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飛べない鳥の唄  作者: ぴーくおっど
10/30

恋人とテディベアと武器と。

  『果報は寝て待て』と言う諺がある。

 幸運とは、人力でどうにもならんから、時期を待て、という意味だ。

 誰が作ったんだかは知らないが、昔の偉い人が一生懸命、頭をこねくり回して導き出した至言であるから、これに従えば万事だいたい大丈夫だと思う。

 のだが、今は全く、それどころではない。

 おれはベッドからコメツキムシの如き勢いでビョイン! と飛び起きて、携帯に齧りついた。昔の偉人ごめんなさい。

 ツルルルル。カナシー。ツルルルル。カナシー! がちゃ。カナシーぃ!


「もしもし?! カナシー?」 

「…もしもし? マヒロ…? マヒロなの…」

 電話越しでも伝わる、焦燥しきった涙声が、聞こえる。

「だ、大丈夫…なの…? ねぇ、マヒロ…」

 途切れがちな声が切迫感を伝えてくる。


 おれが寝てる間、寝ぼけてる間、カイさんと話してる間、ずっとずっと心配、かけっぱなしだったのか。そう思うと、携帯を握りしめた手に、申し訳なさが溢れてくる。

「あの、ごめん、ホントごめん、でも大丈夫、カイさんが助けてくれたし、ジュンさんが応急処置をしてくれた」そして一呼吸おいて、もう一度言う。

「…ごめん。心配かけて」

「そ、そう…あぁ…良かった…本当に…わたし、わたし…」

「うん、大丈夫だよ。その、ジュンさん達が診てくれたし。あ、あの、そんなに心配しちゃった、かな?」

「ええ…昨日の晩は…お百度参り、行って、帰ってから…水ごりを…」

 ……は? 

 真冬の深夜に、お百度参り? 水ごり? そんなこと、うら若き女子高生がやってたの? 鬼婆がやることだろ、それは。痛烈な後悔と、改めて彼女のドウカシテル具合に頭が痛くなってきた。

「えっと、ちょっと待ってくれるかな?」

「待つ…あなたの為なら…いつまでも…」

 ……やばい、ちょっとの『待って』が、永遠だ。

「えーと、その、ごめんね、でもありがとう、おれの為にそんなにまでしてくれて」


 少し静かになった電話の向こうでは、ズズッ、と鼻をすする音が聞こえる。

 ひょっとして、マジで昨日から今まで、この子は、ずっと泣き続けていたんじゃないか。なんで、もう、そこまでしてしまうんだ。申し訳なさと僅かの嬉しさで頭がぐちゃぐちゃになる。

 でも、もう、そんな心配、させちゃダメだ。

 今は、彼女を落ち着かせること。


「あのね、カナシー。次からは、その、そんなに心配しないで欲しい」とおれは言った。「もちろん、バカばっかやってるおれを心配するなって言ったって、無理な話だし、おれを思ってくれてるのは嬉しい。でも、おれはおれを心配してカナシーが悲しんでる方が辛い。ね? だから、その」どう言えばいいのかな。

「…ヨシカ、みたいなこと、言うのね…」彼女が今、電話越しにクス、と笑ってくれた気がした。

「え?」

「その、昔、ヨシカが…同じようなこと、いったの…私に…『カナメちゃんなんか、そんなに泣いてばっかり、悲しんでばっかりいたらね、カナシーって呼ぶからね!』そう、言ったの…」

「そ、それが原因で、あだ名がカナシー?」ぷは、と笑い声が漏れてしまう。

「そう…なの…その時から、だから…」


 一瞬の沈黙。


「は、ははははは!」笑いが沈黙を破る。

「ふ、ふふ…」と、彼女も笑う。つられて。

「はは。ねぇ、カナシー。その、今回はさ、おれ、悪かったよ。ごめん。無茶をしたし心配をかけた。でも、でもね、おれはさ、その」くそ。言いたいんだ。早とちりかもしれないけど、この言葉を。心配、させないためにも。

「あの、えと」

 言え、おれ。

「帰って来るから。カナシーのところに。必ず。だって、おれ、カナシーの恋人、じゃな、いか」

 ……ぐああ。頭の中では予行練習したが、実際口にすると、猛烈に恥ずかしい。言ったには言ったが、き、傷が開くぜ。

「うん…」

 え?

