桜葉流変態忍者のあしらい方
序文 語り手、桜葉美影の挨拶
こんにちは。ええと、まずは何から話せばいいかな……。
「この物語はフィクションです。実在の人物、団体とは一切関係がありません」
……かな?う~ん、イマイチよくわかんないな~。
あ、えと、はじめまして。私、桜葉美影と申します。この度、私のちょっと変わった体験を、みなさんにお話しさせてもらえることになりました。少し長くなっちゃうかもしれないけど最後まで聞いてくれたら嬉しいです。
……ああ、いきなり語るに落ちてるわね。あたしが体験したことなら『フィクション』じゃないじゃん……。
えーい、もういいや!どうせあたしには空想で面白い話する才能なんかないんだし、みんなも百パーの作り話聞くよりもこっちの方が面白いよね、きっと。
というわけで、これから私の体験した出来事を、皆さんにお話したいと思います。
ええと……、今さらだけど、別に敬語使わなくてもいいよね?あたし敬語苦手だしさ。多分あたしのデタラメな敬語聞いてると、みんなも疲れちゃうし。
お話しさせて頂きますとか、お聞きになられて頂いて、申し上げてございまして……。
……はーもー。
ふーぅ。ごめんなさい、こんなんで、最初から。
私、人前で話すのとか苦手で、多分これからもっとグダグダになると思います。
でも……だけどそれでも、どうしてもみんなに聞いてもらいたい話があるの!
あたしの過ごした日々……あの変態忍者、葉隠影丸と過ごした日々は、あたし一人の胸にしまっておくには、あんまりにもぶっ飛んでてハチャメチャで騒々しくって……。
とにかく、何もかもめちゃくちゃなの!
それじゃ、話を始めるね。まずはあたしとあいつが出会った日のこと。
私、桜葉美影と……忍者、葉隠影丸の出会った日から、始めます。
第一章 「ちん入者」葉隠影丸
それは私が十七歳のとき。進級したての四月のある日。
その日も何事もなく、ごく普通の一日が過ぎ去った。お兄ちゃんは会社に行って、あたしは学校に行って。友達と何てことない会話をして、あくび噛みころしながら授業を受けて。
中学を最後に、小さい頃から続けていた空手をやめてしまった私は、部活にも入ってなくて、その日も寄り道せずに家に帰った。
私は少し前、両親を二人とも亡くしてる。だから、家に帰ったら色々やることがあったのよ。洗濯して、ご飯作って、お風呂洗って。お兄ちゃんが帰ってきたらご飯にする。それまではちゃんと勉強もして……。
家に帰るまで、わたしは今日もそういう日になるものだとばかり思っていた。
家のドアに、カギを差し込むまでは。
「あれ?」
カギが、開いてた。一応、差し込んだカギをまた回してから、ドアを開けようとする。
うん、閉まった。つまり、さっきまでは開いてた。
「うそ……どうして?」
血の気が引く。その時私は、直感した。
「……誰か、いる……?」
さっきも言ったけど、うちには両親がいない。二人とも死んじゃった。それ以来、私は六つ年上の風飛お兄ちゃんと、二人だけで暮らしている。
お兄ちゃんが会社から帰ってくるのには、まだ早過ぎる。何かの理由で早退したとか、早く帰ってもいいことになったとか、そういうことでもないと思う。だってそういう時は、お兄ちゃんなら連絡してくれるはずだもん。
だから、誰かいると感じた。それも、あまり好ましくない誰かが。
急いでカギを開け直し、深呼吸をしてドアを開けた。
「ただいまー。誰かいるのー?」
わざと大きい声で呼びかける。玄関に入り、カバンを置いて靴を脱ぎ、すり足で廊下を歩く。
少しずつ神経を尖らせていく。泥棒でもいるなら叩きのめしてやるつもりだった。
「いるんでしょ?わかってるよ」
大声で威嚇する。一歩ずつにじるように進みながら、私は腹の底で息をし始めた。
そしたら。
「留守でござる」
……その声が、全ての始まりだったのです。
はちゃめちゃでおバカで狂った毎日の、始まりだったのです。
「……はぁ?」
怯んでしまいそうになる。眉を釣り上げて、私は改めて声を張り上げた。
「ねえ、誰もいないの?」
「いないでござる」
何の冗談かと思ったんだけどね、確かに声がするのよ。家の奥から、野太い声が。
声のする方を目指して、すり足で廊下を進む。
「……本当はいるんじゃないの?ねえ」
「留守じゃ、留守じゃ。るぅすぅ~でごォざァる」
調子に乗って、歌うように返事が来た。
半ば呆れて溜息をつく。もう声の位置も大体検討がついたし、ここらで私は、常識人なら誰でも思い付くツッコミをすることにした。
「……あのねー、誰だか知らないけど、バカじゃないの?いない人が『いない』なんて、言うわけないじゃない」
そう叫ぶと、返事は来なかった。「しまった」とでも思っているんだろうか。
「……ねえ、ホントのホントに、本当に誰もいないのね?」
「メェェヘヘヘェヘ」
ここまでバカだと、いっそ楽しく……ならなかったけど。……せめてネコかネズミじゃないの?いまさらニャァとか言われてもバレバレなんだけど、あくまで定番としての話ね。
「なーんだ、ヤギか」
「ヒツジでござるよ」
そんなんどっちゃでもいいわ!と胸中吐き捨てながら、私は声のする部屋の、ドアの前に仁王立ちで構える。それはよりによって、私の部屋だった。
ドアノブに手をかけ、深く息を吸う。
回しながら徐々に力を込めて、がちゃりという音がした瞬間、ドアを盛大に蹴り開けた。
バァン。ドアが開く。右手を腰溜めに構えたまま素早く躍り込み、部屋の中をさっと見渡す。
いない。誰もいない。
見慣れた勉強机と、古い本棚と、褪せた畳と、たたんだ服と、学校のジャージと、布団をしまった押入と、小さな窓と、その向こうのブロック塀。油断なく構えながら中央に進む。
声がしたのは確かにこの部屋だったはず。なら、どこかへ隠れているのか。
押入か、机の下か、それとも窓の外へ逃げ出したか。
様々な可能性を思い描きながら、私は両足をしっかりと床につけて立った。
こういう時、空手をやってて良かったなと思う。
その時。
「……ふくくッ」
押し殺した声が聞こえた。確かに聞こえたけど、どこだかわからない。
押入は開けた形跡がない、机の下には何もいない、窓のカギも閉まっている。
とすると。……上……か?!
