1-1意思
峠に行ったあの日、ハチロクは2度目の死を迎えた。
エンジンブローだ。
クランクが焼きつき、シリンダー周辺が破損してしまった。
パーツ類を程度のいいものを探して組み上げた新しい心臓ははっきり行ってノーマルといっても良い。
交換したものといえばプラグを8番に交換してFCRキャブくらいだろう。
ミッションも破損、はっきりいってマフラー、デフ、車高調意外はほぼノーマル
シートと4点式くらいだろう。
今彼(向条)は慣らし運転をしている。夜中の高速道路でドライブという訳だ。
現時点で1800キロ、5000シフトでエンジンを回す。時折エンジンをレッドゾーンまで回したくなるが彼は回さない、理性でそれを抑える。
あの日、帰りがけに急にエンジンは止まった。いや、止めた。
向条はあの日の帰りに一つ大きく感じていたこともあった。
そして動かなくなった車がこんなにも力なきものになるのだろうかというのも体感した。
確かに力強かったし速いとも感じた。でも一つだけ感じれないし思えないことがあった。
(今のハチロク(コイツ)に命は乗せられない)
簡潔に言うと納得ができないような車
納得できる車とはレースでもなんでもだ、例として事故で死んでもしまっても悔いが残らない車、とかだろう
命を乗せるということはその車に自分の人生を預けることになる。
そして走る、ただ走る
何をしても、何が起きてもいいように
命を乗せれる車はどういうのか、例をあげるとするならば
人生はレースだ。キャブが呼吸をし心臓鼓動をするように。カム(命)が回り体は全身の筋力に駆動を伝え、タイヤ(手足)は猛然と路面を蹴り飛ばす。レースは人生でサーキットは人の道、歴史だ。1周一年70周70年の物語でもセブンティーンで散る者もいれば100歳まで耐える奴もいる
そして同じ場所をグルグルと回り終わるときはただ終わる。
だがドライバーはゴール(END)に向かってただ走る、猛然と
自分の限界出しきれない奴は車が悲鳴をあげ早死にするし限界を超えるマシンならば身の丈に余る
全力で限界をを出し切ることのできるマシンが一番いいマシンだ
ならば全力と限界を出せるマシンとは?
それは信じれるマシンではない
そのマシンを心から認められるマシンだ。
そのようなマシンは誰だってあるだろうがそれでいて限界と全力をだせるマシンは少ない
そこまでのことを考えると今回のハチロクのブローも同じだ
速いし力強いが命は乗せられない、
その事がブローを招いたのだろう
それとも車が感じ取ったのか・・・・
だが
(今のコイツ(ハチロク)なら乗せれる。思いを、夢を。命を)