「信じる…マヒロ…」

「え、そ、その、信じて、くれるの?」

「…信じ、たい…わ、私で、よければ…」と、彼女も一呼吸、おいた。「私は、マヒロの、恋人…だから…」

「……うん」

 やばい。物凄く、嬉しい。空を飛べちまいそうだ。

「ありがとう。あのね、それとね、おれは、カナシーでいい、んじゃなくて、カナシーが良い、んだよ。だから約束する。指きりしよう」

「え? ふふ、指切りって、電話…だよ…?」

「じゃあ、何度でも約束するよ」

「…うん…」

「また、連絡するね?」

「うん…ねぇ、マヒロ? その…」

「ん? なぁに?」とおれは問い返す。

「またメール、しても、良い…? その、特に、用事とか…ない、けれど…」

「え、あ、うん。もちろん。おれもする」

「分かった…マヒロ、気を、つけて…?」

「ありがとう。またね、カナシー」そこまで言って、あ、と思って付け加える。

「こんなんになっちゃったけど、メリークリスマス。カナシー」

「あ…メリー、クリスマス…マヒロ」


 電話は、切れた。

 こんなに幸せな余韻の電話は、初めてだったかもしれない。


 や、しかし、水ごりって、なぁ。

 アレだろ、桶に組んだ水を頭から被るのを繰り返しながら祈りごとをするやつ。

 オイオイオイ。どー考えても、わけぇ娘さんのやることじゃねぇべ。

 そう言うのは、白髪をわしゃしゃと生やしたザ・鬼婆、みたいのが呪詛をモガモガ唱えながら、般若の様な様相でやるもんなんじゃないの。

 若い女の子がこれをやった、となると相当に笑えるのだけど、当人は大まじめなので、というかおれがその原因なので、誠に困ったものである。

 自分の大切な人に、そんなことをさせるわけにはいかない。おれは痛烈に反省した。

 しかし、なんだか、土砂降りの雨の中を泥にまみれながら走って行くような、そんな恋路である。


  母さんにも電話をしたが、もちろん仕事中なので、ごめんなさい、昨日はシュートの誕生会でそのまま泊めてもらったよ、疲れて連絡するの忘れた。ごめん。そう伝言を残しておいた。


 おれ、嘘をつく回数が加速度的に増えてんな。嘘つきは泥棒の始まりと言うならば、おれは既に三億円事件の犯人クラスだ。



  □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

 

 電話を済ませ、部屋で一人ベッドに寝そべり黙っていると、昨晩の時雨との出来事が、何度も頭の中を駆け巡る。

「殺すよ」あいつははっきりとそう言った。

 そんなの、そんなの、間違っている。間違ってるよ、時雨。


 しかしその時、おれは稲妻に打たれたような衝撃を感じた。

「しね」。 

 おれは、初めて影法師と対峙した時、カナシーがやつらに殺されたと思ったあの時、おれも確かに、人に殺意を抱いたのだ。

 そうだ。人を殺すな、って、いつも思ってても、ちょっと頭に血が昇ったら、いとも簡単に、生き死にを扱っちゃってたんだ。おれも。

 そもそも、おれは昨日、時雨をどうするつもりだったんだ?


 『止めなきゃならない』


 簡単にそこまで考えて、咄嗟に行動したけど、止めるって、どうするつもりだったんだ?


 ……殺す、のか。


 ……はは。笑っちゃうな。言葉では奇麗事を並べて、やることは残酷極まりないじゃないか。

 なぁ、シュート。お前なら、どうするんだろうな。

 おれは、闘うって決めたつもりだったけど、それは、相手を殺すことだって気づいて、唖然としてるよ。

 闘うってのは、楽しい事でも、美しい事でも、なんでもないな。

 闘うってのは、傷つけあうってこと、だもんな。

 割り切れないだろう。きっと、いつまでたっても。

 割り切ってはいけないことなのかもしれない。


 でも、もう、おれは無関係では、居られないんだ。


  窓の向こうは、悲しいくらい奇麗に澄んだ空。千切れた綿菓子みたいな雲が霞んでいた。


  □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


「よおっす、元気にしてたかぁ、ぼおず」


 出口の見えない悩みに独りで打ちひしがれ、うなだれているところにヨシヤさんがふらりと部屋に入ってきた。

 おれは、のろ、と頭を上げる。

 ヨシヤさんはいつもと同じ、よれよれの黒シャツにエプロン姿。そして何やら、小脇に木箱を抱えている。


「包帯巻かれてベッドに横たわってるのに元気だ、ってやつがいたら、会いたいですよ」

「いいじゃねぇか、そんだけ喋れりゃ元気、って世界は言うんだよ」

「あ、まあ、そう、ですね、それは」

「はは。まぁ、怪我っつうか、影縫いだかんなぁ。お前さん、まぁた影法師とやりあったんだって? 無茶しやがるなぁ。どら。見してみ?」と言いながら、こちらの返事も待たずにするすると頭の包帯を取る。

「おわ、お前さん、自分のカゲの強さに感謝すんだな、こりゃ、普通は即死コースだぜぇ」

 最期の回し蹴りを喰らったところ、か。


「え、そんなに酷いですか?」

「おう、パンクでロックなシャウト! ってとこだな」

「全然分かりませんよ、喩えが」

「なぬ? 知らん? セックスピストルズとか、シャム69とかを?」

「全然です。なんて言うか、ジェネレーションギャップってレベルでもない気がしますよ、それ」

「うむぅ。じゃ、ちょっとばかし、お前さんにパンクの真髄ってやつをだな」

「っていうかすません、怪我治してもらえますか」


 ヨシヤさんの顔つきが語るモードに突入しかけたので、おれは慌てて遮った。そんな、これからの人生に絶対必要ない知識なんぞを、この悩み過ぎて煮詰まってる時に、聞けるか。