「も、もうダメでござる!」
その時はさすがにびっくりしたよね。全裸の男が天井に張り付いている姿を、見たときには。
「ぎゃあああ!」
その全裸の男はね、まるで蜘蛛みたいに背中向きで天井に張り付いてたのよ。
デカイ。それもかなり。……って、勘違いしないでね、体自体が、よ。身長一八〇はありそうで、しかも格闘家みたいなものすごい体付きしてる。
で、顔にはなんかフザけたお面を付けてた。忍者ハットリくん、みたいな。……で、股間はちゃんと葉っぱで隠してありましたとさ。あー良かった。……いや、全っ然良くないけど。
そいつの体がズルッと傾いで、次の瞬間、私めがけて真っ逆さまに落ちてきた。
「ひぃっ!」
咄嗟に私は頭を抱えちゃった。空手やってたのにいざとなったらこの体たらく。
どしんとすごい音がして、家が揺れる。
「うぅ……」
気が付くと私は仰向けに倒れていて、お腹の上に全裸の男が跨っていた。背筋を悪寒が走る。
「ああ、申し訳ない!怪我はござらんか?」
とかあたしのことを気遣うフリしながら、この変態、あたしのお腹に馬乗りになって、あたしを押さえ込もうとしやがった。まぁ、普通のか弱い女の子だったら、そのまま押さえ込まれて犯されてたかもしれないけどね。そこはそれ、あたしのひと味違うところ。
「ええい!」
元空手部の実力、見せてやる!
「ぬお?!」
男が体重を預けていた左手を払い、背中で畳をずりあげるように動きながら、そのまま腰と腕で男の体をごろんとひっくり返した。今度は逆に男の上に馬乗りになる。
『スイープ』と呼ばれる技術で、寝技のポジション取りの攻防には必須の動きよね。
え、空手に寝技なんてないだろ、って?うん、まぁ、趣味よ、趣味。空手で使わなくたって、役に立つこともあるかも知れないじゃん、寝技。……現に今、役に立ったわけだし。
「むっ。小娘、できるな」
男の腹に跨り、畳に膝を着け、怒りの鉄槌を喰らわしてやろうと思い切り右腕を振り上げる。
でも、それはうかつだった。男は私の膝を簡単に払って、こともなく上下を入れ替え直してしまった。
「あう!」
「大人しくしろ、美影」
なんでこの変態、あたしの名前知ってるわけ?そう思ったら一気に頭に血が上った。
だけどその時あたしは両手首を掴まれて、下腹の辺りを膝で制圧されて(ニーオンザベリーとも呼ぶ)、完全に身動きが取れない状態だった。
――犯される……!
恐怖が全身を駆け巡り、あたしは最後の手段に訴えた。
「うわあああ!!変態、変態、変たあああい!!バカ、バカ、バカ、死ね、死ね、死ね!!」
我ながらボキャ貧だなー……とか、この時はそんなこと知ったこっちゃない。
とにかく叫んで暴れて、体を捩って、どうにか逃れようとした。
「ふむ……南無三」
全裸男は私の両手を素早く片手でまとめあげ、私の鼻の下『人中』の急所を、とん、と軽く突いた。
「はぁうッ」
その瞬間、世界がぐるりと一回転して、私は意識を失った。
もうさ、信じられないよね。勝手に人んち上がりこんで、女子高生に全裸で襲いかかって、挙げ句組み敷いて『人中』突いて失神させるとか……。
こうして、お面に葉っぱの全裸男とのファーストコンタクトは、激闘の末にブラックアウトという形で、ひとまず幕となりました。
どのくらい気絶してたのかわからないけど、そんなに長い時間じゃなかったらしい。
目を覚ましたら、外はようやく日が暮れかける頃だった。サーモンピンクの夕焼けの光が、窓から部屋に差してくる。
私は制服のまま布団に寝かされてた。起きあがって、何がどうなったのか思い出そうとする。
確か、全裸にお面と葉っぱの変態と一戦やらかして気絶させられて……。
と、部屋のドアが開く。私は反射的に布団を払いのけて起き上がった。
「気が付いたか美影」
入ってきたのは、私と同じくらいの身長の男の子だった。その男の子は飛鳥北高のジャージを着ていた。短いボサボサの黒髪と、長いまつ毛が特徴の、ちょっと濃い男の子。こんな子、学校にいたっけ?少なくとも同学年では見たことない。
男の子はお盆を抱えてた。後ろ手にドアを閉めて、私の隣にしゃがむと、お盆からコップを取って私に差し出した。
「水、飲むか?」
「……ありがと」
受け取って、一息に呷り、空のコップを返す。
「どこか痛むところはないか?」
「……ない」
「そうか。なら良かった」
男の子はやけに人の良さそうな笑みを浮かべたけど、私はかえってイラついた。
「ていうか、あんた誰よ」
「俺は影丸という」
影丸……?変な名前。ふざけてんのかな?
