6 懐かしき街/レイラ・ルスタル
久しぶりに帰ってきたレイスターは、僕が出た時とあまり変わっていなかった。賑やかさが減ったような気もするけど、都市部と比べると随分穏やかに感じる。このまま、この街を過ぎて森に行く。そして女神の泉に。
「……」
街の端を歩いていた。見えるのは、数階建ての白いアパートがいくつか。森の近くに僕のアパートはある。そしてその一室に、レイラが……。
会いたい。
そう思うと、抑え切れなかった。早く女神の泉に行かなきゃいけない。誰かにハイノールの存在を気付かれちゃいけない。僕に出来ることを、せめて、やらないと。そう思うのに、僕の足は勝手にアパートに向かっていく。その内走り出して、地面を離れた足。僕は宙に舞い上がる。
少しだけ。少しだけだから。会ったらすぐに、役目を全うしに行くから。だから彼女の――レイラの顔を一目見たい。
元気にしているだろうか、困ったことはないだろうか。
僕は白い翼を下ろすと、五階のベランダに降り立った。窓には茶色いリュックを背負った僕が反射している。部屋の中はレースのカーテンがしてあって見えにくいけど、きっと中にはレイラがいる筈だ。
何故か変に緊張して、呼吸が震える。僕は深呼吸を一つすると、その窓をたたいた。
ととと、と駆け寄る音がして、カーテンが開かれる。彼女は少し……いや、かなり驚いているみたいだった。
「久しぶり」
「本当にあなたなの?」
「僕だよ」
彼女がからからと音を立てて窓を開ける。
ふわっと僕の後方から風が吹いて、彼女の銀の髪が浮き上がった。日に照らされた蒼の目が海そのもののようで、僕は懐かしさと愛おしさを覚える。
「待たせてごめんね。えっと……お土産があるんだ。あと、ポプラテ飲む?」
何を話すかも決めていなかったし、衝動で来てしまって、取り敢えず僕はそう言った。
「飲むわ」
「あ、分かった。ちょっと待ってね」
「中に入ったら?」
「え、あぁ……そうだね」
言われて自分がおかしな行動をしていたことに気付いた。僕は下ろしかけたリュックを再び背負うと、部屋の中に入る。
リュックの中のハイノールの話とか諸々を隠そうと口走って、行動まで気が回っていない。
「……『ただいま』でよかったのに。元々ここはあなたの家じゃない」
「そうだけど、何と言うか……待たせすぎちゃったし」
部屋の中は五年前とあまり変わっていなかった。簡素な作業机が二つ、間に棚を挟んで並んでいる。一つは僕の、もう一つはレイラの机だ。先程まで作業をしていたんだろう、机の上にはいくつか布や糸と一緒に石が転がっている。僕の見慣れない石がいくつか増えていて、それはどれも平和や祈りに関するものだった。きっと、ずっと不安だったのだろう。
「石、前より増えたね」
「当たり前よ。何年経ったと思ってるの?」
「……ごめん。やっぱり怒ってる?」
久しぶりだからか、一年経たずに戻ると言いつつ五年も経ってしまったからか、どことなく気まずい。
「少しだけよ。戻ってきてくれたことの方がずっと嬉しい。……心配で堪らなかったの。……ちょっと待ってて」
そう言うと彼女は作業机の間の、休憩中に使うものを入れている棚から色んな色の水晶で出来たブレスレットを取り出した。僕に手を出すように促すので従う。既に五年前にレイラから貰ったお守りがある左手首とは反対の、右手首にそれを付けてもらった。
「お守り。作ってたの」
「……ありがとう」
旅に出る時に渡してくれたけど、また作ってくれてたなんて。僕は彼女の優しさが懐かしく、嬉しくて、微笑んでお礼を伝えた。
レイラの作るお守りは効果が絶大だ。多分そのお陰で僕はこの五年間無事だったんだと思う。今から女神の泉に行くことを考えると、とても心強い。
僕はリュックを床に下ろすと、そのポケットから透明な容器を出す。中にはポプラテの元。メーテにもらったものの残りだ。キャンディー状に加工されたこれは、よく店先でガラス瓶に入って売られている。