 だいたい、『ちょっとばかし』に『真髄』を語るって、日本語としておかしくないか。いや、おれもおかしいんですけどね。


「む、そう言われるとだな、益々語りたくなるのが……人情ってやつ、でなぁ?」

「や、ホント勘弁して下さい、それはまた今度っていうか、その、おれ、今、ギリギリなんで」と、おれは言う。

「ほっほう。カゲを持ったこと、後悔したか? 生死を背負うことにビビったか?」サングラスを外し、ヨシヤさんはおれに言う。

「え、な、あ、そ、それ、は…」

 ヨシヤさんはいつも、おれの意識の外から、心のど真ん中に直球を投げ込んでくる。

「はっはは。まぁ、お前さんみたいのは、何度も何度も振り返り立ちかえり、進んでは悩み、迷っては苦しみ、あがいてもがいて、なんとかして前に行くもんなんだよ」

「そんな、現在進行形で、その渦中にいる人に言わないで下さいよ、そんなサラッと」

「しゃあねぇだろ。仮におれがよ、どんなアドバイスしてもよ、結局答えを出すのは今、眉間にしわ寄せて、酢漬けのタコみてぇな顔してるお前さんしかいねぇんだからよぉ」

「それは、そうなんですけど」

「ま、簡単に答え出して行けるとこでもねェしなぁ。こないだ、おれに吐きだした言葉だけじゃ足んねえだろ。もっと悩め。おれが言えんのは、そんだけ。ほれ、これ、食え」そう言うと木箱から黒いピンポン玉みたいな大きさの物を取り出した。

「食う? これを、ですか?」

 おれは渡された丸薬の様なものを訝しげに眺めた。忍者が使う道具みたいだ。

「そ。愁凛丸っつってな、特殊な雷光を集めて、って、まぁ、ゴタクは良いわな、それ食えばカゲが抜けっから」

「シューリンガン?」

 落語かよ。その名前は。

「なんか、効能は『ドラゴンボール』 の仙豆みたいですね」

「ぬはは。そんなに便利じゃねぇけどな。あ、すっげぇ苦ぇから気をつけろよ」

「むぐぅぉっ」

 どうしてこの人は、大切な事を、いつも後から言うのだ。


 ……苦い。

 なんだこれ。おれの人生(築十六年)の中ではトップオブザワールドに苦い。

 正露丸を濃縮還元して冬虫夏草の粉末を塗した様な。っておれ冬虫夏草なんて食べたこと無いですけど。

 いや、つまりこのシューリンガンたる丸薬がそれぐらい苦い、ていうか水、水、みず。水を下さい……

「ごほ、ごほ、ごっほ!」

 画家じゃあない。

「おう、盛大にむせたなぁ。ま、食ったら少し寝ろ。その間にシュルシュルシュル、カゲはすっかり抜けちまわぁ」というが早いか、さっさと部屋から出て言ってしまった。

「げほ、げほ、ぐぇっほ!」


 あんらら。振り返って戻ってくるとかもなしですか。ヨシヤさん。咳き込んでるおれを華麗にスルーして。

 その、眼の前で人がむせていたら背中をさする、とか無いんですか。放っておいてしまうのですか。

 心は誰にも見えないけど、心遣いは、ね? エーシー!

 某公共広告機構のマネをしたところで、部屋に残されたのはおれ一人。

「ごほ、ごほ、ごほ…」

 咳をしても、一人。

 などと、尾崎放哉の句を浮かべても、空しさが募るだけなので、若干の不貞も込めて眠ることにした。というか眠くなってきた。さっきの丸薬に眠り薬が仕込んであったんじゃないのか。

 ……ぐう……。


  □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


  夢を、見た。


 時雨と加賀美さんが、二人で並び、サクラの並木道をテクテク、歩いている。

 加賀美さんは頬を赤らめ、俯きがちに歩んでいるが、時雨はにこやかに何事か話しかけ、時折、彼女の顔を覗き込む。

 やがて、加賀美さんは、遠慮がちにコクリ、と頷いて、ゆっくりと、ちょっとずつだが、二人の手が触れあい、そして、繋がれる。

 そのまま、桜が舞い散る道を、新しく生まれた恋人同士が歩いていく。


  そんな、悲しい、夢だった。


  □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


  眼を覚ますと、西日が射しこむベッドの傍らで、カイさんが独り静かに、文庫本を読んでいた。


「あ、眼、覚めたかい?」そう言って顔を上げると、ぱたん、とページにしおりを挟んで本を鞄にしまった。

「こ、こんにちは」

「具合、どう?」

「気分は、悪くないです」そう言って肩を回してみる。

 ん?

