番外編:やっぱりマスメディアには敵わないかもしれない話
個人の仕事の経験を、誰かに話したい欲求から始めたこの連載。下卑た自己承認欲求にはどこかで鉄槌が下る。当たりまえのその感覚を、私はその時までついうっかり忘れていたのだ。
親戚が腕によりをかけて育てた、干し柿用の蜂谷柿。手に持つとずっしり重たく、中には1個500gに届こうかというものすらある。ひとコンテナに山盛り積まれた柿を剥いて、冬に向けて干し柿にするのだ。貴重な保存食でもあるし、暇庭家のなかでは私を除いてみんな干し柿をよく食べる。
というわけで祖母に柿のヘタ部分を整えてもらい、皮を私が剥く。90代の半ばになろうかという祖母の脳を蝕むアルツハイマーも、若い頃から地道に積んできた経験だけは決して壊すことができない。孫の私のことはよく分からなくてバイトさんと呼ぶのだが、手つきは祖母の全盛期の勢いと美しさをしっかり残している。
と、かけっぱなしにしていたテレビから、家庭菜園の単語が聞こえてきて、私はバッと顔を上げてテレビを見た。
『秋の家庭菜園』
でかでかと画面に表示されている字幕を見て、げぇっ!と叫ぶのをすんでのところでこらえた。家族にはすべての創作活動を秘密で行っている。こんなことでバレるわけにいかない。
だが、流暢に進む番組進行は、私が今まで紹介してきた、泥臭い家庭菜園のハウツーよりずっとずっと、街に住む人向けの、おしゃれで洗練されたやり方を紹介していく。
あっ、フリーザーバッグってそんなふうに使うこともできるの……えっ、都市部だと寒い時期でもこういうふうに育てられるんだ……。
爽やかな笑顔で取材を受けるイケメンの菜園主。ああ、クソがっ、コイツのほうが……コイツのやり方のほうが、都市に暮らす家庭菜園のあるじとして、優れている。私はコイツには、家庭菜園のあるじとして勝てない、勝てようがない……。
私は別に書くに当たって手抜きをしたとは思わないが、それでも元百姓としての経験が無意識に自由な発想を邪魔しているし、美的センスでもひどく遅れをとっている。それを肌で感じた。
カップラーメンの容器でも育てられる野菜があること。思考停止で毎日水やりと言っていたが、最近は自動水やり機もあって長期旅行もへっちゃらなこと。さすが、マスメディアとはこういうことだ。情報の集め方の広さが違うし、それを発信する馬力も桁が4つくらい違う。
私は何をしているのだ。「家庭菜園をはじめたいあなたへ」を書く意味は、この特集1本で風の前の塵に同じく吹き飛んでいった。
剥き終わった柿を母に紐に結んでもらい、父が蔵の軒に干し場を組んで柿を1連ずつ干す間、私は糖分でベタベタになった皮むき器を洗いながら、これからどうしようかと悩んだ。
今から勉強してオシャレなものを紹介するか?いやそんなことをして何になる。誰かからの受け売りではそれこそ書く意味がない。ならこのまま突き通すか。意味が薄いと分かっていても、自己満足のためにこの連載を書き切るのか。
思えば答えは最初から決まっていたのだ。
俺が書きたくて始めたのだ。お節介を承知で、でも語りたくてたまらなくて、それで始めた連載だから。
宅男。無様なら無様でいい。自分の無様を飲み込んで、始めたものはしっかり走りきれ。嘲笑あらば甘んじて受け、応援あらばありがたく頂戴して走れ。マスメディアになんか最初から敵うはずはないのだから。あと4品目。恥をさらしてもいい、このタイトルで始めたものをしっかり走りきれ。
……というわけで。ワイドショーの洗練された特集に心を折られかけた暇庭ですが、やります。後半4品目、書き切ります。番外編が丸1本、愚痴になって大変申し訳ありません。
5品目めは、冬が旬の小松菜を予定しています。またどうぞよろしくお願いいたします。
昨日は休みだったのだが、あのテレビの家庭菜園特集には、本当に、やられた……。あれが都会の人間の発想力か。素晴らしい。
ものすごく悔しい。悔しいのでティーバーで後から何度も見返して全部自分のスキルとして吸収してやろうと思う。それじゃないとヘコまされた割に合わない。やってやる。




