悪趣味な女の百合
趣味に良いも悪いもあるか、と篠田楓子は言った。
彼女は目つきの悪さと趣味の悪さから魔王だとか悪魔だとか陰で言われている。
けれど微塵も悲しい様子を見せずに「ぎゃはは」と笑う。
「なら、私の趣味も悪いものではありませんね」
しれっと、私は魔王に口答えするけど、彼女はそれに目ざとく反論してきた。
「お前のそれは趣味じゃねえ犯罪って言うんだよ。分かったらもう付きまとうな」
「はい。もう大体わかったので」
言って踵を返すと、ぐっと肩を掴まれた。女にしては熱い手で、熱が、指が、肩に食い込む。
「何か?」
「いや、そんだけ? ストーカーなんてするんだから執着とかそういうのはねえの?」
篠田はそう思案顔で尋ねるが、それこそ誤解であり、私は言葉通りそれが趣味であると説明する。
「ただ、面白そうだから見るだけで、貴女が特別なわけじゃありません。ざっと三十人目くらい、一人三日間きちんと尾行して、そのあとは何もしません。ただ、ほんの少しだけ日常を覗き見するだけです。趣味なので」
一般的にストーカーといえば、確かに偏執的な愛の形かもしれない。ただ私はそうじゃなく、単なる興味本位でしかないのだ。三日では短いと思いもう少し長く尾行することもあれど、必要以上に長くつけ回すことはせず、ただその人がどんな人かを知ればすぐに辞める。その程度の興味だ。
確かに行為自体はストーキング……、ストーカーという誹りを受けることも何度かあったが、注意されれば辞める程度の、罪にならない程度の行動。
このライフワークは私にとって趣味以外の何物でもなく、クラスメイトなども趣味の対象でしかなかった。
のだが。
「お前、面白いなぁ! いつか犯罪しそう!」
そう肩をバンバン叩きながら、楓子は「ぐはは」と笑った。
「お前なんて名前だっけ」
「……日角まとい」
「付きまといのまといじゃん!」
で、また笑う。
高校で初めて友達ができた日の話だった。
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「まといー、映画借りたから一緒に見ようぜぃ」
「……はぁ、はいはい」
クラスで気になる人、校内で有名な人なんかも尾行した私は、もう篠田以上に興味深い人間がいないからこうして彼女と惰性のまま過ごす日々に堕ちていた。
彼女と近づけば彼女の性格や性質が分かるのかもしれない、と思っていたが、彼女の趣味には辟易するばかりで、そのくせ本質は何も分からない。
きっと彼女以外にもそういう人間はいるのだろうが、傍から見ても謎が多いのが篠田楓子という人間だった。
意気揚々と、私を待たずに歩いて帰る篠田の後ろについていく。さながら私は子分のように金魚の糞をしている。
後を追うのは、私のライフワークだ。慣れているから気にしないが、篠田は私を友達と呼びながらよく置いていくような歩き方ができるものだ、と少し感心する。
「今日は何を借りた?」
「地獄のコック、デスイレイザー、サンダーバードジョーズの三本だ!」
「……」
スプラッタ映画、それが趣味なのは別に構わない。いや構わなくないが……彼女の異常性はそれにとどまらない。
ともかく、上映会が篠田家で始まる。両手を広げたくらいの大きなテレビを彼女の部屋で独占し、ソファで一緒に並んで座りそれを見る。
テレビとソファを挟んだところにある低いテーブルには彼女の好きな激辛スナックと胃がもたれるほどの甘い炭酸がある。相変わらず悪趣味の限りを尽くしているようだった。
さて、問題の内容だが。
人間を食べるヘル・コックは、実は過去にいじめられていた人間で彼をいじめていた者達に復讐しているのだ。
だそうだ、としか言いようがないけど。
正直、一時間半たっぷり見ていたがストーリーなどあってないようなもので、ただ残虐に殺してグロテスクに血と肉が飛び散る映像を見ていただけだ。
なぜこれを好んで見たがるのか、意味があるのか、全く私には意味が分からないけれど。
「……ん、はぁ」
魔王はそれを好き好んでみる。それも、時折母の胸に包まれる子のように安らかに、時に箸が転げて笑う令嬢のように愉快に、娼婦に抱かれる男のように悦び……。
ただグロテスクな殺戮シーンの数々の、果たして、何が違うのか、別種の何かを感じているのか。説明させても篠田の言葉は擬音ばかりで要領を得ないが、篠田はその残虐な死に方に違いを感じているようだった。