「治って、る?」

 朝は身体を動かすにも激痛だったのに、今は痛みもだるさも感じない。マジか。

「さすがヨシヤさんだね。起き上がれるかい?」

「た、たぶん」

 身体を起こし、ベッドから立ち上がる。恐る恐る包帯を外してみる。

 うげげ。治っとる。ていうかコレ、完治。

 うっそぉ。

 ……やるな、シューリンガン。どこかの国の大統領みたいな名前だし。

 嬉しさと驚きが混じりながら、とりあえず着替える。


「特訓、行けるかい? その、友達ともう一度、闘うための、特訓に」


 少しだけ考える。答えは出ている。あとは実行できるか、だけだ。

 寝ている時に見ていた夢が、嫌にリアルに頭に浮かんで、おれは唇を噛む。


「行きます。いや、行かなきゃ。けじめは、おれが、つけ、なきゃ」


 そう答え、一歩、踏み出す。

 白黒、つけるぞ。


  □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


 おれとカイさんは、ぺんぎん堂の書斎に入った。

 ノックして部屋に入ると、ヨシヤさんが机に向かって何やら書き物をしていた。相変わらず、陽をたっぷりと浴びた埃の匂いが充満した部屋の中で。


「あり、どした、二人して」

 万年筆で顎をぐりぐりしながら、スランプに陥った作家みたいな顔を上げてヨシヤさんは尋ねる。

「お疲れ様、ヨシヤさん。あの、マヒロくんのこと。もう、『夜半』まで行かせようと思って」

「ん? おーおー、そっか。ちいっとはぇぇ気もするが、ま、一人でズンズカ影法師とやりあうよぉな無茶をしやがるやつだしな。そのほーが良いかもな」

「すみません、その件は、本当に」

「や、まぁ、君の心根を否定したくないからね。でも、正義を為したいのなら、その為の力をつけなきゃね。力なき正義は無力だから」

 カイさんは、謝るおれを制して、擁護してくれる。

 そしてヨシヤさんも頭をかきむしりながら椅子から立ち上がった。


「そういうこった。さぁて、ぼぉず、これからお前さんに武器を授ける」

「武器? あの、まさか銃刀法を侵すような」

「銃刀法? あはは。大丈夫、対カゲ用の武器だよ」

「カゲ用の武器? そんなんが、あるんですか?」

「おぅ、あるある。『夜半』に行ったら武器を使うことになるのよ」

 立ち上がったヨシヤさんは本棚の奥、クローゼットを開けて何やらガサゴソやっている。

「そっか、ぼくの白虎のも、武器は見せてなかったんだっけ」

「あ、はい。そんなの、全然知らなかったです」

「んー、あー、要は武器にならなかったから、そっか、見てねぇんだなぁ」お尻をこちらに向けながらヨシヤさんは言う。

「ならな、かった?」

「そうそう。その、これから君の武器を作るんだけど、自分自身じゃ選べないんだ」

「? 作るとか、ならなかったとか、一体…どういうことですか?」

「武器がお前さんを選ぶ。そう言うことだ」

 クローゼットから奇妙な格好で身体を起こし、ぴし、と言い放ったヨシヤさんをみて、何か、聖剣伝説みたいのを思い出した。


「あー、ここじゃねえわ。ちょいと待ってろ」そう言ってパタパタと部屋を出たヨシヤさんは、物の数分で、どこからか巨大なテディベアを抱きかかえて持ってくるとおれに渡した。


 ……テディベア?

 なんだ、これ。

 おれの肩くらいまでの巨大なクマのぬいぐるみ。

 そう言う意味では、テディベアはテディベアなんだけど、もっさりとした毛並みは、地毛なんだか色褪せたんだか分からないくたびれたクリーム色だし、手足は運動音痴が嫌々参加させられた体育祭で行進しているみたいにやる気無く、クタァッとしているし、極めつけに、目つきがとてもイヤらしい。

 屈みこんだ女性の胸の谷間を覗き込んでる、スケベ根性丸出しの禿げ茶瓶オヤジの目つきだ。そのいやらしさを凄まじい再現率で表している。これを作った人は、ぬいぐるみの表情表現の限界に挑んだとしか思えない。

 しかも口元には、半月形の笑み。

 もうここまできたら、怪しさ爆発。

 賭けても良いけど、テディベアショップにコイツを置いても、誰も買わない。

 寂れた温泉街の土産物屋に、長年売れずにぶら下げられて、包んでいるビニールに、砂埃がたんまりと被さっている図が恐ろしく似合う、そんなぬいぐるみだ。


「なんですかコレ?」

 おれの魂の叫び。

「それ、背中空いてるだろ?」とヨシヤさんは事もなげに言う。


 ……あ、本当だ。

 アトラクション用の着ぐるみよろしく、背中がパックリ二つに空いている。中身が出ちゃうだろ。いや、中身って。

 テディベアの中には…夢が詰まっているんじゃないかな。うん。

 え、うわ、中には何と、不気味な暗黒空間が広がってる。

 カゲの世界に瓜二つの、あの暗黒の渦が。


「そいつ、『門左衛門』っていうんだけど、そいつがよぉ、お前さんのカゲの力を引き出して、武器にしてくれっから」

「はぁあ?」


 もう『ぺんぎん堂』では何回言ったセリフか分からないが、何言ってるんですか?