コロコロとした飴玉のような茶色いそれを三粒ずつ取り出して、コップに入れた。レイラが持ってきてくれたポットのお湯を注いで、少し溶けてきたそれをスプーンで砕いて混ぜていく。暫くするとふんわりとコーヒーのようなキャラメルのような甘い匂いがしてきた。
「どうぞ」
「ありがとう。……あったかくて美味しい。昔よく飲んだわね」
「そうだね。最近は?」
「今は……そうでもないわ。あまり外へ出ないの」
彼女は少し顔を落として、ポプラテを見つめる。
確かに彼女の肌は青白く、女神様に似た銀の髪と翼は相変わらず神秘的に映るけど、調子はよくなさそうだ。
「あなたが出ていってから……国は四つに分かれてしまったし、少し前のヒーツカ侵攻でだって、たくさん人が死んだわ。あなたが巻き込まれてないかずっと心配だったの」
「レイラ……。僕は大丈夫だったよ。色々あったけど……ほら、ピンピンしてるでしょ?」
彼女の前では強がりたいと、安心して笑ってほしいと思ってしまう。泣いているのは見たくないから。
「レイラは大丈夫だった? 何か困ったことや危ないことはなかった?」
「わたしはね。けれど、この街も昔に比べたら随分と人が少なくなってしまったわ」
そう言われて確かにと気付く。元気な子ども達の声を聞いた覚えがない。人影もあまりなかった。ここも十分田舎街だけれど、安全を求めて更に世界の隅に逃げていったんだろう。
「それに色々聞くの。軍がどうの、景気がどうの、策略がどうのって。ルスタル軍は暴れ回るし……もううんざりだわ」
俯く彼女に掛ける、丁度いい言葉は思いつかない。昔レイラはルスタル家――父親に監禁されていた。そのこともあって、一層鬱な話題だろう。この街には侵攻の跡はなかったけれど、それでも。
僕はズズ……とポプラテを飲む。
「あ、そういえばお土産を渡してなかったね。メイカラットを貰ったんだよ」
「本当? 見せてちょうだい」
レイラの表情がぱっと明るくなった。
メイカラットは透き通るような赤が綺麗な鉱石だ。貰ったのは僕の拳より一回り小さいサイズだけれど、宝石としては結構大きな塊だ。それも綺麗にカットされている。
「高かったでしょうによく貰えたわね」
「あぁ、上手く出来たからって。友達の錬金術師が」
「そうなの」
僕はリュックを開けると、それを取り出す。
「とっても綺麗……。優しくて、強い石ね」
それを聞いて、メーテもそんな人だったと思い出す。「少し手伝ってくれるだけでいいから。メイカラットだって、何だってあげるからさ」なんて言われて追いかけ回されたのがつい昨日のことみたいだ。
レイラは愛おしげにメイカラットを見つめている。見惚れるレイラの表情を久しぶりに見た。美しくて、可愛くて、そんなレイラに僕は見惚れてしまう。
「それと、旅の間にゼイランカやクリムナーヤを採ったんだよ。それで紅茶や香油をいくらか作ったんだ。トーマから貝殻も貰ってさ」
「貝殻? 懐かしい。……あぁ、久しぶりにアスタの作った香油や紅茶の匂いを嗅いだわ。いい匂い」
他にもお土産を渡すと彼女は嬉しそうに微笑み、飾り棚や食卓に並べる。そんな様子を見て僕は少し安心した。笑う元気があるようでよかった。
「そういえば、勉強はどうだった? トーマさんは大丈夫? 向こうで初めに戦争が始まったと聞いたけれど」
何気ない彼女の言葉に、取り繕った筈が僕の顔はちょっと歪んでいたらしい。レイラが何か気付いた表情をした。
「勉強は上手くいったよ。トーマが僕に合うやり方で教えてくれて。でもトーマは……初めの魔導砲で……」
「……そう。聞いちゃってごめんなさい」
「ううん」
また空気が重くなってしまった。
世の中には『仕方ない』で流せることも沢山ある。けれどやっぱり彼らの死は、そう簡単に割り切れない。
僕が再び食卓に向いて、飲みかけのポプラテに手を伸ばそうとした時。
――ドッ!