「あんたうちの学校の人?何年生?何であたしの名前知ってるの?さっきの変態はどこ?」
一気にまくし立てると、影丸は肩を竦めて見せた。
「質問が多いな。……まず、俺は美影の学校の生徒じゃない。だから『何年生』でもない。だが今の年齢は……おそらくお前と同じ、十七歳だろうな」
引っかかる言い方だ。「今の」って何だ?「おそらく」って、どういうこと?それにこいつ、あたしの名前だけじゃなくて年齢まで知っているなんて……。
「美影の名前は、この借りてるジャージの刺繍を見た」
よく見ると、影丸の着ているジャージの胸元に、『二ーβ 桜葉美影』の文字が。
「え?……どああ!なに勝手に着てんのよバカ!」
思わず初対面の男の子に向かって怒鳴りつけてしまった。それでも影丸はニコニコしている。
「すまん、他に着るものがなくてな」
またも奇妙なことを言う。
「じゃあ何よ、あんた全裸だったとでも……」
言いかけて、嫌な予感に青ざめる。……全裸。まさか。まさか、あんた……。
……あたしのジャージを素っ裸の上に着てるって言うの?!
もーダメだわ、そのジャージ焼却処分決定だわ。はーもー、新しいジャージの注文とかどうすりゃいいのよめんどくさいなー。
「それから、最後の質問だが。『さっきの変態』は、今お前の目の前にいる」
「……へ?」
きょろきょろと見渡す。この部屋にはあたしとこの男の子、『影丸』しかいない。
「だから。俺がそれだということだ」
「……は?」
意味がわかんない。だって、さっきの全裸男は、もっととてつもなくデカくて逞しくて……って、だから体全体が、よ?
混乱する私の前で影丸はすっくと立ち上がり、おもむろにジャージの裾に手をかけた。
「……ちょっ、と!」
こいつ、目の前でいきなり脱ぎ始めやがった。私は慌てふためいて顔を背ける。
「美影。話が進まないから、恥ずかしくてもこっちを見てくれ。……手で隠しておくから」
何その上から目線の物言い。別に恥ずかしいとかじゃなくて汚いモノ見たくないだけなんですけど、バっカじゃないの?とか思いながら恐る恐る影丸の方を見ると……。
「……あ!」
腰が抜けそうになる。だって、そこにいるのは、さっきの全裸男なんだもん。背が高くて、がっしりした体付きで。今はお面はしてなくて、股間も葉っぱじゃなくて手で隠してるけど。
「ちらっ」
「ぎゃあああ!」
こいつ、今ワザと手をどけやがった。変態。露出狂。女の敵。人間のクズ。死ね。
「驚かせてすまなかった。危害を加えるつもりはなかったのだ」
ボサボサの髪と長いまつ毛。まるでさっきの『影丸』が、一瞬にして成長したみたいに。
「どういう……どういうこと……?」
それしか言えなかった。
「だから、見たままだよ」
そう言って、その全裸男は静かに笑う。
見たままつったって……今あたしの目の前にいるのはさっきの全裸男で……。でも、その全裸男には、どこかしらさっきの『影丸』らしき面影があって……。『影丸』はさっきまで目の前にいたのに、ジャージを脱いだらいなくなって、代わりにこの全裸男が一瞬のうちに現れて。
……つまり、どういうことだっていうのよ?
「見たままだと言ってるだろう?ほら、もっとよく見てみればわかるだろう」
「よく見るって……」
「ちらっ」
「さっ」
目を覆う。今のは、読めた。あたしを甘く見んじゃないわよ、この腐れド変態野郎。
「あんた、次それやったら切り落とすわよ」
……笑ってやがる。ほんといまいましいヤツね。
「ちょっと、せめて服着なさいよ。なんだってあたし、あんたみたいな露出狂と対面してなきゃいけないわけ?」
「それには海よりも高く山よりも深い事情があってな」
「何なの、その事情って」
「それは今から説明しよう。だから美影、今一度俺の方を向いてくれ」
「その手には乗らない」
「もうチラッてしないってばよぅ~」
「るせーバカ死ねハゲ!」
ああ、あたしってばこんな暴言を……。
「せめてその汚いもん隠してからにしなさいよ、露出狂」
「……汚くはないのに……」
傷付いたようにブツブツ言いながら、変態は脱ぎ捨ててあるジャージを拾おうとした。
「あああ!バカ、それで隠すな!」
仮にさっきの『影丸』が全裸で着てたやつだとしても、この変態の腐った股間に押し当てられてるのを見るのは絶対にイヤだった。……どちらにしろ、焼却処分は変わらないんだけどね。
「もう、どうして欲しいつーんだよ?」
「知るか!さっきの葉っぱで隠しなさいよ」
「……なるほど。その手があったか」
「絶対ワザとやってるでしょアンタ」
全裸は背中に手を回して葉っぱを取り出した。……一体どっから取り出したのよ?