 どゆこと?

 しかも名前、モンザエモンって。ドザエモンじゃねんだから。なんだ、テディベアにそのネーミング。もう、ダサいを通り越して、何だか気の毒だ。

 おいテディベア、おれはお前が愛しく思えてきたよ。

 見た目が怪しい、中身が怪しい、名前が気の毒。三冠王だ。

 これ以上、彼に不幸を背負わせるな。思わず目頭が熱くなった。


「えっと、どういう、ことですか?」

 ギリギリの理性で、もう一度聞いてみる。

「具体的にいうとね、君のカゲの武器は、門左衛門の中で『創られる』んだ。門左衛門は特別な力を持ったぬいぐるみで、カゲの潜在能力を、形にしてくれる」と、カイさんも当たり前の顔をして説明らしきものをしている。

「そゆこと。お前さんがもし、『夜半』に行けるほど、身体と心がカゲに対する耐性ができてれば、門左衛門の中に手を突っ込んだ時、門左衛門はお前さん専用の武器をズバァ! ってな、生み出してくれるってわけだ。ドーユー、アンダスタン?」


 アンダスタン、なわけがない。

 おれは今、とても間抜けな顔をしているんじゃないだろうか。

 は? ぬいぐるみが、力を引き出す?

 ぬいぐるみの中で武器が作られる?


 …おいおい。おれ、真面目な顔してここにいるけど、万が一、客観的に今の状況を見た場合、怪しげな喫茶店で、怪しげな集団の一員になって、怪しげなぬいぐるみを使って力を得ろ、って言われてるんだぞ?

 怪しげな宗教団体だって、もう少し説得力をもってくるだろ。ここは怪しさのバーゲンセールか。この世の理とか、様式みたいなものを、一体どれほどすっ飛ばせば気がすむんだ。


 人が、それなりに真面目に悩んで、どうにかして影法師と闘う、決意と意気込みを持ってここに来たら、武器を作り出すとかいう、ヘンチクな魔法のぬいぐるみの中から、己の専用武器を取り出せ、と来たもんだ。


 ああ、もう、どこから突っ込んでいいのか分からない。


 しかし。

 逆説の接続詞、なのである。

 おれは言われたとおり、門左衛門と呼ばれたぬいぐるみの背中に手を突っ込んでいた。怪しげな暗闇の中に。

 こうなったら毒食らわば皿までだ。

 あぁ母さんごめんなさい、あなたの息子は、もう自分でもわからないところまで、たとえそこが地獄の三丁目であっても、突き進んでしまう、みたいです。

 人生、一寸先はダークパレスなのである。


 ……ん?

 あれ?

 思いもよらず、ぬいぐるみの中は広く、深い。

 外見からは、どう考えてもおれの二の腕の途中くらいまでの深さしかないはずなのに、肘まで突っ込んでも、なぜか底に触らない。

 え? なんだこりゃ? ネコ型ロボットの四次元ポケットか?


「どう? 何か摑めるかい?」と、カイさんが真剣な顔でおれに聞いてくる。

「え、いや、まだ何も」

 おれの手は底の知れない、ついでに得体の知れないテディベアの中で、空を摑んでいる。

 えい、えい。恐ろしく、広い? おまけに、何も、ない?


