3-7 夜会練習
そしてついに、公爵邸でのお茶会の日となった。
「皆さまいらっしゃいませ。会場は小ホールに用意しております。練習とはいえ、今日は楽しんで行って下さいね」
私がカーテシーを行うと、真っ先にクリストファー殿下が礼を取り、ほぼ同時にエマがカーテシーを行った。
「おはよう、マリアンヌ。準備ありがとう」
「おはよう、マリー。来れてとっても嬉しい。今日は宜しくね」
そんな王子と伯爵令嬢の優美な挨拶に気圧され、棒立ちしているピーター様の背を軽く押して、ルーカス様が言う。
「ピーター様、ご挨拶を」
「あ、お、お招き頂きありがとうございます。ピーター・スコットです!」
「はい、ピーター様。お待ちしておりました。本日は頑張りましょうね」
「は、はひ……」
すでにいっぱいいっぱいのピーター様を心配気に見つめるルーカス様が、私の視線に気づいて頭を下げた。
「お招きありがとうございます。マリアンヌ・バレンティ様。主人も喜んでおります」
それは完全に、ピーター様の従者としての態度だった。
この場でなら気軽にお喋りできるかと思っていたのに、少し残念だ。でも、本来の目的は夜会の練習ですものね。
私は気を取り直して、まずは練習を済ませてしまおうと考える。お喋りはその後にすればいいのだ。焦ることはない。
「では、皆様揃いましたので、会場にご案内しますわ。こちらへどうぞ」
言いながら、私は四人を公爵邸に招き入れた。
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バレンティ公爵家の小ホールは、実際の王妃様のお茶会と同じようなレイアウトで夜会の準備がなされていた。
中央はダンスホールとして広いスペースが取られ、端の方に飲み物のグラスや軽食が置かれている。王妃様のお茶会は夜会同様、立食形式の舞踏会なので、テーブル付近に椅子はない。代わりに、窓際の壁にポツポツと休憩用の椅子が置かれているばかりだ。
それを見て、エマが感嘆の声を漏らす。
「さすが公爵家。ただの練習のために、王妃様のお茶会の会場を再現するなんて」
「レイアウトを真似ているだけですわ。会場規模は、王城のダンスホールの足元にも及びません」
「あんなもの、一貴族の邸宅にあって良いものじゃないんだから当然よ」
エマはそう言うが、社交に重きを置いている高位貴族には、邸宅に贅を尽くした王城並みのダンスホールを持っている者もいる。
エマの家のラオネル伯爵は武人の家系なので、邸宅に大きなダンスホールなど考えられないのだろう。
ピーター様とルーカス様も、驚きに目を見張り、ホールを何度も見回していた。
「こ、こんなに大きな会場、目が回っちゃうよ。……僕、ちゃんと意識を保てるかなぁ」
「本番はこれより広いのか……練習があって本当に良かったな」
二人の感想に私が内心微笑んでいると、クリストファー殿下がニコリと私に笑いかけた。
「さすがバレンティ公爵家。最大限本番に似せた場を用意してくれたな、ありがとう。ホール全体にこんなにも贅沢に魔力灯を灯してくれているし」
「そこは、殿下こだわりの条件でしたでしょう?」
クリス殿下の言葉に応じながら、私達は同時にルーカス様の右耳に注視した。
ルーカス様の右耳のピアスは、魔力灯の下赤く輝いている。
「当日はこれが大事な証になるからな。直接魔力灯で照らさずとも、ちゃんとホールの明かりで赤く変化するか見ておかないと」
クリス殿下はそう言いながら、ルーカス様の右耳朶にそっと触れ、彼の瞳を覗き込むように見つめながらにっこりと笑った。
「まぁ、証拠なんて、ルーカスが紅い瞳を見せてくれれば一発なんだが」
「……申し訳ありません。魔法は、まだ……」
クリス殿下の笑顔の圧に気押されて、ルーカス様は目を逸らす。
その様子にクリス殿下は小さく息を吐いて、ルーカス様から離れた。そして、少し困ったような顔で苦笑する。
「責めている訳でも、急かしている訳でもない。それが一番有効なんだよ。実際、私もこの眼で、うるさい羽虫を黙らせてきた。……まぁ君は、容姿に恵まれているし、そんなことをしなくとも大丈夫だろうが」
その言葉には、王妃様似のクリス殿下の、王位継承者としての苦労が含まれていた。何も知らないルーカス様は、「どういう意味だ?」と頭の上にはてなを浮かべている。
それを見ていたエマが、
「ルーカスは外見が国王陛下にそっくりだから、変に疑う者は出てきにくいってことよ」
と補足してくれた。
「俺って、国王陛下に似ているのか?」
「金髪のルーカスを大人にしたら、国王陛下の外見になるわよ」
エマの言葉に、ルーカス様は「そうなんだ」と他人事のように呟いた。
そうしてそろそろ、夜会の練習を始めようかとしていたところ、ホールの扉が急に開いて、私の両親、つまり、バレンティ公爵と、バレンティ公爵夫人が現れた。
「やぁみんな。今日はよく来てくれたね。娘がお世話になっているよ」
父、ジョージ・バレンティはそう言うと、私たちを見回してにっこりと貴族的な笑みを浮かべる。
「私はマリアンヌの父、ジョージだ。隣は妻のバイオレット。今日は皆、次の王妃様のお茶会の練習に集まったのだろう?私達がホスト役を務めよう。本番のホストは王妃様なんだ。大人が演じた方が、緊張感を持って練習ができるだろう?」
隣に「な?ヴィオ」と投げかけた父に、母は無言でこくりと頷いた。
「な?ヴィオ」じゃありませんわよ、お父様?本来なら、練習も一段落した頃に顔を出す予定だったじゃないですか!そのウインクは何ですか!来ちゃった、じゃないんですよ!