しかもその葉っぱ、微妙にさっきのじゃないし。さっきそんなヤツデみたいなの使ってなかったじゃない。もっと普通のスペード型のやつ……て、はーもー、そういう細かいツッコミしてたら、ホントにキリがないわコイツ。絶対狙ってやってるし。
そのヤツデを股間にあてがって、全裸は私の前に正座した。
つくづく、このワケわかんない全裸葉っぱ男と対座してるのが、イヤになってくる。
「改めて自己紹介つかまつる。拙者、十三代目葉隠影丸と申す者。この度、諸々の事情がござって、逃れ逃れてこの地へやってきた」
葉隠影丸……それがこの全裸男の名前らしい。さっきの男の子の名前も『影丸』。
もう、二人は同一人物だと素直に認めるしかないの?ていうか、『葉隠』って名字は、股間を葉っぱで隠してる今の自分をギャグってるつもりだったりする?
「……なに、あんたその『十三代目』なんとかって……落語家か歌舞伎役者か何かなの?」
「十三代目、葉隠影丸。正真正銘、忍者の棟梁でござる」
「……忍者だぁ~?」
さすがに胡散臭すぎる。真顔で言えば何でも信じて貰えると思ったら大間違いだわよ。
「本当でござるよ。拙者は現代に生きる忍。葉隠流は四〇〇年の昔から脈々と続く由緒ある忍の一派でござる」
何そのラノベの腐ったような陳腐な設定は。私を変な嘘ではぐらかそうとするのもいい加減にして欲しいわ。
「現代に生きる忍は二派。拙者の葉隠流と、他に鵬蛾流と称する根暗な連中がござってな」
三流ラノベの筋書きには、まだ続きがあるらしい。影丸は滔々と語る。
「葉隠と鵬蛾は共に忍者なれど、相容れずいがみ合った。激動の現代忍者史は、この二派の絶えざる抗争の歴史とも申せよう」
いつの間にかこいつの講談みたいなのが始まってるし。何が『激動の現代忍者史』よ……。バっカみたい。
「……さて。つい先だって、十三代目葉隠の棟梁を襲名した拙者は、長い長い抗争に終止符を打つべく、葉隠に秘められたる禁じ手とも言うべき大勝負に打って出た」
「……禁じ手?」
「葉隠流四〇〇年の歴史を封じた禁術書『陰陽五行ノ書巻ノ壱』を使ったのでござる」
「はぁ、そう」
バカバカしくって聞いちゃらんないけど、座布団を投げる機会はとうの昔に過ぎた。
全裸の講談家、葉隠影丸の弁舌はいよいよ高く、あたしは半ば呆れながら耳を傾ける。
「すわ一大事と駆けつけたるは鵬蛾流八代目頭領、老忍者円月斎。禁術書開封の気配を嗅ぎつけ、手下を引きつれ、葉隠の里へと乗り込んで参った!」
「はぁ」
「さればいざ、二派抗争の総決算と立ち上がり、鵬蛾の毒虫どもと丁々発止と切り結び、いつの間にやら里を上げての最終戦争の様相と相成った」
「へぇ」
盛り上がってるとこ悪いんだけどさー……。ヤツデって、真ん中が割と狭いじゃん?ちぢれっ毛が葉っぱの分かれたとこからはみ出てるのが、さっきから気になって仕方ないんだけど。
……はいはい、続き続き。
「事此処に至っては後先もあらんことかと腹を括り、拙者、満を持して秘伝の書『陰陽五行ノ書巻ノ壱』の重い封印を解いたのでござァる」
べしべし。自分の腿を叩く。
「そォの途端ン!風は荒れ旋の立ち起こり、叢雲湧き出で鳴神の龍が如く、ヒカリひかァりに稲ァ光ってぇ~え、ぁござ~ァるゥ!」
べしべしッべしべしべしべしッ。
ここ、自分で話しててすごい気に入ってるんだろうなーと思うと、私は妙にさめてしまった。
「もうもうと立ちこめる砂埃。辺りは一面闇の中。もはや里は、昼も夜もなく天も地もない混沌の渦中。イの一番に異変に気付いたは二人!棟梁たるそれがし葉隠影丸、そしてナニガシ円月斎、根暗鵬蛾の耄碌ジジイ」
「……ふん」
「なんとなんとななんとなんとォア!!」
「いいからさっさと結論言いなさい」
「はい。気が付くと拙者、体が縮んでいたでござるよ」
案外、さらっと言いやがった。ちょっと肩すかしを食らった気分。
「……ふぅん」
黙って聞いてたけど、そこが一番わけわかんない。
「それは……大変だったわねぇ」
「そりゃあもう。しかし小さくたって頭脳は大人。迷宮無しの名忍者でござる」
「コナンかよ」
立ち上がって怒鳴る。
「そんなトンデモ話、信じられると思う?現代日本人舐めんじゃないわよ。大人の図体が縮むだなんて、非科学的な話があるもんですか!」
そう言うあたしも、別に科学的な人じゃないんだけどね。この頭のおかしい全裸を罵倒するのに、手っ取り早く『非科学的』なんて言葉、使っちゃったけどさ。
「嘘じゃござらん!さっき美影は見たではござらんか」
「見たって……何をよ?」
何って……ソレ?ソレなら、その……ちらっと見たかも……。あんまり認めたくないけど。
「されば、もう一度お見せしよう」
そう言って影丸は手元のジャージをたぐり寄せ、サイズが合ってないのに無理やり着始めた。
「ちょっとやめてよ、それ一応あたしの……え?」
なんだか、騙し絵でも見てるような気分だった。
いきなり遠近法が狂っちゃったみたいな錯覚。そこには既に全裸の大男『葉隠影丸』の姿はない。代わりにジャージを着た男の子、私に水を持ってきてくれた『影丸』が立っていた。
影丸はまつ毛が長い目をしばたいている。
「これでわたかっただろう、美影」
「……そんな……」
ショックを受けてよろめく。薄々気付いてたことだけど……やっぱり、影丸……あんた……。
……あたしのジャージ、全裸で着てやがったのね?!