「やぁっぱ、そぉっとお深ぇな、ぼうずのカゲは」と、悪戦苦闘しているおれの後ろでヨシヤさん達は世間話を始めた。

「そうだね、ぼくなんかはスグに摑めたもの」

「ん、カイ、お前さんのってなんだっけ、サンセツコン?」

「違うよ。ていうか忘れちゃったの? ブレードトンファーだよ」

「ヌンチャク?」ホアタタタ、などと言っている。

「あのさ。トンファーって言ってるでしょ」

「ぬな。ブルースリーは関係ない?」

「思いっきり。中国じゃなくて沖縄、琉球由来の武器だから」

「あー、思い出した。こう、肘をカバーするみたいなやつか」

「そうそう。戦い方が格闘主体の白虎とは良いですよ、相性」

「てか、みんな格闘だろ、ゴウジは盾だしキノは槍だし」

「ああ、そう言われればそうかも。でも、ジュンはほら、円月輪だから一応、遠距離武器なんじゃない?」

「そっか? 遠距離ったらよぉ、ボウガンとか弓とか、パチンコとかじゃねぇか?」

「ヨシヤさん、最近モンスターを狩るゲーム、やりすぎじゃない?」

「や、まぁな。ぬはは。っしかし、ぼぉず、なげぇな。こりゃ凄いのを生み出すんじゃないか?」

 なんだか人の悩みや苦闘を余所に、二人は中二病的話題で盛り上がり始めた。

「そうだね、たとえば、刀とか、大剣とか?」

「ハンマーとか、斧ってのも良いな!」

「銃と剣が一緒になった武器、なんてのが生まれたら最高じゃない?!」

「いいねぇ! おぅ、期待してんぞ、ぼぉず!」

「世界に一つしかない、自分専用の武器だからね! 良いのが出るといいね!」


 あーあー。外野が、何か言ってらぁ。


 そんな野球場にいる酔っ払いのヤジの様な声は無視、おれは一心専心、ふざけた作りのぬいぐるみ、門左衛門を相手に、未だ真剣に向き合っていた。


 しかし、はっきり言って、真面目に向き合えば向き合うほど、馬鹿馬鹿しいことこの上なく、おれは段々腹が立ってきた。

 こんな戯言に対して、自分が真剣に向き合ってること自体にも腹が立ってきた。

 えい、えい。

 遮二無二、いくら頑張って手を伸ばしても、おれの手は空を摑むばっかりで、いよいよこれは怪しげな集団に化かされているのではないか、ヒョウタンの中のドングリを摑んで放さないで手が抜けない、と騒ぐマヌケなお猿さんの如く、からかわれているのではあるまいか、うっきっき。

 ……なんて、意味不明の早口妄想が頭に浮かび始めたころ。


 びし、と手の甲が何かにぶつかった。

 ややや!

 これを逃してはならぬ、とばかりに、えいこの、と摑んで引っ張り上げる。

 ぬいぐるみから手は出たが、摑んだ何かはまだ出てこない、なにくそ、この、えいやっと引っ張り上げると、出たぞ何やら、長い長い何かが。

 長すぎて、ウワァっと勢い余り、背後の本棚にどしぃ、と背中をぶつけてイッテテ、と頭を上げたところに、ぶつかった衝撃で落ちてきた本の角が、絵に描いた様に頭蓋に直撃。

 キュウ。

 とどめの一撃であった。


 さて。

 テディベアの背中から、おれが取り出したもの。

 門左衛門が、おれに相応しいと生み出したそれは、おれの背丈ほどもある、巨大な得物。

 対カゲ用らしく、ドス黒い瘴気を放つ、禍々しい。


 ……バット、だった。


 誰だっけ、武器が生み出される、とか言ってた人たち?

 ねえ?

 武器じゃねーだろ。バットは。

 なんですか、門左衛門さん? 

 これに、釘でもつけろと?

 釘バットですか?

 そりゃ凶器にはピッタリですけど。

 その、戦闘用の武器にはぁ、どぉう頑張っても、なれないんじゃぁないんですか、ね。ねぇ。えぇ? おい。

 

 などと虚しい心の叫びをいやらしい目つきのクマのぬいぐるみにぶつけてみたが、もちろんウンともすんとも言わない。

 ま、そりゃそうですけど。何か言い返したように聞こえたら、もう末期。


 しかし、なんか、『ぺんぎんず』の皆さんは、キチンとそれぞれ、武器らしい武器をお持ちのようで。

 で。

 おれはバット。欲しかったらスポーツ用品店に走れ。


 ……やるせなきこと、山の如し。


 生み出された長い長いバットは、マジマジと見つめて苛立ちを募らせていたおれの目の前で、ポケットから転がり落ちたおれのカゲの中にするり、と収まってしまって、字の通り影も形もなくなった。


 生み出したものがバットだと分かった瞬間から、おれのやるせなさを悟ったか、書斎を何とも言えない沈黙が包み込んでいた。


 静寂に耐えかねたように、カイさんはあからさまに笑顔を作ると「そ、それじゃあ、それをさ、つ、使いこなす練習、しようか」と言ってきた。

 が、何度か顔を背けては「ぷふぅ」と吹き出している。

 ヨシヤさんは壁に頭を押し付け、何度も壁をばんばん叩いている。時々「ぶひゃひゃ、バ、バットって、ぶひゃ」と言う声が漏れる。

 怪しげな集団だと心で思っていた人達に笑われるって。

 にがじょっぱいわぁ。



「あー、待て待て、おいカイ」


 おれ達が部屋を出てから思う存分、笑い転げたであろうヨシヤさんは真顔に戻っており、廊下を歩いていたおれ達に、普通のテンションで声をかけてきた。

「ん、どうかした?」

「や、あんな、ぼぉず、お前さん、野球部だったよな?」

「元、ですけど」

「だったらバットの一本や二本、もう使いこなせんだろ。カイ、ゴウジ呼んでカゲの体術訓練、闘い方を覚えさせた方が良いんじゃねぇか?」

「え、おれ、バットで人を殴ったことなんて、無いですよ」

「あったら困るよ。でも、そうだね、使いこなす云々よりも、もう戦闘の技法を学んだ方が良いかもしれない。どうだい?」

「そう、ですね。まぁ、触り慣れない物じゃないし」言いながら、恨めしそうにさっきのバットを思い浮かべる。

「よし、じゃあ決まりだ。ゴウジに連絡しよう」


 現代に生き残ったシーラカンスみたいなアイツが、人にものを教えるって。

 一体どうなるんだろうか。

 線路は進むよどこまでも。線路の上にて複線ドリフト。

 

