにシュンとしている。は。こ、これがギャップ萌えか。うっかりときめいちまいそうだ。

 しかし、ときめいたところでディスイズ不毛だ。耐えろ、おれのATフィールド。


 そうして、五分は経ったろうか。

 ようやく、震えを何とか落ち着かせて、ヨシカちゃんは話しを再開してくれた。


「ねぇ、マヒロくん。マヒロくんって、シュートと普段、どんな話、してるの?」

「ん、まぁ、普通、っていうか。改まって説明するの、アレだけど、なんか、そうだね、こう……ふざけあったりとか?」

「好きな子の話とか?」

「あ、そだね、あいつ大好き。その手の話が主食なんじゃねぇか、ってくらい」

「だよね。私も好き」そう言って、頼りなげな笑顔を作って笑った。

「ねぇ、シュートって、私の話とか、するのかな?」

「あー、割としょっちょう」

 おかげでおれは、ヨシカちゃんが作るお弁当の傾向まで分かる様になってる有様だ。そんなラブさ、もはや羨ましいとかではなく、おれには遠い、別の惑星での出来事だった。シュートの恋バナは、おれにとって、宇宙人にスティービーワンダーを聞かせてるようなもんだった。

「……そっか。そうなんだ」

「うん」


 ……ダメだ。ハムスターの回し車の様な会話だ。どこにも行かない。このままじゃ、二人とも風邪をひく。あ、ひょっとして、自分からは言いにくい?

 なら、仕方ない。勇気がいるが、思い切って、切り出してみよう。


「あのさ。シュート、さ。あいつが、変、だって?」

 途端、びく、と怯えたようにヨシカちゃんの動きが止まった。

 一番言いたい事なのに、一番言いにくい事、たぶんそんなところなんだろう。

「変、ていう、のかな」

 言葉が途切れる。キャッチボールには、既にならない。でも、彼女はおれの顔を見つめると、意を決したように、続けた。

「マヒロくん、カナシーとシュート、どっちが大切?」

 

 ホモ・サピエンスがこの世界に生まれた時から、何万何千回繰り返されたであろう、その質問はずるい。一択クイズだ。


「……選べないよ、そんなの」

「やっぱり、男の子って、そう、いうんだね」

 あらかじめ、おれの答えが分かっていたように、彼女は呟いた。

「そう言うこと、分かってるのに聞く、私って、嫌な女だよね。うん。分かってる。わかってるの。でも、恋人と友達、どうして選べないの? 私には分からない」

 おれは言葉を探す。自分自身の答えを。

「その、選ぶって言葉を使うなら、どっちか捨てるって考えになっちゃう。でも、どっちも捨てられないよ。大切なものを、天秤にはかけられない。シュートがいない未来も、カナシーがいない明日も、おれには耐えられないよ」

「分かんない。私には分かんないよ、それ。恋人が一番、どうしてそうならないの?」


 ねぇ、どうして? そう、彼女は言おうとしたように見えた。

 どっちも一番なんだ、順位なんて、無い。

 そう言いかけて、おれは口ごもった。

 他人の物差しを理解しようとしなかったら、世の中でやっていけない。おれとシュートがどれだけ近くにいても、あいつの価値観が理解できない時もあれば、あいつにおれの価値観が伝わらない時もある。

 正論だとか客観性だとか、そういう論理性だけでやって行くことは、たぶん、出来ないんじゃないだろうか。人間は、感情の生き物なんだ。

 感情は、倫理や道徳で止められるものじゃない。


「私は、シュートが一番好き。この世界で何よりも。シュートがいれば、私はそれでいいのに。なんで」

「……それ、間違ってないよ、きっと」

 それがヨシカちゃんの物差しならば。きっと間違ってない。間違っていない。じゃあ、何で彼女は今、こんなにも苦しんでいるんだ?

「ここのところ、文化祭の前後くらいから、かな、何を話してもずっと心がそこに無いような感じだったの。優しいよ? でも、中身のない優しさ、ていうのかな、ずっと、距離、感じてて」

 堰を切ったように喋り出したヨシカちゃんだが、目線は下に落とされたままだ。焦っているような、何かを探しているような。

「それでね、昨日、クリスマスイブ、誕生会の後。みんなが解散した後、私は残ったの。マヒロ君も出て行って、そう、私達、二人っきりだったの。シュートの御両親、御旅行に行かれてたから。でも、シュートの家で、私が『二人きりだね』って言っても、シュート、上の空で、『マヒロ、おれのこと嫌いになったのかな?』とか、『ヨシカ、おれに代わってマヒロに電話してくれない? 変なんだよ、おれに隠し事してるとか』なんて、落ち着かない様子で、そんな事、ずっと言ってて。何言ってるの? って感じよ。変なのは、自分よ」そう言うと、自嘲気味に笑った。