やっぱもうダメだわ。そのジャージ焼却処分だわ。もう、どうしてくれるのよ?新しいの注文するとか、どこで誰に言ったらいいのよ、ほんとにもう……。
「拙者もツメが甘かった。秘伝書『陰陽五行ノ書巻ノ壱』に、よもやこんな効果があろうとは、夢にも思わなんだ」
あたしの気なんてちっとも知らないで、影丸は話を続ける。
「今の拙者は恐らく、お主と同じ十七歳。きっかり十歳若くなってしまったようでござる」
ってことは、あんた、実年齢二十七なの?……別にどうでもいいけどさ。
「拙者が元の姿でいられるのは、服を脱いで裸でいる間だけ。ふんどし一枚、サラシ一本でも身につけている間は、拙者、十七の若造に変わってしまうのでござる」
「……そりゃー難儀ね」
だからデカいままでいたかったら、葉っぱつけとくか手で隠しとくしかないっていうわけね。
変身の決定的瞬間を見せられた以上、もう影丸の話を疑う余地はない。でも、信じる信じない以前に、こいつの全身から漂う胡散臭さはどうしようもないんですけど。
「……大体わかったわ。あんたは忍者で、自分でもよくわからずに使っちゃった忍術だかのせいで、どうしてかわかんないけど十歳も若くなっちゃったと」
「左様にござる」
「あのさ、ずーっと気になってたんだけど、その『ござる、ござる』の喋り方って、あんたの素なわけ?」
「いや別に。『俺』よりも、『拙者』で『ござる』の方が忍者っぽいかと思ってな」
しれっとそんなこと言うから、力が抜けてしまった。こいつ、絶対全部ワザとやってる。
「……もういい。でもあんた、忍者の偉い人なんでしょ?よくわかんないけど、相手チームと闘ってる途中だったんでしょ?どうしてそれをうやむやにしたまま、こんな所にいるの?」
相手チームと言えば、そのナントカ斎っていう人のことも少し気になったけど、別に聞くほどじゃない。
あたしの質問に、影丸は顔を俯けた。そして、ぽつりとこぼす。
「逃げて来たでござる。こんな姿で里の者に遭わせる顔もなし、敵の忍者とやりあって勝つ自信も、またなし……」
「ふーん。あ、そ」
随分根性の無い話だ。
「じゃあ、何であたしの家にいるわけ?むしろそれが一番知りたいんだけど」
「それは……たまたまカギが開いてたからな」
「騙されないわよ。こちとら親のいない生活には慣れてるの。戸締まりには自信があるわ」
「……セコム、してますか?」
「るせーカス死ね」
「ひどいでござるぅ……」
涙ぐんだって、知るもんか。
まーこいつの場合、忍者なんだから、カギが空いてようが閉まってようが、それこそどんな手段かわかんないけど、侵入するなんて楽勝なんだろうな。
「……美影、聞いてくれ。俺には行く当てがないのだ。生まれてこの方、里を出たことなど一度もない俺に、頼るべき知人などあるはずもない」
心細そうな顔で、言い募る。
「だから……これも何かの縁、一期一会ということで……美影の家に置いてくれないか?」
「はぁーあ?!どうしてそうなるの?!」
ありったけの嫌悪を込めて、顔をしかめる。腰に手を当てて影丸を罵る。
「あんた、バカ?そんなの許すはずないじゃない」
「そこをなんとか……お願いだ、美影」
あろうことか、土下座なんて始めた。
「ちょっと、やめてよ馬鹿」
土下座されたことある?気持ち悪くてヤになるし、そういう卑屈な態度って、逆効果だと思うんだよね。少なくとも私は、ムカつきこそすれ、影丸の頼みを聞いてやるつもりになんてならなかった。
「頼む、この通りだよ」
情けない声を出してる影丸は、裸の時よりも、ずっとずっと、ずーっと小さく見えた。
私は見るに堪えなくなってそっぽを向く。
「……あのね、あたしにだって自分の生活があるの。あんたにどんな事情があったって、あたしにとって一番大事なのはあたし。だからあんたをうちに置いてあげるなんて、論外だわ」
言いながら、段々とイライラが増してくる。何だかこんな言い方したらあたし、誰がどうなったって構わない冷血自己中みたいに聞こえちゃうじゃない。……実際そうなのかもしれないけど。
だって、こんな訳の分からない自称忍者のド変態をさ、助けてあげる義理なんて、あたしにあるはずないよ。
そうよ、こんなヤツ。すぐ脱ぐ露出狂だし、人を馬鹿にした物言いがトサカに来るし。
……そりゃね、ふざけた態度のこいつにも、こいつなりの切実さがあって、だからこそこんな惨めに土下座までしてるんだって……それはなんとなくわかるよ。
惨めだろうね、ホント。十歳も年下の初対面の娘に、どうか置いて下さいなんて頭下げてる、なんてさ。それはちょっとかわいそうだと思うよ……?
