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第一章はマリアンヌの視点で進みます。
次の章はまた視点が変わる予定です。
一応、男女ダブル主人公の気持ちでいます。
「マリアンヌ、私との婚約を、無かったことにしてくれないだろうか?」
クリストファー・ベアステラ第一王子のその言葉に
「はい、承知いたしました」
私、マリアンヌ・バレンティは、微笑みを浮かべて頷いた。
それは、私たちが婚約してから約五年、王立学園高等部に進学してからは一月ほど経った、あるお昼休みのこと。
場所は、ベアステラ王国立学園にある予約制のプライベートサロン。
学園の生徒であれば誰でも使え、友達や恋人と使う者も多い。ほぼガラス張りで中の様子が外から見える作りなのは、中で宜しくない活動をすることを防ぐ目的がある。そのかわり、扉や壁は厚く、内外の音をほとんど遮断してくれる。
私達は、そのサロン内のテーブルに向かい合って座り、別れ話をしていた。
外からサロンを覗き見た生徒たちは、クリストファー第一王子とバレンティ公爵令嬢が、いつも通り、長年の婚約者同士の気安さで談笑しているものと思うだろう。そのくらい、今の二人に流れる空気は穏やかで、落ち着いたものだった。
「……私から一方的に言っておいてなんだが、理由を訊いたりはしないのか?」
はっきりと婚約解消を告げたにしては申し訳なさそうな顔をしているクリス様が、その整った眉をさらに下げながら尋ねる。
その様子を見た私も、少し困ったように眉を下げた。
「……聖女様でしょう?クリス様の御心にあるのは」
私の発言にクリス様は軽く嘆息すると、しっかりと決意のこもった瞳で見つめてきた。
「ああ、そうだ。私は聖女…エマ・ライオネル伯爵令嬢に懸想している。……やはり君には隠せないな」
そう言って少し笑ったクリス様の水色の瞳には、今この場にはいない、想い人の姿が映っているのだろう。
幼い頃から知っている彼の、初めて見る、はにかんだ顔。
いいなぁ……殿下は…恋をされているのね
私の心に浮かぶのは、純粋な憧れだった。
昔から、恋愛小説が大好きだった。小説の中には、たくさんの素晴らしい恋愛が詰まっていて、私の心を大きく振るわせるのだ。私も、恋がしてみたい。
公爵令嬢という立場上、政略結婚が避けられないのはわかっていた。でも、政略結婚でも、自分の両親のように相思相愛になることはできると夢見てきた。十歳でクリストファー殿下と婚約してから、彼のことを好きになろうと、そして彼にも、自分を好きになってもらおうと尽くしてきた。
悪い関係では、決してなかった。むしろお互いのことをよく知り尽くした、いい関係だったと思う。でも、私では、クリス様にこんな顔をさせることはできなかったのだ。
あぁ……なんて、尊い……
「私は、恋をする方の味方でありたいのです」
私は静かに口を開いた。
「クリス様が聖女様をお慕いしていらっしゃるなら、私は身を引きますわ」
この辺りまでなら、まだ冷静だった。
「将来王になられる予定のクリス様と、国防の要である聖女様の婚姻は、過去の事例を鑑みましても最良の縁談だと思います」
だんだん、早口になってゆく。声も大きくなり、果ては拳を作ってぶんぶんと振っている。
「お二人とも強い魔力をお持ちですから、素晴らしいお世継ぎも期待できます!」
話があらぬ方向へ行き始めた。クリス様が、水色の瞳を丸くして私を見ているのに気づいたが、もう止まらない。
「なにより、心から愛する方と結婚できるなど、なんと素敵なことでしょうか!」
ひと演説終えた私は、達成感から鼻息をフシューッと吐き出す。
そんな公爵令嬢らしからぬ私に、クリス様はくすくすと笑い始めた。綺麗なプラチナブロンドの髪が、サラサラと揺れる。
「そうだった、君は、そういう人だったな」
「クリス様と聖女様のお子様でしたら、さぞ美しく可愛いでしょうね……」
クリス様も、聖女エマ様も、どちらも明るい髪色をしていらっしゃるから、お子様の髪も太陽のような輝きに満ちた色になるだろうし、瞳はどちらに似るのだろう?クリス様に似れば、アイスブルーの瞳に王家特有の魔力を通すと紅くなる神秘的な色へ。聖女様に似れば、澄んだ翠から紫へ変わる…となると、その魔力は貴重な聖属性に!?あぁ!!楽しみすぎて妄想が止まらないわ!!