「っ何⁉︎」
轟音と振動と共に、彼女が叫んだ。
僕は知っている。この振動を。
窓に駆けていくと、また振動と共に白い柱が街に下りた。
向こうの空に小さく見えるのは、翼と揃いの黒い鎧で全身を包んだ人間と、真っ黒い三角形の戦闘機……ルスタル軍だ。
急いでカーテンを閉め、部屋の中で簡易シェルターを作る。透明な半球が僕達を覆った。
「なんで……」
「大丈夫。見つかってない」
震えるレイラを僕はすぐさま抱き寄せる。ふわりとした翼と体の感触がして、一瞬迷いそうになったけれど、こんな時に『なるべく触れないように』とか言ってる場合じゃない。彼女を守らなくては。
ちらりとレイラを見る。怯えて僕の服にしがみついているけれど、彼女の目は、じっとカーテンの向こうを見つめていた。
僕は……彼女が幸せでいてくれることを願った。大切な人達が傷付かないでいてくれることを願った。そして共に誓った。世界を平和にしようと、メーテと。
「レイラ」
「……?」
こちらを見上げる綺麗な顔は不安そうで、僅かにその手が震えている。今彼女だけをここに置いていくのはとても不安だ。でも、じっとしていてもルスタル軍は帰ってくれない。僅かな望みにかけてでも、僕にはやらなきゃいけないことがある。
「僕、行かないといけないんだ」
「行く? 行くってどこに?」
「……それは」
「アスタ、何か隠してるでしょ?」
不安そうな顔から打って変わって彼女の眉間にシワが寄った。声が少し低い。明らかに怒っている。
「隠し事……それもとんでもないこと。わたしが気付いてないとでも思ったの? ハイノール、無くなったって騒ぎになってる。ソノワール国の端っこのここにまで、届いてるの。そして……」
レイラは僕からリュックへと目を移した。心臓の鼓動が速くなる。
「そのリュックの中からは、強い石の気配がする」
「……似た石じゃない?」
「わたしの力、アスタは分かってるでしょ? はぐらかさないで」
彼女はどんな石の特性もすぐに理解してしまう。気配や思いを感じ取って、その石の力を最大限引き出すことだって出来る。
気配を消す箱に入れて、布を何重にも巻いたのに、彼女の感覚は誤魔化せなかった。甘かった。もしかすると五年前より力が強くなっているかもしれない。
目を逸らしたいのに、じっと見つめてくる彼女から「教えて」という強い意思を感じてしまって目を逸らせない。
「アスタ、何を隠しているの? 何をしようとしているの?」
こういう時のレイラは、絶対に僕が口を開くまで問い続ける。それに、今の彼女はそれだけじゃなくて不安を抱えているのが分かった。固まった笑顔で彼女を見つめていたけれど、ついに圧に耐えられなくなって僕はぽそりと呟く。
「……世界を牛耳りたくて、盗んだ訳じゃない」
「あなたはそんなことしないって分かってるわ」
レイラの表情が少し和らいだ。
僕はハイノールで、人を殺したい訳じゃない。王様になりたい訳でもない。ただ、メーテとの約束を果たしたい。戦争を終わらせたい。彼の望んだ方法で出来るかは分からないけど、世界を平和にしたい。それだけ。
「教えて。何があったのか」
「……分かったよ」
僕は深呼吸して、彼女に全てを打ち明けた。この一年のこと。盗んだ理由も、起こった出来事も、僕がこれからやりたいことも。
そうして少しだけ心は軽くなって、でも恐る恐る反応を待っていると
「わたしも手伝うわ」
彼女は一言、そう言って微笑んだ。
「わたし、アスタに助けてもらったお礼がずっとしたかったの。それに、ずっと罪悪感があった。世界で暴れているルスタル軍は、わたしのお父様の指示で動いてる。でも、お父様に立ち向かう勇気はわたしにはなくて。沢山の人が巻き込まれていくのに耐えられなくて、怖くて、苦しくて、自分を責めたりもしたわ」
「レイラ……」
「でもこの石を女神様に返したら、癒しが広がったら、何か変わるんじゃないかって。少しはその人達にも報いれるんじゃないかって思うの。あなたは優しいし無理して笑うこともあるけど、アスタと一緒に、背負いたいものもあるのよ」
彼女が僕の手を握る。それは無限の強さと優しさを秘めていて、どんなものよりも強い魔法に思えた。
余分な力といらない緊張がふっと抜けて、安心したと同時に勇気が湧いてくる。
「隠してて、ごめん。巻き込むべきじゃないと思ったんだ。でも、レイラがそう言ってくれるなら」
「大丈夫。きっと誰でもそう思うわ。さ、行きましょう」
侵攻の音も鳴り止んだ。今なら出れると、リュックを背負い僕は立ち上がる。
途端。白い光。轟音が耳をつんざいた。
「きゃあっ⁉︎」
レイラを片手に抱きつつも、思わず目を瞑る。ガラガラと間近くで建物の一部が崩れる音が聞こえ、再び目を開けるとベランダが崩れて日の光が差し込んできていた。ただその入口に、穏やかな陽光に似つかわしくない真っ黒な鎧の人物を乗せて。