……とかなんとか、気が付くとあたしは、自分の言葉で自分の心を絡め取っていた。
あたしっていつもこう。いつも一人でうじうじ考えちゃって、気が付けば自己嫌悪で真っ黒になっていく。卑屈なのはこいつじゃなくて、あたしの方だ。だからこそ、こいつの土下座を直視できないんだろうな。
だから、せめてちゃんと向き合うことにした。そして、断ることにした。
「……あのさ」
なのに。
「って、わあああ!!」
そこには、三度すっ裸になった影丸が、文字通り全てを曝け出して、たっていた。
たっていたって……誤解しないでよね?!はーもー、ややこしいな……。
「ちょっと、バカ、あんた何やってんの?!」
あまりのことに、怒鳴るくらいしかできなかった。
「美影よ」
「え?!」
次の瞬間、右の手首を掴まれて大外刈りで布団の上にひっくり返された。
ガバッと覆い被さって、影丸の大きな手が私の頬を触る。
「ひっ……」
のどの奥から引きつった声が出る。
「美影。お前、処女か?」
「……な、何考えてんのよ、あんた?!」
「野暮を聞くな」
影丸が不敵に笑う。
さっきまでジャージ姿で縮こまって土下座してたのはどこのどいつよ?少しでも同情しかけたあたしが馬鹿だったわ。
っていうか、こいつ、あたしを押し倒したわね?さっき馬乗りになったのは、不可抗力だと認めて、水に流してやらないでもなかったのに。それが今はどう?こいつは今はっきりと自分の意志で、あたしを無理やり組み敷こうとしてる。あろうことか「処女か?」ですって。
「変態!色魔!よくもあんた、自分より十歳も若い、子どもみたいな女を……」
その先は怖くて口に出せなかった。全力で暴れてやりたいのに、手首を掴まれ体重をかけられ、自由な動きを殺されている。
私の言葉に、影丸は苦笑している。
「俺とて少なからず罪悪感はある。だがまぁ、こうでもせねば、お前は俺の言うことを聞いてくれんだろう」
こんなことされたら、余計言うこと聞くわけないじゃん!そう言ってやりたいのに、緊張でノドがひきつって声が出ない。恐怖で見開いた目に涙が滲んできた。
……本当に、犯される……!
「……十七で処女など、後生大事に守っているものでもあるまい」
指が、喉元をなぞる。
「ひぃぃっ!!」
その瞬間。頭の中で何かの線が、ぷつりと切れた。
「美影。俺が、お前を女にしてやる」
「いやああああ!!」
「おうっ……」
その金切り声は、まるで外から響いたみたいに、あたし自身の耳にも聞こえた。
それが、私の理性を完全に消しとばした。
「いやあああ!!!いやあああああ!!!」
「お、おい、美影」
「いやああああああ!!!」
タガが外れたように、私は泣き叫んだ。臓腑を絞るようにして、あらん限りの大声を上げ続ける。
「落ち着け、美影。俺が悪かった、もうしないから」
「いやああああ!!!」
影丸が力を緩めて身を引くと、私はいよいよ大暴れした。
「……美影」
「ああああああ!!」
……ああ。こんな話するのってね、ほんと恥ずかしくてたまんないんだけどね。
この時のあたしってば、完全にパニックに陥ってたのよ。
レイプされかけたら、誰だってそうなるのかもしれないけどね。……そーよそーよ、悪いのは影丸であって私じゃない。
とにかく、ただただ怖くて、何もかもぶっ飛んで、私は暴れまくった。
「……美影、すまない」
影丸は心底すまなそうに謝ったけど、そんな風になってしまった私は、簡単には収まらなかった。
「うああああああ!!」
殴った、蹴った、突き飛ばした。
「くっ、うっ……許してくれ、美影、ぐぅっ」
泣き叫び、荒れ狂う私に打たれるがまま、影丸は悄然と頭を垂れていた。
でも。
「ぬふぅ!」
思い切り振ったかかとが、影丸の下腹部にストライク。
「さ……さすがにそこは……厳しいでござ……る……」
うずくまった影丸。
あたしは、ひとしきり大暴れした後、仰向けのまま、両手で顔を覆って、しゃくりあげていた。こんなに泣いたのって、もしかして赤ん坊の時以来なんじゃないかな。
大泣きに泣き明かして、頭がぼうっとしてくると、逆になんだか心がスッキリしてしまった。変な話だよね。
あたしが泣き止む頃には、外はだんだん暗くなっていた。