そしてそれを人生最上の悦びのように語る。
これの、どこが、そんなに。いいのやら。
「ん……よかったね」
普段の男勝りな魔王はどこへやら、セックスを終えた初心な恋人のように目をとろんとさせて、傍から見れば糞映画過ぎておっぱじめた軽薄なカップルのようにすら見て取れる光景だ。
「この映画の何が良かった?」
「ヘルコックがジェイムズの頭をかち割るシーンとか……すごいキュンキュンした」
「少女漫画のように言うな」
詳しい説明を聞くと、少し吐き気すら催すので今は遠慮する。何度か篠田に思う存分語らせたこともあったが、何度かその光景を夢で見たことがある。それ以来、長話はごめんだった。
篠田につきまとって、傍で見ていても理解できない。こうして話し合って同じ経験を経ても理解し得ない。
「キュンキュンしない?」
「するかっ!」
人が人殺してるのを見て興奮するのは完全に悪趣味、どころじゃない。犯罪者予備軍だろう。
実際、こいつは犯罪者みたいなことしていたし……。
というのも、手首をはじめ、篠田の体中には生傷がついている。
分かりやすく映画の影響だ。電気や火による火傷だったり、カッターや包丁での切り傷だったり、動物に噛ませて親に病院に連れていかれたり、精神科にも連れていかれたり。
最近そういうのが減ったというが、それは彼女にとって自分や他人を傷つけるよりも、映画として見るのが至上の悦びであるかららしい。
まあ、趣味とは得てしてそういうものかもしれない。野球やサッカーのようなスポーツもするより見る方が好きな人がいる。特にこの映画みたいな危険行為は、大体やる人はいない、見るのが趣味になるはず。
自分の体で試してみた時点で篠田は危険人物だが……。
「じゃあジョーズ見るか!」
「……勝手にして」
けれどまあ、もう少し付き合ってみる。
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『突然変異で生まれた大型ホオジロザメは、電気ウナギとトビウオのエナジーによって帯電し飛行する!』
流石に私も苦笑が止まなかった。登場人物の一人でサメの電気攻撃によって骨が見えるシーンは往年のギャグマンガを彷彿とさせるような。
「……昂ぶるね」
「んふふっ! 昂ぶるの? 私は……まあ面白かったけど、いろんな意味で」
シュールというか、あまりにも飛び出た発想が滑稽だっただけだ。篠田の面白いとはわけが違う。
「篠田は何が良かったの?」
「それは……想像してみて……。……サメになってガブリと食べるの」
「サメになる方か……」
想像を一段階超えてきて言葉を失う。普通、主人公側に感情移入すると思ったのに、こいつは殺人鬼どころか人食いザメの気持ちになるらしい。それも、空飛んで、電気を放つ人食いザメ。
篠田は意味ありげに激辛ポテチを一つつまむと、二口でバクバクッ! と食べた。ぱりぱり、小気味よい音と共にごくりと喉が鳴る。無事に嚥下できたらしい。
「まといは食べられる方?」
「どっちでもない。完全な他人事」
感情移入云々以前のストーリーに、もし自分がこうだったら……など想像する余地もない。それは私の想像力が貧困というわけではなく、この作品がそれだけぶっ飛んでいるからだろう。
しんみり感情移入するとか、ホラーとして怖がるタイプじゃない。コメディチックなスプラッタ、こういうものもたまにはいいかもしれないが……、篠田を擁護するようになって言いにくい。
そもそも、こいつの楽しみ方は『それ』とは全く違うのだ。
「ダメだなぁまといは。想像してみろ。お前は水着の、真っ赤なビキニを着たパツ金ギャルだ」
突然、普段の調子に戻った篠田は私の服をぐいっと持ち上げた。
「うわ! ちょっ!」
下着が見えるか見えないか、というところまでまくり上げられた。何されるのかとひやひやするけど、篠田の調子は変わらないまま。
「白い砂浜、青い海、さんさんと輝く太陽の下で、お前は海から迫ってくるヒレを見つける。おや? 周りの観客が恐れおののいて逃げている。なのにお前は茫然とヒレを見つめている」
篠田は私を見つめていた。催眠術でもかけるように、じいっと、黒い目が私を見つめていた。