私は額に手を当てて天を仰いだ。
両親の突然の登場により、現場は騒然としていたが、さすがクリストファー殿下。真っ先に状況を把握して、その場の最善の行動を示すべく行動してくれる。
彼はすっとバレンティ夫妻の前に進み出て、優雅な礼をした。
「これはバレンティ公爵、そして公爵夫人。この度はご招待いただきましてありがとうございます。ベアステラ王国第一王子、クリストファー・ベアステラです」
「皆に見本を示すためとはいえ、殿下からご挨拶いただけるとは、恐悦至極に存じます。今日はごゆるりと楽しんで行かれて下さい」
クリス殿下の招待客としての挨拶に、父は主催者としての挨拶で応える。ただし、本来なら身分的に主催者の父の方からクリス殿下に挨拶に参るのが基本だ。
「今日はピーターのための練習会だからね。最初に例外を見せてしまうと混乱するだろう?エマやマリアンヌの挨拶は女性式だし、ルーカスは本番通り従者役に徹していた方が練習になる。だったら、私が手本を見せた方が早いからね」
言いながら、クリストファー殿下はピーター様に挨拶を促した。
「ほら、ピーター。私と同じ様にすれば大丈夫だから」
クリス殿下がピーター様の背を軽く押すと、ピーター様はつんのめりながら公爵夫妻の前に出た。そして、震える身体を何とか動かして、ぎこちなく礼をする。
「ピ、ピーター・スコットです。この度はご招待いただきましてありがとうございます」
おっかなびっくり挨拶をされたピーター様を、微笑ましいものを見る目で見ていた父は、敢えて貴族的な笑みを浮かべて応える。
「スコット男爵子息だね。いらっしゃい。今日は存分に励んで行かれよ」
「は、はいぃ……」
尻すぼみに返事をしたピーター様に、父は笑いながら、
「そんなに緊張せずとも、今日は練習なんだからね。友達の家に遊びに来ただけなのだから、気楽にしていなさい。そして本番も、似た様な気持ちで臨めば、大した失敗もしないだろう」
と言って励ます。
ピーター様が小さな声で「ありがとうございます」と言うのをにこりと笑って聞いた後、父の目線はルーカス様に移った。
それを感じ取ったルーカス様が、父に従者の礼をとる。
「君がルーカスだね。君のことは、クリストファー殿下からも、うちの娘からもよく聞いているよ」
父に話しかけられたルーカス様は、少し躊躇いながら口を開いた。
「バレンティ公爵、そして公爵夫人、お初にお目にかかります。スコット男爵家で従者をしております、ルーカスと申します。ご令嬢とは、一週間ほど前に王立学園で知り合いました。身分不相応にもこの様な場に呼んで頂き、感謝致します」
「身分不相応……そうだな。平民が何故、うちの娘と結ばれる可能性があると考えたのか…………」
父の重く冷たい言葉に、場の空気が凍りついた。
ルーカス様が、ひゅっと息を呑むのが聞こえた。
しかし、一瞬で場を重い空気にした父は、次の瞬間には眉を下げて態度を和らげる。
「だがしかし……こうして君を目の前にしてみると、反対の言葉が浮かばないな…………」
「ルーカス殿下……生きていたのね。……良かった。本当に良かったわ」
今まで空気に徹していた母が、ルーカス様に向かって手を伸ばす。頬に伸ばされた母の手を、ルーカス様は戸惑いながらも受け入れてくれた。
「リオナと同じ黒髪に、陛下と同じ青い瞳。あんなに小さかった子が、立派になって…………」
普段決して感情を表に出さない母の目から、一筋の涙が溢れた。
「会えて嬉しいわ。ルーカス殿下」
母の柔らかな声に、ルーカス様は丸くしていた目を細めて笑顔を作った。
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