泣きはらした酷い顔で、私は黙って布団の上に女の子座りしていた。
少し離れたところに、ジャージを着た十七歳の影丸が、何も言わずに立ち尽くしている。
「取り乱してごめん」
ぽつりと言う。ノドはガラガラ、目もしぱしぱする。鼻をすすると、予想以上に大きい音がして、私は恥ずかしくなった。
……しつこいけど、私が謝ることじゃないわけよ。悪いことしたのは影丸だし。
でも、なんか恥ずかしかったの。
「……いや」
影丸はそれだけ言って、また黙った。
もう影丸は謝らない。全部無駄だと悟ったらしい。
あれだけ大泣きしてしまって、ものすごく恥ずかしかったけど、その代わり、ある意味とても爽快な気分だった。
たぶんあたしはこのとき、すごく久しぶりに……たぶんあたしが子どもでなくなったとき以来で、百パーセントあたしの為だけに全身全霊で大泣きした。
それはとても胸のすくことだった。そのお陰であたしは、最近のあたしがいかに、中途半端に他人のことを思いやって、あたし自身を不自由に閉じこめていたのかを思い知った。
思いやってって言ったけど、思いやれてない。だって結局、人のためにしたことも全部、あたしのためなんだもん。結局あたしは自分のことしか考えられないのに、人のことを考えてるつもりになって、それで勝手に自分を縛って、疲れていたんだ。
今私は、ひたすら私のためだけに泣くことができた。
それが、私の『本当』なんだって、そのとき私は静かな気持ちでそう思ってたんだ。
「あのね、影丸」
また、ぽつりと言う。
「なんだ、美影」
影丸は確かに、あたしにすごく酷いことをした。でもその時、あたしの胸の中には、この全裸の変態(今はジャージ着てしょんぼりしてるけど)に対する感謝の気持ちさえあった。
「あたし、あんたが忍者だってのは信じる。ここへ来たのはたまたまだとしても、影丸なりにのっぴきならない事情があるんだって、それはわかったから」
「……ああ」
「だから、今、あんたがあたしにした酷いことも、とりあえず忘れてあげる。……その、あんたも悪いって思ってるみたいだし」
影丸は何も言わずに悄然と頭を垂れている。
影丸は私に、私の『本当』をくれた。性格が悪い癖に気が小さくて余計なことばっか考えちゃう私に、私自身の『本当』を教えてくれた。
だからあたしは言った。
「でも、あんたを家に置くことはできない。あたし、お兄ちゃんと二人暮らしで、お父さんもお母さんもいないし、余裕がないの。だから、悪いけど、出ていって」
沈黙は短かった。
「わかった」
私は顔を上げて、久しぶりに影丸の顔を見た。影丸のヤツ、さすがに反省してるのか、辛気くさい顔してるのがちょっとおかしくなって、私は笑った。
「短い間だけど楽しかったよ」
そう言うと、影丸は驚いたように目を見張った。
自嘲するような暗い笑みを浮かべながら、影丸は黙って首を振るだけだった。
もうすっかり外は暗くなっている。
せめて、駅まで送ってやることにした。
「ちょっと待って」
「うん」
途中、コンビニに寄って、私はお金を卸した。ATMの脇に付いてる銀行の緑色の封筒を一枚とってお札を入れる。
外に待たせていた影丸に、それを渡してやる。
「はい、これ」
影丸は驚いた顔をしていた。長いまつ毛が、コンビニの電灯に映える。
ちなみに影丸は今、お兄ちゃんの服を来てる。ストライプのカッターシャツに、無地のチノパン。そういう服着ると、なんか高校生がチンピラぶってるみたいで、ちょっとおかしい。
ジャージは返してもらった。あたしの服あげるのはやっぱ気持ちわるいし。
……どうせ後で燃やすんだけどね。
「いいのか」
「道中何かと物要りでしょうから。少なくて悪いけど」
あたしは澄ましてそう言ってやった。
「……本当にすまない」
「それを言うなら、ありがとう、でしょ」
「ああ、そうだな。……ありがとう、美影」
「どういたしまして」
なんだか、そんな風に殊勝な態度でいられると、やっぱり少しかわいそうかなって気がしてきちゃうじゃない。どうせなら最後まで「褒めて使わすぞ、あっぱれ美影!」とか、ふざけて人をおちょくってるような態度でいてくれたらよかったのにさ。
そう言うなら、そこまでするなら……、影丸を家に置いてやればいいのにって、そう思う?