私の頭の中がたいへん忙しいことになっていると、それを察してか、クリス様が苦笑気味に止めにかかる。
「マリアンヌ、君の妄想は私にとっても素晴らしい未来予想図なのだが、少々気が早い。…私はまだ、片想い中だからね。エマには私の気持ちを伝えてもいないよ。けじめをつけてから、と思ってね」
「けじめ」
「君と婚約した状態で、他の女性を口説く訳にはいかないだろう?」
クリス様がきょとんとした私に告げる。
確かに!!
うっかり2人の子どもの名前まで考えそうになっていたが、そういえばまだ、書類上ではクリス様の婚約者は私なのだ。このままでは、クリス様が最低な男になってしまう。
嫌な汗が、背中を伝うのを感じた。
危なかった。クリス様がまともな考えの持ち主でよかった。
恋愛小説は好きだけど、ドロドロの不倫や浮気ものは苦手なのです。
ラブラブハッピーエンドをお願いします!!
相変わらず頭の中が忙しい私を見たクリス様が、さらに笑いながら言う。
「君は…なんというか本当に、私との事はどうでもよかったみたいだね」
「そのような事!」
咄嗟に返した私を、クリス様はいいんだ、と笑って制した。
「では、すぐに婚約解消の書類を用意するよ。今までありがとう、マリアンヌ。君にも、素敵な恋が現れることを祈っているよ」
笑顔でそう言うクリストファー殿下に、私は立ち上がると、お別れの意味を込めてカーテシーを行った。
「ありがたきお言葉、頂戴しますわ、殿下」
そしてそのまま、笑顔で退出しようとした私の後ろから、
「ところでマリアンヌ嬢、君に似合いの男性を紹介しようと思うのだけど、放課後時間はあるかな?」
と言う楽しそうな声。
振り向くと、水色の瞳を楽しそうに細めた殿下が手を振っている。
「ええと…どういう意味ですの?」
「そのままの意味だよ。君に縁談を持ち込んでいる。もっとも、別に大仰なものじゃない。私が…クリストファーが、良いと思った男性を、友人のマリアンヌに紹介したいだけ」
それは、ベアステラ王国第一王子が、バレンティン公爵家令嬢に、ではなく、クリス殿下が私に個人的に紹介したい相手がいる、と言うことだ。殿下の真意はわからないが……
それにしたって、婚約を解消したさっきの今で!?
私の視線が刺さったのか、クリス殿下は楽しそうな笑顔を苦笑に変えて、
「そんな胡乱げな顔で見ないでくれ。私は本当に、友人の夢を叶える手伝いがしたいだけなんだ」
なんて嘯く。
そんなことを言っていても、殿下に何か裏があることは分かっているのだ。幼馴染でもあり、五年も婚約者をやっていた私の目は誤魔化せませんよ!!
とはいえ私の方も、先ほどから殿下に考えていることが筒抜けだ。おかしい。私の顔は、鉄面皮と呼ばれるほど表情がないはずなのに。
私は、黒い瞳をじっと殿下に向ける。殿下もじっと、私の目を見ていた。こんなに長い間、私と目を合わせてくる人も珍しい。特に、王族では。
しばらく見つめ合っていると、クリス殿下はふっと笑って、
「じゃあ放課後、図書館で」
と言って席を立った。
そして私の横をすり抜け、颯爽とサロンから出ていってしまう。
去り際、ほんの少しだけ詰めていた息を吐くような音がしたのは、殿下の緊張の現れか。
安堵と共に小さく吐かれた殿下の言葉は、私の耳には届いていなかった。
初投稿なので、改行をどの程度入れれば読み易いか試行錯誤しています。
もっと改行があった方が読み易い、改行無くても気にならない、今くらいでちょうどいいなど、ご意見ありましたら教えて下さい。