 とても、悲しい笑い声だった。


「だからね、昨日は、ずっとそんな感じだったの。キスだって、してくれなかった。ねぇ、クリスマスイブの夜に、だよ? それなのに……。もちろん、家に泊めようともしてくれなかった。ちっちゃい子を扱うみたいにして、『もう遅いし、そろそろ帰るでしょ? 送るよ』とか言っちゃって」

 彼女の眼から、再び涙が零れおちた。

「私、それで、思わず、自分でも信じられない位、意地悪な気持ちになっちゃって、聞いちゃったの。『シュートは、私よりも、マヒロくんが大切なの?』って。そしたらシュート、凄く悲しい顔して。私が見たこと無いような。それで、黙っちゃった。黙って、ソファに腰掛けたっきり、両手で顔をふさいじゃって」

 なんで。そんな。どうして、そんな。

「私、怖くなって、そのまま、声もかけられなくて、一人で、帰っちゃったの。でも、そしたらね、今日はね、朝から、電話出てくんないの。ずうっと留守電。メールも返信来ないし。こんなこと、今まで無かったの。一回も。わ、私、私、ど、どうしたら……」

 それきり、再び口をつぐんでしまった。


 ……。


 ……あンの、馬鹿野郎。

 おれに「カナシーを大切にね!」とか言ってたくせに、馬鹿野郎。

 なんで、ヨシカちゃんといる時まで、おれなんかの心配してるんだよ。お前はおれの母さんか。大馬鹿野郎。


 おれじゃ、ない、だろ、なんで、そこで、おれ、なんだ。


「わ、私、シュートの事、す、好き、なのに、なんで、シュートが弱ってたり、困ってたり、す、する時に、力にな、なれないんだろ。どうして、もっともっと追い詰めるようなこと、しちゃったんだろう。わ、私、私、どうして……」

 何度もしゃくりあげながら、ヨシカちゃんは、喉から絞り出すように、それだけ、言った。

 おれは思わず、泣いている彼女の肩に触れようとした、その時。


「愚かな人間の周りには、愚図な連中が集まるのかな。なぁ、新月」

 静寂な冬の星空に、時雨の刃物の様な鋭い声が響いた。


「自分でどうにも出来ないことで悩むって、どうしてこうも、愚かしい奴ばっかなんだ?」

「え……え?」

 ヨシカちゃんはハッと顔をあげて、辺りを見渡した。

「く、黒羽、くん…?」

 時雨が、ゆっくりとした足取りで公園に入って来た。


「鈴藤、きみ、なんでそんなことで悩んでるんだ?」

 不思議で仕方ない、といった感じの声だった。

「自分のエゴを他人に要求しつつ、他人の感情を尊重しようとするって、なんだい、それ? 矛盾以外の何物でもない、だろ? 答えなんかでやしないさ。しかも、それで泣きだすって」

 ベンチのすぐ手前まで来てザ、と立ち止まった。

「正直、すごくウザいな。そうだろ、新月?」そう言って、せせら笑うように、おれを見た。

「う、うざ……」ヨシカちゃんは絶句している。

「君さぁ、そんなこと、人に相談して、どうすんの? なんて言って欲しいの? そう言われた人がなんて答えるか、少しは考えてから言ったのか? 考えてないだろ? だって、そんな事言われても、何もいいようがないだろ? はは、当たり前すぎて、笑えるよ。それともアレかな、ただ聞いて欲しい、って奴かな」くっく、と笑いを抑えて、時雨は喋り続ける。

「あのさ、それ、ホントに時間と労力の無駄だよね。自分の時間だけ無駄にするならまだしも、他人の時間まで削るとか、人としちゃ、まず最低だな」

「黙れよ」おれは思わず、立ち上がっていた。

「おいおい、新月? ぼくは君の為を思って、君自身からは言いにくい事を、言ってやってるんだよ? 君が、ただ泣きごとを吐き出される、ゴミ箱みたいな扱いをされてるのを、止めてやろうってさ」