でも、それはやっぱり違うよ。だって現実的に、こんなゴクつぶしを置いておけるほど、うちも裕福じゃないもの。それになんだかんだコイツは危険人物だしさ。何せ、あたしのこと手籠めにしようとしたくらいだもん。それは忘れてないよ?今は一時的に許してやってるだけ。
それなのにご丁寧に路銀まで持たせてやるなんて……って思う?そこはそれ、あたしのオンナの情けってやつよ。
ふっ。何言ってんだろね、あたし。
とにかく私は今日のこの出会いが、これからの私にとって大きな意味を持つだろうって、そう考えていた。上手く言えないんだけど、世の中こんな変なやつもいるんだなって考えたらさ、もっと色んなことを気楽にやれそうな気がしたんだ。
だから私は、この全裸のド変態(今はお兄ちゃんの服着てるけど)に、少しだけ感謝してた。たまになら、またどっかで会ってもいいかな、なんて思う……ううん、やっぱもうこれっきりでいい、かな。
駅の改札で、私は影丸を見送った。
「これからどこへ行くつもり?」
「今夜は適当な場所で夜を明かす。どの道しばらくは里に戻れないからな。どこか、働きながらでも置いてもらえる場所を探すさ」
「そっか。上手くいいところが見つかるといいね」
「うん。……じゃあな、美影。世話になった」
「じゃあね」
そう言って、私たちは手を振り合って別れた。
ついにあいつは、私の家に置いてくれと、二度口にすることはなかった。そういう潔いところだけは、その……。
ううん、何でもない。
「ただいま」
戸締まりして出たのに、鍵は空いてて、明かりも点いてた。今度は正真正銘、お兄ちゃんが帰ってきてるからだってわかってた。
玄関に上がると、リビングのドアが開いた。
――お帰りでござる、美影!遅かったでござるな。
……なんてね。
私は一人想像して、くすくす笑った。
「お帰り美影。こら、思い出し笑いなんて、ヤラシイじゃないか」
お兄ちゃんが出迎えてくれる。眼鏡の向こう、目が怪訝そうに細められる。
「ただいま。……ふふ。ある意味、ヤラシイのかもね」
「なんだなんだ、ぼくはお前をそんな風に育てた覚えはないぞ?」
お兄ちゃんは眉をひそめた。
「安心してよ、あたしもそんな風に育った覚えはないからさ。これから話すよ」
笑いながら、靴を脱ぐ。
あたしは帰り道でずっと、お兄ちゃんに話をしたくて仕方がなかった。
あたし一人の胸にしまって置くには、あんまりにもはちゃめちゃで、それでも少し勇気をもらった、おかしな全裸の忍者の話を。
「ご飯作ってなくて、ごめんね」
「それならいいよ。さっきピザを取ったから。もう来てるから、食べようよ。美影の話とやらを聞かせてもらいながら」
私は嬉しくなって手を叩いた。
「やった!ピザなんて久しぶり。なに頼んだの?」
「『デラックストロピカルミックスチーズ』と『ロイヤルストレートフレッシュトマト』だよ」
「ハーフ&ハーフ?」
なんか、ごてごてした組み合わせ。
「いや、L二つ」
「へ」
やけに多い。そう思った途端、背筋を駆け上る悪寒。
お兄ちゃんを突き飛ばし、リビングへ駆け込む。
「なんだよ、美影!どうしたんだ?」
まさか。まさか。まさかまさか。
食卓に湯気を立てる、二枚のピザ。
並べられた皿とフォークは、三組み。
座っていたハットリくんのお面の、全裸の男が手を上げた。
「お帰りでござる、美影!遅かったでござるな。早くせんと、ピザとやらが冷えて堅くなってしまうぞ。もそっと、近う寄れ」
「ふぁ」
顎が外れる。呆然と立ち尽くす。もう、ピザどころじゃない。
後ろから肩を叩かれた。
「影丸さんの言うとおり、冷めないうちに食べよう」
「ささ、兄上。お酌いたすぞ」
影丸が、大きな瓶を開けて言う。大吟醸、純米、『むせび泣き』。
「いや、これはこれは……影丸さんに注いでもらえるなんて、嬉しい限りです」
「なに。これから長らく世話になるのだから、これくらいは当然でござろう。それはそれとして、このピザと申す物、なかなか奇妙な食い物でござるな。拙者なにぶん、葉隠の里を出たことがないものでな、かようなものを目にするのは初めてでござる」
「そうですか、影丸さんはピザが初めてですか。これはめでたいですね」
「それはそうと兄上、ピザの配達と申すは鵬蛾の根暗どもが本職の片手間にする仕事なのでござりましょうな」
「えっと……それはどういうことですか?」
「きやつめ箱の中に、しれっと袋入りの緑の毒を仕込んでおった。ほら、これにござる。鵬蛾のたわけめ、してやったりと言うところであろうが、この十三代目葉隠影丸の目は欺けぬわ」
「え?……あっはっは。イヤだなぁ、影丸さん。これは毒じゃありません。『グリーンペッパー』っていう辛味ソースですよ」
「なんと!するとこれは添え付けの調味料でござったか!いやはや、拙者としたことがちと身構え過ぎていたようでござる」
「あっはっは。いえいえ、影丸さんは里を出てきたばかりですから。少しばかり神経質になるのも無理はありませんよ。……どうしたんだい、美影。そんなところで留め金の外れた獅子舞みたいな顔して」
前言撤回。あたしは、こんな全裸に葉っぱの変態忍者なんか、大大大大大っっっ嫌い。
肩がわなわな震える。握り締めた拳がぷるぷるする。
「影丸の……影丸のぉ……影丸のおおお……」
あたしは、全身全霊を込めて叫んだ。
「バカああああああああああああ!!」
この日から、あたしの平和な日は終わりを告げ、あたし一人の胸にはとても仕舞っておけない、とんでもなくめちゃくちゃで騒々しい毎日が始まってしまったのです。
「あと、お金返して。マジで」