「事態が読み込めないお前は、あれがなんだろうとじいと見つめる。動かず茫然と、見つめている。すると突然海から一匹のサメが飛行した」
「んふっ」
飛行って。催眠術が解けたかのように笑いがこぼれた。
「衝撃的な場面に為す術もなく……、お前は脇腹をガブリ!! 鋭いサメの歯に噛みつかれ」
突然、ぎゅうと脇腹をつねられた。細い篠田の指が生肌をくすぐる。
「強靭な顎の力で真っ二つにされる。手足もその勢いでバラバラになって、非力な人間では逆らえないように、サメの力に飲み込まれるんだ。こんな風に」
「んぎゃっ!」
さっきまで指を滑らせていた脇腹に、今度は遠慮なく篠田が噛みついた。
生暖かく湿った刃が私の肉に食い込む。結構マジで噛みついててくすぐったさと痛みで混乱してきた。
「放せアホ!」
「ぐひゃひゃっ!」
愉快そうに笑いながら篠田は唾液の垂れる口を拭っていた。
私の脇腹は、傷にはなっていないようだが、しっかり赤い跡と彼女のよだれがべっとりついている。
「きったね……」
「ぎゃはははっ! 食われる人間の気持ちは分かったか?」
「分かるかそんなもん!」
篠田に噛まれたところで、食われる人間の気持ちなんぞ分からない。変な女子に脇腹しゃぶられる以上の気持ちはない。というか汚いし痛いし散々だ。
まだ映画は一つ残っているが、そろそろ潮時だろうか。時間が遅くなってきたし。
というところで、「ほれ」と篠田が服をめくってお腹を見せている。
ちょうど、私の服をめくった時みたいに、彼女の濃い桃色の下着がちらちら見えている。
「……なに?」
「サメの気持ちは分かるかもしれないだろ」
「えぇ……?」
「噛んでみ」
篠田の、意外とほっそりとしたくびれが、小さなおへそが、控えめに覗いている。
当然のように、噛んでみろ、と篠田は言うが、そもそもそれはどうなんだ。変だ。こいつの変に付き合わされている。
こいつは私に噛ませたいんじゃなくて私に噛まれたいんだ。自分を傷つけるのが好きなやつらしいから。
「サメの気持ちなんて、噛んでわかるわけない」
「私は分かったぞ。騙されたと思って試してみろ」
「いや騙してるに決まってる」
「私が信用できないのか!?」
「信用されてると思ってた?」
「思ってた……」
「そこで悲しむなよ……少しは信用してるって。言い過ぎた」
「じゃ、ほら」
振りだしに戻って、篠田はスカートも少し下げた。腰のラインが見える。ブラと同じ色のパンツも少し。そこまで下げなくても。
どうやら噛まないと話は先に進まないらしい。
仕方なく、ちょっと体にお邪魔します。
「ん……噛んで」
篠田らしからぬ、か細い声がほのかに聞こえた。
恐る恐る、篠田の脇腹に歯を立てる。唇で彼女の肉をつまむように食み、遠慮がちに歯を立てては少しずつ顎の力を増していく。
ぎゅう、噛むと篠田の弾力が増して、これ以上は無理かと思った時に、ぎゅう、と背中側の服を握られた。
ちら、と顔を覗き見ると、篠田は泣きそうな顔をしていた。彼女が映画を見ている時には絶対にしない、悲しみや辛さで泣くような表情。
くは、と口を開けて、篠田から離れた。糸を引く唾液は私と篠田を結んでいた。
「……ん、ふ、どうだった?」
「…………いや、サメの気持ちとか分からんて」
「そう……? 私は……興奮したけど」
「食われる側の人間の話は!?」
ロールプレイングでスプラッタ映画などのなんとか……みたいな話をしていた気がするけれど、私もどういう流れで篠田を噛もうと思ったのか覚えていない。というかもうどうでも良い。
「ってかもう帰っていい? 時間も時間だし」
「あー、いいよ。映画面白かったね!」
「……うーん……まあ、うん」
一応、笑わせてもらったから頷いておく。彼女の面白いとは、絶対に意見が違うのだけれど、そこで言い争って帰る時間が遅れるのも嫌なので。
「あ、あとさ……」
妙に女性的な雰囲気の篠田は、こうも言う。
「また噛んで。噛むより噛まれる方がよかったし」
何故それに付き合わされるのか。
篠田の言う事はいちいち理解できない。
だって、私は噛まれるより噛む方がよかったし。
「はいはい」
呆れた風に言って私は帰ることにした。
本来もう一人悪趣味な女出してまといのストーカー趣味活用するつもりだったんですけどこの二人くっつけたいとなったのでくっつけた次第です。