  □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


 そしてゴウジはやってきた。今日もバンカラスタイルで。

 ところが。ところが、である。

 おれの予想はすぐに撤回、頭の中で無礼を詫びることになった。

 ゴウジの身体捌きを見たら。

 白黒の世界でシャドーボクシングをするゴウジ。

 身に付けた真っ赤なTシャツは胸のところに大きく『裸一貫』と書かれているが、そのシャツ着てる段階で裸一貫ではないよね。

 そんな奴とは街を並んで歩きたくはないけれども。

 ところがどっこい、ゴウジは間違ったバンカラ番長に憧れている、只の間抜けな禅問答好きじゃなくて、きちんとスポーツジムに通って身体を鍛え、体術を習った男だった。

 手首をスナップさせ、軽やかにシャドーボクシングをしている姿は『はじめの一歩』を彷彿とさせる。あ、足も入った。総合格闘技? 分からないけど。

 左ジャブ、右ストレート、左フック、右の膝蹴り、右のミドル。身体の軸はぶれずに中心線から円を描くように。


 マジかよ。

 ゴウジ……百%、かっこいいじゃないか。


「おう、じゃ、はじめっか、新入り!」

「おれ、いまだに新入り扱いかよ」

 ストレッチをして軽いアップを済ませたおれに、ニンニク臭い汗を拭きながらゴウジが話しかけきたので、くるん、と立ちあがる。

 なんかもう、汗臭さはこいつの信条。ついでにニンニク臭さも。


「新入りは新入りじゃろが。おのれ、一番の新入りでなければなんじゃい?」

「あーまー、そっすねー。すんません」

「かぁー、その投げやりな受け答え! これだから若いもんは!」

 お前、その大きな身振り手振り、昭和のコントかよ。

「君とおれ、同い年ね。間違えないで。そこ」

「おんどれのよぅな冷血漢がカゲ持ちとは世も末だわな! おれのシゴキは厳しいど?」

「……の割には、妙に嬉しそうだよね?」

「やっかまし! ついてこれんで泣きべそかいても遅ぇかんな?!」


 ふう。分かってるさ。おれにも、退けない理由があるから。


 そうして、実際に身体を動かしながら、カゲの力について学んだ。

 カゲを解放するとまず『黄昏』の状態になるが、それだけで身体能力は超人とも言えるレベルまで上がる。

 百メートルを五秒ジャストくらいで走れるし、ジャンプをすれば、道端の電柱を軽く飛び越せるくらいまで飛びあがれる。

 そして何より、脚の腱が切れてしまって、もう走れないおれでも、カゲを纏うと、普通に飛んだり走ったりできる。

 この間、闘った時は無我夢中で、そんなことは気にも留めていなかったけれど、気づいてからは、うっかりすると涙ぐみそうになるくらい嬉しかった。


 ……もう一度、走れる。

 カゲを纏う、すなわちカゲの世界でだけ、の話だけど、それでもおれには十分だった。

 ゴウジが言うには、身体能力が向上しても、脳の処理速度は上がっていない、すなわち『分かっていても反応できない』ことが多いので、最短で相手を倒すことこそが、すなわち身を守ることに繋がるのだ、とのこと。

 攻撃は最大の防御である、と。

 そしてそれは、腕の三倍以上の力が出せる、脚。

 すなわちキックの練習だった。

 高く、早く、真っ直ぐに相手を蹴ること。その練習を繰り返した。

 いつもの粗暴な態度や、一見乱暴そうな口調とは裏腹に、ゴウジの教え方は簡潔で分かりやすく、ついでに丁寧だった。おかげで、おれはすんなりと一連の動きを覚えられた。


「おし、ええぞ、そん動きじゃ。今のを忘れんかったら、実践じゃ、かなり有効だでな」

 どーでも良いんだけど、こいつの喋り方はどこで学んだんだか分からないくらい変な訛りだか、アクセント。

「んじゃ、バットだったか? 出してみ?」

「え、えーと……どうやって?」

「うんむ! ええか、武器を使うにはいよいよ『夜半』に行く必要がある! それにはな、まず解放したカゲを自分に纏う……すなわち、憑依させる」

「そうか、おれ、近接憑依型、だもんな」

「うんむ! 今のおんどれなら、もう、『夜半』に行けるはずじゃ! 自分の身体を、今、全身から噴き出してるカゲで覆うようにイメージしてみい。それが上手く行ったら、次にカァッー! っと気合を込めて念じるんじゃ! そうすれば武器が生成されるわ!」

 はぁ、そっすか。


 「纏う、ねぇ」

 全身に溢れるカゲを、身体に、そう、鎧の様に纏うイメージを浮かべる。


― ハ。ヨオヤク来タカ、オ前モ。

 

 鬼の声が、聞こえる。

 悪いな。お前を、使いこなさなきゃ、ならないんだ。


― ズォオオオオ!


 身体に、分厚い鉄板が押しつけられたような感覚。これが、憑依?

 明らかに、先ほどより力が増している感覚がある。


「ええど! さぁ、武器をイメージするんじゃ!」

「よし、念じる……」


― シュキィン!


 うわ!