「黙れって言ってんだろ!」

「やれやれ。その役目を引き受けたがる、か。相変わらず、救えない偽善者だ。まぁ、君ならゴミ箱にふさわしいのかな。適材適所?」


 ぐっと前に歩み寄ると、時雨の胸倉を摑む。しかし、時雨は笑いをこらえるのに精いっぱい、という表情を変えない。

「なにかな、この腕? ぼく、何か間違ったこと、言ったか?」

「言いまくってんだよ。お前、自分が正しいつもりなのか?」おれの行動にも言動にも、時雨は微塵も同様の色を見せない。

「君が正しいとしたら、なんで暴力に訴えるようなこと、してるのかな?」

「時雨、お前」

 くそ。なんでここで言葉、でてこねぇんだよ。おれ。

「鈴藤、日向はね、もう君のところには、戻ってこないよ」

 ヨシカちゃんの顔色が、涙で火照った垢から、青ざめた白に変わっていく。

「おン前、テキトーほざいてんじゃねぇよ!」

「新月、君も悠長に構えてていいのかな? 親友なんだろ?」

「意味深っぽくしてんじゃねぇよ」ぐ、と摑んだ腕に力がこもる。

「お前にシュートの何がわかんだよ」

「分ぁかるさ。今の君よりは、ずっとね」

 時雨の顔は、確信に満ちている。こいつ。

「やめて、マヒロくん……私、わ、私は……」


 ふらり、と立ちあがったヨシカちゃんの背後に、黒い瘴気が昇る。

― ぶぅぅん。

 ポケットの中、携帯が反応している。

 ……ダメだっ!


「違う! ヨシカちゃん、落ち着いて!」

 時雨を放し、ヨシカちゃんの肩を強く摑んで揺する。

「しっかりして! こんな奴の言葉になんか、惑わされないで! おれは無駄だなんて思ってない! 友達が困ってるのに、そんな事思うわけないだろ!」ヨシカちゃんの輪郭が溶けていく。

 ダメだ、ダメだよっ!

 ……そう、叫んだ瞬間だった。


― ぱんぱかぱーん。


 ファンファーレが鳴り響き、溶けた彼女の輪郭が黒く染まって伸び、繭の様に丸まって。


― ぱぱらぱららぱららぱららららーん!

 

 ファンファーレを合図に、開く。四枚の翅が広がる。


 チョウの形の、カゲ、だった。


 闇夜にヒラリと舞いあがる、鮮やかな赤と黄の、アゲハ蝶。


「あは、ははは!」

 時雨は、完全に勝ち誇った、甲高い笑い声を上げた。

「ちょっと背中を押しただけで絶望に落ちる、ひ弱な連中! 人間なんて、そう、こんなもんだ! はははは!」

 素早い動作でおれに牽制の羽根を飛ばし、ヨシカちゃんから生まれたアゲハ蝶のカゲを影縛りで捕まえると、暗黒の渦を作り出した。


「さぁ。追ってこいよ、新月。正義を気取りたいんだろ? はははは!」


 カゲが抜けてしまい、意識を失って倒れ込んだヨシカちゃんを抱え、ベンチに寝かる。

 ごめん。巻き込んでしまって。上着を脱ぐと、彼女の上にそっと被せる。


「必ず、必ず元に戻すから。待ってて」


 冷静に、なれ。

 すぐにあの、アゲハ蝶のカゲを倒せば、ヨシカちゃんは何事もなかったように元気になれる。時雨はそれを邪魔するつもりなんだ。おれを倒し、ヨシカちゃんを影法師にし、人が悲しみや憎しみに囚われるのを、傍で眺めて楽しむつもりなんだ。くそ。

 でも、怒りに任せて勝てる相手じゃない。

 そうだ。冷静になれ。勇猛なバカほど手に負えない物は無い。そう言ったのはゲーテだったかな。

 そう、落ち着け。蛮勇を振るうな。

 心の中で、何度も唱える。


 約束、したんだ、カナシーと。

 おれは、必ず帰るって。

 『自分を、大切にね』カイさんの言葉が、頭に響く。そうだ。

 携帯を取り出し、カイさんに連絡を入れる。もしもし。おれです。はい、そうです、影法師、出ました。おれの友達のカゲが引き出されてしまって、はい。今から追います。はい。

 受話器の向こうで、きっと、きっと大丈夫だから、落ち着いてね。そう繰り返すカイさん。


 大丈夫、おれは冷静です。冷静です。

 ……でも、おれは、あいつを、許せません。


 時雨、お前はやっちゃいけないことをした。弱ってる人を蔑んで、弄んだ。人を玩具のように扱ったんだ。

 それって、人が、一番、人に、やっちゃ……いけないことなんだよっ!


 街灯の下、カーブミラーを見上げる。

 携帯をかざす。同時にカゲを取り出す。夜の帳の中でもはっきりと分かる、黒いオーラ。

 そうだ、こいつの……名前。

 名前? 


「お前、なんて言うんだ?」

 思わず呟いてしまう。おれのカゲ。お前、名前は?

『ソウル、オーガ』

 カゲが囁く。ソウルオーガ。魂の、鬼? はは。鬼か。


「ちょっと、ダサくね?」

『はン。だってよぉ、おれはお前だぜ?』

「あぁ。納得」思わず苦笑いしてしまう。


 軽く手首を振る。息を吸い込み、ゆっくり吐き出す。


「やるぞ、ソウルオーガ!」

― ズォォオオオ!


 モノトーンの世界へと飛び込んだ。


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