 急に、異常に長いバットが胸のあたりに現れた。アッと驚く、手品みたいだ。本人無自覚だけど。

「ほう、おんどれ、ええ素質じゃ! すぐにできたの!」

「ってっか、なんだ、意外に軽いんだな、これ」

 物干しざおの様に長いバットを、軽く振ってみる。ビュオ。長い分、遠心力が加わって、凄い風切り音がする。

「ダァホ、おんどれ、カゲを纏っておるからじゃい」

「あ、そっか。力、増してるんだっけ」

「おんどれは、頭が良いんだか悪いんだか、わからんのぉ!」

「うっせぇな」ああもう。素直に感謝が出来ない性質だ。

「そんで、カゲとそのバット、名前は付けたんか?」

「名前?」

「そうよ、ついでじゃ、見せたるか…」

 そう言うとゴウジは一歩前に歩みだし、ムン、と胸を張った。うわ。なんだよ、その無駄な胸筋って、何かのシンボルなの?

「ワシの忠実なる僕にして常闇の獅子王走破ぁ、玄武ぅ!」


 無駄に壮大なポーズをとってそう叫ぶや否や、ゴウジの背後に、漆黒のカゲが伸び、ガラパゴスゾウガメをさらに大きくしたような、巨大なカメの形になった。

 漆黒の巨亀、玄武。

 ゾウガメと明らかに違うのは、でか過ぎることと、尻尾が自ら意志を持っているように俊敏に振り回されていることと、黒曜石の様な甲羅を持っている事、足に力強いツメが生えて、口にも鋭いキバが覗いている所。黒光りする甲羅は鉄の城、と言った風格を漂わせている。

 ワニガメをより戦闘用にした、といったところか。

 ま、呼び出す時にゴウジがとったポーズが、恐ろしく珍妙だったことには触れないでおくけど。

 だって、本人にとっては、カッコいいポーズなんだろうから……。

 タコ踊りみたいだったけど。


「そしてぇ、俺の陰鉄甲ぅ!」

 またも大仰なポーズで右手をかざすと、玄武が一声高く鳴き叫び、甲羅の一部が剥がれたと思ったら、ゴウジの手にはサーフボード大の巨大な盾が握られていた。

「どうじゃい! これぞ、貫けるもの三千世界に二つと無し、その名も高き陰鉄甲ぉ! 見事なもんじゃろ!」

「ゴウジの性格に合わない、防御向きですね」

「やかましゃい! おんどりゃ、ホンットやる気が失せるわ! ったく、仕方なかろうが、門左衛門から出てきたんが、これじゃったんじゃ!」


 あー。その時の光景が頭に浮かぶ。

 こいつ、その時はどんな叫び声をあげたんだろ。


「…で、おれのカゲにも名前を、と?」

「モノってのは名前を持って初めて力を持つ、なんて話もあるからのぅ、びしぃ、と侠気溢れる名前をつけたらんかい!」

 侠気って。

「そうだなぁ。とりあえず、呼び名が無いと不便だけど。バットはバットで良いんじゃないか?」

「かぁーっ、なんじゃその不甲斐ない根性は?! 正宗だとか菊一文字だとか、色々考えんかい!」

 バットにそんな名前とか、中二病だよ、それじゃ。

「分かったよ、考えておく」そう言ってバットを仕舞い、憑依を解く。

「ま、とりあえずさ、今日はサンキューな、ゴウジ」

「なぁん?!」

 聞き返すなよ。恥ずいんだから。

「……だから、わざわざ教えてくれてありがとな、って。んなデケェ声、出すなよ」

「お、おんどれの口からそんな言葉が飛び出すんじゃ、こ、この世もそう永くないのぅ!」

 笑いを堪えるようにそう言うと、後ろを向いてしまった。ゴウジ。

 バンカラスタイルのツンデレキャラって、ぜんっぜん萌えねぇな。


「それよか、おう、影法師、ほっといていいんか?!」

 照れがおさまったのか、ゴウジはおれに向き直り、真剣に問うてくる。

「良くない。全然良くない」

「おうおうおう、そんならさっさとよぉ?」

「だから、ゴウジに武術っていうか、教えてもらったわけだよ」

「うんむむ。しかし、他の人間が危険と違うか?」

「うん、でも、たぶん大丈夫、あいつは、おれを殺したがってるから」そう言いながら、もう一度、教わった蹴りを素振りでしてみる。

「殺すって…おんどれ、元チームメイト、言うたがな? それが、そんな」

「人間だったころは、単にクールで厳しいやつだったけどね。今は、影法師であることを愉しんでいる。人が持っていない力を得て、浮かれてる。人が抱えてる闇をもてあそぶのが楽しくて仕方ない。そんな感じだった。だから」

 汗を拭いたタオルを強く握りしめる。

「ほっておけないよ。カゲ使いだとか、そんなん関係なく」

「おう、マヒロ」声をかけつつ、ゴウジは握り締めた拳をこちらに向けた。

「負けんじゃねぇぞ」

「分かってる、よ。サンキュ」


  拳と拳をぶつけ合う。


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